第29話 スクリーム・ジョーズ
「ははっ、こいつは面白い船だ! これだけ波があるのにびくともしないとはねぇ!」
揺れる船の舳先に立って、楽しそうに笑うのは、サルオル三騎士"大海嘯"アウリアであった。彼女が乗っているのは、いつもの旗艦ではない。先日、フカノたちがキルケオーから強奪してきたオークの大船だ。船員も、部下に加えて、王都の船員募集からあぶれてしまった傭兵や水夫たちが乗っている。
彼女たちは、ゲイルの艦隊がクラッケを通り過ぎた後に港を出発した。サメ退治の最中に何かあった時の後詰のためだと、アウリアは聞かされていた。そこで、いつもの船ではなく、オークの大船を使って、その性能を試してみることにしたのだ。
「姐御! そろそろ戦場ですぜ!」
「サメはどこにいるんだい?」
「先鋒の左翼に取り付いてるみたいです!」
「よっしゃあ! そっちに突っ込むよ!」
船は向きを変え、サメがいる場所へと突っ込んでいく。サルオル王国の後衛を追い抜かし、いよいよ前線に近付きつつあった。
「エルフの姉さん、準備はどうだい?」
アウリアは振り返り、アドリーの用意をしていたヘレネに声をかけた。
「ああ、問題ない」
「すまないねえ。発明家のエルフさんだっていうのに、鉄火場に連れ込んじゃって」
「気にするな。私が言い出したことだ」
「へえ? 物好きじゃん」
「いや……」
ヘレネは少し申し訳なさそうに目を伏せ、言った。
「あの新兵たちがちゃんと私のアドリーを使いこなせるかどうか、気になって夜も眠れないんだ。何しろたったの2週間しか教える時間がなかったからな」
「ああ、そう」
それからアウリアは、ヘレネの隣に立つ青年に目を向けた。
「あんたは良かったのかい、フカノ?」
「何がだ?」
フカノは首を傾げた。
「こっちに来てよかったのかってことよ」
「ああ、マイアのことだったら大丈夫だろ。あいつが自分で行くって言い出したことだし、心配してない」
「いや、そうじゃなくて。あんた、姫様に無理して戦わなくていいって言われてるんでしょ? だったら、この船の乗らなくてもよかったんじゃない?」
「うーん、それはそうなんだけどさ」
フカノは自分の両手に視線を落とした。
「自分だけ何もしないってのは駄目なんじゃないかな、って思ったんだ」
マイアは海の女神だ。戦いの場でできることなどほとんど無いだろう。しかし彼女は、海の女神としての責任を果たすために、慣れない戦いの場に赴いた。
一方フカノは、サメを退治するためにマイアに転生させられた。理由はどうあれ、フカノにはサメと戦う力がある。なのに、それをしないというのは、フカノにはどうしてもできなかった。ましてやマイアが頑張っているのに、だ。
「駄目かな、こんな理由じゃ?」
申し訳なさそうに言うフカノの両肩を、アウリアはしっかりと掴んだ。
「いや、よく言った。えらい、かっこいいぞ」
「そ、そうか?」
フカノは照れくさそうに頬を掻く。アウリアはそんな彼から手を離さずに、船員たちに向かって叫んだ。
「いいかい、あんたたち! あたしらはこれから鉄火場に突っ込む! 今日の相手はサメと魔王軍だ! 魔王軍はともかく、サメは大概なバケモノだ! この船は頑丈でデカいけど、サメに襲われたらどうなるかわからない!
……今ので怖気づいた奴はいるか!?」
船員たちは顔を見合わせた。サメ退治という話は聞いていたが、実物を目の当たりにして尻込みした人間も、少なからずいるようである。だが、その中で誰かが声を上げた。
「それがどうした! ウチの船はサメに襲われたんだ! ヤツに一泡吹かせてやらなきゃ気がすまねえ!」
「そうだそうだ!」
「おまけに金もたんまり貰えるしな!」
1人の声に釣られて、周りの人間の熱も上がっていく。
「よく言った! いい? あたしらには海の女神様と、その女神様が見込んだ……」
アウリアはフカノの体を回転させて、船員たちの方を向かせた。
「女神の勇者がついてる! だから、サメなんて怖くない!」
「おうっ!」
「武器を取れ! サメを倒せ! 魔王軍をぶちのめせ!」
「おうっ!」
船員たちは武器を高らかに掲げる!
「行くぞ野郎共ッ! 全速前進ッ!」
「おおーっ!」
船は一段と加速し、前線へと突撃した。
「ワッショイ!」
突然、ヘレネが叫んだ。
「わ、わっしょい?」
「ワッショイ? なんだい、それは?」
「えっと、わっしょいってのは……」
「エルフが出陣する時に使う掛け声だ」
フカノが説明する前に、ヘレネが違う説明を繰り出した。
「へえ、エルフの……いいじゃない。わっしょい!」
アウリアは気に入ったのか、ヘレネの言葉を復唱する。
「違う、こうだ、ワッショイ!」
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
「ワッショイ! ほら、あんたたちも! エルフの雄叫びだ、ゲンを担いどきな!」
「お、おう! ワッショイ!」
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
アウリアたちが乗った船は、エルフ式の掛け声を上げながら、先へと進んでいった。
――
「おい、なんだあの船は?」
王国軍と戦っていた魔王軍の船は、近付いてくる異様な船に気付いた。船そのものは自分たちと同じオークの大船なのだが、掲げているのは王国の旗だ。
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
しかし、乗員が上げている雄叫びは、王国式でも魔王式でもない、奇妙なものだった。
「敵か?」
「いや、あの船なら味方だろ」
「でも旗は敵だぞ?」
敵味方の判別ができず、魔王軍は困惑している。その中で、1人のオークが震えていた。
「エルフだ……」
「え?」
「あれは、エルフの言葉だ! 間違いねえ、俺はエルフ語に詳しいからわかる!」
「エルフだと!?」
周りのゴブリンやオークたちが、彼の言葉に震え上がった。何しろエルフといえば、一度戦場に飛び出せば、血塗れになって、敵将の生首を獲って帰ってくる戦闘種族である。
「じゃあ、あれはなんて言ってるんだ!?」
「ワッショイ、っていうのは……」
エルフ語に詳しいオークは、恐ろしげに唾を飲み込んだ。
「お前らの首は柱に吊るされるのがお似合いだ、って意味だ……!」
――
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
一方、船上のフカノたちは、言葉の意味など露知らず、ヘレネから教わった威勢のいい掛け声を連呼していた。
「サメはどこだ!?」
「姐さん! 左舷後方から敵艦です!」
「右舷に敵1隻!」
左右から魔王軍の船がフカノたちの船を挟み込む。片方はゴブリンの高速艇、もう片方はオークの大船だ。どちらも慌ただしく弓矢を準備している。
「サメの前に魔王軍かい。野郎ども、武器を……」
「ワッショイ!」
アウリアが指示を出す前に、1人の男がマフラーをたなびかせながら回転ジャンプし、ゴブリンの船に飛び乗った。その男は、驚くゴブリンたちの前で、悠々をお辞儀をして挨拶した。
「どうも、ゴブリンの皆さん。エルマイザーです。ゴブリン殺すべし、慈悲は無い……!」
「な、何だコイツ!?」
「1人だ、ビビることは」
「イヤーッ!」
「グワーッ!?」
エルマイザーが放った槍めいたサイドキックが、ゴブリンの1匹を吹き飛ばした!
「お主らの下らぬ話に付き合うつもりはない。かかってくるがいい……!」
その様子を見た王国側の兵士たちは色めき立った。
「おい、なんかすげえ強い奴がいるぞ!」
「よっしゃあ、行ける! あいつの後に続けーっ!」
勢いづいた兵士たちが、ゴブリンの船に次々と飛び乗り、乱戦が始まった。
一方、反対側のオークの大船は、射撃を始めていた。矢が弧を描き、フカノたちの船に降り注ぐ。多くの矢は盾に防がれたが、矢に当たってしまった不運な兵士もいた。
「……なまっちょろい矢じゃのう」
傭兵の1人が立ち上がり、弓を引いた。その弓は普通の弓の倍以上の大きさだった。矢が放たれると、鋭い風切り音が響き、敵船のオークを2人同時に貫いた。傭兵は次々と矢を放ち、甲板上のオークをな薙ぎ倒していく。オークたちはたまらず物陰に隠れた。
「行ったるでー!」
傭兵は、弓の代わりに刀を構えて、オークの大船に飛び乗った。その傭兵の背中には、細長い旗が背負われていた。旗は青と白の縦縞で染め抜かれていた。
「やあやあ、遠からん者は音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは、サンシルが里、三つ又木のベルキなり! 見事この首獲って、手柄にしてみせよ!」
高らかに名乗りあげた傭兵の顔を見たオークたちは悲鳴を上げた。
「エ、エルフだああぁぁぁっ!?」
恐慌状態に陥ったオークたちに、エルフは嬉々として斬りかかった。
「チェストォォォッ!」
その様子を見た王国側の兵士たちは色めき立った。
「おい、エルフが突っ込んだぞ!」
「よっしゃあ! あいつの後に続けば生き残れるぞーっ!!」
勢いづいた兵士たちが、オークの船に次々と飛び乗り、乱戦が始まった。
「両側は大丈夫か。となると……」
アウリアは船の正面を見据える。波間から、三角形のヒレが突き出ている。サメだ。遂にここまで辿り着いた。
「フカノ、準備はいい?」
「ああ」
ヘレネがアドリーを撃ち、サメを弱らせたら、フカノが飛びついてとどめを刺す。それが作戦だった。
「よし、行くぞ!」
ヘレネが引き金を引いた。放たれた銛は一直線にヒレを目指して飛び、そして弾かれた。
「……はぁ!?」
ヘレネが、そしてフカノも目を剥いた。岩をも砕く銛の一撃があっさりと弾かれたのだ。驚く彼らの目の前で、サメは水上へ姿を表した。その姿を見て、フカノは更に驚愕した。
「サメじゃ……ない……!?」
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