第25話 祢音vs冥


 数十分後。


 祢音と冥以外のⅤ組の全生徒が戦闘訓練を終了し、ようやく二人の番となった。


 現在、第三演習室の中央では、祢音と冥が向かい合うようにして立っている。端っこではクラスメイト達が今か今かと二人の戦闘訓練を期待して待っていた。


 クラスでも一位と二位の戦闘能力の実力者二人。大方の予想では祢音が勝つと思われているが、冥が一体どこまで祢音に食い下がれるのかという期待感もクラスメイト達は持っていた。


 二人の中心で紅脇が独特のエコーがかかった大きな声で軽い説明を行う。


「今回はぁ!MAWを解禁したがぁ!基本はぁ!身体強化のみだぁ!魔法はぁ!禁止とするぅ!それではぁ!開始の合図があるまでぇ!MAWを展開するなぁ!」


 紅脇の指示に祢音も冥も展開前のMAWを構えるようにして待つ。


 祢音はいつも通り展開前のアノリエーレンを左手に握りこみ、冥はネックレスに変化させてある自身の薙刀なぎなた型MAW【黒睡蓮こくすいれん】を胸元で握りしめる。


 冥は祢音に強烈な意思のこもった視線を向けた。真正面から放たれる鋭い眼光。祢音は恐れるどころか、口端を少しだけ釣りあげて不敵な笑みを浮かべる。


 辺りはシーンと静まり返り、緊迫感だけが漂っていた。


 誰かがごくりと唾を飲み込んだ音が静寂に包まれたこの第三演習室に響き渡る。


 そして――


「ではぁぁぁ!!!始めぇぇぇ!!!」


 紅脇の大声量によって、二人の戦闘訓練は開始された。




 祢音は強くなりたいという冥の思いに応えるため、本気で相手をするつもりだ。それに、少しだけ、自分と似た”想い”を宿す目の前の少女を知りたいと祢音は思った。言葉では伝わらない、ぶつかり合ってこそわかる”想い”というものを。


 ただ、いきなり迅動を使って一瞬で終わらせることはしない。迅動を使えば、冥に反応も反撃も防御もさせず、速攻で終わらせることができるだろう。これは舐めてるわけでも、上から目線でもなく、純粋な事実だ。


 それでは冥のためにならない。


 何せ、兵吾ですらギリギリの防御が限界だった速度なのだ。魔法も使えない状況の中、兵吾より格下の冥が迅動に対応できるとは思えない。


 だからこそ、祢音は先手を譲った。


 アノリエーレン抜き放ち、正眼に構えながら待つ祢音に、冥は身体強化をかけ、展開した黒睡蓮を中段に構え、そのまま全力で地面を蹴る。


 なかなかのスピードだった。


 普通、魔法師を目指す学生はほとんどがある程度の身体強化を使えるようになると、すぐ次の段階である魔法の修行に行ってしまう。それは、やはり身体強化が魔法の下位互換のように考えられているからに他ならない。


 もともと身体強化は強力な魔法を使う反動から自分の体を守るために考えられた技術と言われている。その為、魔法師にとっては補助目的以外の効果を発揮することのない技術だとも思われていた。


 身体強化を極めるくらいなら、少しは魔法を修練しろとはよく魔法師を目指す者に言われることだ。それくらいに身体強化はあまり見向きされない技術なのである。


 その理由というのが、魔法と違い、身体強化は非情に効率が悪い。


 身体強化は厳密に言うと、心想因子オドよって体組織の情報を強化する技術。心想因子オドを服を着るように身に纏うことで、耐久力や腕力、脚力など様々な身体機能を上昇させる。


 ただし、その還元率は必ずしも百%とは限らない。


 例えば、百の心想因子オドで身体強化を施したとする。完璧な心想因子オド操作技術があれば、百の力をきっちりと使うことができるだろう。が、反面、心想因子オド操作に少しでも漏れや淀みがあった場合、百の力は九十にも八十にも下がってしまうことになる。


 魔法ならば、百の心想因子オドを込めれば、百の威力を発揮してくれる。しかし、身体強化の場合は必ずしも百の心想因子オドを使って、百の力を発揮できるわけではない。


 それが、魔法と身体強化の違いだった。


 だったら、心想因子オド操作を鍛錬すればいいだろと思うが、完璧な心想因子オド操作を習得するのは長い年月をかける必要がある。それこそ十年、二十年くらいの月日が必要なほど。


 完璧な心想因子オド操作技術は魔法にあまり必要がない。魔法に必要なのは想像イメージの強さ、そして、心想因子オド現象粒子マナを結合させる技術の二つ。心想因子オド操作は最低限あればいい技術なのだ。


 だから、そんな技術に時間をかけるくらいなら、強力な魔法を少しでも覚えるために、結合安定率を上げた方がいい。それが現代の魔法師の考え方だった。


 だが、どうやら冥は魔法だけでなく、身体強化の方も相当鍛えているのだろう。冥の身体強化は心想因子オド操作に少し淀みや漏れなどが祢音の目にはつくが、それでも綺麗に纏われており、他の学生とは違って、かなり鍛錬していることが窺えた。


「はぁ!」

 

 凛々しい声を上げた冥は、中段に構えた黒睡蓮を祢音の心臓目がけ、刺突を放つ。寸止めはするだろうが、的確に急所を狙ってくるあたり、容赦がない性格は訓練でも健在のようだ。


 祢音はその攻撃を半身を逸らすようにして躱した。さらに躱し様に、お返しとばかりにアノリエーレンを上段から振り下ろす。


 それに対する冥の反応は素早かった。頭上から落ちてくるアノリエーレンに対して、素早く引き戻した黒睡蓮をくるりと手の中で回し、振り下ろしに合わせるように、持ち手を頭上に翳してガードする。


 が、


「うっ!」


 片手での振り下ろしにもかかわらず、想像以上の衝撃が体に加わったことで、冥は思わず膝をつきそうになる。


 それを見て、祢音はすぐに次の攻撃を仕掛けた。本気で相手をすると決めた祢音に手加減するという意思はなかった。衝撃で一瞬硬直した冥のお腹に構わず、蹴りを入れる。


「かはっ!」


 息を吐きだして、後方に吹き飛ぶ冥。戦闘不能になる一撃を与えたわけではないが、それでも痛みは伴う。


 吹き飛ばされ、地面に倒れこんだ冥だが、どうにかお腹を押さえ、苦痛に顔を歪めながらも立ち上がった。そして、またすぐに攻撃を再開する。


 次は上段からの鋭い振り下ろし。祢音はそれにアノリエーレンを合わせるように、翳して、防ぐ。奇しくも先ほどとは逆転の立場。


 ガキンッと刃と刃がぶつかり合う音が第三演習室に響く。


 祢音は微動だにしない。対して冥の腕にはまるで大木を殴ったかのような衝撃が返ってきた。


(……一体どんな力してるのよ!?)


 大樹を斬りつけたかのような感覚に、冥は祢音の身体強化の技術に内心で恐れ慄くも、攻撃を止めない。


 防がれたことを気にすることなく、黒睡蓮で祢音に連撃を加えていく。


 薙刀の長さを生かした、素早い刺突を連続で打ち込む。だが、祢音はすべて見えているかのようにアノリエーレンで防ぎ、逸らす。しかも、それだけでなく、祢音は防ぐ瞬間や逸らす瞬間に一瞬強い衝撃を与え、冥の手に間接的なダメージを与えているから嫌らしい。


 伝わってくる衝撃に冥は黒睡蓮を何度か取り落としそうになるが、なんとかそれに耐え、さらに果敢に攻めこむ。が、結局はすべて祢音にいなされてしまう。


「本当に強いわね……連撃がここまで当たらない相手は初めてよ」


 一度仕切り直すように、後ろに飛んで距離を取った冥は、祢音に語りかけた。


「暗条の薙刀捌きも鋭いな。それに身体強化だって、この歳でそれだけ操れるんだったらすごいもんだ」

「あなたに言われても嫌味にしか聞こえないわね……」

「はは、これでも純粋に褒めてるんだがな……」

 

 鋭い目つきで睨まれ、祢音は苦笑する。本心では、本当に冥のことを賞賛しているのだ。薙刀捌きも身体強化のことも歳以上に熟練度が高いと。ただ、確かに祢音に言われても嫌味にしか聞こえないのも本当のことかもしれない。祢音自身が歳に見合っていない強さを見せているのだから。


「それで……終わりか?」

「まだよっ!」


 祢音の軽い挑発から冥は再び黒睡蓮を構え、地を蹴る。気合を入れ直し、上段から斬撃を見舞ったかと思えば、実はそれはフェイント。素早く黒睡蓮を後ろに引き戻し、最速の刺突を祢音に目がけて放つ。


 衝撃で間接的なダメージを手に与えてくる祢音に何度も武器をぶつけ合っては、最終的に自分の手がダメになると判断した冥は攻撃に虚を入れ始めた。


 しかし、祢音はあっさりと冥の目論見を看破して、横に飛ぶように躱す。けれど、冥も諦めない。即座に黒睡蓮を横に振り、祢音へ追撃を仕掛ける。


 祢音は迫る黒睡蓮に慌てることなく、真下に打ち払おうとアノリエーレンを振るも、それは空を切る。


 追撃も実はフェイク。冥は横振りを急停止させ、大胆にも体をくるりと一回転させると、祢音の反対側を取ったのだ。


 祢音は完全に逆を突かれた形の状況。アノリエーレンを振り下ろした態勢なため、少しばかり重心が崩れ、姿勢が傾いている。完全に隙だらけの状態だった。


「やっ……!」


 冥も今回ばかりは当たると喝采を上げそうになる。周囲も同様に決まったのではないかと期待を寄せた目で集中した。


 が、祢音はそう易々と攻撃を食らう男ではなかった。


 ――なんと迫る黒睡蓮の刃を空いていた左手で片手白刃取りをして受け止めたのだ。


「……うそでしょ?」

「いや、残念ながら事実だ」


 ありえない受け止められ方をされ、冥は珍しくもそのクールな表情を愕然とさせた。それは冥だけでなく、周りで見ていたクラスメイト達も同様で……。


「おい……まじかよ……」

「片手白刃取りって……」

「現実でできる奴とか初めて見たわ……」


 祢音の行った絶技に唖然と口を開け、驚愕を露わにしていた。


 周りの驚きを他所に、祢音は黒睡蓮の刃を掴んだまま冥に話しかける。


「まさか、薙刀を急停止させて、一度体を旋回し、俺の逆側を取るとはな。予想外だったよ」

「……簡単そうに防いどいてよく言うわね」


 自分の攻撃に賛辞を贈ってくる祢音に冥は少し悔しそうに口を尖らせる。いつもツンとしている冥にしては珍しい態度だ。


「……そんな表情もできるんだな?」

「……女の子の顔を見ながら、そんなことを呟くなんて気持ち悪いわよ」

「辛辣だな、おい」

「事実でしょ。というより、いつまで私の黒睡蓮を掴んでる気かしら?」

「ああ……まだやるのか?」

「当たり前でしょ。あなたにまだ一撃も入れられていないんだから」


 決闘や模擬戦なら祢音の勝利で終わっているだろう。ただこれは戦闘訓練の授業だ。本人達が満足するか、教師が止めるまで終わりはない。

 

 冥はどうやらまだ満足してはいないらしい。実際にまだ授業の時間はあるし、紅脇も止めに来る気配はない。


 そんな戦意を高ぶらせ、さらに気合を入れる冥に対し、しかし、祢音は先ほどまであった戦意を消すと、アノリエーレンを縮小させ、戦闘状態を解いた。


「……なんのつもり?」


 意表を突かれたように、それを見た冥は眉を寄せ、祢音の不審な行動に疑問をぶつける。


「いや、もう終わりにしよう。今の暗条じゃあ、いくらやっても俺に一撃が届くことはない」

「な、なんですって……!?」


 そして、次に呟かれた祢音の言葉に珍しくも冥は柳眉を逆立てた。傍から聞けば、完全にバカにしたような言葉。侮辱されたような気がして、冥は一瞬で頭に血が上る。


 怒りを露わに睨みつけてくる冥を見ながら、祢音は少し言い繕うように話した。


「悪い。別に暗条を見下して、言ったわけじゃない」

「じゃあ、一体どういう意味合いでそんなことを言ったのかしら?」

「そうだな、少し言い換えよう。……そんな、復讐にとりつかれた状態では、俺に一撃が届くことはないよ」

「!?」


 少しは自覚もあったのかもしれない。その祢音の言葉に冥はまるで核心を突かれたかのように大きく目を見開いた。


 当初の目的にあった冥の”想い”を戦いの中で感じ取った祢音はこれ以上やる意味もないと武器をしまったのだ。


「何度か刃を合わせたら、言葉よりも雄弁に暗条の感情が伝わってきたよ」


 似た者同士だからこそ、分かってしまう。同族だからこそ共感できる部分があり、刃を交えたからこそ、言葉よりもなお深く、冥の強い”想い”が祢音の中に溢れたのだ。


 ”復讐にとりつかれている”。冥の状態はまさにそれだった。自分を顧みず、ただ目的を遂行するために、自己を殺し、淡々と邁進する。見えていることは復讐だけ。自分の生きる理由はそれだけとでも言うように。


 祢音も同じだ。アリアに拾われてから、幾ら止められようと、ただひたすらに自分を殺して鍛錬に励み、家族を見返そうと、復讐しようと必死だった。けれど、あまりにも痛すぎるしっぺ返しが祢音にようやく気付かせる。


 復讐だけがすべてというのはただ周囲が見えていないだけ。人生はまだ長い。先の見えない未来に、ただ復讐という目的だけを持って生きるのは悲しく、つらい。


『復讐をやり終えたら何が残るかわかる!?一瞬の幸福と永遠の虚しさだけなんだよ!?』


 そうアリアに泣きつかれるように心配され、祢音は少しだけ自覚できた。


 殻に閉じこもって、周りを見ようとしない自分はなんて馬鹿だったんだと。こんなにも心配して、泣いてくれる人が目の前にいるのに、自分はいったい何をしていたんだと。


 自己だけで完結する人生の何てつまらないことか。目の前にいる冥はまさにそれだ。昔の祢音と全く同じだ。


 復讐を止めろと言う気はない。憎悪を抱くなと言う気もない。ただ、もう少しだけ、視線を広く持って、生きてほしい。自分達は一人ではないのだと。


「復讐を俺は別に悪いと思っていない。事実俺も昔に抱いていたことだから、軽々しく否定する気もないしな。ただ……復讐にとりつかれることだけは止めろ。いつか痛い目となって、自分に返ってくるぞ」

「……」

「まぁ、余計なお世話だと思うが、先輩からの忠告だと思って、聞いてくれ」

「……」


 祢音の言葉が聞こえているのか、いないのかわからない状態の冥。


 冥が固まった理由。それは祢音に自分の”想い”を指摘されたからだ。


 何も知らないような他人に分かったようなことを言われる苛立ち。復讐という単語に燃え上がる憎悪。思い出してしまう過去の出来事の数々。


 いま彼女の内側は、感情の波が荒れ狂い、思考が定まらない程、心が暴れていた。


 近づいてくる足音にも気が付かず、結局、紅脇に戦闘が終わった合図として、肩を叩かれるまで、冥が現実に戻ってくることはなかった。



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