人間だから恐ろしい

 悠々と雲の群れが闊歩する夜の空に、忽然と大穴が空く。

 雲の群れは捻じ切られ、空は歪んで錆びた鉄の歯車が力づくで回ろうとしているかのような不快な音に満ちて、空を飛ぶ鳥の隊列が大きく歪み、圧し潰される大気に呑まれて墜落していく。

 そのまま大気が空を割り、雲を隔て、それらの境界に腕を沈み込ませて、現れた。

 元は人間だったのだなどと、誰が信じるだろうか。

 夜の魔女ナイト・ワルプルギスと名付けられていながら、異形の姿に人間としての原型はない。

 数千万――いや、億を超える数の結晶が水のように流動的に動いていて、それが彼女にとっての心臓部。

 頭と明確に言える箇所はなく、中央の心臓部を中心に重なるごと大きさを増す鋼の輪が別角度、違う速度で回り続けていることと、それらから生えている四腕が一定間隔での上下運動を繰り返していること以外に特筆すべき特徴はない。

 いや、今あげた部分がすべて特筆すべき点か。

 人間から転じたと聞いても納得しがたい無機質な異形は、もはや生物として見ることも難しい。

 喋ることなく意思を示すこともなく、ただ破壊を齎す破壊兵器と化した魔女。果たして彼女が望んだ姿なのかそうでないのか、問うたところで災禍と化したそれに答える能力はない。

 ただ無差別に破壊するだけのそれを人類は止めなければならず、今まさに、そのための大規模戦闘が行われようとしていた。

「本当にあれが元人間? 私達の方がよっぽど人間してるじゃない」

 王城で最も高い尖塔の上でたなびく王国国旗を支えに立つ赤髪は、現れた災禍を見てこれ以上なく素直な感想を漏らす。

 それに対してルーフバルコニーにいる皆からの返答はなく、何人かは呆れ果てていた。災禍についての情報は異形の姿含め、散々共有したはずだからである。

 作戦会議の際、彼女がどれだけ上の空でいたのか自白しているも同然だった。

「赤髪大佐、作戦開始の合図をお願いします」

「ちょっと! 私さり気なく降格処分受けてるじゃないの!」

「いいからさっさと行くぞ。私と黒がまずあれの注意を引く。銀、白、赤、紫の順に追撃しろ。青髪、おまえが要だぞ、わかっているな」

「ちょ、緑髪! プレッシャーかけないで! これでもかなり緊張してるんだから!」

 普段は他のホムンクルスよりずっと喋り、陽気な彼女が特別一番緊張し、あからさまに口数が減っていた。

 その理由は間違いなくこの作戦の要を務めることとなっていたからで、長女らしく頼もしいところを見せなきゃという思いもあり、柄にもなく緊張している次第である。

 青、赤と立て続けにダメなため、作られた順番的に――そして性格的に緑髪が引っ張る形となっていたが、誰も文句などなく、むしろ青、赤よりずっと適任だとさえ思っていたのは、二人には内緒である。

「では行くぞ。赤髪」

「わかったわよ! 急かすな!」

 指先に灯った火の玉が、空高く打ち上がって小さな花火が夜空に咲く。

 同時、緑髪と黒髪が跳んだ。

 緑髪は天馬の手綱を握って空高く飛翔し、黒髪は着地すると同時に地面を蹴って垂直に跳躍。左右の腰に下げた刀を抜き、災禍へと迫る。

 すると月光を反射する鋭利な刀を認識したのか、災禍の心臓部が螺旋状に捩じれて高速で回り始める。

 キィィィッ、と高い音で啼いたかと思った直後、青と赤の混じった破壊光線が黒髪に向けて放たれた。

 大地を割り、天を裂き、音を引き千切らんとする大爆発が天を衝かんとする高さで登る。

 人型の生物一体に放つには過ぎる威力を前に、赤髪ら後列のホムンクルスは黒髪の安否が不安になる。

 だが次の瞬間に、黒髪の斬撃が天を衝く爆炎の柱ごと彼女達の不安を斬り払った。足が地面についた直後、地面を蹴って斬りかかる。

 すると四重の輪が高速で回転し、黒髪の剣撃を弾き飛ばした。やじろべえの如く上下運動を繰り返していた腕が固定され、弾き飛ばされた黒髪へと開けた手を伸ばし、光の塊を解き放って大穴を開ける。

 地面が抉れ、森を形成する木々の群れが一部吹き飛ばされたのと同時、破壊光線を放った災禍の手の小指に当たる部分が飛んだ。

 直後、着物がはだけて上半身晒姿になった黒髪が災禍の背後へと跳んでそのまま走る。

 逃げているわけではない。今王城に戻れば、逆上した災禍の攻撃が王城諸共大地を焦土にし兼ねないからだ。

 実際、指一本斬り落とされた災禍は黒髪を追い始めた。狙い通りだった。

 博士曰く、この災禍は自己防衛に特化した装置のようなもので、自分への敵意や攻撃を認識して迎撃、反撃、追撃することにしか能がないという。

 だからこそ、誘導もしやすい。

「緑髪殿!」

「あぁ、狙い通りだ」

 巨大な災禍を囲う五芒星の結界。赤く染まって、中央に刺さった矢が起爆させた。

「“五芒星煌炎結界ペンタグラム・アポロン”」

 災禍の破壊光線には劣るが、それでも天を衝く火柱が轟音と共に上がる。

 昼間に騎士団へ使ったのとはまるで桁違いの破壊力。しかしそれを窓越しに見ていたかの騎士は、橙髪の少女を人形のように抱きながら「ダメだ」と漏らした。

 そして彼女の言葉通り、災禍は火柱の中から四つの腕を伸ばし、五芒星の結界を破壊して外へ出る。心臓部が甲高い音で啼きながら変形し、すべての面が一だけのサイコロのようになって回転。停止すると同時、すべての面から光線を放つ。

 天馬の手綱を握って回避する緑髪だが、空中で起こった爆発に吹き飛ばされ、そのまま地上へ天馬諸共落下していった。

 が、作戦に揺らぎはない。

 舞い散る白銀の花弁型の刃が、災禍を中心に渦を巻く。

「包囲完了、順次攻撃準備、用意ポトゴゥヴカ……休むことなく攻め続けよポッセルドヴェテルニャ・アタァカ

 渦巻く花弁の刃が一まとめになって、上下左右、あらゆる方向から襲い掛かる。

 鋼と水晶の体を斬り刻むことはできないが、傷をつけることはできる。何より一つの大きな個体ではなくいくつもの小さな刃の集合体のため、破壊光線などのらりくらりと躱して除けて、別角度から攻撃をするだけのこと。

 本当は黒髪と緑髪の攻撃でもっと消耗していて欲しかったのだが、仕方ない。

 何より銀髪の思考回路は良くか悪くか、作戦を成功させる方法だけを絶えず考えており、想定外の事態が起きたとしてもただそれだけのこと。自身は役目を全うすることのみに務めるだけだった。

 それが果たして連携と呼べるのかどうかはさておき、銀髪が動きを止めたことで赤、白が動く。

「調整間違えるんじゃないわよ?! お姫様!」

「善処させて頂きます」

 両者、炎と氷結の魔術を行使する。

 熱す、冷やす、熱す、冷やす。鋼の肉体(?)が激しい温度変化に耐え切れずに劣化するまで、これをひたすら続けるつもりだった。

 が、そのまえに災禍が動く。

 四つの輪が動いてそれぞれの腕が四方の地面へと向けられると、高速で回転しながら光線を放ち、そのまま腕を上げて光線にて全方向、天地を焼いた。

 この攻撃で、山二つの山頂が消し飛んで高さが変わる。王国の城壁は一部倒壊し、城内も地震の如く酷く揺れる。

 オレンジも頭を抱えて縮こまり、そのオレンジを割れた窓の破片からヴェルディは包み込むように抱き締めて護った。

 窓ガラスの割れた音が聞こえて、おそらく見習いだろう比較的若い騎士が入ってくる。

 身を挺してオレンジを護った彼女の額がガラスの破片で切れて血が流れているのを見た彼らが慌てふためきそうになった瞬間、ヴェルディが先に「落ち着け」と制した。

「病床に伏せているとはいえ、この程度の怪我でどうにかなる私ではない。包帯と、最低限の塗り薬があれば結構。お前たちはそれを持ってきた後、すぐ王と王妃の護衛に迎え。いいな、わかったら返事!」

「「は、はい!」」

 オレンジは驚いた。

 こんな中、自身も怪我をしている中で冷静な判断ができる点ももちろんだが、何より今までまるで感じることのなかった風格というべきか、貫禄のようなものが感じられたから驚いた。

 博士と話しているときも、自分と話しているときも感じなかった。怖くはないが、恐れにも似ている感覚がして、今更ながら緊張してしまう。

 きっとこれが、騎士の中の騎士ナイト・オブ・ナイトとしての彼女の姿。世界有数の高貴な騎士の座を勝ち取った、騎士ヴェルディの威厳、貫禄なのだろう。

 すでに末期の病人であろうとも、周囲の人間に緊張感を与えるだけの彼女の存在感はまるで夜の月であり、昼間の太陽であり、ともかく見逃すこともできないほど偉大で、巨大。

 対峙していればこれ以上ないくらいに恐ろしく、今のように抱き締められていればこれ以上なく安心する。

 今まで人形のように抱かれて困っていたが、先ほどガラスから守ってくれたときといい今といい、護るように抱き締められていると安心して、こんな状況で眠れてしまいそう。

 新米騎士から薬を貰って自ら消毒し、包帯を巻いて止血。王と王妃を護るよう再度命令したところで、騎士ヴェルディの姿は再び身を潜める。

 大丈夫かとオレンジに問いかける姿はまた、子供に対して母性をくすぐられているどこにでもいそうな女性になった。

 数分の間に七変化を見せられた気分になって、オレンジは整理が追い付かず言葉が詰まる。

 直後、再び災禍の攻撃による爆発が城を揺らして、咄嗟に彼女に抱き締められる。優しくも力強く、護るという意思の下自分を抱き締める細腕は、末期の病人とはとても思えなかった。

 何より外の災禍との戦いを見る彼女の目は、まもなく死ぬ人間のそれにはとても見えず、同時に――

「悔、しい……?」

 考えるより先に出てしまった言葉は、かの高名な騎士の目を丸くした。


  *  *  *  *  *


 静寂。静謐。

 災禍による破壊が地形を変える中、あり得ない空間がこの二人の間にだけ存在した。

 金髪のホムンクルスと、【湖の騎士】アストルフィドルの間にだけは。

 元々過度な恥ずかしがり屋のホムンクルスと、その水浴び現場を目撃してしまった張本人とでは会話も進まず、せいぜい二度やり取りするのが精一杯で、両者気まずい雰囲気に災禍の光線よりも先に潰されそうになっていた。

 そもそも、何故この二人が同じ位置でスタンバイしているのか。

 それは両者の戦闘スタイルと使う魔術が盾を使う防御主体と酷似しているからという単純な理由で、故に二人は王城の前に鎮座し、王城とその背後の王国を護っていた。

 先ほども城壁の一部を破壊されたものの、二人の防御魔術がなければ完全に崩壊していたわけで、二人の役目は実に大きい。

 二人にとって災禍の攻撃よりも、互いの間にある気まずさの方がよっぽど負担で、誰かどうにかしてほしいとさえ思っていたが、二人の間に入って仲を取り持っている余裕も勇気も持っている人は、今どこにもいなかった。

(まだ、怒っておられるのだろうか……)

 兜のせいで顔色を伺うことができず、何も話しかけてこないのでまだ怒っているのかと思うとこちらから話しかけるのもなかなか度胸がいる。

 それでも悪いのは自分なのだと何度か話しかけてみたが、短い返事だけ返されてまったく会話が続かない。

 アストルフィドルは色男じみた外見から女性との経験が豊富だと思われがちだが、実はこれ以上ないくらいに奥手で、今まで恋した相手に告白できたことすらなかった。

 彼女がいないと言っても信じて貰えず、付き合ったことがないと言っても信じて貰えない。女を抱いたことがないなどそれこそ信じて貰えず、だからこそ金髪の肢体に見入っていたなどと恥ずかしくて言い出せない。

 だから弁明の言葉も浮かばないし、冗談で誤魔化そうなんて酷いこともできないし、どうすればいいのかわからなくて、結局黙るしかなかったし、黙り続けることになってしまったのである。

「――!」

 災禍の光線が再び光る。

 距離があり、尚且つ夜中ということもあってアストルフィドルにはあまり正確に見えていない。

 金髪には見えているらしく、光線が光った直後に息を呑んで、しばらくして呑んだ息を安堵と共に吐き出した。

 少し遅れて気付いたが、先ほど墜落していた天馬に乗ったホムンクルスが再び天馬の手綱を握って飛翔し、災禍に向かって攻撃していたのである。

 彼女は仲間の無事を確認し、安堵したのだ。

 最前線にいないとはいえ、災禍の攻撃の射程圏内にいることに変わりないこの状況で、自分よりも仲間の――ホムンクルスだが、姉妹の心配を優先する彼女を隣で見たアストルフィドルの中で、彼女との距離は少しだけ縮まった気がした。

 知らぬ間に女性というだけでなく、ホムンクルスという点でも一線引いていたのかもしれない。

 湖で見てしまった彼女の肢体は、女を知らぬ青年には刺激的過ぎる。人間離れした美しさはずっと頭にこびりついて、忘れなければと思うほどに思い出してしまって忘れることができない。

 だからこそ、人間を遥か超越した美しさが隣の鎧兜の下に隠れているのだと思うとなんだか少しだけ怖くて、ホムンクルスと聞いて納得してしまったときには、その気持ちがまた、知らぬうちに強くなってしまっていた。

 今目の前で猛威を振るっている災禍のような、元は人間だったと言われても信じることができないほどの異形の存在ならば怪物として受け入れられよう。

 しかしホムンクルスのような人間とまったく変わらぬ容姿と仕草、言葉を操る者を人間ではないと言われても信じ難いし、本当にそうだとしたらほとんど変わらないのにまったく違うということが恐ろしい。それこそ、自分が人間だからこそ恐ろしい。

 自分達種族と同じ容姿と仕草、言語を操る存在が本来の生命の営みから外れたところでできることの恐ろしさは、理解できる者とできない者とで大きく分かれることだろう。

 少なくとも、アストルフィドルは彼女のなまめかしい肢体をその目で見てしまったからこそ、人外の美しさだと思ってしまったからこそ、彼女のことが怖かったのだと今更になって気付いて、だからこそ、謝罪の言葉が詰まっていたのだと気付いた。

「あの……金髪さん」

「な、ん……でしょう、か」

 言わなければならない。心の底から、そう思っているのなら。

「今更ですが、よろしくお願いします。そして申し訳ありませんでした。面と向かってまだ、ちゃんと謝罪できていなかったですよね。本当に、申し訳ありませんでした」

「……そ、そんな、いい。私の裸、なんて、見たところでつまらない、から」

「いや! そんなことはない! あなたはとても美しい人だ!」

 思わず、声を張ってしまった。

 光線の爆発以上に金髪が驚き、怯えてしまっていることに気付いてまた謝りなおす。しかし謝罪と同じくらいに、声を大きくして伝えたかった。

 故に思いだけを大きく、声はできるだけ抑えて。

「あなたのことを美しいと思ったからこそ、私はあなたに見惚れてしまいました。湖の真ん中にあったあなたの姿が、まるで私が騎士道を目指すきっかけとなった湖の乙女のようで――衝撃的で、目を離すことがなかなかできなかった。だからこそ、私の罪がここにあるのです」

 今の今まで狼狽えて、しどろもどろであった青年の変わりように金髪は言葉を失う。

 ただの青年が、突然高名な騎士へと変貌を遂げてしまったかのような――それこそ、御伽噺の妖精が使う魔法にかかったかのような。

「改めて、我が罪を認めます。そして共に戦って頂けること、心より感謝致します。どうか我が謝罪を受け入れ、今までまともな対話もままならぬままに隣にいた無礼を許して頂きたい」

「え、えと、あ、あの……は、は、い」

「ありがとうございます、金髪さん。では――」

 災禍の放つ光線の一つが、二人の下へと一直線に走る。

 王城へ直撃するまで迫ったとき、光の防壁が光線を真正面から受けて、光線が細い光の筋となって消え去るまで受けきって見せた。

「これより湖の騎士アストルフィドル。全身全霊を持ってこの城と、あなたをお守り致します」

 突然凛となったとて、彼が女性の扱いに酷く疎く、口を聞いてくれない相手に困り果ててどうすればいいのかもわからない青年であることに変わりはない。

 しかしそれでも世界有数の騎士が認め、直々に鍛えた一人の騎士であることは事実であり、その騎士より湖の騎士を拝命した高名な騎士であることも紛れもない事実。

 男性として女性を相手するのは苦手でも、騎士として人を相手にすることはできる。

 故に金髪のホムンクルスが人間と大差なく、ましてや自分の中で人間と変わりないと踏ん切りさえついてしまえば、いつも通りに接することはできた。

 変貌したのではなく、いつもの彼に戻ったというのが正しい。

 人間だから、人間ではない人間に近しい存在が恐ろしい。だが人間だからこそ、その存在が人間と大きな差異がないと理解さえできれば、護ろうという意思を生み出すことができる。

 ただ恐れ、恥じを掻き、狼狽え、拒絶するばかりではない。受け入れることができれば、歯車は自身でも驚くほどに回り出す。

 ずっと長い間受け入れることができないでいる金髪は、受け入れてしまって歯車の回りだした彼のことが怖く感じて、同時に羨んだ。

 何故か――それは彼が騎士であり、人間であったからだろうことは揺るぎない。

 自分は湖の乙女――人ならざる者なのだから。

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