第83話 櫂side



―午後十時半・郊外某所


「あいつの情報通りだな。もうすぐ例の建物に着くぜ」

『気をつけてね…。相手はあの宇都宮本家の女よ』


数々の木々が覆う暗闇の中を一人歩く櫂は、器用に足音を消しながら端末で通話している。頼りは木々の隙間から所々漏れ出している光と、櫂の端末から放たれているライトだけ。端末の話相手は三十分程前、久々の世間話をしていた茉莉だ。既に目的地の近くを歩いているので、乗って来たバイクは見えない所に隠している。


『それにしても、本当に伊遠ちゃんの予想通りになっちゃったわね。本来部外者の『あの女』が、宇都宮分家のボウヤの問題に介入したのは』

「…聞けばあの女。宇都宮当主のコネで、暁学園を我が物顔で牛耳ってんだろ。ジジイも椿の奴も暁行くのだけは嫌がる訳だよ」

『伊遠ちゃん本人が聞いてないからって、軽々しくジジイなんて呼んじゃ駄目よ~。噂じゃ彼女。自分好みの美少女を周りに侍(はべ)らせてるんですって? 男が嫌いなのかしら?』

「嫌だねぇ~。俺も宇都宮みたいな男をゴミみたいに扱うタイプは、始めから近づきたくないわ」


二人に暁学園内部の映像を見せた時、あらかさまに嫌そうな顔をしていたのを覚えている。特に椿の宇都宮当主代行への、拒否っぷりは凄まじいものだったので言うまでもない。茉莉にも彼女の事を話せば話したで、酷い拒否反応を示すに違いない。事実櫂も彼女の歪んだ趣(おもむき)に、激しい嫌悪感を感じたのだから。


「ここから先、異能力者狩りの領域(テリトリー)にも入る。異能力者感知は奴らの十八番だし、これ以上の通話は危険だ。こっから先は、本職の俺の出番だ。なぁに、旨くやるから吉報を待ってな」

『そうね。下手に長話してると、能力者の私の存在探られるわね』


聖域と対立している異能力者狩り集団は、能力の高い異能力者を感知する術に長けている。領域に入った途端、異能力者狩りに感知されてしまう以上。熟練の異能力者の茉莉とあまり長く話す訳にはいかない。櫂は茉莉との通話を切り、携帯の電源もオフにした。櫂がたどり着いたのは古びた建物。相変わらず建物周辺は暗くてあまりよく見えないが、建物のすぐ近くに一つの人影があった。周りを警戒し気配を限界まで消していた筈の、櫂の存在に気付いたのか、人影は振り向き櫂へと声を掛けてきた。


「よう、偶然だな。同業者」


その場所に立っていたのは、任務で何度か見かけた事のある、赤いライダースーツの男。建物の窓からの光が照らし出した男の姿は、異能力者狩り集団・ブレイカーの中で、一際有名なハンターとしても知られる『挽き肉の時緒』―浅枝時緒だった。浅枝時緒は異能力者を酷い方法で殺す事で有名な、手練れの異能力者狩りだが、トップからの信頼も厚く現在は、新人の育成も担当しているそうだ。しかし若くして持病を患っているのか、櫂が看護士として潜伏している病院で、検査を受けている所を目撃した。その裏の世界で有名な彼が、異能力者狩りと無関係のこの場所にいる。


「…【聖域(サンクチュアリ)】の仕事の邪魔はしない。何せ今回の目的は、あんたらと似たようなもんだからな」

「それを聞いて安心したわ。俺の外にも重要な任務で動いている奴がいるんで、俺がこの場所で一番に動かないといけないんでね」


櫂と時緒はお互い、普段から異能力者の立場を巡ってやり合っていると思えない、不敵な笑みを浮かべる。どうやら相手の方も、今回はこちらとやり合う気はないようだ。元々異能力者狩り集団と聖域は主義主張の違いから対立している。異能力者の完全根絶を目指す異能力者狩りと、人類と異能力者との調和を測る聖域。聖域は危険と見なせば異能力者だろうが排除するが、異能力者狩り集団がやり口が過激過ぎる事で、一部悪い意味で有名になっている事もある。


異能力者狩りの中にも宇都宮一族に対し、不満を持っている者がいてもおかしくない。時緒を始めとした異能力者狩り集団を、仕切っているトップは権力で捩じ伏せる人間を、相当毛嫌いしている程だ。


『よくこの場所が分かりましたね。ですが遥かなる高みを目指す、私達宇都宮に歯向かう汚らわしい俗物達は、今すぐ立ち去りなさい。この場所は私達宇都宮一族の領域です。あなた方に私達の領域に入る資格などありません』


無人の入り口へ侵入した途端。この場所へ櫂達が入って来る事を見抜いたかのように、若い女の声が聞こえてきた。


「……」

「……あの女」


天井に設置されてあるスピーカーから、颯爽と聞こえてくる当主代行を務める女の声。何もかも知っている風に話す女の態度に、櫂も時緒もあらかさまに嫌悪を露にしている。


「…ゴタゴタうるせぇよ。お前らみたいな成り上がり一族が、余計な厄介事を持ち込まなければ、こんな事にならずに済んだんだ」

「お前の台詞、そっくりそのまま全部返してやる。異能力者狩りとも内部のお家騒動とも、全く無関係の人間を無断で拝借するたぁ、宇都宮一族ってのはとんだ俗物集団だ」


櫂が依頼されたのは、茉莉達の護衛だけではない。宇都宮一族に誘拐された友江姉妹と、その宇都宮夕妬率いる聖龍に、拉致された人間の保護。隣にいる時緒の方はわからないが、恐らく上層から似たような任務を受けたのだろう。


『私達偉大なる宇都宮家の庇護で、慎ましく暮らす薄汚い下民ごときが戯れ言を。この世界の正義は私達宇都宮家にあるのです』

「……忌々しいガキが」


櫂の口から、見た目の端正な顔立ちからは想像も出来ない、殺気だった怒声が放たれる。表では櫂の存在など宇都宮一族にとっては、生意気なただの小僧に過ぎないが、裏の世界では数多くの異能力者を排除しており、『超能力者(サイキッカー)殺しの櫂』などと言う、物騒な通り名を持っている。


「こっちは暁の連中が、秘密裏にやってる『計画』知ってんだ。上から命令を出されれば、お前らごとき何時でも叩き潰せる」

『やってご覧なさい。あなた方ごとき忌々しいクズ共に、遥かなる高みを目指し、世界の絶対的正義における宇都宮を滅ぼせません』


女の理不尽な自信は、一体何処から来るのだろう。まるで自分達が世界を支配しているかの物言い。自分達が世界を牛耳る完全なる支配者であると、当主はその方針を一族総出で仕込んでいるのだから、仕方がないと同時にこんな浅ましい考えだと、彼ら一族は完全に救いようがない。


「…ありゃガチガチの電波だな。それも圧倒的に性質が悪い部類の」


意思疎通など必要ないと女の態度に、櫂の隣にいる時緒は呆れた声で吐き捨てる。時緒の声と同時に二人の背後から、複数の足音が聞こえてくる。


「リーダー。手筈通り、この建物内に監禁されていた者達の身柄を確保致しました」


深緑色の制服の上に防弾チョッキを身に付けた、数人の男達が櫂へ軽く頭を下げる。男達の腕に付けられているのは聖域の勲章だ。彼らが聖域の構成員であると瞬時に時緒も察した。深緑の服を身にまとうのは聖域の者である証だ。聖域に反する黒の服を、身にまとう櫂は幹部クラスであり、彼は聖域内での汚れ仕事も、引き受けていると言う証拠でもある。


「ご苦労様。この建物を隅々まで確認して、他にも監禁されている奴が居ないか捜せ」

『なっ。これはどう言う事なのっ? あ、貴方達。一体何を!?』


スピーカーから余裕満々で語っていた女の声が、突然戸惑いめいたものへと変化する。どうも女は作戦を計画通りに行うのは得意な反面、アドリブには滅法弱いタイプのようだ。


「残念だったな。元々面と向かって、お前らとやり合うつもりなんざ端からないんでね」


本来の目的は聖龍と、宇都宮一族に拉致された被害者の保護。櫂はあくまで、こちらの敵が多い側で時間稼ぎに来ただけ。別動隊の構成員達に指示を与え、伊遠や茉莉から地図や被害者リストを入手し、被害者が捕らえられていた場所にあらかじめ先行させた。


『あの忌々しい聖域共が、薄汚い異能力者狩りと組むなどあり得ない。彼らは…っ』

「今回は利害が一致しただけだ。お前らがいちいち小さな事で、無駄に被害を広げ過ぎなんだ。おかげで俺達ブレイカーの方も、お前らガキ共の下らないワガママが原因で、余計な泥ひっかぶる事になっちまったんでね」


櫂に協力しているのは、利害の一致だとさらりと告げる時緒。ブレイカー達は普段、闇に紛れながら裏の世界で異能力者狩りをやっている。それなのに常に自分達が楽になる事しか能のない、聖龍とか言う名前だけが一人前のチンピラ無勢が、世間一般に堂々と自分達は、異能力者を狩るなどと騙られたら、彼らからすれば迷惑極まりないだろう。


「聖龍に捕らえられていた行方不明者は、ほぼ全員保護致しました。しかし…」

「どうした」

「はい…。行方不明者名簿に上げられていた、友江継美の身柄が見当たりません。妹の方は身柄を確保した後、すぐ病院に搬送致しました。姉の方も建物内をほぼ全て散策致しましたが、見つからずじまいです」


聖龍の被害者リストに上げられていた、友江継美がいない。友江姉妹の内、妹の芙海は幸い発見されようだ。


『これは全て手筈通りよ。うふふっ…何も心配いらないわ。継美はこれから私の手で愛するの。孤独の中に居る継美を救えるのは、友江芙海でも宇都宮夕妬でも誰でもない。あの娘は私の清らかで柔らかな美しい愛でやっと解放される…』


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