第15話


 懸念していたビーストのタイムライン更新は、呆気なく再開された。おれたちが朝メシを食べている時、例の澄んだ鈴の音が舞のスマホから鳴ったのだ。


 ヤツはタイムラインの更新が止まっていたことを何故か丁寧に詫び、彼女の体調が悪かったが今はもう回復した、と言う内容のコメントをアップした。

 写真はないが、コメントにはこうある。『昨日、あまり楽しめなかったシーを今日は目一杯楽しむ』と。つまり今日の舞台は、昨日に引き続きディスティニーシーだということだ。


「風向きが変わりましたね。天は我に味方せり、ってヤツですよ修哉さん!」


 と、舞は息巻いていたものの。ビーストの度重なるタイムラインの更新に翻弄され、おれたちはヤツらの姿を捉えられないでいた。

 ニアミスに次ぐニアミス。酷いのは、時間的に見て同じライドに並んでいた、というのまであった。

 周囲に目を配っていたのに、やはりこんなに人が多い場所でターゲットを捕捉するのは無理があるのだろうか。ヤツらの背中に近づいている感はある。あるのだが、捉えられなければ何の意味もない。


 一旦休憩しよう。おれがそう提案すると、意外にも舞は素直に従った。きっと舞も疲れているのだろう。手近なカフェに入り、せめて外が見渡せるようにとテラス席に座る。


「……参りました、ここまで難しいとは」


 コーヒーを一口飲んだ舞は、ぽつりと言って空を見上げた。そろそろ夕刻。日はゆっくりと沈んでいく。


「参ったな。もう時間がない」


「今日のパーククローズは午後9時ですが、恐らくクローズまでヤツらはいないでしょうね。確かクイーンは社会人ですから、早めに帰ると思います。修哉さんも、今日中に帰るのでしょう?」


「あぁ、最終便だ。飛行機で帰る」


「なら、もう本当に時間がありませんね」


「諦めるのか?」


「まさか。私は一度決めたことは必ずやり遂げるタイプの人間です。絶対に諦めませんよ」


 もう一口、コーヒーを飲む舞。そしてポケットからゆっくりと、おもむろにスマホを取り出した。こちらを見て、舞は言葉を継ぐ。


「……もう、奥の手しかありません。できればこれは使いたくなかったのですが」


「奥の手?」


「はい、奥の手です。どうしようもない時にだけ使おうと思ってました。私、前に言いましたよね。警察沙汰にはならないと。でもこの奥の手は、下手すれば警察が動く事態になります」


「それ、どんな手なんだ」


「不正アクセスです」


 舞はきっぱりと言った。加えてその笑み。完全に悪役の笑顔になっている。きっと止めても無駄だろう。

 舞にはやると言ったらやるという、強固な意志が感じられた。


「私はビーストの、スマホのアカウントとパスを持っています。付き合っていた時に知ったのです。これを使えば、GPSを使ってヤツらの位置情報を割り出すことが出来る。しかし相手に当然通知も行くでしょうから、スマホを見られるとバレてしまいます」


 他のデバイスからのアクセスがあると、そのアカウントに紐付けされているデバイスに通知が行くっていうアレだ。なるほど、確かに奥の手である。

 不正アクセスは犯罪だ。確か、3年以下の懲役または100万円以下の罰金刑。

 そこまでリスクを負って、舞は探すつもりなのだろうか。それだけの価値があるのか、その復讐に。


「なぁ、舞」


「なんでしょう?」


「不正アクセスしてヤツらを探し出したとして。一体どういう手段で復讐するつもりなんだ? 犯罪してまで探し出して、やる価値のある復讐なのか?」


「本当は直前まで隠しておきたかったのですが、手伝ってくれる修哉さんに手の内を明かさないのは確かに卑怯ですね。そうですね、具体的に言うと、」


「言うと?」


「相手に私の姿を認識させること。そして、私がヤツに『呪いの言葉』をかけること。これが、私が考えている復讐の方法です」


 おいおい、いきなりオカルトじみてきたぞ。呪いだなんて、そんなもんある訳ねーだろ。不正アクセスをしてまで、やる価値があるとは思えない。

 おれがそんな顔をしていたからだろう。おれが何か言う前に、遮るように舞が続けた。


「もちろん呪いになんて、実際に効果があるとは思ってないですよ、さすがに。呪いとは一種の比喩です。ただ、私がそうしたいって思っているだけです」


「どんな呪いをかけるんだ」


「人を呪わば穴二つ。古来より、人を呪うのには対価を要求されます。相手の不幸を願えば、自分の幸せを差し出さなければならない。そういう風になっているらしいです」


「そこまでして、相手を貶めてやりたいのか? 自分のこの先の幸せを差し出してまで?」


「もし私の呪いがアイツに効いたら、私もその先、幸せではなくなるでしょう。でも、大丈夫です」


「何が大丈夫なんだよ、なにも大丈夫じゃねーぞ」


「いいえ、大丈夫です。私は幸せな思い出を作ることが出来ましたから。あなたのおかげでね。だからこの先の幸せを差し出すことになっても、私はあなたとの幸せな思い出があるので大丈夫そうです」


「おい舞、なに言ってんだよ」


「この3日間、とても楽しかったです。本当に楽しかった。数えられないくらい、この王国に来ましたが、今まで一番、楽しかったですよ。本当にありがとうございました、修哉さん」


 舞のそのセリフに、おれは強い違和感を感じた。なぜ舞は、さっきから過去形で話しているのかと。もう終わっていると言いたげな表情も気になる。


「待てよ舞。なんでそんなセリフを言うんだよ」


「どんな物語にも、終わりは必ず来るものです。それがハッピーエンドか、バッドエンドかの違いだけで」


「どういう意味だ」


「楽しかった時間はここで終わりだということです。ほら、あそこ」


 舞が指さしたその方向。少し離れたベンチに、一組のカップルが座っていた。まさか。なぜここに?

 そこには果たして、ビーストとクイーンがいた。


「驚きました。まだ不正アクセスはしてないのに。やっぱり、天は我に味方してくれたのでしょうか。とにかく今、目の前にあの2人がいる。そう、手が届く距離に。だから私は、私の目的を今から果たします」


 舞は座っていたテラス席から立ち上がる。そして躊躇うことなく、ヤツらのもとへ歩を進めた。

 おれは咄嗟のことで反応が鈍った。そうこうしているうちに、舞はヤツらの眼前、5メートルの位置に。


 何をするつもりなんだ。

 嫌な予感しかしない。とにかく舞を止めなければ!


「──待て、舞っ!」


 おれの声にまず反応したのは、舞ではなくビーストだった。クイーンと談笑していたのを一旦止め、視線を上げる。当然そこには、舞がいるわけで。


「こんばんは、木場新きばあらたくん。お久しぶりですね」


「ま、舞? な、なんで? なんで、ここに……?」


「あらあら。心底焦っておられるご様子ですね。さっきから『なんで』しか言ってませんよ」


「な、なんで! なんで舞がここにいんだよッ! おかしいだろ? だって、だって舞はあの時ッ!」


「あの時、あの場所で死んだはずでは? とでも言いたげな顔ですね、アラタくん。でもこうして、戻ってきました。いろんなものを犠牲にしましたけど」


「死んだ……? 噂じゃ重体で意識が戻らないって。本当に、死んだのか?」


 ……死んだ? 舞が、死んだだと?

 どういうことだ。なんの話をしている? 一体、何が起こっているのか。


「あの事故です。あなたも見たでしょう? あの後、通行人が呼んでくれた救急車で運ばれて、病院で応急処置は受けましたけど。少し遅かったんです。ただ、それだけのことです」


「う、嘘だ……」


「嘘ならよかったと、私も思いますよ。あのね、アラタくん。今日はあなたに一言、どうしても言っておきたいことを言いに来たのです」


 一目で驚愕している様子がわかる、ビースト。木場アラタとか呼ばれていたな。その木場を見て、隣のクイーンが言う。


「……ねぇ、新ちゃん。この子、誰なの?」


「ちょっと黙ってろミナミ! ありえないんだよ! こんなこと、絶対ありえない! 死んだなんて俺はそんなの聞いてない! お前、誰なんだよ……こんなところに舞がいるはずねぇんだッ」


「あらあら。かわいそうな新しい彼女さん。どうも初めまして、数週間前まで、アラタくんの彼女だった浜野舞と言います。お初にお目にかかりますね」


「新くんの、元カノ? 死んだってどういう……?」


「あなたと付き合いだしたと聞いて、つまり私はアラタくんに振られたのですが。もう少し話を聞こうとアラタくんを追いかけて、車道に出てしまいまして。そして車に轢かれたのです。お恥ずかしい話なのですが」


 くすりと小さく笑いながら、舞は続けた。木場新もミナミと呼ばれた新しい彼女も、何も言えずに舞の言葉に耳を傾ける。

 おれもだ。おれも何も言えないまま、舞のセリフを聞くことしか出来ない。


「でもね、その後、まさか見捨てられるとは思いませんでしたよ。ねぇアラタくん。どうして私を見捨てたんです? どうしてあの場から逃げたんです? どうして、すぐに救急車を呼んでくれなかったのです?」


「そ、それは……」


「都合がよかったからですか? 死ぬにしろ死なないにしろ、舞が轢かれたのは自分のせいじゃない。そう思ったのですか? これで綺麗に舞と別れられる。そう思ったんじゃないですか?」


 舞と、木場とかいう男の会話に、おれは全くついていけない。舞の隣にいるのに、いるはずなのに、こんなにも遠い。

 木場を追いかけようとして、車道に出た舞は車に轢かれてしまった。その後病院に運ばれたが、そこで亡くなってしまった、だって?


 じゃあ、今までおれと過ごしてきたこの舞は。

 一体、どういう存在だっていうんだ。


「結局のところ、全部過ぎたことです。それを今更、どうこう言うつもりはありません。私が言いたいことは、たったひとつだけ」


 舞は一旦、言葉を区切る。

 そして例のあの笑顔でこう言った。

 自信たっぷりな、不敵で素敵なあの笑顔で。


「あなたに不幸が訪れますように。さようなら」


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