32.イスナの才能(5)


 ――緒戦しょせんに勝利したイスナは勢いに乗った。

 自分の魔力と、師匠カミーノから教わった技術をフルに使い、次々と勝利を重ねていく。

 

 そして、ついに決勝の舞台までたどり着いた。


 だが――。


「君の料冶は、まだ君だけのものだ。そんな娘に負けるわけにはいかない」

 控え室から舞台へと続く通路。

 隣に立った壮年の男性――決勝戦の相手からかけられた声で、イスナは冷水にかったような気持ちになった。


 恐る恐る、隣を見る。

 そこには、イスナより一回り大きな身体をした歴戦の強者が、イスナと目を合わせることなく、静かな気迫と覚悟をみなぎらせて立っていた。


『それでは両選手、ご入場下さい』

 アナウンスに促され、我に返る。すでに男は数歩前を進んでいた。イスナは慌てて追いかける。


 そして――決勝戦が始まった。


 男は舞台袖にいたときと一変し、満面の笑みで魔法料冶を繰り出す。

 彼が包丁を動かすと虹が生まれ――。

 彼が目を閉じると食材たちがダンスをし――。

 彼がひと品作り終わるごとに観客の目が釘付けになる。

 男の魔法料冶は、人々を楽しませる芸術エンターテインメントであったのだ。


 対するイスナの魔法料冶は、まさに作業的で、地味であり、注目されていなかった。

 イスナはこのイベント中で初めて、経験と実力の差を肌で感じ取った。

 途端に、焦りと不安がぶり返してくる。


「……あっ!?」


 ミスを、犯す。

 材料を間違える。

 手順を間違える。

 魔力が通らない。

 ミスを、繰り返し、犯す。


 観客の目が、いきなり、怖くなった。これまでは興奮と自信を与えてくる存在だった観客は、今や大きなプレッシャーの塊と化した。

 心が折れそうになる。


 そのとき、脳裏にコウタの顔が浮かんだ。

 包丁を置きかけた手を、意志の力で引き戻す。


 ここで諦めたら、ダメです……!


 自分に向けられたものではない歓声に胸を締め付けられ、その苦しみから逃れようと藻掻もがきながらも、イスナは最後まで作業を終えた。


 しかし――結果は無情であった。


 審査員全員が、イスナではなく相手を支持。

 観客の投票でも、圧倒的な差を付けられた。

 惨敗としか言いようのない、敗北。


 まばらな拍手を背に控え室に戻るイスナ。

 そこから、どう歩いて宿に戻ったのか、彼女は思い出せなかった。



 ――宿の廊下を、イスナとエナは並んで歩く。

「結果は残念だったけど、私は十分健闘したと思うよ。イスナ」

 エナが親友を慰める。


 イスナの手には、初めて作った魔法料冶である黄金色のスープが入った器がある。彼女は無言でスープをコウタの元まで運んでいた。

「イスナ……」

 エナは気遣わしげに背中を撫でる。

 スープを作る手つきと魔力操作の巧みさは変わらずだったが、作業中ずっと、イスナの瞳が茫洋ぼうようとどこかを見つめたままだったのが、エナは気になっていた。


 部屋に入ると、アトロとカミーノが労いの声をかけた。サラァサはまだ眠ったままである。

 ベッドの上では、コウタが半身を起こしていた。

 イスナは、顔を上げることができなかった。


 不意に――両手に人の手の温かさを感じた。

 コウタが身を乗り出し、イスナの手を包み込んだのだ。


「ありがとう。イスナ」

 その――どこまでも優しげな声を聞いた途端。


「う……ううっ……!」

 イスナの涙腺が崩壊した。

 立ったまま、激しく嗚咽を漏らす。彼女は心の底から、うめいた。


「悔しい……! 悔しいです……!」


 泣き続けるイスナを、エナとアトロは共感と驚きをもって見つめた。エナは、親友が「悔しい」と言って人目をはばからず泣く姿を初めて見た。

 コウタは、ただ静かにイスナが泣き止むのを待った。


 そしてカミーノは――弟子を叱咤激励しったげきれいする代わりに、ぽつりとつぶやいた。

「一皮、けたようだね」


 ――イスナの涙が、器に落ちる。黄金色のスープが吸い込む。

 その瞬間、室内がまばゆい光に包まれた。


 スープが荘厳な輝きを放ちながら浮き上がり、いくつものたまに分かれた。

 それはまるで、部屋に太陽が降りてきたような光景であった。


「殻を破った心から、イスナの秘めていた潜在魔力が溢れ出てきたのさ。これなら優勝景品になんて頼らなくても、十分だよ。さあコウタや。食べてあげてくれ」

 カミーノに促され、コウタは浮遊している光の珠のひとつを手に取った。まるで温かな宝石のような手触り。元がスープとは思えない。

 コウタは、食べた。ひとつ、またひとつと食べていった。

 それに気付いたイスナは、涙を拭い、じっとコウタを見ていた。


「コウタさん……あの」

「ふ――わあぁあ……。おはようマスター――って、わわっ!? なにこれ? 何が浮かんでるの!?」


 突然、サラァサが目を覚まして騒ぎ出した。

 イスナは、ハッとしてコウタを見た。


 ――サラァサさんが回復した。それって、つまり。


 コウタはうなずきを返した。

「僕はもう大丈夫」

「ああ……! コウタさん。よかった……」

 今度はうれし涙を流すイスナ。


 エナが驚きの表情で、魔法料冶の一粒を手に取る。

「こんなにすぐにコウタの魔力を回復させるなんて。そんなに凄い力があるんだ」

 ひとくち、食べようとする。

 すると、コウタがやんわりと制した。


「エナ、食べちゃダメ」

「えぇ? でも」

「これは僕のものだからね」

 その台詞を聞いた途端、イスナが真っ赤になる。


「イスナ」

「は、ひゃい!?」

「イスナがいてくれて、よかった。これからも、頼りにさせて」

「……。はい!」

 イスナは涙を浮かべた。今度は、泣き笑いであった。 



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