第17話ロージリールの過去

 ロージリールが十二歳の時。

 そのとき、風が吹いた。

 花の神殿には、焼けた臭いと踏み荒らされた花園だけが残った。

 彼がいた故郷はもう、どこにもない。

 ……日に何度、花を見に園に降りただろう。

 何度、得意の笛の音を鳴らしただろう。

 神殿の中は清く、明るくて楽しかった。

 譜面をめくり、楽曲を選ぶと、チューニングの音が始まる。

 どれだけ、そこに集まる人々が……花の番人である彼を愛してきただろう。

 その空間を守りたいと、いくら望んでも、彼にはできなかった。

 彼が、己自身を罰したのは、彼らの心のよりどころと安らぎを奪ってしまったからだ。

 自分が、もっと気を引き締めていれば……自分さえしっかりしていれば……その思いは今もまだ胸の奥底にくすぶっているのだろう。

 水のありかを知らせる、「泉の花」を守り切れなかった。

 ロージリールはその花を守る番人として選ばれたのだった。

 王族からただ一人、神殿に使えるものとして。

 八歳の折りだった。

 彼自身、必要とされるのが誇らしかった。

 身内の誰もが、自分のことをことほいでくれるのがうれしかった。

 だが、それだけではなかった。

 彼が花を守る、ということは王家を離れるということだった。

 大好きな人たちからも……。

 本当の名前すら封じられて。

 ところがある日、「泉の花」を守る神殿から火が出た。

 出火元は不明。

 黒装束の男たちの暗躍がささやかれ、一時は取りざたされた。

 男たちの目的が、「泉の花」だということは明白だった。

 これは花の守護者である彼の失態だった。

 ロージリールは、役目を解かれ、代わりに奪われた花の種を取り戻しに一人旅立った。

 王からのその命令は、実質上、死刑を申し渡されたのも同じだった。

 そうして彼は神殿から放逐された。

 寂しくはなかった。

 辛かったのは、己の役目を遂げられなかったこと。

 そして、賊を追う身の幼さだった。

 自分で見つめる掌の頼りなさと、十代という年齢は、存在は、あまりにも小さかった。

 焼けつく空を見ながら、彼は心の中で思う。

『僕はなんという、うつけか!』

 日よけのフードが、砂煙にバタバタいわされた。

 初めて、自分が有力者の味方を作っておかなかったことに気が付き、後悔した。

『誰もいない。なにもかもがてのひらから滑り落ちていく。足元がくずれていく』

 そんなときに現れた救い主が、イグニス・トゥルー。

 彼は、隣国の森番であった。

 昼なおうっそうとして、うずたかく天を突くように枝を茂らせた、森の――一族。

 遠く砂漠を旅して、森の緑にくらくらときて、気を失ったロージリールは、森番小屋で目をさました。

『どうしても、行かれるのですか』

 ロージリールはそのとき、人と口をきく方法すら忘れて、声が出てこなかった。

『大事なものを、お忘れですよ』

 イグニスが見せたのは、王の書状。

 そこには、ロージリールの名前と、本名、素性の一切を証明し保証する内容が、書かれていた。

 そして旅の理由も。

 その書状を見せるのは、その相手を臣下とする証であるとも。

『勝手に見たとはいえ、このような内容ですから、私もご一緒します』

 やさしさからか、あわれみからか、彼はそう言った。

『一つ言っていいか』

『遠慮なくどうぞ』

『俺様の臣下になるなら、俺様より先に死ぬなよ。それだけだ』

『あなたの臣下は、幸せです』

 そうして、旅は独りではなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る