翼のない天使
そわそわ。
ゾクゾク。
ドキドキ。
バクバク……胸の中を表現する表現は山ほどあるけれど、どれが妥当かわからなかった。
分娩室に運ばれた黒髪が、過去聞いた事のない悲鳴を上げているのが聞こえて来るから、居ても立っても居られないけれど、唯一同室を許された旦那に任せるしかない。
悲鳴を上げ続ける彼女に寄り添って、彼女の悲鳴に負けまいと声を上げて励ます彼の声がより必死で、青髪は何とも言い難い感情に呑まれて、自分の体を抱き締めていた。
隣に座る緑髪が背中をさすってやり、同時、隣に座っていた金髪の肩を叩いていた。
金髪は相変わらず鎧を被っているが、鎧越しに震えているのがわかる。
一切表情を変えない銀髪は、ずっと悲鳴が聞こえてくる扉の方を見ているが、膝の上に乗せていた涙目の茶髪を宥めている。
紫髪も変わらず無口だが、白髪に寄り添って吐き出せない不安を隠そうとしていた。
「っ、っぁぁ、ぁぁぁっっっ! ああああああ!!!」
普段叫びやしない人の叫び声が聞こえて来ると、何だか背筋がゾッとする。
出産だと言うのはわかるけれど、実際に扉の奥で何が起こっているのかわからないから、得たいが知れなくて怖かった。
それこそ、博士が目の前で人体実験でもやっているのなら、何をやっているのかわかるからまだマシとさえ言えた。
どんな状況であれ、自分の理解出来ない事があり得ないと思っている状況で起きると、とてつもなく怖くなるのだと、ホムンクルスらは身をもって体験した。
特に黒髪と付き合いの長い面々は、顔面蒼白になっている。
だからこういう時に頼りになるのは強い心を持ち、尚且つ黒髪に対する先入観の薄い、白髪のような人だった。
「大丈夫。皆様、気を確かに持って。命を生み出すとは、本来、こうして痛みを伴うものなのですから」
* * * * *
最初に襲ってきたのは違和感だった。
体が重い。酷く気持ちが不安定で、吐き気が止まらない。
元より体に毒を持っていた身が、体調に不調を来たすなど考えにくい。
体に未だ堆積していた毒の残りが齎した不備。それとも新たに体内で生成された新種の毒への拒絶反応。今までならば、そう言った事が原因だった。
だから考えもしなかった。自分が生み出したのは毒ではなく、一つの小さな命だったなどと。
体の不調も全ては妊娠の兆候で、果てしなく込み上げて来る気持ち悪さも、
最初こそ実感が湧かなかったが、喜ぶ彼と、彼の家族。次第に膨れていく自分の
陣痛から十時間。
永遠のようで、もうそれだけの時間が経った。
自分には来ないはずの時間だった。
一生感じる事がなかったはずの痛み。
一生感じる事がなかったはずの幸福。
一生感じる事がなかったはずの不安。
それらを共に感じる事が出来る番の存在も含め、自分にはあり得ぬ奇跡ばかり。
今も尚、奇跡の真っただ中。かつて猛毒を宿していた体から、新たな命が生まれる奇跡。
「頑張れぇ! 頑張れぇぇ! 頑張れぇぇぇ!!!」
力強く、手を握ってくれる。声を上げてくれる。
たくさんの人が力を貸してくれて、絶叫する自分に手を差し伸べてくれて、激痛に悶える自分を助けてくれて、そうして、一つの命が己が存在を証明するが如く、大きな産声を上げた。
「あぁ、あぁ……クオン、クオン……! 僕達の、僕達の子だよ……」
旦那が受け取り、彼女の側へ。
栄養液で満たされたカプセルの中、製作途中の
並べられてしまえば見わけも付かないだろうだになんて思っていた時代もあるけれど、もうそんな風には考えられない。
「私達の……」
自分と、彼の子供。
此の世にこんなにも愛らしく、可愛らしい存在がいたなんて。
まるで、翼を持たない天使のよう。
「頑張ったね……二人共、よく頑張ったね。ありがとう、ありがとう……」
「礼を言うのは拙だ。拙の、方だよ……」
あぁ、愛くるしい私達の天使。
出来る事なら、君が誇れる親でありたい――。
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