第28話女神の泉
白い糸を幾万と束ねたような滝が下流にあって、地下神殿へはそこから入ることができる。
「俺様は、知ってるけどな!」
「ほう、少しは修行に興味があったのか」
「ギクッ」
(俺様が、ダメダメな風精だってばれた――)
「おまえほど卓越した力を持っていれば、興味がわかなくてもしかたがないと思っていたが」
「バレてない!」
信じられない顔つきで、エイルナリアを見あげてしまう。
どうでもいいが、心の声がもれている。
「なにがだ?」
彼女は疑うつもりもないようだ。
「さ、入るぞ――」
三人は、滝の後ろにある洞窟から中へと入っていった。
中は、蒸し暑かった。
火山のふもとだけあって、温泉までわいていた。
歩きながら、前の二人――ロージリールとエイルナリアが言い合っている。
「よお、傷にきくかな?」
「きくだろうな」
「お二方……?」
ツバサが、止める間もなく、エイルナリアとロージリールはわき出でる温泉の湯に飛びこんでしまった。
ざぶん! ざぶーん!
「おお、きっもちいー!」
「久々の風呂は格別だ……」
そんなことを言いながら、衣まで脱いでいる。
ツバサは、目のやり場に困っていると、エイルナリアが声をかけてきた。
「ツバサも入れ! 疲れがとれるぞ」
「わ、わたくしは別につかれてなど……」
「いいから、いいから。邪気祓いにもいいんだぜー」
「ここはいわゆる聖地だからな。その、竜王の邪悪もとり去れるかもしれん」
女神は、長い髪を手ぐしで梳きながら、完全にリラックスしている。
「はあ、聖地……ですか」
ならば、二人のこの反応もうなづける。
人間であるツバサにはわからない、パワーの溢れる地なのだ。
「ようし!」
ツバサは、一気に二人のいる温泉にジャンプした。
ばしゃあ!
と、しぶきがかかるのもかまわず、二人はツバサを歓迎した。
しばらく、三人の笑い合う声があたりに反響していた。
そのうち、どういったはずみか、ツバサはエイルナリアの背中に、大きな傷跡を見てしまった。
「ん? これか」
目をそらそうとしたときには、もう遅かった。
彼女は、らしからぬやわらかな笑みをにじませて言うのだ。
「これは……私が死んだときの傷だ。お守りとして、とってある」
「へえ……」
「どうした? 気にしたか?」
「いえ、死んだときのことなんて、憶えていらっしゃるんですか?」
「ああ、そのことか。いや、最初の頃だけだな。あとは忘れた」
「どうして、お守りだなんて……?」
エイルナリアは、ぷっと吹きだして、そうだなあ、と考え込んだ。
こんなときは、なんて答えたらいいだろう?
そういえば、この傷を見られたのはエイルナリアにとって初めてなのだった。
「死んだら、つらいことのほとんどは忘れてしまうだろ? これは――この傷は、その記憶が私を形作った証なんだ」
「いわば、勲章だな! 俺様もあるぞ! 見るか――?」
その辺で泳いでいるロージリールが、わかったような口をきくが、エイルナリアは鷹揚に笑って答える。
「あははっ、違いない。地上での記憶全てを忘れてしまうんじゃ、寂しいからな」
(そんな……)
ツバサは、呆然とたたずみながら、そっと尋ねた。
疲れた心を慰撫するような、優しい声で。
「そんなにつらい事なら、いっそきれいさっぱり忘れてしまったほうがいいんじゃあ……」
くるり、とエイルナリアは向き直った。
「あのな、ツバサ。人には忘れたくない想い出だってあるんだよ。それがたとえつらい記憶とセットでも」
「そう……なんですか」
「そう、この傷は、私を支えてくれる。どんな辛いときも」
「……」
ふと、天井を見上げ、遠い目をしたまぶたを閉じ、気分良さげに彼女は言うのだ。
「兄君に会えるといいな」
「はい……」
ツバサは控えめに言った。
なんとなくだが、エイルナリアにも会いたい人が人間界にいるのではないかと思えたのだ。
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