16.炎と花びら

 プン、と青臭い匂いが立ち込めている。

 生い茂る雑草を踏み抜きながら、男はただひたすら前に向かって歩いていた。

 狂犬きょうけんそうと呼ばれる足元の草は、その物騒な名前に反して綺麗な水色の花弁をつける。病気で今も苦しむ娘に持ち帰ってやったら喜ぶだろうか……。そんなことを考えながら、男は汗を流し、泥にまみれつつも、この深い密林の底を進んでいった。


 密集する木々の間を抜けると、そこはぽっかりと開けた敷地であった。

 どれほど長い時を樹海の薄暗い闇の中で過ごしたことであろう。男はこれまでに遭遇した場面を振り返ろうとして、やめた。

 目指すべき場所を前に、いまさら自らの過去と向き合う必要もあるまい。彼の眼前には今まさに、夢にまで見た別天地がそびえ立っている。


「これが……そうか……」


 目に飛び込んできたのは砂色の壁面を持つ墳墓ふんぼ――全高一四〇メートル余。底辺二三〇メートル余。五十一度を超える勾配を持つ、巨大な四角錐。大ピラミッドと呼ばれるそれが、秋陽を反射してハレーションを起こしたかのように輝いている。


 見上げれば、空を舞うのは始祖しそちょうだろうか。極彩色の羽を持ち……いや、羽だけの生物と言った方が正しいのかもしれない。ともかくも、群れをなして空を覆っている。

 かたや大地を覆うのは何者かのだ。

 それは喜びであり悲しみであり、あるいは怒りのそれでもある。

 対立するもの、立ち向かうもの、追うもの、追われるもの……。そこには巨大な流れとなった世界の業があった。それらはこれからこの世界が立ち向かわねばならない、厳しい現実そのものの表象でもある。



「これでようやく俺たちの願いもかなう……」


 男は長く尾を引く影法師を引き連れ、大ピラミッド内部へと進むべく足を踏み出した。

 片手に松明たいまつを掲げ、闇だけが支配するピラミッドの内部を進んでゆく。暗闇に潜む甲虫スカラベが、松明の光に照らされ逃げてゆくのが見えた。

 構造は意外にも単純なものだった。大回廊と呼ばれる通路を抜けた先に、石室がある。そこに安置されているはずの王の棺――その中にあるものが、男の目的だ。

 これは盗掘だ。俺は今、世界を裏切ろうとしている……。男は、おのれの良心がちくちくと痛むのを感じながら、それでも進むのをやめない。いつしか、何かに取りつかれたかのように暗闇の中を前進していた。


 やがて王の石室へと男は辿り着く。

 話にきいていた通り、そこには古びた石棺がひとつ、安置されていた。棺は、同じく石造りの分厚い蓋で封印されており、彼一人でそれを解くのは困難なように思われた。だが、男は果敢にも挑んでゆく。

 すると、あっけないほど簡単に石棺は開き、その奥に眠る深淵に、松明の光が差し込んだ。


 その時だった。


「ヨク、ココマデ辿リ着イタ――」


 何者かの、厳かな声が男の鼓膜を震わせた。

 それは肉声ではない。まるで、脳に直接話しかけてくるような、大地の底から響く重々しい、声。石室全体にこだまし、どこから発せられているのかは全く分からない。まさかこれが噂に聞くピラミッドにまつわる呪いだとでもいうのか。


「だ、誰だ?」


 男の声はこわばり、その顔面は蒼白なものになっていた。膝ががくがくと震えるのがわかる。

 そう、この大ピラミッドこそ、この世界――イマジナリアの聖地であり、禁断の領域とされていたからである。支配者たる王以外の立ち入りを禁じられた神殿。男はまさに世界の掟を破っていたのだ。


 ごう……と、一陣の生臭い風が回廊内を駆け抜ける。

 続いて、びちゃびちゃという水気の多い音がそれを追うようにして聞こえてきた。

 それは、何かが彼に迫ってきているかのようでもあった。

 恐怖に駆られた男は、思わず松明を取り落とす。じゅっと音がして火が消えた。

 一瞬ののち、闇が支配する。


「コノ時ヲ、待ッテイタ――」


 再び声がした。闇そのものが語り掛けているように、男には思えた。

 ここから逃げなければ……。出口を探すべく手を伸ばすが、手ごたえはどこにもない。

 カサカサと音を立てるのは甲虫スカラベの群れだろうか。

 それに混じって、ずるずるという何かを引きずる音がひくく響いてくる。

 やがて、その音の主は男の足元へと到達する。ひんやりした感触が、おのれの身体をい登ってくるのが分かった。

 そして――。



          ◇



 なんと美しい光景だろう――。

 ヒミコは宮殿のバルコニーに立ち、空を行く始祖しそちょうの群れを眺めていた。

 色とりどりの羽が宙を漂い、群れを成し、そしてねぐらへと帰ってゆく。イマジナリアと呼ばれるこの世界における、夕暮れ時の光景だ。すみれ色に染まった地平の彼方には、名もなき樹海が果て無く広がっている。

 かつてはこの一帯も樹海の一部だったと聞く。

 木々を伐採し、農地を開拓して建国されたのがこの「ヤマタイ国」のおこりである。


 ヒミコはそんなヤマタイ国の女王だ。

 風になびき、光の粒子を反射するのは、ぬばたまのつややかな黒髪。

 年齢は三十歳前後といったところか。程よく熟した大人の肉体を持ち、その肌は浅黒い。さらに目元を強調する化粧を施した様は、何かいにしえに存在した眷属のそれを思わせた。

 加えて、絹で織られた純白の着物でその肢体を包み、さらに紅色の薄衣うすぎぬをまとった様は神々しく、王者としては申し分のないたたずまいだ。だが、彼女にはどこか指導者としての覇気がなかった。


 バルコニーから見下ろす国の様子は、いたって平凡なものだ。

 山岳と樹海に囲まれた緑豊かな大地。畑が広く広がり、そこかしこに平屋建ての家々が立ち並んでいる。

 四方を木の板で囲い、粘土を踏み固めた上に泥煉瓦を積み上げた版築はんちく工法のそれであり、その壁は焼いた貝殻を砕いて作った粉をまぶし、白く塗られていた。だがその白い粉も、今は度重なる災害でもって、はらはらと剥がれ落ちつつある。


 災害――。

 そう、ある時を境にこの世界に突如として降ってわいた侵略者。

 軟体生物のような肉体と触手を持ち、大型で、一部の種は空をも支配する……。

 誰が言いだしたのか、〈虚獣〉と呼称されるそれらによる侵略は、日増しにその度合いを増している。そして、それに対して女王たる自分は何の対抗策もたてられてはいない……。ヒミコは日々憂鬱であった。



「ヒミコ様――」


 背後で声がする。振り向けば、一人の口ひげを蓄えた青年が彼女の後ろで傅いていた。

 黄金きん色のたてがみをもつネコ科の顔。どう見ても獅子と呼ばれる動物が二足で立ち上がった姿なのであるが、その顔は実に端正なものだ。両手で尺を携えてもいる。


太子たいしか。何かあったか」

「はっ。先ほどスフィンクスより報告がありまして、かのナチス第三帝国が再三の要求をしてきたようでございます」


 太子の言う「ナチス」とは、数年前に突如として出現した新興国の一つである。ここ数年で急激に勢力を拡大し、どこから得た技術なのかはわからないが、強大な武力でもって今やイマジナリア全土の覇権を握っている。事実上の支配者と言えた。


「ナチス……ヒトラー総統か。どうせまた食料の無心であろう。この国の穀物事情もひっ迫しておるというのに……」

「しかし、〈虚獣〉に対抗できる戦力を保有している第三帝国に逆らうことはできません。かれらの戦力あってのイマジナリアなのですから」

「わかっておる。分かっておるが……この国のたみの生活もさすがに限界に達しようとしておる。もともと農作には不向きな土地を、ここまでもたせてこられたのも、ひいては彼ら国民の努力あってのものだ。これ以上の搾取を許すわけには……」


 ヒミコの危惧はもっともなものだった。

 このヤマタイ国は、巨大な火山の裾野に広がる土地である。火山は活火山だ。

 火山灰の降り積もったローム層は酸性で、およそ食物――特に主食となるコメの農耕には適さない。せめてこの土壌が何とかなればとも思うが、国を移転させるわけにもいかず、ヤマタイ国は日々衰退の一途をたどっていた。


「……ナチスの提示した期限は?」

「それが、明後日あさっての昼までにまとまった量を用意せよとのことで……」

「無粋な――」

「断るにしても、用意できなくても、いずれにせよこの国は略奪にあうでしょう。あるいは戦火に焼かれるやもしれません。人身御供ひとみごくうとして連れて行かれた村の若者も数多い。行方不明者の数も年々増えつつあります」

「樹海へ逃げ込むものも後を絶たぬと言うな」


 事実、国の大部分を占める樹海は、家や財産ををなくしたものの行く先とされている。捜索に入った国の衛士えいしたちは、多くの白骨化した死体を目にしているという話も彼女は耳にしていた。


「太子よ、この国はもう終わりなのだろうか」

「ヒミコ様……」


 太子もこの度重なるナチスからの要求には疲弊している。

 もうこの国には供与できる食料も労力も残されてはいない。誰よりも分かっているつもりだ。だが、それでも決断は下さねばならない。そんな苦しみを今の二人は抱えていた。



「ときに太子、あれはなんだ」


 ヒミコの指さした先には、夕暮れ空に走る一条の光の筋があった。

 見る見るうちにそれは拡大し、何かがその内側から浮上してくる。


「ナチスの新型艦でしょうか? しかし、要求の期限にはまだ早いはず――」

「あれは……竜?」


 光の粒子を飛散させ、白銀の山肌に沿って船が浮上してくる。

 二人の目の前に浮上してきたのは、竜の形をした巨大艦そのものであった。

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