「生きる権利を放棄するのならば、死にたいと宣わずさっさと死ね」

 婚約者が死んだ。

 魔術の暴走による事故死だった。

 婚約者の家族はもちろん、自分の家族も相当なショックを受けた。

 政略結婚だったけれど、婚約相手は死んだ相手を心から愛しており、相思相愛の仲だった事から、精神的苦痛を味わった。

 家族は心中を察し、労わり、側にいて励ましてくれたものの、そのために取った手段は悪手の中でも最悪だった。

 

 家族ぐるみで付き合いがあったから、妹の事も知っていたし、仲だって良かった。政略的結婚も成就するし、彼女ならば傷付いた心を癒す相方として丁度いいと、周囲は思ったのだろう。

 だが妹はあくまで妹でしかなかったし、彼女を異性として見た事なんてなかった。

 愛していたのはやはり姉の方で、妹と結婚するのは彼女に対する侮辱、裏切りではないかとさえ思ったから、首を縦に振る事が出来なかった。

 そうしたら、今まで自分に対して寄り添うように優しかった周囲が一転して、敵になった。

 妹では何が不満なのだ。個人的な感情を持ち出して、いつまでも喚くな。

 結婚さえすれば良い。二つの家を結ぶ存在となってくれさえすれば良い。それ以上は期待などしていない。

 自分が結婚しない時間だけ、自分自身を人格から根底から性根から否定される。自分と言う存在を否定され続ける。

 父、母、相手の両親。そして、ついには結婚相手の妹にさえ拒絶される。

 違う、違う、違う。

 彼女が嫌いなのではない。異性の好み云々の話ではない。執着、親愛、そんな話ではない。

 何故誰も理解してくれない。何故皆、彼女の死を乗り越えた風して現実から目を背ける。婚約者が死んだのに、娘が死んだのに、人が死んだのに、どうして未だ続けようとする。亡き人を想う時間が、何故そうまで短いのだ。

 彼女の事を何故忘れられる。彼女の事を何故そうも諦められる。

 両家のためとはいえ、国の更なる発展のためとはいえ、何故、何故、何故――何故彼女を愛しながら、彼女以外と結婚しなければならないのか。

 失望し、絶望し、生きるための糧を喪った。

 もう、この世に未練はない。未練など、無いはずなのに。

「他人を利用しての死の再現と体現。いやいや、面白い物を見せて貰ったヨ。一度目の犯行で実現していれば完全犯罪の完成だったのに、まったく惜しい事をしたネェ」

 幾重にも施錠したはずの扉が開く。

 扉から外れた鍵の類が床に散らばり、両家族の誰でもない赤の他人が侵入して来た。

 張り巡らせていた罠が発動。致命傷にこそ至らないものの、体に傷を付けるには充分過ぎる威力の魔術が襲う。

 が、全ての魔術が侵入者より前で遮断され、一つとして届くことなく掻き消された。

「連続自殺未遂事件とは、何とも芯を捉えた表現だったネ。記者は面白おかしく書きたかっただけだろうが、いやいや、まさしくその通りだったヨ。何セ自殺に見せかけた他殺と思いきヤ、だったのだからネェ」

「……何故、ここが。いや、どうして、私が犯人だと」

 犯人の男は、ビクビクした様子で部屋の隅へ逃げようとする。

 閉め切られた扉。

 何重にも掛けられた錠。

 錠を外しても照明は付いておらず、遮光性の高そうなカーテンが閉め切られているせいで真っ暗な部屋に、幾つも仕掛けられた対侵入者用トラップの数々。

 それらは全て自分から人を遠ざけるためのものであり、部屋の様子と彼自身の様子からしても、酷い人間不信の状態に陥っている事は明白だった。

 他者との関りを断ち、外との関りを断つ事で一時的安寧を齎さんとする振る舞いは、魔術の研鑽に勤しまんとする三流の魔術師が、初手で躓くミスだ。形から入ろうとすると、まずそうなってしまうから注意するようにと、教科書に書いた方がいいとさえ思うくらいの常識である。

 犯人は生粋の魔術師でこそなかったが、今回の魔術習得のために色々と用意したのだろう痕跡が見られるあたり、それらと近しい状態にある事が、偉大なる魔術師にはすぐにわかった。

 床に大きく書かれた血染めの魔術陣。

 これを描くのに他人の血が使えないとなると、自分の血のみを使ったことになる。果たしてどれだけの時間を要したのか。想像するだけで――

「馬鹿馬鹿しいネェ。非効率的なのもいいとこダ」

「ハハ、ハハ……ば、馬鹿馬鹿しい、か……世界で五本の指にも入る魔術師から見れば、そうなんだろうな……でも、わかるだろ? 完成はしてる。完全ではないかもしれないが、起動もする。今までの事件から、それも証明されてる! 俺は本気だ!」

「……馬鹿馬鹿しい」

 今の一言が、魔術に関しての発言でない事は犯人にも何となくだが察する事が出来た。

 が、何を指して言っているのかまではわからない。徐々に近寄って来る魔術師を追い払う術も押し退ける力もなく、犯人は胸座を掴まれ、痩せこけた体を軽々と持ち上げられた。

 犯人は他の一般的とされる平均より高身長だったが、魔術師はそれよりも背が高く、初めて人に持ち上げられ、足が着かない感覚に臆して慌て始める。

 その様を見た魔術師はまたマスクの下で、重い溜息を吐いた。

「本気なんだロ? 床からまだそんなに離れてないのに、ビービー喚くんじゃあないヨ。それでも飛び降り自殺未遂を繰り返して来た犯人かネ? もう少しし給えヨ」

 床に転がっていたナイフを蹴り上げ、手に取った魔術師は犯人の肩に深々と突き刺す。

 叫び、喚き、泣きじゃくる犯人が暴れるが、魔術師の手は硬直したように動かず、犯人の体は未だ地に足が着いていなかった。

「死にたかったんだロ? 何を喚くのかネ。そもそも、そんなに死にたかった癖して、何故目の前に転がっているナイフで自分の心臓を刺さなかった? 何故首を斬らなかった? 生き物が死に絶える手段なんて、そこら中に転がっているのに、何故そこまで飛び降りに拘ル」

 犯人は口を結んで答えない。

 いや、答えられない。彼自身理解し切れていなかったようだったが、彼の中に答えなどなかったのだ。

 が、魔術師はもう見抜いていた。

 ゆっくりと、傷口をより刺激する様に、恐怖をより煽る様に、犯人を持ち上げたまま、歩を進める。

「簡単ダ。行動して、結果が出るまでの仮定が簡潔かつ短イから。斬られる、焼かれる、凍える、溺れる、潰れされる、殴られる、折られる……挙げればキリのない死因の数々の中で、おまえが落ちル事を選んだのは、行動してから結果が出るまでの時間――死ぬまで苦しむ時間が比較的短イから、だロ?」

 カーテンが開けられ、窓が蹴破られる。

 何十日ぶりに浴びる陽光の眩さに眩んだ目が光に慣れた頃、下を見た犯人はまた臆し、怯え、暴れ始めた。

 地面はずっと下。落ちれば死ぬ高さに掲げられた犯人は、今まで離せと暴れていたのに、今は離すなと懇願する。

 魔術師がわざとらしく一瞬だけ力を抜いて落ちそうになると、短く情けない悲鳴を上げた。

「おまえの行使した魔術は、遠隔で人を操り、体感した五感を自分へと還元する物だった。どこで唾を付けたのかは知らないガ、対象者が飛び降りて発生する死をおまえが受け、おまえは自殺を遂行する、はずだったんだロ? しかしおまえと来たら、いざ死ぬとなったら直前でブレーキを掛けて、魔術でのリンクまで解くのだから、とんだ軟弱者だヨ」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい。俺は、俺はただ……!」

「おまえは知った事ではないだろうがネ。私は仮にも、死んだ者の代わりを作る仕事をしているんダ。そんな私を前に、中途半端な覚悟も決めないで死にたいなどと、口先だけに留めるにしても、腹立たしい事だヨ、小僧」

「ま、まさか、【外道】の魔術師……!」

 何を今更。

 それにこの状況で、相手が何者かなんてのは些細な問題だ。

 殺される人間にとって、誰に殺されるかなんて重要ではないし、何で殺されるかもどうでもいい事。ただ助かりたい、その一心だ。

 今まで幾度もの自殺未遂を起こして来た犯人とて、例に漏れる事はない。

「私の事を知っているのなら、親の金を盗んででも私に依頼すべきだったネェ。世間からしてみればそれも馬鹿げた行為だが、今おまえがしている独りよがりの犯行よりはマシだったろうガ……マァ、そんな度胸もない軟弱者だから、死なんて安易な方向に逃げるんだろうが、ネェ」

 首が締まる。

 声どころか息も出来なくなるほど苦しくなって、脳内に酸素が足りなくなって、思考回路が上手く回らなくなっていく。

 言い訳も言い分も何も思い付かない。

 肩から滴り落ちる赤い雫が、地面に到着するまでの長いようで短い時間が、持ち上げられている自分の高さを教えて、恐怖までもが後押しして、顎がガタガタと震え始めた。

「私ハ正直、君の事などどうでもいい。君がどこで野垂れ死のうが務所に入ろうガ、第三者の私には知らぬ話ダ。が、こうも私の研究に喧嘩を売られるような真似をされて黙っている程、私は無関心ではないのだヨ。貴様が幾ら死にたいと宣おうと勝手だが、おまえの破滅願望に他人を巻き込まないでくれ給えヨ」

「お、俺が、あ、なたに、迷惑、を……っ」

「別に? 直接的には何モ? ただ……おまえの所業が、私の癪に障ったから、ダ」

 それに、と魔術師は続ける。

 そのときに耳元へと近付いて囁かれた言葉は、他に表現のしようがない憤怒を抱いて、鍋に入ったスープのように煮え滾っているのが犯人にもわかった。

「おまえは死にたいんダ。自分が死ぬ理由も、殺される理由も、何でもいい、ダロ?」

 ふわっ、

 と内臓が持ち上げられたような浮遊感。

 その後体全身が風を切って、犯人が状況を理解し、悲鳴を上げる寸前で地面と大気との間に圧縮され、圧し潰される。

 体の中に流れる赤い体液を全て吐き出して潰れた犯人は、二度と起き上がって来なかった。

 その様を見下ろす魔術師はカーテンを引き千切って、死体に被さるよう抛ってやる。

「死にたいと、宣うだけなら良いんだヨ。迷惑かつ邪魔にして不愉快だが、宣うだけならば同情して欲しい、同調して欲しい、構って欲しイだけなんだとし難くも理解出来ル。が、行動に起こしたならば話は別ダ。全ての命には生きる権利がある。それを自ら放棄するのならば、宣う前にさっさと動け、そして死ネ。死にたいと宣う時間も、そいつに構っている時間も、全部無駄でしかないのダカラ」

 藍髪が部屋の前に立つ。

 背後で彼の両親らしき二人が膝から崩れ落ち、母親らしき女は泣いていたが、そんな事はどうでもよく、これ以上関与するつもりもなかった。

 二人も世界屈指の魔術師を相手に敵対出来ず、意見する事も出来ぬまま素通りさせる。

「この親にしてこの子あり、だったネェ」

 と漏らした魔術師の言葉は、届いていたのかいなかったのか。

 二人は久方振りに見る部屋の中を前に、ただ膝を突いて項垂れる事しか出来なかった。

 屋敷を出た魔術師は、後れて来た藍髪に深々と頭を下げられる。

「報告。黒髪、陣痛。四時間、経過」

「ご苦労。奴のベースは人間に近しい個体だ。初産だから、十から十二時間は掛かるやもしれないだろうが……ここからは、遠いネ」

「行きますか」

「まさか。興味などないヨ。他のホムンクルスがすでに向かっているしネ。私は帰ったら暫く寝ル。安産だろうが難産だろうが、結果が出れば、青から迷惑なほど連絡が来るだロ。おまえはそれを受け取るまで待機だヨ」

 了解、の意思を籠めて深々と頭を下げ、空を駆ける巨大狼に博士と共に跨る。

 手綱を握って狼を操り、施設へと戻る中、魔術師はとても疲れた様子で溜息を吐いた。

「あいつは、時間を浪費していないだろうネェ」

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