3.月が闇を照らすとき

「――不謹慎極まりないな」


 そうこぼしたのは一人の少年だった。

 名を、禊儀みそぎ一真いっしんという。

 深夜だというのに、自校のものと思しき濃紺の制服を着、ネクタイを固く結んでいる。

 気難しい表情を崩さず、どこか落ちついたたたずまいを見せるその様は、むしろ青年といってもいいぐらいで、いささか老けた印象を与える。


 ここは戦闘エリアである比丘尼橋びくにばしからほどなく離れた石神井しゃくじい公園地区。

 駅の側に併設された高層マンションは、事態の見物人やエリア外退去を命じられた避難民でごった返していた。


 行き場にあぶれたかれらは高層階へとおしかけ、大変な騒ぎとなっていた。出動した警察が情報規制のため、スピーカーで呼びかけているが、群衆は構わなかった。

 なにしろこの国において実弾を使用した有事など滅多にある事ではない。いくら世界中に戦火が飛び火していると言っても、平和な日常に浸りきった市民たちには遠い世界の出来事に他ならなかったのだ。


 なので、今目の前で繰り広げられているこれは、彼らにとっては格好のショーにほかならなかった。けたたましく轟音を上げて旋回するアパッチも戦車も、あるいは〈虚獣〉すらも、無料で見物できるアトラクションだった。

 禊儀のいう「不謹慎」とは、まさにそんな群衆を指しての発言だった。



「――まぁそう言うなよ。今は実戦なんて目にした事のない世代が大半だからな。恐怖を感じるより好奇心が勝るんだろう――な、

「その名で呼ぶな」


 苛ついたように前髪をかきあげると、禊儀は隣に立つ友人をねめつけた。

 彼がその名を正しく呼ばれることは滅多にない。読み方が特殊なせいもあるのだろうが、皆一様に「かずま」と呼ぶのだ。そしてその呼び名を彼自身は気に入っていない。


「だいたい……何と戦っているんだ。〈虚獣〉の出現なんてニュースでは日々報道されているが、俺たちにはその片鱗すら公開されていないときた」

「だから俺らもこうやって野次馬やってるんじゃないっすか、なぁ」


 飄々とした物言いで、友人――理堂りどう実生みしょうはからからと笑った。

 そう、彼らもまた多くの住民がそうであるように、この高層マンションの踊り場から、事態を見物していた。

 もっとも――禊儀本人はあくまで避難民としてここを訪れていたのだが。

 偶然出くわした実生に引っ張られるままに、高層階へと足を運んでいたのだ。



 戦闘の詳細は、住人にも避難民にも知らされてはいなかった。

 夜の闇の中で見えるのは、せいぜい弾幕の光芒と爆炎ぐらいである。

 〈虚獣〉の姿はおろか、陸自の兵器群を見ることもかなわない。

 ただ、激化の一途をたどっている空気だけが蔓延していた。


 駆け付けた警官隊が、避難という名の強制退去、そして野次馬たちの捕縛にとりかかる。ショーへの歓声は、瞬時に怒号へと変わった。


 騒々しい……。

 禊儀みそぎはなかばうんざりした表情を浮かべ、この騒動を睥睨へいげいしている。

 そのどこか達観したような姿勢からは、十代後半の若者がもつ、むせかえるような気勢があまり感じられない。ただ斜に構えているだけともいえるが、彼は自身が――集団心理の真逆をゆく性格なのを自覚している。

 


「なんだあれは――」


 禊儀が暗闇に浮かびあがる何かを見つけたのは、その直後だった。


 飛翔体……何かの兵器だろうか?

 視認できたのは、はるかかなたの闇の中をひらりひらりと飛行する、銀色に輝く棒状に腰掛ける「何か」だった。一見すると、フライングヒューマノイドと呼称されるUMAユーマのそれを思わせる。だがそれにしては……。


「あれではまるで……」


 ほうきにまたがった魔女ではないか――。


 これは現実だ。そんな馬鹿げたことがあるはずはない。

 理性はそうささやいていた。

 だが、その非現実的な光景は彼の目をとらえて離さない。

 彼は視力には自信のある方だったが、それでも彼方のそれはどこかおぼろげであり、周囲の風景に溶け込んでいるかのように見えた。視覚ではなく、感覚の目がそうささやきかけている。


「実生、見ているかあれを!」 


 柄にもなく大声を出し、友人の名を叫ぶ。

 傍らの実生は「なにを」とでもいうように首をかしげた。


「見えていない……の、か……? あそこを飛んでいた、その――」


 言葉はそれ以上続かなかった。どうやら周囲の野次馬たちの目にも、その非現実的な光景は見えていないようだった。


 あれはいったい何なのか。

 空飛ぶ魔女にしか見えなかったが、俺にだけ見えているだと――?

 当然、答えなど出るはずもない。

 思考が逡巡したその刹那、闇が吠えた。


「〈虚獣〉だ――!」


 高層マンションを悲痛な叫びが駆け抜けてゆく。戦火がついにこちら側へも広がったのだ。

 闇が牙をむき、それに応えるように陸自の兵器群が幾度目かの咆哮を上げる。

 オレンジ色の光が幾筋もたなびき、マンション周辺に着弾した。爆炎とともに悲鳴が上がる。

 風はごうごうと吹き上げている。

 低く垂れこめていた雲はいつしか途切れ、上空には青い輝きを放つ巨大な月が、その神秘的な姿を現していた。


 その時だった。


「ぐうっ……!」


 唐突な激痛が禊儀を襲った。

 全身が、五体がちぎれるように痛む。特に両目を襲うそれはひときわ酷く、固く瞼を下ろしてこらえるほかない。その場にしゃがみ込むのがやっとだった。


「お、おい、かずちん!」


 当然苦しみだした友人を前に、実生みしょうはどうすることもできず慌てふためいている。


 またこれだ――。

 禊儀は心の中で思わず毒づく。

 幼少期からこうだった。苦痛が襲ってくるのは決まって夜間。それも月の出ているときなのだ。「狼男にでもなるのか」などと揶揄されたこともある。

 なので、月光の強い晩は、極力月の光を浴びぬよう気を付けてきたつもりだった。今夜は曇っているから避難先でも大丈夫だと思っていたのだが……。


「読みが甘かったな……」


 苦笑いを浮かべるが、その表情に余裕はない。脂汗がコンクリート床に滴り落ちた。

 バラバラになりそうな苦痛のなか、彼の意識はそれでも外部へとむけられていた。

 隣では友人が心配そうにおろおろしている。

 逃げ惑う人々は、うずくまる彼のことなどお構いなしだ。

 そして加速度的に近づく戦闘――〈虚獣〉の進撃で大地が揺れた。


 チェック・メイト、かな――。そう思った。

 その時であった。


「やっと見つけたぞ――」


 ふいに頭上で声がした。

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