「『夢があります』と語るだけなら無駄」

 湖の乙女。

 騎士道物語に出てくる架空の存在で、女神であったり妖精であったり、種族も名前も変えて様々な騎士の物語に道しるべのような役割を持って登場する。

 物語によって種族も名前も姿も変わるが、すべての物語で等しく「この世のものとは思えない絶世の美女」とされており、外道魔術師はこれを目指して一体のホムンクルスを作り上げた。

 シルクのような金色の髪。水を弾く柔い白肌。水の中では翡翠色に変化する金色の双眸。

 物語によって異なるものの、しかして重なる部分をより美しく誇張し、ホムンクルスは作り上げられた。

 外道魔術師自身、今までに作り上げたホムンクルスの中でもこれ以上ない美貌に恵まれた個体が完成したと自負していたが、美しいのは外見だけであった。

 これ以上なく心が脆く、弱い。

 自分自身が一番汚く、醜い存在であると信じて疑わない。

 美しい金髪にも真白の柔い肌にも金色の双眸にもすべてに不満を感じ、醜いと蔑み、自分の存在を恥だと罵り、誰にも見られまいと鎧兜に身を包んだことに、外道魔術師は激昂さえした。

 皮肉な話、容姿に恵まれた者ほどコンプレックスの多い物で、彼女はその典型的かつ異常なまでに強い自己否定を抱える性格をしていた。

 己が理想とする完璧な美を追求し、莫大な資産を投じて体をいじくる者も多い中、彼女は鎧兜を身にまとって己の理想を追いかけることなく引き籠り続けた。

 結果、魔術師からは論外と見做され、計画から除外された。

 だがその身につぎ込んだ多くの種族の血と、それが成した鉄壁と呼べるだけの防御力があるとわかると捨てるには惜しくなり、魔術師は赤髪らと同じような手伝いをさせることにした。

 何より青髪らホムンクルスと共にいることで、彼女の心境にも何かしらの変化が起きることを期待していたし、実際に期待通り、彼女の心には前向きな変化が訪れた。

「私、が、この高名な騎士のようになる、には、どう、すれば、いい、ですか……」

 自己否定の塊が理想の姿を見出だすなど、自己肯定をさせるには最初にしては大き過ぎる一歩だとさえ思えた。

 元々自己肯定の強い人間でさえ、自分より才能に恵まれた人物と比べられ続けることに心が砕け、自己否定に陥り、底なし沼のように抜け出せなくなっていくもの。

 自己否定の塊が理想を抱くのは、危険だとさえ思ったが。

 魔術師は、否定だけはしなかった。

「知らないヨ。私は高名な騎士ではないのだかラ。が、そう思ったのなら行動し給エ。ただ自分には夢があると、語るだけなら無駄だヨ。心の底からそう思うのなら、なんでもいいから動くのだヨ」

「で、でも……叶う、で、しょうか……」

「それこそおまえ次第ダ。叶うか叶わないかウダウダ考えている時間こそ動きナ。願いがあるのなら浪費をするナ。時間はすべて消費しナ。無駄遣いをするナ。こうして論議を重ねる時間こそ無駄な時間ダ。本気ならさっさと動ケ。嘲笑う全員を皆殺しにしナ。それが、今おまえがすべきことだヨ」

 以降、博士は応援してくれたこともないし背中を押してくれたこともない。

 だけれど鎧を脱げと言わなくなったし、そういう目で見ることもなくなった。

 高圧的視線はなく、威圧に満ちた言葉もなく、無言の圧力もない。外道魔術師は他の研究に没頭し、金髪に対する興味関心は完全に失われたとさえ思われていた。

 だが災禍討伐の二日前。金髪は突如呼び出された。

「騎士王国、に……?」

「その近くを通ル。おそらく偶発的事故エンカウントとでも呼ぶべき運命的事象が、奴と私を引き合わせるだろう。あの女はもう使い物にならないが、あの女の鍛えた騎士ならまぁ……おまえの夢の実現に一歩、いや半歩近付くはずダ。と、それだけダ。あとは自分で考えナ」

 博士の言う偶発的事故エンカウントで自分の裸姿が見られたのはイヤだったが、ここまで恐ろしいほどに博士の言う通りになっている。

 そしてこれも博士の言う偶発的事故エンカウントなのか、騎士の中の騎士ナイト・オブ・ナイトが直々に鍛えた五騎士と共に戦える栄誉まで設けて貰えた。

 この上なく光栄で、幸せで、心が折れそうだった。

 自分の姉妹らと共に災禍へと立ち向かう騎士の勇士を、直に己が目に焼き付けていく毎秒、己の非力さと醜さを呪い、自分で自分を虐げる。

 思えば滑稽な話だ。

 騎士を導き、剣を与える湖の乙女が自ら騎士になりたいと焦がれ、導き手を求めて彷徨っているのだから。

 皮肉の利いた笑える話だ。さぞ、嘲笑されることだろう。

――本気ならさっさと動ケ。嘲笑う全員を皆殺しにしナ

 ふと、博士の言っていた言葉を思い出す。という単語が過激だったからか、酷く印象に残っていた一節だった。

 いや、違う。そんなことで印象に残っているのではない。

 博士は過激な表現をよく使う。特別なことではない。

 過激な表現で頭に残るのなら、今までの博士との会話のほとんどが残っているはずだ。なのにその言葉だけを鮮烈に憶えているのはきっと、自分にとって的を得た言葉だったからだ。

 嘲笑う全員――つまりは嘲笑する自分さえも殺して進めと言ったのか。

 自分の夢を嘲笑する他人。自分の夢を嘲笑する自分自身。自分の夢を嘲笑すると思い込む自分の思考回路。それら一切を殺し、無視し、突き進む。それだけの気概を持てと。

 でも博士がそこまで、自分のことを考えているなどとは思えない。自分の知っている博士はそんな人ではないはずなのに、でもなんでそうだと思うとしっくり来るのだろう。

 何故、博士は一体どんな意味で、どんな意図で、その言葉を――

「これより湖の騎士アストルフィドル。全身全霊を持ってこの城と、あなたをお守り致します」

 目の前に騎士がいた。

 誇り高き高名なる騎士の背中。

 自分が憧れ、焦がれ、目指したいと願った背中。

 彼らのように勇敢に、誰かのために剣を振り、盾の背後に護りたい誰かを置いて戦う背中。目指す背中が目の前に立っていた。

 湖の乙女が指し示し、押したとされる背中は広く、大きく、勇ましく、永き鍛錬、旅路の果てに行き付く勇姿の極致。己が目指す理想の果て。

 その背が目の前にあることに感極まった湖の乙女は、兜の中、感涙に濡れていた。

「金髪さん?」

 もしも本当に湖の乙女がいたとして、自分が送り出した騎士が国を護る英雄にまでなっていたことを知って、その姿を目の前にしたら、こんな気持ちになるのだろうか。

 感動するのだろうか。

 涙でぐしゃぐしゃに顔を濡らすのだろうか。

 自分の指し示した道を準じて進み、立派な騎士となった姿を見て、湖の乙女は何を思う。

 自身が騎士道に憧れていなかったとしても、己が道標となったことで偉大な存在として世界に刻まれることとなって何も思わないはずはない。

 では一体、何を思う。

「金髪さん、どうされたのですか。どこか怪我でも――」

「な、なん、でも、ない……です……」

 兜を脱ぎ、涙を拭う。

 感動している場合などではない。今は災禍だ。自分の夢も何もかも、今は忘れなければ。

「大丈夫ですか?」

「だいじょう――」

 自分を急かしたのが仇となった。兜を被ることを忘れていた。

 気付くと互いを隔てる物は何もなく、互いに相手の目を見つめて黙り込んでしまった。

 涙を拭って赤くなった頬を、また恥ずかしさから涙が濡らす。

 彼の手が伸びてきて思わず目を閉じると、彼の指先が優しく、自分の目に溜まった涙を拭い取ってくれた。恐る恐る目を開けて見た彼の微笑に、また頬が真っ赤に火照る。

「やっぱり綺麗だ」

「そんなこと、ない、です……私は、ホムンクルス、で、湖の乙女、なんて大それたものを真似て、作られたのに、全然、綺麗、なんかじゃ、なく、て……」

「そっか。だから僕は今、ここに立てているんだ」

 アストルフィドルは一人、納得した様子で微笑んだ。


  *  *  *  *  *


 騎士が四人。

 ホムンクルスが六体。

 数だけ見れば、災禍を相手にするには余りにも少ない数だ。面子を考えずに数だけを見れば、殺したいのかと返されることは必至なほどに。

 それよりも半分の五人で災禍と対峙し、見事勝利を収めた【外道】の魔術師は、空を飛ぶ研究施設から戦場を見下ろして舌打ちする。

 災禍相手とはいえ、自分の作ったホムンクルスが予想以下の戦績しか残せていないことに腹を立て、苛立っていた。

 騎士の方の実力はほとんど知らないが、それより遅れを取るようなら解剖してやろうかなどとやりもしないことを考える。

 だが生まれ持った素質が頭一つ抜けた天才を名のある騎士が鍛えた、というだけの存在に負けるのだけはプライドが許さなかった。

 そもそも彼女達は災禍レキエムの花嫁にするために作ったのだ。それが他の災禍相手に苦戦し、尚且つ人間より劣るなどあってはならない。

 それこそ、彼女達の存在意義に関わってくる問題だ。自分の研究に関わる問題だ。友との約束に関わる問題だ。

 故に此度の戦いは壮大な試験であり、実験だ。

 自分の研究がどこまで至ったのか。どこまで彼との約束に近付けたのか。仕事の終わりはいつで、そのためには何が必要で何が不要か。

 自分にはそもそも実現可能なのか。それらを実証し、検証するためにこの戦いに応じた。

 長い付き合いだ。高名な女騎士様も、その辺りを理解した上で要請したはず。

 互いに相手のはらわたの黒い部分は理解している。これこそ暗黙の了解、という奴だ。確認と説明の手間が省けて助かる。

 だから自分と同じ位にプライドの高い騎士様の思惑もわかっている。

 彼女にとっても証明なのだ。

 魔術師やホムンクルスが戦場における重要戦力として数えられるようになった例の大戦より、世間で落ちてしまった騎士の評判。それに並行して落ちた品格、そして質。

 それらが本当なのかを証明するための戦いだ。

 騎士が本当にホムンクルスより劣るのか。災禍を打ち倒すのは騎士かホムンクルスか。

 騎士の品格を落とす最大の要因となった大戦にてホムンクルス兵団を作り上げた【外道】の魔術師。その計画の核を担うホムンクルスよりも優れていると証明できれば、世間に落とされた騎士の品格と質は回復の兆しを見せるかもしれない。

 騎士に憧れ、騎士の中の騎士とまで呼ばれるにまで至った女だからこそ誰よりも悔しかっただろうし、証明したいのだろう。

 気持ちはわかるし同情もするが、だからと言って譲りはしない。

 結局、これは災禍を退治するという名目での代理戦争だ。互いが作り、鍛えた戦士のどちらが災禍を討ち倒すかの競争だ。互いに互いのプライドがかかった戦いだ。

 故に負けられない。負けるわけにはいかない。

 互いが旧知の仲だからこそ、同情して負ける、譲るなんて選択肢は存在しない。

 本気だからこそ、彼らをも殺すつもりで負かす。

「さて、私も動くとしようかネェ」


  *  *  *  *  *


 災禍と戦うと聞いた時、アストルフィドルは正直に言って臆していた。

 騎士にとって、戦うよりまえに勝負を投げ出してしまうことは誇りを捨てるのと同じこと。騎士として戦場に立つことを、二度と許されなくなる禁じ手だ。

 だがアストルフィドルは情報を聞いたときから既に臆し、毎晩恐怖していた。

 情報を受け取った限り災禍の襲来は一週間以上前だったにも関わらず、災禍がそれよりも早く来ないか、気を抜いた瞬間に襲ってこないかとずっと気を張り詰めていて、心が壊れそうになっていた。

 だから湖で彼女を見たとき、自分に天からの迎えが来たのだとさえ思ったのだ。

 何せ

 湖の乙女がそこにいると本気で思い、見惚れて、見つめてしまった。

 結局、それは疲労困憊の自分が見せた妄想で、ただ水浴びをしていた女性の裸体を性欲のままに見つめてしまっていたのだと気付くとこの上なく恥ずかしかったのだが、彼女の素顔を改めて見て、妄想でなかったと確信を得た。

 何せ今、目の前で泣く女性が、湖で見た絶世の美女だったからだ。

 妄想でも思い込みでもなく、この戦火の中にあっても変わらずあり続ける美しさが、そこに存在していたからだ。

「あなたは、僕にとっての湖の乙女だったんだ」

「違い、ます……私は、そんな、湖の乙女、なんかじゃ……」

「そうですね。本当のあなたはホムンクルスで、私がそう思い込んでいるだけなのでしょう。しかし、そう思えてしまうほど、あなたがいると前に進める」

 再び災禍の放つ光線の一つが、流れ弾として王城に迫る。

 アストルフィドルは盾を構え、魔力を放出。盾より放たれる光の防壁が、真正面から迎え撃つ。

 音が鼓膜を焼き、光が目を焼き、衝撃が肉体を焼く。破壊の術式が何重にも折り重なって積み重なって構築され、打ち出される破壊光線を、彼は盾一つで受け切っていた。

 さすがに完全にとはいかないが、それでも王城にはほとんど触れることを許さず、二度目の防衛もやり切って見せる。

 だがさすがに二度目となると、綻びが見え始めた。

 盾に亀裂が入り、膨大な魔力を一気に消費したために体にも負荷がかかったのだろう。体中の魔力を通す回路が焼き切れて、血が噴き出す。

「あなたがここに来ると知ってから、私はここに立つことへの怯えがなくなりました。ずっと怖くて、恐ろしくて、夜の数だけ震えていたはずなのに、私はあなたに導いて貰えたのです。あなたという湖の乙女に、私は、惹かれてしまったのです」

「そん、な……私、あなたの、こと、まだ、何も、知ら、ない……」

「そうですね。私も、まだあなたのことをほとんど知らない。だから――」


「――この戦いが終わったら、私とお食事して頂けませんか。色々お話をして、あなたのことを知りたい。私のことを、知って欲しい。そう、思うのです」


「そのために、ここは守り抜く。あなたを守り抜く。それが私が今、戦う理由なのです」

 思うだけなら意味はない。

 口で言うだけなら無駄でしかない。

 だけど彼は実践している。今目の前で戦場に立って、言葉の通りに実行しようとしている。

 いつ来るかわからない災禍の流れ弾――基、流れ破壊光線に備えて魔力を巡らせ、自らを補強する。

 だがすでに満身創痍。次に来る一撃を受けきれるかなど、誰の目にも明らかだ。

 だが彼は盾を構え、剣を構え、次の攻撃に構えている。その眼には未だ光があり、死を恐れる絶望はない。強く、真っ直ぐに前を向いている。

 ただしその先にいる災禍ではない。ただ一人の女の子と食事に行く未来を見ている。

 たかがそんなことに命を懸けるだなんてと、言う人もいるかもしれない。だが彼は馬鹿げた理由だなんて思っていない。

 それこそ偏愛や恋愛の逸話が多い騎士道物語のように、彼は一人の女性のために戦おうとしていた。

 しかも物語に描かれる騎士すらも超えて、湖の乙女を口説くために。

 馬鹿げている、と人は罵るだろう。だが騎士道物語を読み耽り、騎士に憧れた人ならば、今の彼の背中を見て違う感情に満ち溢れるに違いない。

 事実、騎士に憧れる湖の乙女は彼の背中に手を添えて、即座撃ち込まれた災禍の光線を共に作り上げた防壁にて耐えた。

 彼も驚いたが、金髪自身が一番驚いた。

 まだ兜も被ってないのに、なんて大胆なことをしてしまったんだと赤く染まった顔を背ける。が、その手はずっと盾を持つ湖の騎士の手を握り締め、魔力を循環させていた。

「わ、私、も……騎士、に、なりたい、と、思っている、の、で……高名な騎士様の、力になれる、なんて、こ、光栄、です……」

「えぇ、私も光栄です。湖の乙女の導き手を受けられるだなんて」

――本気ならさっさと動ケ。嘲笑う全員を皆殺しにしナ

 本気だから、動く。嘲笑う誰もかれもを蹴散らして、災禍をも討ち倒す。

 そのために剣を取り、盾を取り、守り抜く。最果てに目指す夢があるのなら、迷っている暇などない。

 自分に自信がないことなんてわかりきってる。

 だから考えない。考えたらまた止まってしまう。顔を背けてしまう。

 自分になんてできるわけがないって、せっかく踏み出した足を引っ込めてしまう。

 だから何も考えない。今はひたすら前を向く。災禍を倒す。この困難に立ち向かう。この障害を乗り越える。これらだけを考えて、他には何も考えるなと自分に命令する。し続ける。

 夢があると語るだけなら無駄なんだ。本気でなりたいのだから、動け、戦え、一歩踏み出せ。

 そのためなら、この醜い顔だって――

「っ、次が来ます!」

「えぇ! 応援よろしくお願いします!」

 湖の騎士、湖の乙女の籠を受け、災禍の攻撃に立ち向かう。


  *  *  *  *  *


 次回『外道魔術師と騎士の中の騎士』へと続く……。

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