第8話ツバサの受難

 ツバサは、しばらく小川のせせらぎの音を聞いていた。

 ここがどこだかわからない。

 しとしとと尖頭靴プレーヌが濡れている。

 どうやら、足を滑らせたらしいと判断する。

 後頭部には、立派なこぶができていた。

 森番が、やっとこさ見つけて介抱してくれたが、ツバサはこのように長い金髪碧眼の見目麗しい男は初めて見た。

 それに、一見なよっとしているが、森番はツバサを森番小屋まで運んでくれた。

 見かけによらないなと感じた。

「そなた、名前はなんというの?」

 いかにも、お姫様然として問いかけると、森番の男はどこか懐かしそうな、遠い目をして言う。

「イグニスと申します」

「勤めて長いのですか」

「長いようにも短いようにも思えますね」

 ツバサは、このイグニスがとても孤独なんだと思わざるを得なかった。

 服装は、隠者のそれ。

 クラヴィという、美しい条の入った、ダルマティカというローブを着ている。

 もとは、聖職者であったのか。

 きれいに掃き清められた、丸太小屋にさしこむ光が、彼をまぶしく見せていた。

 ツバサは、しばらくぼんやりとした後で、そんな場合ではないのを思い出した。

 王城は、父王フェイルウォンは、カケルはいったいどうなったのだろう? 

「いけない、すぐに戻らないと」

「まあまあお姫さん、もう少し休んでいきなさい。どうやら地震は止んだようだし」

 イグニスが言うには、すぐそばにある火山の方がやっかいだし、様子を見た方がいいというのである。

 しかし、そんなことは言ってられなかった。

「頭が……いたい」

 ツバサは、自分の無力さに泣いた。

 イグニスは、善良さを前面に押し出して、ツバサにわけを聞く。

 介抱されて、恩義を感じていたツバサは、すっかりわけを話した。

「鍵……? 鍵ねえ。そういえば風精がなにか言ってきたが、お姫さんを救うのに気をとられてて。はて、どうなっているのだろうか」

 広くもない番小屋で、木のテーブルに金色の光が反射している。

 そこへまた、がくがくと地面が揺れた。

 遠くから、重たい地響きが聞こえる。

 イグニスが、扉を開けてあたりを見回すと、森の木々をなぎ倒して、巨大な岩が転がり落ちてくるではないか。

「いかん、お姫さん。ここを出て!」

 ツバサは、戸惑い脅えていたが、木のテーブルに真鍮の鍵を見つけた。

「あれは!」

 手を伸ばしたが、届かない。

 イグニスが、ツバサを抱えて小屋の外へ避難したからだった。

 番小屋は、巨大な岩の下敷きとなり、土砂に埋もれてしまった。

「なんということ」

 風精が持ち去った真鍮の鍵は、森番小屋にあったのだ。

 聞けば、気づかぬ間に小屋の前に置いてあったというのである。

 下級の風精を使役するのは、風雷の神であるイグニスの管轄であった。

 しかし、ツバサはそんなことは知らない。

 必死で、石くれたちを取り除けようとするが、次々と土砂が崩れてきてしまう。

「お姫さん、あきらめた方がいい」

 だが、ツバサは諦めない。

「どうにもならないことで苦しむくらいなら、そのどうにもならないことに正面から立ち向かう方がいい」

 と言って、崩れてくる土砂を華奢な手で一つ一つ取り除けようとしていた。

「この中に、あの鍵があるのでしょう。所在が知れているだけでもありがたいことです」

 頭を打って、失神したことがよほどこたえたらしい。

「わたくしは、あきらめません」

 長いつけ袖のカフスを外し、素手で大岩をはこぶというのである。

「いいでしょう。しかし私は手を貸しませんよ。薪割がありますから」

「かまわない」

 早くも、ツバサの爪の先は割れ、柔らかな苦労知らずの手がすりむけ始めていた。

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