第14話天を翔る
「なに!?」
顔を持ち上げて、イグニスは森の中を見回した。
天に、陽光というにはあまりに神秘的な光がさしている。
名を、呼ばれた証拠だった。
行かねば、と彼は思った。
風雷の神とはいえ、正式に風精との契約を済ませていないイグニスには、風精を使って事態を知ることができない。
大気に紛れて聞こえてくるのは、雑然とした情報ばかりで、気をとられるので普段は遮へいしている。
(私の名を呼んで使役できるのは、上天意さまとあと一人……)
森の中で気絶し、イグニス自身が拾い上げたツバサだけであった。
本来、ツバサには花精だった母の祝福と、その地に恵まれた精霊の加護がある。
ゆえに、イグニスの名を知ることができたし、今呼ぶことが叶う。
しかし……「竜王」が来ているのである。
多少の雑魚ならともかく、イグニスの手に負える相手ではない。
それを、イグニスは知らないままだった。
彼の手に「世界の鍵」を渡した風精が、人間界での姿をとき、元の姿に戻った。
人間であったその昔、イグニスの主君であり、宿命のために早死にした少年であった。
『行くのか、イグニス・トゥルー』
「もちろんです」
『ならば、俺様の持ち物だがおまえにやろう。大事にしろよ』
風精は真白な天馬を呼び出し、イグニスに託した。
イグニスは、飛ぶより早くツバサのもとへたどり着いた。
天馬は、星辰の神に近い力をもつ。
次元の一つや二つは、軽く超えると言われている。
「姫君!」
空間を越えたイグニスは、片手で素早くツバサをさらって、天空からその情景を見やった。
眼下にツバサによく似た、騎士姿の少年と、群れをなす人々が見える。
口を開けて上空を見上げているのは、彼らばかりではなかった。
「空を飛ぶなんて。いったいあなたは何者なのです」
「一介の神ですよ」
「神!?」
「そんなことよりも。あの奇怪な生き物は憶えがあります」
怪鳥の頭と翼に、四つ足の獣の四肢を持つ生き物。
「あれは……精霊界の守り人がなぜここに!?」
「せいれいかいのもりびと?」
耳慣れない言葉に、ツバサが若干脅え、尋ね返した。
「私は、あなたの御命を救うだけのつもりでしたが、それは甘かったようです。どうやら、こちらの世界に竜王が現れたらしい。あの生き物は、竜王の手下です」
「あれが手下? だとしたら、その竜王はどれだけ強いのです」
「さすが姫。男児(おとこのこ)ですね」
あっと、ツバサは口を覆ったが仕方がない。
身体を抱えられていては、いかに細腰といえど、女人でないことはわかってしまう。
イグニスは、初めて見かけたときから知っていたが、人が悪いために言わなかった。
顔かたちを観ればまず骨格で、服を脱がせば言わずもがな。
ツバサは、羞恥と屈辱に唇を噛んだ。
「わかっていらっしゃるのなら、まずこの腕を離してください」
「そうはゆきません。私も天馬を扱うのは初めてです。うっかり姫を落としてはかないませんからね」
「馬は、馬でしょう。独りで乗れます」
ツバサは気の強いところを見せた。
イグニスは、肩をすくめて笑いそうになるのをこらえた。
「精霊界より下ったとはいえ、まず、私がここで魔法を使うわけにはゆきません。考えがあります。一度引きましょう」
「魔法を使えるのですか……けれど、とにかく待ってください。下には兄がいます」
「なるほど、似ている。いや双子か。気のせいかとも思いましたが……」
そう言って、イグニスはひとたび、ツバサの髪に匂うように顔を近づけた。
「花精の……薔薇の香りがする。薔薇の精油は高い代物です。贅沢をしてますね」
「薔薇の精油などというものは使っておりませんが」
「ならば、ルシフィンダの子か! 生まれたのは男児二人と聞いていました。あなたが! ずっとお探ししておりました」
とにかくこちらへ、とイグニスが天馬を駆る。
純白の天馬がいななくと、守り人は仲間だと思い、飛んでついてくる。
それが狙いだった。
「このまま、竜王のもとへ。仲間が近づけば自然に帰りたがるでしょう」
この一件については、一人のけが人も出ずにすんだ。
「まあ」
ツバサは、空からの光景というものを初めて見て、そのあまりのすさまじさに声をあげた。
竜王とは、正直、距離感がわからなかった。
あまりに巨大で、強烈に輝いているので、すぐ近くにいるように見えるけれども、普通に守り人に合わせてぱたぱた飛んで行ったのではたどり着けない距離にいた。
息を弾ませるツバサに、イグニスは声をかける。
「お寒いでしょう。高度をさげましょう」
「いいえ、これでいい」
まっすぐに、竜王の偉容を見つめていた。
ツバサは、最近こういう強情を見せるようになっていた。
ほとんど、兄と入れ替わってフェイルウォンを謀ったころからで、イグニスに出逢ったのもきっかけだった。
本人が憶えていないので、自覚はないのだろう。
自分の運命ならば、自分で変えて行きたい、と切に思うようになったのである。
「おかしいですね」
ふいに、イグニスが言った。
「なんですの」
「国境の国々には変化がない。つまり、竜王はあなたの国にだけ襲撃をかけに来たようだ」
あんなもの、とイグニスは言った。
あんなもの、放っておけば周辺国家だとて、無事では済まないというのに。
竜王の頭上には、山岳の猛々しい雄山羊のような角がある。
てらてらとその体は明るいが、下半身は遠方の山すそのように蒼い紗がかかっている。
「かなりの国々が、この様子を目撃しているはずです。だが、守り人が襲いかかっているのはこの国だけなのでしょうか」
「我が国は、平穏なのが取り柄の小国です。なにを好んで領土を奪いにくるのでしょうか。名産物もない、風光明媚な景色は、それでも他と変わらない」
「あるいは狙いは領土ばかりとは限りません。この国の力そのものかもしれない」
「この国の?」
「見てください」
見下ろした先に、肥沃な大地と岩場を囲んだ森林が見える。
守護のかたい火山と森林の恵みが、どこか精霊界の御山(みやま)に似ている。
「ルシフィンダの故郷に似ている……私のいたところもこうでしたから」
ツバサは、背後をふりかえって彼の秀麗な顔を見た。
「あなたは……母上のなんなのですか? さっきから聞いていれば、なれなれしい」
「おっと。私はルシフィンダの管轄ではない。同郷というだけです」
「そうですか」
つんとしてツバサはすねたが、母のことはもっと聞いてみたくてたまらなくなった。
それで、伏したところにある天馬のたてがみをくしゃりといじった。
つかんでぐいぐいと引っ張ったならば、それは天馬の機嫌を損ね、天馬は空中で棒立ちになって背中の異物を振り捨てようともがいた。
ふ、と思いもかけないことが起こった。
竜王が、立ち上った煙のように浮遊していた体を旋回させて、こちらを見たのだ。
天馬の後についてきた守り人がうれしそうに鳴き、前方を目指して追い抜いて行った。
ずばっ!
竜王の口が光り、そこから放たれた光線に射られて守り人は消し飛んだ。
顔をそむけていた二人には見えなかったが、天馬の瞳には怪鳥が鳴き叫んで砕かれていくのがはっきりと映っていた。
周囲には、焼け焦げたようなすえた臭いが、消し飛んだとはいえ残った。
残骸は下界へと散り、灰となって降り注いだ。
「仲間を殺すなんて……! ひどい」
「それだけ気が立っているのでしょう。近づくのはまずい」
「それにしてもあんまりです」
「いかん。竜王はこちらの予想外のことばかりしてくる。きっと、われわれの存在に気づいたに違いありません」
あるいは、怪鳥は天馬を狙った光線をくらったのかもしれなかった。
気の強い天馬だが、殺気を浴びたためか、鼻面を上下させて鳴らし、少々興奮している。
ツバサも腰がふらついている。
かと思うや、手を離し顔を覆って、諸立ちの背から滑り落ちてしまった。
イグニスが天馬の首を返し、すぐさま拾い上げたが、ツバサは意識を失っていた。
「姫!」
そのままぐんぐんと高度が下がって、火山の見える火口付近の岩場に激突しそうになった。
熱気のこもった空気がぶわっと吹きつけてきた。
イグニスの耳には懐かしい風精の言葉。
『俺様がやった天馬から落ちて、ルシフィンダの子が死んだなんてことになったら、ほんの少しも面目が立たないからな!』
上昇気流を受けて緩やかに大地に着いた。
「姫……」
ツバサは気息奄々、青息吐息だ。
イグニスによって、木にもたせかけられると、小さく呻いた。
その頭上には、少年の姿をした人外の生物が、入り組んだ枝に身を持たせかけながら、にっこりと微笑んでいた。
「ロージリール様」
威勢を正すイグニスに、ロージリールと呼ばれた風精が説教を始めた。
『イグニス、おまえ何故ツバサと行ったんだ? 必要ないだろう』
「あの場では仕方なく……」
『男児が足手まといの場に遭遇したら即、死あるのみだぞ』
「考えております!」
『なにを考えた』
「共に竜王を制圧することをです」
『だったら、ツバサに鍵を使わせるんだな』
「世界の鍵を?」
良いのですか? とまなざしで探るようにイグニスはみた。
『俺様は反対だがな』
「この世界など、滅びればいい、と?」
『実際時代が滅びるのはすぐだ。俺様の故郷のように』
「苦しんでおられるのですね……まだ」
『勝手に思ってろ』
硬質な言葉をぶつけられて、イグニスはベルトにくくりつけていた真鍮の鍵を両の手に掲げもった。
「ロージリール様のためにも、亡きルシフィンダのためにも、いいえ、この世界のために、行っていただきましょう」
そのとき、馬に乗った騎士姿の少年が駆けつけた。
カケルであった。
ツバサがイグニスと風精に囲まれているのを見ると、そのまま突っこんできた。
「ツバサを返してもらおう」
息が切れていた。
あんなことがあった後であるから、独り馬を乗りつけるというのは並大抵のことではできない。
城の兵士も止めた。だが彼は、
「俺は騎士だ! とにかくツバサの後を追わねば!」
と言って、天馬の光を追ってきていたのだ。
それが――竜王に光線を放たれるや、体勢を崩して落ちてきたのだから、黙ってはおれなかった。
「ツバサは俺のきょうだいだ。それを、危険な目に遭わせた責任をとってもらおう」
カケルの眉間には、赤黒い影が浮かんでいた。
人を殺さんばかりに、鋭い三白眼をしている。
それが容赦なく見下ろしてくるので、風精はまた無邪気な格好に変身し、イグニスははて、自分はツバサを助けに来たはずだった、と思いにふける様子。
「答えよ! ツバサをどうするつもりだった! 竜王に差し出すつもりだったか?」
「それは考えつきませんでしたね。しかしあなたはなぜ竜王を知っているのか」
「とぼけるな!」
カケルはぐっと胸を突き出し、名乗りをあげた。
「我が名はカケル。この国の王、フェイルウォンが長子。竜王の伝説は子供のころから聞かされてきた」
もっとも、知っているのは竜王が倒すべき強力な敵であるということだけ。
フェイルウォンが竜王を退けた、というのは伝説にすぎない。
それでも、カケルは腹から怒り狂っていた。
これには、イグニスは感心した。
「なるほど。ツバサ姫君とは真逆の性格らしい。ならば……」
イグニスの手に握られているのはツバサのもっていた鍵。
「それは? ツバサの……」
「ツバサ姫とこの国を救いたければ、この鍵をお使いなさい」
「のせられてたまるか」
「いや、これは精霊のほこらの鍵。生前あなた方の母君が護っていたもの。しかしあなた方ならば、扱えるでしょう」
高く掲げられた鍵にそんな力が秘められているとは知らなかったカケルは、ツバサが気づいたら問いつめてやろうと思いつつ、そちらに腕をさしのばした。
どちらにしろ、カケルと同じくツバサが知るわけもなかった。
二人は、人間として過ごしてきたのだから。
イグニスは、大事な鍵を頭上からぱたりと落とした。
草むらに光る金色の鍵。
「拾いなさい。大切なものなら」
「なにっ、こいつ……」
カケルは激怒した。
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