6.覚醒、機導騎士

「あれが〈虚獣〉なのか――」


 ともすればかすみそうになる意識を全力でつなぎ止め、禊儀みそぎ一真いっしんは目の前の巨大怪物を見据えていた。

 全身が激しく痛む。いつものことだが、今はことさら酷い。

 あの時――ラ=エスタと名乗る女に撃たれた衝撃のせいだろうか?

 いや、しかし、それならばなぜ俺は生きている?

 疑問は尽きない。

 加えて、全身の血管内を何か弾丸のような堅いものが駆け抜けてゆく……そんな不快感が絶えず襲ってきている。このような状態でどうしろというのだろう。

 ただ、今は目の前のやつをたおす――それだけが禊儀の使命のように思われた。

 誰に命じられたわけでもない。意識の奥底に刷り込まれた「何か」が、そうさせているのだった。


 眼前の怪物――〈虚獣〉は、まるで品定めでもするように、その小山のような躯体を緩慢に震わせた。胴体の先端についている縮緬皺ちりめんじわのよったこぶは頭部なのだろうか。真っ赤な光を放つ複眼がぎょろりとかれをめつけ、そのうちいくつかが無気味に目を細めた。


 笑っている……。


 禊儀の眼は――いや、感覚がそのように捉えた。〈虚獣〉に感情があるのかは定かではないし、今まで聞いたこともない。ただなんだろう、この目の前の怪物から伝わってくる歓喜の感情にも似た波動は……。


 思わず後ずさりすると、地響きとともにコンクリート面が大きくへこんだ。

 そう――今の彼は、彼自身であっても「彼そのもの」ではない。

 街の大通りに設置されたミラーが、周囲の建物の窓ガラスの反射が、今の禊儀の姿を映し出している。


 灰褐色をした、眼前の〈虚獣〉にも劣らない小山のような巨躯。

 それは、有史以前に作られた古代遺跡が丸ごと立ち上がったかの如く、武骨で力強く、神秘的であり、かつある種の脆さをにも似た退廃感を漂わせている。足元を見下ろせば地面からは十五メートルは離れているだろうか。今のかれは〈虚獣〉と同じ、巨大な体躯を持つ巨人騎士そのものなのだった。


 意識の中に痛みという名の電流が走る。

 まるで脳に巨大な杭を打ち込まれているかのようだ。全身の細胞の一つ一つが溶融しているようで、灼けるように熱い。戦えるのだろうか、こんな状態で……。


 待ちくたびれたかのように〈虚獣〉が咆哮した。

 触手をふり乱し、禊儀に向かって突進する。夜の闇のなか、高速で迫りくる〈虚獣〉は恐怖以外の何物でもない。思わず両目を固く閉じた。

 闇の中で激しい衝撃が禊儀を襲う――。

 どうして、こんなことに? 思いは逡巡するが、今はどうしようもない。

 ただ、意識の片隅でささやきかける者の声がした。


 その能力ちからを取り戻せ――と。


          ◇


「分隊長、ミナレット級二体が急接近――あと数秒で会敵します!」


 部下からの報告がなされた、その直後であった。あまりにも巨大な――小山のような体躯を持つ二体の巨大物体が、絡み合いながら第二分隊の目の前を通過した。無気味に赤く明滅する信号機を蹴散らし、粉砕し、周囲の建物をぶち抜いて交差点を横切って行った。


「今のは何だったのだ。片方が押さえつけられていたように見えたが……」


 隊列の先陣を切る分隊長の目に映ったそれは、確かにそれまでの経験にはなかった光景だった。

 無数の触手を持つタイプはこれまでにも報告されている。それらは何らかの形で全て討伐されてきたはずだ。だが、それに押し負けるようにしていたもう一体……あれはなんだったのか。

 今、かれらの目の前を通過していった〈虚獣〉のうち、片方は灰褐色をした巨人のそれをしていたように見えた。その様は、まるで怪獣とプロレスに興じるロボット兵器のようでもあり、どこか現実離れした光景にも思えた。

 が、今はまぎれもなく現実だ。分隊長は軽く首を振ると、命令を下す。


「全車両、全速前進――目標、前方のミナレット級!」


 瞬く間に伝令が駆け抜ける。

 一〇ヒトマル式戦車のキャタピラが唸りを上げ、アスファルトの地面を切りつけた。


          ◇


 全身が焼けただれるように熱い。

 細胞の一つ一つが発熱し、その悪意にも似た灼熱が全神経を伝播してゆく。

 全身から発する感覚が肥大化している。どこまでが自分なのか、世界との境界がおぼろげになっているのを自覚している。そういえば、いつか似たような体験をしたことがあるような……いつだったか……。そんなことを、ともすれば飛びそうになる意識の下で禊儀は考えていた。


 考えろ、今は考えるんだ。思考を止めたらそのとき俺は死ぬ。

 そんな風に思った。


「そうだ。今の君は機導騎きどうきとひとつにある。その力を見せてみろ」


 声がしたほうに意識を向けると、そこにはあの魔女――ラ=エスタがいた。

 あの砲身、〈瞬牙しゅんが〉に腰掛け、虚空に鎮座している。

 彼女に聞きたいことは山ほどある。が、今は目の前の状況を何とかするのが急務に思われた。

 禊儀は軋みを上げる全身の激痛をこらえながら、目の前の〈虚獣〉を押さえつけようとする。状況はこちらが劣勢だ。無数の触手が彼の肉体に絡みつき、その自由を奪ってゆく。

 また、推進機関でもあるのかと思うほどに、〈虚獣〉の突進力が高い。先ほどは民家の家並をぶち抜き、ビルへと叩きつけられた。このまま押され続けたとしたら、も持ちそうにない――。


「〈機導紋〉はすでに君の身体に刻まれた。あとは君の意思次第だ」


 声が再三にわたって脳内に響く。こうして話しかけてくるお前は何だ? そもそも俺は誰なのだ。いま、このような異形となり果てた俺はいったい何なのだ……。


「悪いことをしたのはわかっている。だが、私たちはああするしかなかった。君に刻まれた力の目覚めを促すほかなかったのだ。どうか、今は戦ってほしい――」


 何を言っているんだ。

 まさか……。


 記憶がフラッシュバックし、意識が飛びはじめる。

 断片的に浮かび上がるのは、ここへ至るまでの日常から非日常。そして友人のこと、学校のこと、家族のこと……。家族? 俺に家族などいただろうか……?

 禊儀の意識下に刷り込まれた「何か」がはじけようとしている。

 今まで疑うことのなかった己の記憶を今、彼は疑い始めている。


 俺は、なんだ――?


「あなたはあなたです。禊儀一真」


 どこからかまた別の声がした。ラ=エスタのそれとは違う可憐な、細い声。

 禊儀の意識の中にあらわれたのは、白と黒の侍女服を着た少女だった。ゆっくりと振り返ると悲しそうな表情を見せた。

 罪悪感に満ちた表情。瞑目したまま、その頬を涙が伝っている。


「あなたはこの大千世界のことわりに、唯一縛られない異分子アノマリー――。だからこそ、あなたは。今あなたが感じている痛みは、その時の記憶。だから、取り戻すのです。本来のあなたを。今はそのための第一歩――」


 何を訳の分からないことを言って……。


 少女の声が響くたびに、脳が切ないほどに熱を発した。全神経が活性化されているかのようでもあり、意識下での対話をしながらも、禊儀はすべての感覚を最大限に稼働させ、周囲の状況をまるでコマ送りするかのように認知することができていた。

 そして、おのれの内側から何か抑えつけようもないものが現れ出でようとしているのを感じた。


 最初に現れたのは、「怒り」だった。

 人間の持つ感情の中で最も厄介なものとされるそれは、自分をこんな風に変えてしまったラ=エスタに対するものであったのかもしれない。だが、それは言い表しようもないもやもやした塊で、ぶつける相手はむしろ目の前にいるように思えた。いまおのれを組み伏せようとしている〈虚獣〉――。


 怒りは炎であり光だ。今まで泥のように沈殿していた感情の澱が焼かれ、照らされてゆくのを感じる。それは彼自身の開放でもあって、決して悪い気分ではない。

 禊儀を構成する憎念の炎が激しく揺らめいた。

 太い腕を伸ばし、〈虚獣〉の触手をいっぺんに引きはがす。勢いに任せ、腰に備わっていた刀剣を抜き放つと、本能のままに突き立てる。〈虚獣〉の体液と思しき紫色の泥濘が飛び散った。興奮が怒りを快感に変えてゆくのを感じる。


 そして彼の感情は爆発した。

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