真澄と別れて署に戻る道すがら、鍋島は自分が真澄の気持ちを少しは和らげることが出来たのかどうか、まったく実感がないことを反省した。

 真澄のことになるといつもこうだ。まるで自信がない。麗子は鍋島が顔を見せるだけでも真澄には癒しになると言った。一年前ならいざ知らず、今でも本当にそうなのだろうか。確かに真澄は相変わらず自分に対して圧倒的に好意的で、慕ってくれていることは分かる。だけどだからと言って、彼女が結婚を間近に控えた今、以前のような気持ちでいるなんてことがあるんだろうか。そこはやはり婚約者の行方が心配で、捜索の進展状況を知りたかったのが当たり前の本音で、あまり進展していないと聞かされてがっかりこそすれ、自分の顔を見るだけで癒されるなんて、そこまでおめでたくはないだろう。

 すると、鍋島の脳裏に三日前の一条の言葉が突然浮かんできた。


 ──結局あなたは、野々村さんに今のままでいて欲しいのよね。

   あなたにとってもそれが一番安心ってわけ──


 やっぱり、図星を突かれていたんだろうかと思った。俺はやっぱりずるい男なのか。それとも、究極の往生際の悪さをあえてここでも露呈しているのか。

 だめだ、また堂々巡りだ。今はさすがにそんな余裕はない。

 鍋島は早足で署に向かった。



 刑事部屋に戻ると、今度はタイミングを逃すことなく自分にかかってきた電話に間に合った。

「──鍋島、電話。萩原って男性」

「あ、はい」

 あいつもずっと、気にかけてくれてるんやな。鍋島は萩原の男気をあらためて有難いと思った。いつも我関せずの態度をとっているようで、実はちゃんと心を寄せてくれている。邪魔にならないように控えながら、自分の出番の有無をじっと見極めているのだ。そしてそんな彼が電話を寄越すと言うことは、何か有益な結果を生むと言うことを鍋島は知っていた。

 鍋島は受話器を耳に当ててボタンを押した。

「──もしもし。何が分かった?」

《──え、あぁ、おう》

 いきなり本題で来られて萩原は戸惑ったようだったが、すぐに立て直して反応した。

《真澄ちゃんの婚約者、まだ見つかってないんか》

「ああ、まだや」

《そうか……》萩原は溜め息をついた。《もう時間がないな》

「そうや。タイムリミットはすぐそこまで迫ってる」

 鍋島はちょっともどかしそうに言った。「で、何か情報あるんやろ。わざわざ電話くれたってことは」

《……元カノが経営してる会社の取引先な、京都の》

「慶福堂」

《そこについて、ちょっと調べてみた》

「何か分かったか」

《だいぶ経営しんどいみたいや》萩原は声を潜めた。

「銀行の情報か」

《厳密に言うと違う。俺もさすがにあからさまなコンプラ違反は出来ひん》

 萩原はふんと笑った。《そもそも、言うちゃ悪いがうちではその程度の零細企業は取引対象外や》

「なるほど。それで?」

《あくまで未確認情報やぞ。京都勤務の同期が競合相手の信用金庫の人間から情報交換で聞いてきた話やから、そこそこ信憑性は高いが》

「おまえがその同期に訊いてくれたんか」

《まあな。それもまたあくまで『世間話』としてや。悪いけど》

 萩原は言うと咳払いを一つして、話し出した。

《──その会社がどういう事情で窮地に立たされてるのかは分からんけど、破綻の危機を回避するために半年ほど前から資産の整理を始めてるらしい》

「潰れそうな貿易会社にまだ資産があるんか」

《と言うのも、そこはもともと小さいながらもそこそこ流行ってた老舗の料亭やったらしい。ところが先代が病気で倒れて、跡取りが育たへんまま仕方なく十年ほど前に今の商売に業種変えしたそうや》

「また全然違うジャンルに変わったんやな」

《そこらの事情は詳しくは分からん。で、料亭やってるときには二軒ほど店を構えてたそうや》

「それが資産か」

《ああ。一軒は京都駅前にあった優良物件やったからすぐに売れた。けどもう一軒は、未だ病床にある先代の思い入れが強い物件らしくて、どうも売却を渋ってたそうや。一軒目ほど場所が良くなかったのもあって、ずっと手放さんと持ってた。それが今月いよいよ売りに出た》

「へーえ」鍋島は煙草を一本抜いた。口に挟んだが、もちろん火は点けなかった。「それで? どうなった?」

《──おまえ、何で俺がこんなまわりくどい話するのか、ちょっとイライラ来てるやろ》萩原は笑いながら言った。

「まあな」と鍋島も笑った。「でもちゃんと理由があるんやろ」

《そう。きっちり経過を説明して俺の推測が正しいかどうか、プロのおまえに判断してもらいたいからや。でないと今さら道を間違って引き返してる時間はないやろ》

「分かった。続けてくれ」

《とりあえず俺と同期の世間話はここまでや》と萩原は言った。《それで今度は、俺が本店時代に付き合いのあった不動産会社に連絡して、その二軒目の物件を調べてもろたんや》

「……そこにこだわるのは、おまえの銀行員バンカーとしての勘やな」

《ああ。でもってここからが核心や》萩原の口調が引き締まった。《実は、その物件を扱ってる京都の不動産屋の担当者に、最近になって慶福堂のフジムラって社員から連絡が入ってな。一時的に売却の話はストップして、その物件の管理を会社に戻して欲しいと言うてきたそうや》

「管理を戻す?」

《言い方が大層やけど、早い話が、預けてるその物件の鍵を返してくれと言うことや》

「鍵を?」

《……担当者は、ちょっとの間そこを何かに使うんかなと思ったらしい》

「────!」

 鍋島は咥えていた煙草を手に取った。「どこや、その物件」

《滋賀県の高島たかしまや。琵琶湖の北西部。そこの湖沿いにひっそり建ってるらしい》萩原は静かに答えた。《鍋島。これビンゴとちゃうか》

「確かに」鍋島も冷静に言った。「……まさしく『未体験ゾーン』や」

《えっ、何て?》

「いや、何でもない」鍋島は顔を上げた。「しかしよう調べてくれたな、その不動産屋」

《俺のこれまでの信用と実績の賜物よ》萩原は大袈裟に言った。

 鍋島は満足気に頷いた。「ありがとう。さすがは一流銀行のエリート行員や」 

《ちょっとつまづいてるけどな》萩原はまんざらでもなさそうに言った。《敵に回すとやばいのは、警察と税務署だけと違うで》

「肝に銘じとく」鍋島は笑った。「次に帰ってきたときは飲もう。奢るわ」

《了解》

 そして鍋島はその物件の住所を萩原から聞き取り、メモに取った。

 そのあと、萩原は今度は神妙な口調で言った。《……頑張れよ。おまえにとってもここは正念場やで》

「萩原──」

《真澄ちゃんをきっちり助けて、麗子のとこに戻れ》

「……ああ。そうやな」

 鍋島は素直に頷いた。

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