第29話
1
「はぁ・・・」
あまり褒められたことではないが、思わずため息をつく。
ミケが背中をそっと撫でてくれる。
「本気で戦っているのかね、奴ら」
「どうでしょう」
突撃を開始した騎兵の集団は突入の直前になって突然動きを止めた。
騎士が手綱を引いたのではない、馬が勝手に立ち止まったのだ。
走り始めていた歩兵たちも足を止めた。
頭上に魔力を回復したファイアフライが飛来して旋回をはじめたからである。
竜は動いている者を攻撃すると勘違いしているのかもしれない。
旅団長が号令を出す直前だったため、妙な静寂が戦場を包んだ。
ファイアフライには森に誘い込んだ騎兵の掃討に向かわせたが、突撃が再行されることはなく、白旗を掲げた軍使が現れ、明朝までの休戦を「一方的に」宣言して引き上げていった。貴族的に言えば「興がそがれた」とでも言うのだろう。
仕掛けて来ておいて勝手だと言えば勝手なのだが
こちらも戦闘のやり方を試すのが主な目的で、敵の殲滅は副次的な目的であるため、敢えて敵を追わずにいる。
「ミケ、敵に傍受されないように映電に伝えてくれ。伝送を切って明日の夜明けまで休めと」
「はい」
「旅団長、右翼を後退させて道路を頂点にした傘型隊形を作れ」
「わかりました。傘の中に負傷者を収容します」
「エルベレス、森での戦闘は継続、出来るだけ奥に引き込んで安全な距離を保ちながら敵を削れ」
「はい、戦闘を継続します」
「俺は一休みしてから戦場に向かう。ミケ来てくれ。食事をしながら話したいことがある。旅団長は戦場に動きがあったら知らせてくれ」
「わかりました」
2
休憩室のソファに座るとミケが自然に左隣に座り体重を預けてきた。
撫でてくれという催促である。
頭をゆっくりと撫でつつ控えていた侍女に食事の準備を命じる。
「ミケ、立ちっ放しで疲れただろう」
「疲れてはいませんが、疲れましたと言ったら脚も撫でてくれますか?」
「そんなこと言わなくたって撫でたいが、それだけでは済まなくなる。だから、あとでベッドの中でゆっくりな」
「はい」
「ところで今まで見る限り、参戦した冒険者は1人もいないな」
「冒険者は全員見物にまわりました」
「戦利品稼ぎに参加すると思っていたが、意外だな」
「まあ、参加されても大して戦闘力がないので邪魔ですが」
「そんなに程度が低いか」
「今高台にいる冒険者の攻撃力を全員合わせても500行きません。正面から戦ったら冒険者3人がかりでも娘1人に勝てないですよ」
「本人たちはそうは思っていないと思うがね」
「あ、そういうことですね。もともとこちらが負けるタイミングで敵側に参戦するつもりだったと」
「900名しかいないと思っていたわけだからな」
「なるほど」
「たまたま北に遣られて生き延びることになった貴族だって、辺境伯がヘマをして負けたとしか考えられないだろう」
「そこにユーイチがどういう手を使うかは何となく想像がつきます」
「まあ、ミケなら分かるよな」
髪を梳くように撫でてから耳を軽くつまむとミケは目を閉じて顔を向ける。
軽く口付けをするとミケは満面の笑みを浮かべる。
そのまま押し倒しても非難する者はいないだろうが、大事な案件を燻ぶらせたまま抱くというのはミケに失礼だ。
「この戦が終わったら娘たちは帝国全域に治安維持のために散らそうと思う。未解明な地域の探索は冒険者にやらせるつもりだが、娘にも勝てないような戦力ではお話にならない」
「はい、コボルトどころかイノシシにさえ歯が立たない可能性があります」
「本当なら冒険者を全方面に放ち、地図を書き換える時間を利用して海軍勢力を整えようと考えていたんだけど、冒険者そのものを底上げするというか、いっそ最初から育成した方が早いかもしれないな」
「タマもダンジョンの深部まで来た人間はいないと言っていましたものね」
「失礼いたします」
侍女がテーブルに豆と肉の煮物、そしてパンを置く。
手掴みでわしわしと食べ始めるとミケもパンを千切って食べ始める。
もちろんミケは食事から栄養を取る必要がないが、一緒に飲食する時間をとても大切にしているし、食べさせ合ったり口移しで酒などを飲ませたりするとすごく喜ぶ。
「どうしたものかな・・・」
実は何も考えていないのだが、考えているふりをしながらパンを煮物に浸してミケの口に運ぶ。ミケは躊躇わずにそれを口に入れ、指を舐めてくれる。
ちなみに説明すれば指をきれいにしたければ念じるだけで清浄になる。
これは2人だけの遊びなのだ。
3
ミケの手を握ったまま戦場に転移した。
旅団の傘の軸になる部分である。
敵方斜面にいるものだとばかり思っていたが、実際には稜線からかなり前進しており、立っている場所に傾斜があるようには感じなかった。
娘たちは夕焼けの濃いオレンジ色の光の中、影のように微動だにせず、方形陣を保ったまま四周に向けて槍を構えている。
「負傷者はどこに?」
「不可視の結界を張っています。結界内で魔力を反射させながら傷を治しています。回復にはそれが一番なので」
「そうか」
「陛下」
一番近くにいた娘が結界を解き、足元に人の姿が白く光った。
帝王だとすぐに気付いたという事は、大増員した時の元株になった子かもしれない。
「大丈夫か!」
負傷者にかける言葉としてはどうかと思うが、咄嗟にそう叫びながら上半身を抱き起していた。
何故か服を着ていない。
左腕が見当たらない。
「・・・大丈夫です陛下、破片を取り出すのに時間がかかってしまっただけです。
こんな状態でも魔法が撃てます。まだお役に立てます」
かすれた声を無理して精一杯出しているのが分かる。
いくら魔物でも神経が通っているのだから激痛を感じていないはずがない。
「ミケ、何とかならないか」
「ユーイチ落ち着いて。もう回復魔法がかかっているので二重掛けしない方がいい」
「そうなんだ」
「陛下、大丈夫です。きっと朝には仲間と合流します」
静かに彼女を横たえると上着を脱いでそっと上に被せた。
「意味がないかもしれないが・・・お前の服を再補給するよう言っておく」
「あの、服は今、結界に姿を変えています」
ミケがそっと耳打ちしてくれる。
(それで裸なのか・・・)
自分で自分の傷を直視して回復魔法を使っているのだ。
陳腐な慰めの言葉など聞きたくもないだろう。
「何か、俺にしてやれることはないか?」
「お願いがあります」
「なんだ?」
「お父様って呼びたい」
「ああ、いいとも」
「嬉しい。みんなにも伝えます」
「いいから、お前は結界を閉じて回復に専念しなさい」
「はい、お父様」
彼女から離れると身体が地面に吸い込まれるように見えなくなった。
「下手に歩き回ると踏みつけてしまいそうだな」
「ユーイチには結界そのものは見えないんですね」
「何人くらいこの辺にいるんだ」
「50人ほどです」
「わかった。踏んづけたり蹴っ飛ばしたりしないように誘導してくれ」
「では、少し場所を変えましょう」
ミケは遥か敵方に目をやった。
遠くに見える稜線上では小さな黒い影が慌ただしく動き回っている。
敵は松明を灯し始めたようである。
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