芹沢が刑事部屋に戻ると、すでに鍋島がデスクにいた。

「──どうやった」

 鍋島に訊かれ、芹沢は自分の椅子を引きながらわざとらしく感慨深げに言った。

「──恋する少年は正直でいいな。態度や口ぶりはやたらとツッパってても、表情では嘘をつけねえ」

「と言うと?」

「昨日の彼女の行動に、あいつ自身も何らかの疑念を抱いてる」

「当然や」と鍋島は頷いた。「半日近く、これと言う目的もなしに一人でウロウロって、ひきこもりがそんなことせぇへんやろ」

「そこそこ自立してるって言ってたぜ」

 芹沢は呆れたような笑みを浮かべながら言った。

「……有名私立中か何か知らんけど、辞書ぐらいひけって言いたいわ」鍋島も溜め息をついた。

「ファミレスからここへ戻ってくるときの西条琉斗の話によると、あいつが今回の一件を知ったのは、深見家のマンションの前に人だかりができててパトカーが駐まってたところに居合わせたからだった──時刻にして、おそらく発覚直後の五時半前後。そうなると、あいつはその事件現場に茜も居るのかどうかを、すぐに確かめようとしたはずだ。ここまではいいよな?」

「ああ。で、あいつはどう言うてた?」

「すぐに茜に繋がったかどうか、よく憶えてねえって言いやがった。だけどあいつの顔は、そうじゃねえって白状してた」

「ってことはおそらく……連絡が取れたのは二人が落ち合うちょっと前の、午後九時過ぎってとこやな」

「そう。一人でウロウロしてただけの相手と、だぜ。そんなことあるわけがねえ。いくら街の騒音の中にいて着信に気づきにくいとはいえ、西条は約四時間のうちに何度もかけてるはずさ。すぐには気づかないまでも、一度くらい着信履歴やメールの受信を確認するだろ。十代の女の子が、四時間もケータイを放ったらかしなんてことはありえねえ。普通はな」

「結局、一人でウロウロしてたっていうのは嘘や」

「だったら本当はどういう状況だったか。考えられるのは二つ。一つは、着信には気づいてたけど、返事が出来るような状態じゃなかった。もう一つは、誰かと一緒にいて、その相手──男かもしれねえし、友達かもしれねえ──とにかくその存在を気遣って、ケータイを見るチャンスすらなかった」

「俺は前者やと思う」

 言って、鍋島は芹沢を見た。芹沢もその視線を受け止めると、静かに言った。 

「……そうさ。今どき後者みてえな状況になること自体が考えにくい。十年前ならいざ知らず、今の時代、一緒にいる相手に本人のケータイのチェックすらさせねえほど理解のねえ人間なんていると思うか? もしもいたとしたら、茜はそのあと西条と落ち合うことすら無理だったろうぜ」

「と言うわけで、調べなあかんのは茜の午後以降の行動か」

「ああ。あのは何かを隠してる。十四歳の少女の他愛もない内緒事なのかも知れねえし、父親を刺して、アル中の母親に濡れ衣を着せようとしたことなのかも知れねえ」

「……やれやれ」

 と鍋島は溜め息混じりに言った。「今どきは、親の存在ってそんなに軽いもんなんか」

「ふた言目には『関係ない』って言うぜ。西条もそうだ」

「誰のおかげで自分があると思ってるんや……なんて考えは、ゆとり末期には通用せぇへんのやな」

「ゆとりは俺たちだろ。あいつらはもうゆとりなんかじゃなくて、さ」と芹沢は笑った。

「どういう形であれ学生の身分で、ケータイ持って、ファミレスで夜を明かせる金持ってるんやろ。結構なもんやないか。それがどれだけ恵まれた境遇で、誰のおかげが、意識することすらないってか」

 鍋島は面白くなさそうに言って、突然暗い表情になった。

「……もいてるのに」

「……比較したって始まらねえよ」

 芹沢はねたように言った。「それに、あいつらだってただの生意気で言ってるんじゃねえ。愛人作って家庭を顧みねえ父親と、そのせいでアル中になった母親に、何を感謝しろって言うんだ」

 鍋島は黙って頷いた。

「むしろ、関係ないで済ませられたらどれだけ楽か、って本音をその言葉の裏に隠してるんじゃねえか」

「西条も同じようなもんか」

「あいつの鼻、ちょっと曲がってたろ。気づいてたか」

 鍋島は溜め息をついた。「……親にやられたんか」

「真偽のほどは分かんねえけどよ。でもひと晩以上家を空けてるのに、あいつのケータイがまるで鳴らねえことが、どういう家庭かを物語ってるような気がしてよ」

 芹沢は言うと両手を頭の後ろで組んだ。「さとりってのには、親にどっぷり世話になりながら、その親を意識の中から排除して生きてかなきゃならねえジレンマを抱えたガキが多いってことかもな」

「でも、それで実際に排除する行動に出るのとは話は別や」

「当然」と芹沢は頷いた。「中学生だろうが不登校だろうがひきこもりだろうが、見逃す理由にはしねえさ」

「あるいは──母娘の共犯ってことも考えられる」

「もちろんそれも大いにアリだ」

 そう言うと芹沢は口元を歪めた。「ただ、今日のところはあの娘は帰すしかねえな」

「そうやな」

「で、今どうしてる?」

「母親と面会してる。香代ちゃんが一緒や」

「母親もあの状態じゃな……このまま憶えてねえで通されると、明日には証拠不十分でこれまた帰ってもらうしかねえ」

「親父が快復して全部喋ってくれたらええけど、運悪く死んでしもたら厄介やな」

「どうなんだ、容態」

「刺された腹の傷、結構深かったそうや。出血量が多かったとかで、そこそこ危ないんと違うか」

「じゃ当分喋れねえな」芹沢は眉をひそめた。「簡単な事件ヤマかと思ったけど、意外とホネだな」

「おそらく今回の件には絡んでないやろけど、愛人ってのにも当たってみた方がええか」

「だったら俺はもう少し西条を当たるよ」

「あ、逃げたな」と鍋島は芹沢を一瞥した。「愛人キャラは苦手か」

 芹沢は顔をしかめた。「……女はめんどくせぇ」

「カッコつけやがって。そう思う原因のほとんどが自業自得のくせに」

 そう言った直後、鍋島は何かを思い出したかのように神妙な顔つきになった。

「……警部は今夜帰るんやろ」

「今夜か、明日の朝イチの新幹線か」

 芹沢は鍋島を見据えた。「それがどうしたんだ」

「……いや、今回はほんまに迷惑かけたなと思って」

「まだ言ってんのかよ」

 芹沢はふんと笑うと自分の携帯電話をポケットから取り出した。「そういや連絡無いな」

「また別の同級生やったっけ」

「ああ、今度は女。同じく披露宴に呼ばれてるって」

 芹沢は携帯電話のディスプレイを開き、ボタンを押してから耳に当てた。

「一つ訊いてええか」鍋島が言った。

「断る。どうせロクな話じゃねえ」

 鍋島は構わずに続けた。「警部は、辞めるつもりはないんか」

「何を」

「仕事を」

「何のために」

「おまえのいる大阪こっちに来るために」

「馬鹿言え」

 芹沢は呆れたように言うと電話を耳元から外して電源を切った。「ダメだ、繋がらねえ」

 鍋島はそんな芹沢の様子を黙って見つめていた。

「……何だよ」

「──半年前とは、まるで別人や」

「あいつがか?」

「ああ。見違えるほど成長したよな」

「おまえがそう思うんなら、そうなんだろうよ」

「けど、彼女が優秀な刑事であればあるほど、俺は彼女に警官を辞めて欲しいとすら思うよ」

「……何でだよ」

 鍋島の言う意味が分かっていながら、芹沢はあえて訊いた。

 鍋島は怒ったような表情を浮かべ、それでも答えた。

「……いずれはおまえと対立する」

 そう言った鍋島を芹沢はしばらくの間見つめていたが、やがてすっと視線を逸らすと、造り笑顔を浮かべて言った。

「それだけは避けたいな」

「それはおまえ次第や」

 芹沢は肩をすくめた。「何にしたって辞めねえだろ。天職だって言ってんだし」

 芹沢は立ち上がり、窓際に置かれたコーヒーメーカーの前へと歩いていった。

 鍋島はその姿を目で追い、やがて芹沢がコーヒーを入れ始めたのを見届けて、自分もカップを手に取り、空になっているのを確認して元に戻した。


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