第91話 青空

 その時私は何が起きたか、分からないままでいた。全身が宙を舞い、さっきまで自分が立っていた地点から遥か向こう側まで物凄い勢いで飛んだ。

「直人!」

 私の名前を呼ぶ声がした。森部がこちらを心配そうに見ているのが分かる。私は立ち上がろうとしたが再び何者かに大きく殴られ、吹っ飛ばされてしまった。顔を手で拭ったら、手は真っ赤に染まった。

「血だ……」

 あまりにも状況が把握出来ない私は既に意識が朦朧としている事にやっと気が付いた。全身に力が入らない。仰向けになって見える空は綺麗だった。

 そこに私の顔を覗きに来た人影が薄っすらと見えた。意識が朦朧としているせいか、中々その人影にピントが合わない。私はじっくり目を凝らすと、やっとそれが美沙子さんである事が分かった。

「美沙子さん……。どうなっているんでしょうか、私は」

 美沙子さんは答えてくれなかった。遠くで森部の叫び声が聞こえる。私に何かを言っているのだが、良く聞こえない。美沙子さんはしゃがみ、私の顔をじっと見た。

「美沙子さん……」


 目の前で見せられているホログラムの映像に私たちは言葉を失った。三鷹は黙っている。江口も黙っている。

「おい! 江口署名するんだ!」

 近藤はしびれを切らしたのか、江口の肩を揺さぶった。河本も江口の元へ駆け寄り署名を強く要求している。

「江口君! 君は今起きている事が見えないのかね! 一般人がアンドロイドによって死にかけているんだぞ!」

「無駄だ。江口は利己主義の塊だ。人の命なんて二の次なんだろう? そうだよね、江口」

 三鷹は畳みかけるように言う。近藤は私の方を向いて悔しそうに口をへの字にした。私も江口を説得したいが、近藤と河本の言葉に耳を傾けない時点で焼け石に水だと感じた。

「江口! これ以上の死人を出すな! 何の罪もない一般人がこうやって死ぬ事はどう考えても間違っている!」

「お前たちは何も分かっていない!」

 突然江口が口を開いた。その目つきは今まで見たことが無いほど凶悪な顔をしている。まるでここにいる全員を殺しにかかりそうな殺気立った目だ。

「アンドロイドの価値をいち早く見出したのはこの私だ。旧人体機構研究所の時も玩具として馬鹿にされていたアンドロイドを庇い、助けたのは私だ。しかし周りの目は極めて冷ややかだった! 当時私を『アンドロイドに恋をした研究員』と題して売ったのは誰だ! ──お前たちだろうが! 人間以上にアンドロイドに興味を持った人間研究員がいる。気持ち悪いと世間から叩かれ、私の家には言われもない誹謗中傷の手紙が届き続けた! だが周りは臭い物に蓋で、アンドロイドの研究を推進させようと結局私を矢面に出したまま続行した!」

 江口が異常なまでにアンドロイドへ執着していた事は私たちも知っていた。当時の風潮は今よりももっと酷く、アンドロイドを生身の人間として見ようものならにあっていた。アンドロイドは労働力の補填になったとしても、少子化を加速させる道具だと、散々に言われた時代だった。

 そんな中で開発を進め続けた旧人体機構研究所への風当たりは凄まじいもので、当時研究熱心だった江口はその風をもろに当てられていた。

「だからな、ここにきて綺麗事をゴタゴタと並べるお前たちの意見なんて、聞きたくは無いんだ。アンドロイド・ディベロップメント社は、私の最高傑作作品なんだ! 誰にも傷つけられたくは無いんだ!」

 映像に映し出されている青年は顔が血まみれになり、腕や足からも出血していた。あの時と全く同じ光景に私と近藤は顔から血の気が引いていた。

「甘えた事言ってんじゃねぇぞ江口!」

 ついに近藤が江口の顔面を殴った。江口は地面に倒れこんだ。近藤はまだ殴ろうとしていたが、それを河本が制止する。

「世間から叩かれた時に誰も助けてくれなかったから言うことを聞かないだと? お前の人生は自分が言っている事の分別すら判断出来ないものだったのか? ──確かにあれはだった。常にアンドロイドに対する偏見との闘いだった。だがそれは、当たり前の事だったんだ! 世界の常識を覆す発明を我々は作ろうとした。一般人から非常識だと思われて当然だろ! 結果的に今アンドロイドは『常識』になった。電気や水道と同じポジションにいるんだ。それは我々が変えていったからこそのものであって、決して最初からこの状況が作り出されていた訳ではない!」

 近藤はため息をついて俯いた。

「お前と我々は同志だった。世の中に革命をもたらそうとあの時は必死だったじゃないか……。いつから利益を追求するだけの人間になってしまった江口! いい加減目を覚ませ! アンドロイド・ディベロップメント社は既に沢山の屍を踏み台にして建っている。私の家族や野村の家族、そして沢山の優秀な研究者たちの屍がこの会社の下で眠っている! ──これ以上人の命を踏みにじってアンドロイドを作るのは辞めにしないか……。あの青年にだって未来がある! アンドロイド・ディベロップメント社とは全く関係のない未来が待っている! そんな彼の人生を滅茶苦茶にする気か!」

 青年の悲鳴が聞こえた。もう時間が無い。このままだと青年の命が危なかった。MISAKOは容赦なく彼の体を痛めつけていた。中央制御室は青年の悲鳴以外に何も音が無くなっていた。

 その時、江口がフラフラと立ち上がった。じっと三鷹を見た。三鷹は表情を変えない。その隣で青年の血だらけの姿が無情にも映っている。

 突然江口が叫んだ。聞いたことも無いような声で腰を曲げながら叫んだ。そして、そのままペンを取り、タブレットに署名をした。

「アンドロイド・ディベロップメント社の……解体を…………ここに記す! 三鷹、MISAKOの暴走を止めろ! これはアンドロイド・ディベロップメント社社長としての最後の命令だ!」

 三鷹は驚いた様な表情をしたが、すぐに固い表情に戻った。すぐにMISAKOの動作は止まり、青年は辺りにいた仲間に応急手当を施して貰っていた。

「救急車は既に呼んである。江口の署名、確かに確認した」

 三鷹はそう呟くとホログラムから消え去った。AKANEも同時に電源が落ち、通信不能となった。河本は腰が抜けたのか、椅子に落ちるように座った。社員たちもほっと胸を撫でおろしているように見えた。江口はタブレットの前で崩れ落ちたまま動かなかった。

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