第7話 廃ビル・6階と屋上

 絶対に今日で終わらせる。

 そう意気込んで廃ビルの前に来た俺は、智充さとるがいない事に思わず舌打ちをした。何で呼びつけた本人がいないんだよ。脳内で悪態をつくと頭の上から声が降ってきた。


「たーいきー」


 顔を上げると、ビルの向こうに沈んで行こうとしている西日が眩しい。チカチカと数回瞬きをした後、6階に人影を見つけた。その人影は俺に手を振り、見えなくなった。


 俺は階段を上がり、6階へ来た。智充の姿は見当たらなくて、名前を呼びながらフロア内を歩く。太陽を背に、窓際へ。先程の人影がいたであろう床には水たまりが出来ていた。

 厭な想像をする。さっき俺に手を振ったのは、本当に智充だっただろうか。

 逆光になって顔なんて見えなかった。智充の声がして、手を振っていたから智充だと思っただけで。


「たいき」


 そう声を掛けられて振り返る。今、俺のいる部屋の入り口の前に誰かが立っている。射し込む西日が眩しい。チカチカと、数回瞬きをしても、その人が誰なのか分からなかった。

 智充の声がしたけれど、目の前にいるのは智充なのか?

 智充なら、どうして近付いてこないんだ。


「智充?」


 人影は答えない。俺は反射的に左を見た。隣の部屋と繋がる扉は老朽化のせいか3つある蝶番ちょうつがいの内2つが外れて不安定にぶら下がっている。

 西日が眩しい。

 人影は答えない。ソレの足元に伸びる影が、太陽の向きに関係なく俺の方向へ揺らめいた時、俺は走り出した。

 アレは絶対に智充じゃない。


 左の部屋へ駆け込み、そのまま階段を目指す。

 走る俺の背中に、智充の呼ぶ俺の名前が響いていた。


 ビルから出ずに屋上へ向かったのは、智充がいるかもしれないと思ったから。

 南京錠が床に転がり、取手にはもはや何の役にも立っていない鎖が絡みついている。俺はその扉を開けて、屋上に出た。


 西日が、眩しい。


「6階には、何かいた?」

「いたよ、お前の真似する影みたいなやつ」

「マジかー、全然気付かなかった」

「だろうな」


 屋上のフェンスにもたれかかる智充。そのフェンスの向こう側には、セーラー服の女の子がいた。


「智充、こっちに来い」

「ん、どしたー?」

「いいから、早く!」

「わーかったよぉ」


 智充が俺の方へ歩き出す。一歩俺に近付く度に、少女の首がこちらへ向く。

 一歩、また一歩。少女の顔はまだ見えない。

 一歩、また一歩。西日が、眩しい。


 俺の伸ばした右手を、智充の左手が、掴む。

 少女の顔には、口しかなかった。大きく開かれた、O形の、口。

 そこから血の滴るような赤色をした舌が3本、にゅるりと伸びて智充に迫った。

 俺は大声で叫び、全力で階段へ走った。智充の手を離さないように、けれど振り返らず、世界新記録もかくやというスピードで廃ビルを出た。

 そのまま廃ビル近くの公園まで掛けていき、そこの芝生に転がるように身を投げ出した。

 胸が上下し、必死になって酸素を取り込もうとする喉がヒュウヒュウと鳴った。


「た、大樹たいき、足はえーーー」


 同じく息も絶え絶えな智充が隣に寝転び、二人で暫く息を整えた。

 ランニングをする女性が呆れたような目付きでこちらを見たのが分かる。

 別に俺たちは自らの能力を過信してランニングしてた訳じゃねーんだぞと言いたくなったが声にはならなかった。


「ヤバいのいた?」

「おう」

「そんなに」

「夢に出そう、マジ無理」

「あとで絵に描いてよ」

「嫌だよ」

「描いてよー」


 俺の家に帰り、チラシの裏にマジックで少女の絵を描いてやる。

 絵心がないのは分かってた。だから描きたくなかったんだ。

 智充がしつこいから描いたのに、智充は怖がるでもなく泣くほど爆笑している。部屋の隅からも吹き出す声が聞こえた気がした。


「ちょっとは怖がれや!」

「無理でしょこれは! ヒー、笑いが止まらん」

「クソったれ!」


 結局怖い思いをするのは俺だけなのだ。

 未だ笑ったままの智充を無視し、俺はパソコンに向かって明日提出のレポートを書き出したのだった。


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