二人が刑事部屋に戻ると、またいくつかの紙包みを持った市原香代が芹沢のデスクのそばで不機嫌そうに立っていた。

「──はぁ。また怒ってら」

 受付カウンターの前で立ち止まり、芹沢は顔をしかめた。

「もう気にすんな。どうせ一過性のもんや」鍋島は言った。

「けど、毎回ああやって渡されると気にもするぜ」

「もうほっといてくれって言うたらどうや」

「それが言えたら苦労しねえよ」

 芹沢はそう言うとため息をつき、間仕切り戸を開けると「あ、香代ちゃんごめんよ」と明るい声を振り絞って婦警に声をかけながらデスクに向かった。

 鍋島が後に続こうとすると、すぐそばの四課のデスクにいた捜査員の一人が話しかけてきた。

「あれはあれで大変そうやな」

「あそこまでいくとね」鍋島は頷いた。「ほんの数人から貰うんなら嬉しいんやろけど」

「あいつ、彼女はいるんか」

「さあ、知りませんけど」

「おらんはずがないと思うけど──いたらいたで、彼女は気が気やないやろな。あんな感じでは」

「よっぽど肝が据わってないとね」

 鍋島は言うとデスクに戻った。

 すると、ちょうどプレゼントについての一通りのやりとりが終わったらしく、香代が言った。

「そんなことより、お二人にお客様ですよ」

「え、誰?」芹沢が訊いた。

「西条琉斗くんです」

 香代は言って、驚いた表情の二人に頷いて続けた。「小会議室で待ってもらってます」

「小会議室で?」

「応接のソファに深く座った姿勢では傷口が痛むらしいです」

「退院したんかな」鍋島が言った。「ちょっと早いんと違うか」

 芹沢は口元を歪め、肩をすくめた。そして二人は廊下を挟んで刑事部屋の向かいの取調室とともに並ぶ小会議室に向かった。


 会議室では琉斗が一人で座っていた。アディダスの黒の上下スウェット姿で、隣の椅子にスチール製の補助杖を預けていた。現れた二人の刑事を見ると少し腰を浮かせたが、鍋島が「ええよ、そのまま」と言うと素直に応じた。出されたコーヒーには手をつけていないようだった。

「いいのかよ、一人でこんなとこ来て」琉斗の向かいに座った芹沢が言った。「まだおとなしくしてないとダメなんじゃねえのか」

「退院したんや。なんとか歩けるし」

「ちょっとはやないか?」鍋島が訊いた。

「医者やオカンはそう言うたけど、オレがそうしたいって言うたんや」

「なんで」

「退屈やんか」琉斗は肩をすくめ、机に置いた携帯電話を手に取った。「これかて自由に使えへんし」

「そんな理由で?」

「まあ、うん」

「違うだろ」芹沢が言った。

 え、と琉斗は真顔で芹沢を見た。芹沢はその視線を受け止め、彼もまた真面目な顔で言った。

「気ィ遣ったんだろ。親の懐具合に」

 鍋島がああ、という感じで頷いた。

「……せやかて、あそこ個室やったやろ。高いってことくらいオレでも分かる」琉斗は言うと笑った。

「大部屋に移ったらええやんか」

「他人と一緒やとめんどくさいもん」

「また贅沢言うてるな」

「せやから退院したんや」琉斗は膨れ面になった。「それに……」

「他にも理由が?」

「あそこ、茜の親父さんも入院してるやろ」琉斗は俯いた。「……オカンが気にしてた」

「なるほどな」芹沢は言って、鍋島に振り返った。「やっぱ面倒臭ぇなこいつら」

 鍋島は呆れたように笑った。

「それで? 俺たちにわざわざ挨拶に来てくれたってか」

「うん。まあ。あと、ちょっと報告しとこうと思って」

「何を」

「オレ、高校辞めることにした」

「ちょっと待てよ、そこまで急いで気ィ遣うことねえだろ」芹沢は身を乗り出した。「助成金とかあるんじゃねえのか」

「学費のことだけと違う。オレにとってはあの学校は行っててもしゃあないとこや」

「そんな理由ではあとで間違いなく後悔するぞ」鍋島が言った。

「違う。オレ、大学に行きたいんや」

「だったらなおさら、高校は行っとけよ」

「あそこではあかん」琉斗は首を振った。「自分で言うのもなんやけど、オレでも行けるような高校、大学行くには心細すぎる」

「そんなの、やってみねえと分からねえだろ」芹沢は言った。「確かちゃんと補習もしてくれてたし」

「保護者にアピールするための形だけのもんや。わざわざ呼び出しといて、実際は自習室で勝手にやれって言われる」

「……そうなんか」鍋島はため息をついた。

「大学進学を目標にしてますよって言いながら、実績なんてほとんどあらへん。あったところで、失礼ながらそんな大学どこにありますかっていうようなとこや」

 琉斗は顔を上げ、二人の刑事を見た。「さすがにそんなとこでも行けばええって言うてくれるほど、オレの親に余裕はないんや」

 鍋島と芹沢は黙り込んだ。不可能ではないだろうが、現時点では難しいことは想像がつく。

「じゃあ、どうするつもりだ」芹沢が言った。

「とりあえず、オレが自分で稼ぐ。それで行けるような高校を探す」

「定時制とかか?」

「うん。働きながら行けるやろ。ちょっと調べたんやけど、今から入学するのも可能みたいやし」

「それこそ受験勉強となるとしんどいぞ。はっきり言うて定時制で受験目的の授業はしてくれへんし、仕事しながら自分でその時間を作るのは相当の努力が要る」鍋島が言った。「その覚悟ができてるんか?」

「……覚悟した。病室で」琉斗は言った。「刑事さんらが来てくれたから」

「おまえ……」芹沢はため息をついた。

「オレ、自分を変えたいんや」琉斗は晴れ晴れと言った。「茜に頼ってた自分を封印して、自分のやりたいことは自分で手に入れんとあかんと思ったんや。しんどくても、時間がかかっても。そのためにあの高校はもう辞めようと思った。学費のこともあるけど、それが一番やない。あそこにいたらオレは変われへん」

 そう言い切って、若者はちょっとはにかんだ。その様子はまだか弱く、危うかったが、それでいてどうにも力強く、清々しく、頼もしいとさえ刑事たちには思えた。

「大学で何がやりたいんや」鍋島が訊いた。

「機械、工学……?」琉斗は首を傾げた。

「いや、訊くなよ」

「せやかて、大学のことはイマイチ……」

「バイク作りたいんだろ」芹沢が言った。「整備じゃなくて、設計がしたいんだろ。だから大学行かねえとダメだって思ったんだよな」

「……うん」

「まあ、妥当だな。おまえにしちゃ賢明だ」芹沢は笑いながら言った。「──で、今、何のバイトしてる?」

「コンビニ」

「学校があるから、夕方とか夜か」

「うん。あと土日」

「けど定時制行くことになったら、夜は無理だよな。代わりに朝とか昼間に働けばいいけど、男だったら夜も入ってくれって言われると思うぜ。そうなったとき、おまえみたいに押しに弱いやつは断れねえだろ」

「……そんなことないよ」

「昼間の時給って、低いしな。親の負担を軽くするほど稼ぐの、結構しんどいぜ」

「…………」琉斗は黙った。

「勉強の時間も確保しなきゃならねえし、時間に不規則な仕事は避けたほうがいいんじゃねえか」

「でも、それやったらどうしたら──」

「あてがあるんやろ」鍋島が言った。

「え?」琉斗は顔をしかめた。

「いや、こいつに」と鍋島は芹沢に振り返った。「な?」

「……まあ、まだ推測だけどな」芹沢は言って琉斗を見た。「俺が通ってるバイク屋に訊いてみてもいいかなって」

「え? え? どういうこと?」琉斗は身を乗り出した。

「結構手広くやってるとこで、前に人手不足で困ってるって言ってたんだ。誰かいねえかって。できれば若い子がいいって」

 芹沢は腕組みしていた手を解いた。「おまえの事情、話してみようか」

「ええの?」

「雇われる保証はしねえよ」

 琉斗は強く頷き、嬉しそうに笑った。


 琉斗が帰って行き、刑事部屋に戻ったところで鍋島が芹沢に言った。

「なんだかんだで、面倒見がええんやな」

「そんなんじゃねえよ」芹沢は視線を落として言った。「──俺が必要以上に辛い思いをさせちまったからな」

「わざとってことか?」

「ああ。弱っちいあいつに気合入れたくて」

「それを面倒見がええって言うんやろ」鍋島は笑った。

「違うよ。ただの大きなお世話だ」

 芹沢は言って、面白くなさそうに顔をしかめた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る