二十三話 そして立ち上がる

 うろうろ、うろうろ。

 先程から落ち着かず、ある扉の前を行ったり来たりするマローネに、エスティの咎めるよな視線が突き刺さる。


 しかし、こんなときに落ち着いてはいられなかった。

 なぜならば、向こう側には主たるサイネリアがいるのだ。

 彼は今、着替え中だった。


 ふいに扉が開き、マローネが弾かれたように視線を向ける。

 するとまず、家主のジェフリーがいい笑顔で出てきた。


「いい仕事したわ~」


 ものすごく機嫌がいい。

 そして次に。


「これで、おかしくありませんね」


 そう言いながら、笑顔を浮かべ現れた人こそ、マローネが待ち焦がれていた主。

 男物の服に着替えたサイネリアだ。

 腰まであった長い髪が、今はうなじがあらわになる程度まで短くなってしまった。

 マローネは、自分が髪を切った時、サイネリアが怒っていた事を思い出す。


(綺麗な髪だったのに……)


 サイネリアは、マローネの髪を惜しんでくれた。自身の髪など、どうせそのうち伸びるだろうという程度の認識だったマローネだが、今になってサイネリアの気持ちが、よく分かった。


 もったいない。実に惜しい。さらさらでツヤツヤの、綺麗な綺麗な髪だったのに――と。


 しかし、当のサイネリアは、マローネが無造作に髪を切ったときはあれほど怒ったのに、いざ自分の番になると、一切頓着せずにバッサリと切ってしまった。

 あまりの思い切りの良さに、マローネ達騎士三人が、あんぐりと口を開ける事態になったほどだ。


 すっきりとした短髪になったサイネリアは、ドレス姿ではなく、ジェフリーに借りた男物の衣服に身を包んでいる。


 笑顔を浮かべる彼は、線が細い印象をあたえるものの、青年にしか見えない。

 つまり、彼は以後、サフィニアのふりをする事ができない。


「これで、もう本当に逃げ場がなくなりましたね」


 けれど、サイネリアは笑う。彼らしい、笑みを浮かべる。


「……それにしては、随分と楽しそうですが?」


 ジェフリーの問いかけに、サイネリアは頷いた。


「ここまですれば、俺がどれだけ腰抜けでも、もう立ち向かうしかないでしょう」

「…………では?」

「はい。俺は、俺として、生きていきます」

「殿下、それは自ら火種を投げ入れる事と、同じです。五年前、お命を狙われたのは、貴方が、当時唯一の男児だったからです」

「そうですね。だから、母はずっと、俺という存在を恐れていた。王妃に先んじて、男児を産んでしまった自分の不運を呪い、俺が引き寄せるだろう災難を恐れた」


 そして、予感は的中し、親子は五年前に賊に襲われた。


「……もしも、俺が自分はサイネリアだと告白すれば、女の格好をして隠れていた腰抜けと笑いものになります。……ですが、同時にこの国には、二人の王子がいる事を証明する手段にもなる」


 笑い者になっても、卑怯者の誹りを受けても、それでもサイネリアが退かなければ……。


「王妃は、決して俺を無視できない。……生き残ったのが、サフィニアだと思っていても、逐一呼びつけては反抗の芽を探していた人だ。自分の邪魔になるならば、あの時のように、俺を排除するでしょう」


 しん……と、室内が静まりかえる。


「俺がこれからする事は、五年前やり損ねた事です。……王妃と、事を構える。なので、これ以上の協力は無用です。お二人には、それぞれの立場があるでしょう」


 ジェフリーとエスティは、わずかに肩を揺らした。


「サイネリア様! わたしは、お供しますよ! どこだろうと、しがみついてでも付いてきますから!」

「マローネ……。気持ちは、とても嬉しいです。貴方なら、そう言ってくれると思っていました」

「サイネリア様……!」

「ですが、ここで留守番をしていてもらえますか?」


 マローネは、笑顔のまま固まった。


「え? あの、なぜですか? もしかして、エスティが言った戯言を信じてしまったのですか? わたしが、一連の襲撃事件を画策したと……」

「貴方はそんな事しない。分かっていると言ったでしょう? 俺が、貴方に残っていて欲しいのは……」


 言葉を濁すサイネリア。

 マローネは、ふと、今朝方エスティが言った事を思い出していた。


 内通者。


 隠れ姫が、騎士を持つ。襲撃の切っ掛けは、これだったに違いないと、マローネは数ヶ月間を思い返す。


 自分の態度が、王妃に隠れ姫の排除を思い起こさせる起因だったに違いない。

 だが、二つの襲撃事件を画策したのは王妃本人ではあるまい。誰かが、王妃の命令を受けて、動いた。


 しかし、結果はどうだろう。エスティが言うように、どちらも分かりやすく穴のある作戦だ。

 殺したいというよりも、試しているような。

 そして、突発的だった外出先にも現れて――。


「…………内通者」


 呟いたマローネを、ハッと顔をこわばらせたサイネリアが見下ろす。その表情を見ただけで、彼がすでに内通者の存在に気が付いていた事が分かった。


 そんな馬鹿な事あるわけがない。


 そう言って、否定してしまえればいいのに、内通者と言う言葉に、何かが引っかかった。


 悲しそうな顔の、サイネリア。

 マローネが付いてくることを、拒否する素振り。

 最初から、何かに気付いていた様子で――。

 ちゃり、とマローネの片腕が涼しげな音を立てた。

 そこには、サイネリアがくれた青い腕輪がある。

 幼い頃、サフィニアと共に作ったと言っていた。サイネリアは青、サフィニアは薄紅の腕輪を作ったと……。


「――あ」


 そこまで考えた所で、繋がった。

 サフィニアは薄紅の腕輪を、ヨハンに贈ったと言う。

 不器用なサフィニアが作った腕輪は、歪な出来だったという。けれど、ヨハンは今も大事に身につけている。


 子供が作ったのだと一目で分かる、大人が身につけるには難がある、稚拙な出来の腕輪。


 屋敷の襲撃犯が言っていた、仕事を持ちかけてきた男も、身なりに不釣り合いの腕輪を身につけていたと言っていた。

 いわく、ちゃっちな出来の腕輪だったと……。


 それが、意味することは……。


「――ヨハン殿……」


 こぼれた呟きを聞いたサイネリアは、目を伏せた。


「ヨハン殿、なんですか? サイネリア様は、気付いていたんですか?」

「…………はい」

「どうして……」


 どうして、気付いていて放っておいたのか。どうして、ヨハンはサイネリアを裏切るようなまねをしたのか。

 疑問が次々にわいてくる。

 けれど、マローネが何よりも許せないのは――。


「連れて行って下さい」

「――っ」

「わたしは、貴方の騎士です、サイネリア様。連れて行って下さい。貴方が辛いことに立ち向かうのならば、わたしは当然お供します。悲しい事に向き合うのならば、おそばにいます。――それが、わたしという騎士が、主に示す忠誠です」


 サイネリアは、息をのんだ。それから、笑おうとしたのだろう。けれど、それはくしゃりと歪んで、彼は俯くとマローネを抱き寄せた。


「――っ、俺は、まだ、意気地なしみたいです」

「いいえ。サイネリア様は、真実を見極め、立ち向かおうとする、お強い方です。……貴方だから、わたしは、剣を捧げ、どこまでもお供したいと思うんです」


 ぎゅっと、サイネリアの腕に力がこもった。


「……一緒に来て下さい、マローネ」

「喜んで」


 ありがとう、と耳に届いた言葉に、マローネは笑みを浮かべた。

 すると、こほんと控えめな咳払いが聞こえた。


「……いい雰囲気の所、ごめんなさいねぇ。……そのお供って、定員一名ってことはないですよねぇ? だったら、アタシもご一緒したいわぁ、殿下」


 口調は軽いが、真剣な表情でジェフリーはサイネリアを見つめている。


「――だが、貴方は……」

「殿下、騎士は剣を捧げる相手を選べるのはご存じですよねぇ? アタシ、まだ誰にも捧げてないの。ちょうど良かったわぁ、初めて、貰ってちょうだい?」

「ジェフリー、お前の言い回しは、いちいち含みがあって恐ろしい。……馬鹿マロと、ジェフリーだけでは、箔付けにはならないだろう。……仕方がない、僕も一緒に行ってやる」


 ジェフリーを押しのけ前に出たエスティは、自信満々で言った。


「うじうじじめじめしているだけの隠れ姫は敬意の対象にはならないが、孤立無援でも立ち上がる図太そうな王子には、興味がある」


 恩を売っておくのも悪くない。そう言って笑うエスティ。横でジェフリーも笑った。


「今更仲間外れは嫌だから、一緒に行きたいんですって。エスティ君、さみしがり屋だから」

「誰がさみしがり屋だ! 下らん事を言うな!」

「もう、図星指されたからって、怒らないの。……殿下、多少騒々しいですが、我らは役に立ちますよ? 大勝負をするなら、掛け金は多いほど、燃えるでしょう?」

「――後悔しないのか?」


 ジェフリーは、笑顔で答えた。


「アタシ、大博打って大好きなんですのよ! ねっ、エスティ君!」

「僕は賭け事はしない」

「もうっ、ノリ悪い! ねぇー? マロちゃん!」

「賭け事ですか? わたしは同期の間で、カードゲームのカモというあだ名をつけられていましたが」


 あらやだ、とジェフリーが呟く。サイネリアは、ふと息を吐き出すと、笑った。


「……ありがとう」


 たのもしい仲間達だという小さな声は、三人の耳にしっかり届いていた。

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