第82話 早すぎた判断

 沈黙が続いてどのぐらいの時間が経っただろうか。今この空間にはアンドロイド業界を創造した人間が集結している。

「江口。残念だが、一度アンドロイド・ディベロップメント社のOSはスクラップにしなければならない」

 近藤が重々しく口を開いた。

「どういうことだ。そのために私にリセットJを仕向け、セキュリティホールを狙ってOSごと破壊する気か? 正気か近藤」

「正気じゃないのはお前の方だ江口!」

 いきなりの近藤の大声に場凍り付いた。

「世界の八割強のシェアを占めるOSにバグがあるんだぞ? そんな物騒なものが世界中に数えきれない程散らばってんだ。何十年もな。しかもこの前の規制緩和で一般家庭に流入している。きっと色んな家庭で愛称を付けられて使われているだろう。そんなモノがいつバグって暴走するか分からないのに運用を続ける奴がどこにいるか」

 重々しい沈黙が流れる。江口は何かを言いたげな表情を持続しながら強く睨みつけている。

「じゃあ今世に放たれているMISAKOたちの始末はどうするんだ! あの機体を起動して世に放てるのは旧人体機構研究所の人間しかいないだろ! 私の会社を破滅させるのもいいがね、今この状況でMISAKOたちを放っている人間はこの中にしかいないだろう! どうなんだその辺りは!」

 江口は机を激しく叩いた。再び静寂が場に訪れる。こういう時、どこから話を切り出せばいいか俺も近藤も悩んでいた。確かに、我々はMISAKOシリーズを世に放った。これは紛れもない事実だ。

 現代の法律ではルール違反だ。だが、旧人体機構研究所が解散して以降、アンドロイド業界から我々にコントロール権が許される機体は限られていた。

 今世に放たれているMISAKOは我々がチューンアップした全くの別物だ。嘗ての記憶メモリーも全て消された、真っ白なMISAKOを造った。

「あれは修正パッチを担っている」

 冷静に答えたのは近藤だった。近藤は俺の方をちらりと見た。説明を求めているのか。

「新規格になって以降のアンドロイドを我々は操作する権利がない。だが、新規格のバグは進行していると見た我々はMISAKOの再設計に臨んだんだ」

「どういうことだ」

 江口の目線が私の方へと向かう。目からは憎悪の塊のようなものが感じ取れた。

「あの機体そのものが今のバグを直す可能性が極めて高いソフトウェアになっているんだ。修正パッチを含んだMISAKOを外へ出し、MISAKOの判断で特定の人間と時間を共有する。残念ながら我々が作った修正パッチは不完全なんだ。新規格には人間の感情論に対する知識が少なすぎる。今の彼女にそこを補ってもらっているのだよ。MISAKO自身の機械学習によってそれが完成される。そのタイミングがまさに今なんだ」

「そういう事だ、江口。彼女の最終目標はアンドロイド・ディベロップメント本社にある中央処理サーバーへの接続だ。もうすぐで彼女はやって来るだろう」

「つまり、その邪魔をさせないためにこの場所へ私をおびき寄せ、見物させる気か」

 野村は黙って頷いた。江口は舌打ちをすると椅子に深く腰掛けた。まだ、言いたげな表情である。

「MISAKOの件は把握した。だがな、どうしても一つ説明のつかない事がある」

「説明のつかないこと?」

 私が問うと、江口は一瞬躊躇ったが口を開いた。

「MISAKOを追いかけているもう一つの機体はどう説明を付ける気だ」

 私たちが把握している機体はMISAKO一体だけだ。他に何があるというのか、見当もつかなかった。

「もう一つの機体? ──何を言っているか、さっぱり分からないな。我々が関与しているのはMISAKO一体のみだ。それを追いかける機体何て、いないはずだが」

「それがいるんだよ。こんな薄汚い部屋に籠っているから情報が欠落してやがる。今私の秘書アンドロイドがそいつらの機体を追いかけまわしているが、これは最悪だぞ? ──AKANEが放たれてるんだ」

「AKANE……だと…」

「どういう事だ! 近藤、野村!」

 河本が叫んだ。それは私たちも知らない予期せぬ事態だった。MISAKOを破壊するためにAKANEが放たれているなんて、想定外だった。

「待ってくれ。AKANEは私たちが放ったものではない」

「では誰だね! AKANEを放ったのは! 旧機体を知っていて、起動権を持っている人間は旧人体機構研究所の人間しかいないだろう! ここにいる人以外に誰がいるって言うんだね!」

 河本が机を叩いた。すると、木本が目を大きく見開いてパニックになる場を見渡した。

「いるぞ……。ここにはいない人間が一人」

 場は静寂に包まれた。全員が頭の中で思考を巡らしていく。そして次々とその正体に見当がついたのか、恐ろしい表情になっていく。

「そういう事か……。──最悪だな。どうするんだ、近藤! 野村!」

 江口は私たちを睨みつけ、叫んだ。私は野村を見た。野村は渋い顔をして固まっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る