第33話竜王の冤罪

 竜王、いや、魔王クラミスはそこにいた。

 ツバサが天馬から落ちたときと同じく、丘の地割れの先に、煙のようにふわふわと、オーロラのように神秘的に。

 だが、今やそれはまがい物だと知ってしまった――あれはクラミス。

 当代竜王――チビのリューではない。

(リュー、一緒にはこられなかったのですね。ああ、ロージリールさんも……)

 だが、手を引くつもりは、毛頭ない。

 ツバサは一切の武器を持たず、ソレと対峙しようとしていた。

(心を開いて……そうすれば、伝わるはず)

 ツバサは、天に向かって、叫んだ。

「魔王クラミス、あなたと話がしたい――」

 ばさっと羽音がして、ふり返るとまぶしい光の中に、陰り一つない天馬が舞い降りてきた。

「ああ、天馬さん、お願いです。わたくしをクラミスのところまで――」

 承知している、とばかりにいなないて、天馬はツバサの足元に膝を折った。

「あ、ありがとうございます!」

 ツバサは泣かんばかりに、その背中にすがりついた。

(あとは、心を決めるだけ――)

 あの時と変わらぬ蒼天を見上げ、ツバサはまぶしさに瞬く。

「ゆきましょう――!」


 ぐんぐんと、近づいてゆく――近づいてくる。

 魔王クラミス――チビのリューの恩人。

 倒したくはない。

 たとえ、その方法があるとしても。

(だから、どうしても聞き入れてもらうしかない――)

「クラミス! フェイルウォンが第二子、王女ツバサです。話を聞いてください」

 ゆっくりとしたうごきで、クラミスがこちらを見た。

 ほの白い光線を放とうとして、その口が大きく開かれる――そのとき!

「ダイヤモンドチェンジ――! ツバサ! 無事か!?」

 聖剣を持ったカケルが、守護魔法で庇ってくれていた。

 透明な輝きを持つバリアの中に二人。

「カケル……兄上!」

 カケルは、風の守護をもってうまく空に浮かんでいた。

 それにしても、なんというタイミングであらわれるのか。

「どうしてここに? って顔だな。こいつだよ」

 カケルの腕には、眠そうな目をした赤ん坊――派手な産着を着せられた――チビのリュークス。

「こいつが、どうしてもツバサのところへ行きたいっていうもんだからさ、そいつにつきあって、時空旅行っての? あちこち引き回されて。いやーまいったぜ」

「兄上、いつの間にそのような面妖な技を使うようになったのですか?」

「まー、いろいろと、な。防御はまかせろ。さあ――つっこむぞ」

 王家の紋の入ったサーコートをまぶしく翻しながら、カケルは、クラミスのもとへ走りこんだ。

 気づいた守り人が、叫びを上げながら飛来してくる。

「ダイヤモンドチェンジ! エナジーボール!」

 カケルは、それを次々魔法で落としていった。

「スクエアチェンジ!」

 そして――クラミスの一撃、二撃を塔盾タワーシールドで受け止めると、聖剣を突きつけ叫んだ。

「ダイヤモンドアロー!」

 聖剣と魔法の合わせ技だった。

 きらめく大きなつぶてが、クラミスめがけて飛んでいく。

 しかし、クラミスは砲門から、金色の光を照射してかき消してしまう。

「そ、そんな――あれが、クラミス――プリン!?」

「くそっ、手ごわいぜ――」

 当代竜王――チビのリューが泣きじゃくっている。

「クラミス――クラミス――!」

 ツバサは、思わずカケルを止めた。

「待ってください! クラミスは、竜王の、そのリュークスの乳母なのです。リュークスを竜王のさだめから救うために自ら犠牲になって……だから、助けてください!」

「なにい!? それじゃあいつは本物の竜王じゃない……?」

「はい」

「竜王のさだめってなんだ!?」

「それは……」

 ツバサは、地下神殿でのことをカケルに話した。

「ボクは、竜王のさだめを変えたいんだプリンッ」

 チビのリュークスが言った。

 カケルは、わかってくれた。

「兄上……」

「もう、何も言うな」

 そう言って、腕の中のリュークスをクラミスに向かって差し出した。

「逢いたかったんだろう? 二人とも」

 巨大な体躯からは想像もつかない、悲し気な声が聞こえ、クラミスは魔法の装甲を解き、金色のヴェールをまとった黄金のドレス姿の女性に変じた。

「竜王様……わたくしの、クラウン」

「クラミス、ボクはもうクラウンの名に縛られないプリンッ。今もあなたの恩を忘れてはいない。だけど――僕はもう、チビのリューだから……プリン……」

「そう……あなたも、去ってゆかれるのですね……他の竜王様とおなじように……」

「それは違うプリンッ。ボクは――ボクは」

 そう言うと、リュークスは光の繭に包まれ――それが林檎のように割れた時、そこにいたのは、赤ん坊のリュークスではなかった。

 長く、たなびく青銀の髪。

 その間からのぞく、猛々しい二本螺旋の黒い角。

 黒いマントは皮膜の翼となり、黒いマスクはその横顔をひどくクールに見せていた。

 細く華奢な足元は、紅と銀のダイヤ柄の長靴下(オーバーニーソックス)に包まれている。

 大きなサファイアの瞳は、ひときわ輝いて。

 少女の姿の、凛々しいリュークスがそこにいた。

「おお、大きくおなりだ。クラウン、いいえ……リュークス様」

「今まで、ありがとう。ごめん。ボクが役目を放棄したばかりに苦しめて……」

「それは違います……わたくしが、あなたのためになにかしてさしあげたかった。これしかなかった……」

 カケルは、ツバサを抱えてクラミスのもとへ飛んだ。

 少女の姿のリュークスが蒼ざめて、両腕を広げて遮った。

「いけない、竜王様!」

 一瞬早く、クラミスが魔法の装甲を身にまとい、摩訶不思議な光線を放った。

 激しいぶつかり合いの音がして、爆風と共に黒い煙がたなびいた。

 そこに、二人の少年たちの姿があった。

「おのれ、小粒の分際で! 竜王様に、あだなす者! くらえ!」

 大きく砲門を開いて狙いを定めるクラミス。

「やめて、どうか。クラミス。クラミスはそんなこと、しちゃいけない!」

「どうか、やらせてください。竜王様。これが最後の、奉公です」

「バカ! クラミスのバカァ!」

「竜王様――万・歳!!」

 次々と襲い来る砲弾を、ダイヤモンドチェンジが阻む。

 カケルは今までになく、真剣に事の次第を見やっていた。

「ツバサ、もう少し、持ちこたえられるか?」

「大丈夫。兄上を信じています」

 カケルは、リュークスを見つめたまま大きくうなづいた。

「やめて、こんな!――こんな――!! クラミス――!!!」

 リュークスは、サファイアの瞳を大きく見開いて、クラミスの名を叫び続けた。

 恐慌状態だった。

「たとえこの身が滅びようと、精霊界は永遠だ――! 竜王陛下のために、わたくしは、わたくしは滅びもいとわない――!」

 ついにリュークスがクラミスの前に飛び出した。

 砲弾を一身に受けるリュークスの体が熱く燃え盛る。

「りゅ――竜王様!?」

 リュークスは目を閉じて、クラミスの光に溶け込むように体を折った。

「クラミス……! 死ぬなんて、だめだ……」

 許しを乞うように、カケルたちの方を見つめ、リュークスは喘いだ。

「伝説の、勇者よ。ボクの、負けだ……」

「いけません! 竜王様」

 カケルが吠える。

「バカヤロウ!」

 リュークスは涙で応えた。

「痛むだろう……? リュー。それはなんのために負った傷だ。なんのための痛みだ……ありえないだろ!」

 ツバサも蒼ざめて、ぎゅっと胸の前を握りしめて、片腕をリュークスへとさしのばそうとしていた。

「オレがいつおまえを責め立てた? いつおまえを邪悪だと決めつけた。独りで勝手に……だれもおまえを竜王の座から引きずり落そうなんて、していないのに!」

 リュークスはもう、苦し気な吐息混じりに呟くしかない。

「勇者が真の正義に目覚めた時、竜王は滅びるのだ……必ず」

「ここにいるのは、伝説の勇者なんかじゃない! おまえの……世界を知るものだよ!」

 リュークスは炎に包まれ、崩れ落ちそうな体をクラミスに抱かれ、うっすら目を閉じかけていた。

「ヒーリング」

 カケルの、呪力行使が始まった。

 まるで、何事もなかったかのようにリュークスの傷は癒えていく。

 カケルのさしのばした手に手を重ね、ツバサが強いまなざしでクラミスを見つめた。

「竜王……さま」

「わたくしにわかるのは一つ……クラミス、あなたが間違っている」

 クラミスは強い怒気を放ち、はねつける。

「ええい! わたくしの命は竜王様のもの。 殺さば殺せ! さあ!!」

「あなたの竜王が、それを望んでいるとでも!?」

 クラミスは、絶句してリュークスを見た。

 思えば、クラミスの砲弾を一身に浴びたリュークスが、そんなことをちらっとでも思うはずがない。

「クラミス、ボクたちの……負けなんだよ。カケルはもう、知っているんだよ……想う人のために戦うと、決めているんだ……」

 怪我は治癒したが、生命力をごっそりもっていかれたリュークスが、気弱げな笑みを浮かべる。

「だから、今世でも、竜王は……倒れるん、だ……」

「まて、違うんだ、リュークス!」

 カケルの声は届いたろうか?

 必死のまなざしは、通じたろうか?

 クラミスの視線が、リュークスの表情をうかがうように、すうっと移動した。

 硬い透明なバリアに守られたカケルは、ツバサを支えながら、自分も風に涙を散らした。

「大切なことが、伝えたいことが、ある!」


 カケルとリュークスは、長い歴史の中を共に旅してきた。

 だからこそ、わかりあえるはず。

 カケルは竜王を信じた。

 強い、つよいまなざしで。

 吹きすさぶ風の中で、リュークスは腕組みをして話を聞いていた。

「うん――それはなにも、人間界と精霊界に限ったことじゃないね」

「だろ? 人間は何度時代をくり返しても、戦いといさかいに傷つき傷つけ合う。だから、ほんのちょっとでいいんだ。ほんのときどきで――守り人と一緒に、遊びに来いよ! 人間たちをびっくりさせてやる。それだけでいいんだ」

「でも。それって、都合がよすぎない?」

 慎重になるリュークスに、斜めに瞳をきらめかせてニヤリと笑うカケル。

「確かに、誰にとっても都合がいいな」

「そういうのは、大団円って言うんですよ? 兄上」

「ツバサ、いいこと言う!」

 カケルと、少女のリュークスは、こくりと思慮深げにうなづいた。

「友達に、なろう」

「う、うんっ」

 カケルの一言に、リュークスがべそをかいた。

「なぜ、泣く?」

「べ、べつにっ」

「うれしいのですよね、リュークス様」

 クラミスが言うので、チビリトルリューりゅーは顔中ひっかきまわした。

「もう、時代は変わったんだ、リュー」

「あうあうっ」

「言葉になってませんよ!」

「クラミスさん……いいんじゃないでしょうか?」

 ツバサが、一言はさもうとしたら、

「……いえ、いけません! わたくしの竜王様ですものっ。これ、指をしゃぶらない!」

「あうー」

「なりませんよ! 大事な場面ですよ!? これは外交行事です!!!」

「は、はあ……あの……あのう――っ。リューは、先ほどまで赤ちゃんだったので!」

 カケルが、戸惑うツバサの耳元で、ひそひそっと呟く。

「すっげーな、クラミスさんて……クラミスさま、かな……」

 ツバサは、その場でばしっとカケルの肩をたたいて、吹きだした。

 どうにも、教育熱心な性質の乳母だったらしく、小さなリュークスは、くどくどと説教を受けて、もっと小さくなっていた。

「――失礼、いたしました――」

 双方、きちん、と礼をした。

「意見は、一致しましたね?」

 すでに、確認済みだった。

 全員、含み笑い。

「それじゃあ、いっちょ、いきますか!」

 カケルが、風の翼で羽ばたいた。

 守り人たちが、駆けていく――自分たちの棲む、新世界へと。

 竜王は、滅びなかった。

 人間界も、滅びなかった。

 しかし、時はまたやってくるだろう――再び二つの世界が惹き合い、出逢うために。

 カケルは、祈るように手を振る。

「これでこの時代の竜王は去った――だけど、また来いよな!」

 ツバサも、同じだけ微笑を投げかける。

「わたくしたちは、平和を祈り、笑いあい、心をことほぎで満たし――またあなた方に逢えるように……頑張りますから、だから――」

 代替わりなんて、しなくていい。

 そのままの、あなたでいい。

 待って、いますよ――。

 私たちの、竜王――。

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