第78話 歴史的合流

 その時部屋の中は静寂に包まれていた。河本は古びた木製の椅子に座り私と近藤は時計を確認した。アンドロイド・ディベロップメント本社からここまでは約三十分ほど掛かる計算だ。

 江口はどんな顔をしてやってくるのだろうか。リセットJを勧告した江口の心境は穏やかではないはずだ。アンドロイド・ディベロップメント社では反西本派とそうでない派で派閥が生まれていたらしい。

 人体機構研究所を知らない若手社員からしたら、今まで植えつけられてきた事を真っ向から否定される今回の人工知能省を政策に難色を示して当然だろう。

 人体機構研究所はその存在ごと抹消された。負の歴史として完全に消えた事になっている。人間は都合よく歴史を変えてしまう。歴史はデータと人間の記憶によって作られる。そして、データを消された歴史は息絶える寸前の生き物になり人間の記憶によって延命治療が行われる。そして、記憶を保持している人間がこの世からいなくなった時、歴史は完全に抹消される。

 我々が人体機構研究所に所属し、アンドロイドの礎を作ったのは歴史に刻まなければならない。利権関係によって消されてはならない。災害を起こした事も刻まなければならない。

 私は椎葉書店が残してくれていた人体機構研究所の名簿を改めて眺めた。アンドロイドに殺されていった何の罪も無い仲の良かった研究員たちの名前がそこにはある。私たちが寝る間も惜しんで開発をしていた事実を抹消してはならない。

 同期たちは今の世界を見てどう思うだろうか。自分たちが願っていた世界になっているだろうか。アンドロイドを普及する事に成功した現代はまさに、人体機構研究所で思い描いていたものである。

「そういえば人体機構研究所に協力してくれた、日本知能工業株式会社の三鷹もこの名簿に書かれているな」

 河本は椅子に座りながら別の名簿を見ていた。人体機構研究所が創設される前、アンドロイドの構想を最初に練っていたのは日本知能工業株式会社だった。それ故、人体機構研究所が立ち上がった時に情報提供を求めたのだ。

「今では、アンドロイド・ディベロップメントの方が圧倒的シェアを誇っていますがねぇ」

 近藤が皮肉めいた声で言った。確かにその通りだった。当時、日本で唯一アンドロイドを作ろうとしていた、日本知能工業株式会社が作っていたアンドロイドの原型は玩具になれば良い方で非常に低知能なものだった。そのため、世間的には日本知能工業株式会社を馬鹿にする風潮があったのだ。

 そのため、国としても人体機構研究所を立ち上げる時は非常に慎重だった。国が予算を割いてアンドロイドを作る等と言い出したら、国民の反発が不可避だったからだ。そのため、国が直接運営していない体で独立行政法人を作った。

「三鷹社長が提供してくれたデータを元にOSが出来たんだ。結果的に事故を招いたとしても功績としては十分なものだった」

 河本はため息をついた後に吐き出すように言った。

 ──結果的には事故を招いた。

 よく考えれば低知能だったOSを高知能なもとへと変貌させるには無理が出るのは自明ではあった。現代の複雑難解な動きを与えるための命令ソフトウェアの開発は想像に以上に困難を極めていた。

 だが、結果的に現代のテクノロジーは不可能を可能にした。恐ろしいが、そうなっている。

 暫くするとドアの外にある階段を何者かが昇ってくる音がした。江口がとうとう来たのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る