その頃、鍋島は自室で萩原と話していた。


《──それにしても思い切ったな。おまえがいきなりスマホなんて》

「やめろ。会話が途切れるごとにそれ言うの」

《せやかて、おまえにケータイ持たせることは、俺らの長年の懸案事項やったんやからな》

 萩原は楽しそうだった。《それがいきなり、自分から持つって言い出したんやろ。麗子から聞いたとき、俺は本気で思たで。こりゃ天変地異が起きるぞって》

「ケータイごときで、大げさなこと言うんやな」

 鍋島は小さく笑った。テーブルの灰皿を引き寄せ、手にしていた煙草を打ちつけた。

《そんなこと言いながら、嬉しくて使ってんのやろ。わざわざ俺にかけてきて》

「だから、報告や。おまえにも世話になったから」鍋島は語気を強めた。

《はいはい。それで? おまえの相方が真澄ちゃんの婚約者を助けてるあいだ、おまえはその男の母親とコンタクトを取ろうとして、失敗したと》

「やな言い方するね」

《事実なんやろ?》

「結果的にはな。連絡先を割り出して、麗子を通じて接触を試みたんやけどな。さすがに警戒された。けどまあ想定内やったから、諦めんと直談判しようと京都に向かってたところに、芹沢から救出の電話が入ったんや」

《相方さまさまやな》萩原は小さく溜め息をついた。《要は、後手後手に回ってたってことやろ。真澄ちゃん絡みの案件やから、いちいち二の足を踏んでたってことや》

「……まあ、そうやな」

《麗子にもめちゃくちゃ心配かけて》

「ああ」

《ったく、俺と麗子は十年間ずっとおまえの世話をしてきたようなもんやな》

 萩原はやれやれといった感じで言った。《とにかく、万事解決して良かったな。結婚式にも間に合って》

「ああ。なんと言ってもそこが一番や」

《事情は聞いたんか? なんでこんなことになったのか》

「いや、俺らは聞いてない。とりあえず今日はゆっくり休んで、明日以降にってことになった。真澄には今ごろ説明してるかも知れんけどな」

《やっぱり、元カノが絡んでるんかな。同級生の》

「おそらくはな。ややこしい奴らと同行してたから」鍋島は煙を吐いた。「けど、考えてみたら俺らには別に聞く義理も権利も無いわけやろ。仕事やないんやし」

《まあ、そうやけど》

「本来この四日間でやる予定やった、結婚前の準備とかもあるかも知れんしな」

《案外、男には無いもんやぞ。式の前にやることって》萩原が言った。《俺、前日でもぷらぷらしてたもん》

「それはおまえが学生結婚に等しかったからや。中大路は会社経営者やで。社会的に何の信用も実績もないときに、親がかりで式を挙げたおまえとは違ごて、式以外のことでも忙しいやろ」

《あ、さいですか》

 萩原は軽い口調で言うと、そのあとすぐに、今度は妙に落ち着き払って問いかけてきた。

《──で? これで清算できるんか。おまえの気持ち》

「……清算って言われると──」

《言葉は良くないかもしれんけど、要はそういうことや。おまえの中で、ってことやで》

「たぶん、出来ると思う」

《今後、真澄ちゃんのことでおまえはいちいち、辛気臭いことにならへんのやな》

「ああ、たぶん」

《たぶん、か》萩原はため息をついた。

「しょうがないやろ。先のことなんやから」

《まあええわ。俺らもそうそう付き合い切れんしな》

「ふん、悪かったな」

 鍋島は笑って言うと煙草を消した。「──なあ、萩原」

《うん?》

「おまえ、まだずっと福岡か」

《まだ、って、たった半年やぞ。そんなに早よ異動になるかぃ》

「けど、怪我で休んでる誰かの代わりで行ったんやろ? そろそろ復帰してくるんと違うんか」

《そんなもん、ただの口実や。俺は飛ばされたんやで。先輩を営業室で殴ってしもて》

「それかて、相手にも非があったんやろ」

《だからって、飛ばされたのは俺の方や。その事実に変わりはない》

「上司は一年以内に呼び戻すって言うてくれてたんやろ?」

《そんなもん、アテになるか。俺を納得させるための気休めに決まってるやろ》

 萩原は諦め口調で言った。《おまえらの業界はどうか知らんけど、銀行なんてとこは、いっぺんマイナス評価が付いて沈められると、そう簡単には浮き上がってこれへんのや。周りの人間も、好きこのんでそんなヤツに関わるわけがない》

「俺らもおんなじようなもんやけど」

《そしたら分かるはずや。もうしばらくはこっちにいるよ》

「そうか」

《なんでそんなこと訊くんや》

「いや、まあ──おまえが大阪にいてくれると、心強いかなって。俺も麗子も」

《三十路突入直前の男が、なに言うてんねん》と萩原は笑った。《このグローバル化著しい世の中、今や宇宙ともリアルタイムで交信できる時代や。大阪と福岡の距離なんて無きに等しいで》

「それでも、いつでも直接顔を見て話せる方がええに決まってるやろ」

《……まあ、今日初めてケータイ持ったようなアナログなヤツは、そうなんかもな》

 そう言うと萩原は思い直したように明るい声で言った。《いつでも連絡してこいよ。俺は今んとこ気楽にやってるから》

「そうか」と鍋島は言った。「ありがとうな」

《いまさら礼を言われても困るな》

「いや、今回のことや」

《真澄ちゃんのためや》

 そう言って萩原は電話を切っていった。

 鍋島はスマートフォンをテーブルに置いた。

 仕事でもプライベートでも、重く背負っているものがある萩原に、まだ頼らざるを得ない自分。

 どうしたら、こんな情けない自分を変えることが出来るのか──


 ──いや、もうやめよう。


 鍋島は再びスマートフォンを手に取ると、芹沢の番号に電話をかけた。

 十五回くらいコール音を聞いたところで、芹沢が出た。

《──しつけぇな。なんだよ》

「あ、悪い」

《そう思うんなら切るぜ》

「いや、ちょっと──」

《風呂あがりなんだよ》

「ほんま、今日は悪かったな。ていうか、今回のことでは何もかも」

《………………》

 芹沢は返事をしなかった。しかしやがて鍋島にも聞こえるほどの大きなため息をつくと、なかなかの凄みのある声で言った。

《くだらねえ。もう寝かせろ》

「あの──」

 そう言いかけたところで、電話は既に切れていた。

 鍋島は少し落ち込み、少し笑った。


 ──こいつも、面と向かって礼を言われたくないんやな。


 そう、態度で示せ、ということだ。

 鍋島はひとり頷くと、立ち上がって自分も寝室に向かった。

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