かくして俺の一日は終わる

 フィストの丘で丸まっていた俺は、辺りに散らばらせてしまったリバル草を一つずつ丁寧に回収していく。


「あぁ、これとかちょっと痛んじゃったな」


 リバル草の新芽が潰れて中からまだ葉にも茎にもなっていない状態で外に露出している。これでは、薬効成分の流れ出しにより買取価格が下落してしまうことだろう。

 漏れ出るため息に気を重くしながらも、回収用の麻袋に潰れないように入れ直していく。


 俺が軽度の鬱症状を発症したのはもう半年近く前になる。症状を自覚したのは二ヶ月前だったか。


 気が付けば疲れが取れにくくなった。

 気が付けばいつも起きる時間が早くなっていた。

 気が付けば仕事の細かいミスが増えていた。


 心療内科に通うべきなんだろうけど、通ってしまったら通院歴が付く。通院歴が付いたらもし仕事を辞めた時の転職活動に支障が出る。でも、今のこの状態が辛い。

 堂々巡りを繰り返す負のスパイラルにとらわれた俺は、何とか日々の仕事をこなしてはいたが、毎日死にそうな程辛かった。数字を上げても、まだ足りないと言われ、俺以外の人間に対しての叱責すらその内自分のものであるかのように受け取って勝手にダメージを増やす。


異世界こっちに来たのも悪い事ばかりじゃないか…」


 ある日気が付けばやってきた異世界では、少なくとも俺を散々に怯えさせてきた上司は一人もいない。慰めあい、愚痴りあう同僚すら消えてしまったが、それでも冒険者たちの中には気の合う仲間もできた。

 夜の蝶たちが飛び交う深夜の紳士たちの集いもここでは望めないが、少なくとも俺が会う事のできる蝶より遥かに美しい女性陣も声を掛けれる所に居る。


「ははっ、なんだ。結構恵まれてるじゃないか」


 空元気でも笑って見せろ。

 俺が世話になった先輩社員の言葉だ。


 笑ってれば自然と体も心も騙されてくれるようになる。

 そう言っていた先輩は昨年の年末に積み上げ仕事が極限に達したときに、違う世界へ向けてダイブしていた。当然、職務時間外の私事によるものと会社サイドは取り合わなかった。


「――っ!」


 新しく頬を流れるものがあったが、手荒く拭い取って散らばったリバル草の回収に専念する。

 今日はそれほど多く集まらなかったが、デイラの話では買い取り額アップも今後見込めるかもしれない。丁寧な仕事できっちり保管作業を行っておく。甘い話になればきっと他の連中も多少は色気を出してくる。

 そんな時に今までの積み重ねがあればギルドも少しは考慮してくれると信じて。


「あー、くそ。邪魔だなぁ…」


 今日の視界はどうにも滲んでかなわない。




「あ、リクさん。ご無事でしたか」


 ほっとしたように、にこりと笑いかけてくるデイラ。マニュアルなのかもしれないが、この笑顔に救われる者も多い。

 回収してきた麻袋ごとデイラに差し出す。


「今日はフィストでしたよね?リバル草の分布はどうでしたか?」


 きっとデイラは心底お人よしなのか、とんでもない悪女かのどちらかなのだろう。リーラみたいにべた褒めしてみたらどうなるのかちょっと興味がないでもないが、デイラをからかうとギルドだけではなく、ギルドに通う冒険者たちからも睨まれてしまう。


「少し、植生が悪いように感じるなぁ。誰か乱獲でもした?」

「そのような話は届いていないのですが。この周辺一帯すべてで所謂魔草の類が激減しているようです」

「どこかの魔導師様が根こそぎ魔力でも持っていたかな?」

「この町でそれはないですよ~」


 異世界お約束の魔法だが、極僅かにだが存在しているらしい。

 こんな辺境の片田舎じゃお目に掛かれないが、王都などの主要都市では随分と幅を利かせているらしい。貴族たちにおいてはその神秘性からステータスとして、冒険者たちからすれば一発逆転の秘密兵器として、それぞれ魔法の扱える者は優先的に王都に存在する学術館において教育が受けれるらしい。

 教育なんて言葉が貴族たちだけの間で通じるような世界で、農民だろうが、極端なところで犯罪奴隷だろうが、魔法の使える者は優遇される。


「この周辺ってことは、エコーの沼辺りもダメなの?」

「ヒカリゴケみたいな苔類も軒並み姿を消しているようで…」

「それって、続くとマズくない?」


 魔法の力でパッと傷を癒してしまうだなんて、そんな贅沢は物語に出てくる勇者様くらいのもので、基本冒険者たちはポーションを代表する魔法薬で治療行為を行っている。

 大型魔物や害獣駆除には欠かせない物も、当然原材料が尽きれば作ることはできない。俺が回収してきたリバル草もポーションの構成物として重宝されている。町が形成出来る要件の一つにこれらの魔草の自生があげられるほどには重要なものだ。


「なんだろう、原因が分からないとちょっと怖いよね」

「一応、上位の方を中心に調査の依頼を発行する予定らしいのですが…」

「あぁ、あんまり魔草収穫そういう仕事しないもんねぇ…」


 冒険者上位に君臨する人間の基本志向は、「力こそ全て」幼い頃から積み重ねられてきた戦闘訓練によって、下位時代からバンバン魔物を倒してギルドに対する貢献値を搔き集めていく。

 薬草に関する諸知識がない訳ではないが、それもせいぜい何の薬になるか。であったり、詳しい人間でどこの部分に薬効があるかくらいの話だ。まぁ、役割分担といえばそうなんだろう。


「ひょっとしたらリクさんにもご協力いただくかもしれません」

「え?まさか。上位連中が集められるとしたら領主様からの直接依頼だろう?」


 俺みたいな下位も下位。魔物討伐なんて考えてもいないようなド底辺の冒険者に声がかかる訳がない。


「今回の件は何故か、一部の町の方たちもご存知みたいで買い占めも始まっているんです。早期解決のためには冒険者ギルドとしては総動員で事に当たらなければならないかもしれません」


 至極真面目な顔でデイラは言い切った。

 田舎の情報伝達は早いと聞くが、この町でも同様のようだ。どうせ町の酒場にでも出た冒険者が魔草の減少を漏らしてしまったのだろう。


「まぁ、大事になればなるほど報酬もいいからね。期待はせずに待ってるよ」

「よろしくお願いいたしますね、これは本日の報酬です」

「ありがとう」


 銅貨が15枚ほど、日本で言うなら銅貨一枚で百円といったところだろう。通貨名はG(ゴールド)。コンビニのバイトですらこの数倍は稼げるのだろうが、この冒険者ギルドで比較的安全な仕事となるとこんな感じだ。

 物価が比べちゃいけないほど安い点を考慮しても、ギリギリすぎて生活設計が難しい。ジェイクさんが俺の宿泊費を前払いでドカンと払い込んでくれていなければ早晩俺は野垂れ死んでいたこと請け合いだ。


「さて、食べて寝るか…」


 一食は三、四Gくらいのものだが、宿泊費が0なうちにお金を貯めておかなければマズい。報酬からポイっと、一枚ギルドカウンターに金貨を投げ入れてくれたジェイクさんは俺にとっての救いの神だ。


 ギルド自体は町の入り口近く、いわゆる商店街の入り口に設置されている。

 まぁ、有事の際は戦力として、平時は討伐した魔物の死骸を運び込むこともあるのだからなるべくしてなった位置関係だろう。

 冒険者の多くは報酬を手にすると併設された酒場で酒をあおり、その勢いで商店街に繰り出して散財する者が多い。当然、俺にそんな経済的余裕も精神的余裕もありはしない。

 味はそこそこだが、値段だけは安いと評判のお店で黙々と食を進める。


「それにしても、薬草回収が難しくなったら次どうするかなぁ」


 さながら、転職を希望しながらも転職先が見つからないサラリーマンのような心境で、沈み込んでいく精神を何とか少しでも持ち直そうと明るく、重たくじゃなく軽く考えれるようにセルフコントロールを心掛ける。

 この世界に来る前からの習慣だ。

 この食事が終われば、ギルドの宿舎へ戻って体を拭いたら雑魚寝部屋でただ眠るだけ。そう何も深刻に考えることはない、生きてはいける。


「あぁ、先輩…。一人だけ先に行くのはずるいですよ」


 つい、口から出てしまったのは俺の本心かなぁ。

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