「理想は高く、誇りは気高く」
むかしむかし、あるところに――
お話しは決まって、王子様がお姫様を救う御伽噺。
そして二人は幸せに暮らしましたで終わるハッピーエンド。
生まれたばかりの少女は何度も何度も、姉代わりのホムンクルスに絵本を読み聞かせて貰う。
ハッピーエンドで終わるお話は好きだ。お姫様と王子様が結ばれるのも好きだ。だが何よりも、王子と共に姫を助けるべく、悪に立ち向かう騎士達の勇ましい姿が好きだった。
己のためではなく、仕える主のため奔走し、尽力し、戦う彼らの姿が好きだった。
憧れ、焦がれ、彼らのようになりたいと願い、結果、自分のことが嫌いになった。
だって、女だったから。
* * * * *
「久し振りだね」
「会いたくなど、なかったがネェ」
「そう言うなよ。かつては同じ釜の飯を食った仲だろう?」
俗に美人と呼ばれる人は、この世に何人いるのだろう。
元より知っている語彙の少ないオレンジには、もう美人を表現する術がない。故に今、目の前のベッドに横たわる人の美しさを称える言葉を、オレンジは持っていなかった。
ただ博士から病床に伏せていると聞いていたからか、やつれ、青ざめて見える顔の中に見える微笑はその字の通り微笑みで、辛うじて浮かべているように見える。
赤い髪も、まるで木々より落ちた枯れ葉のような色。元よりそうなのかは知らないが、病だというだけで生気を失ったが故の色のように見えてしまう。
それらを差し引いても尚美人だと、オレンジの価値観は計測する。
【不動】の魔術師然り【覇道】の魔術師然り、博士を含めて同世代の人達は、見た目では実年齢が判断できない人ばかりだ。お陰で、博士が何歳なのか、本当にわからない。
病床に伏せるその人は、久方振りに訪問してきた友人の姿を見て少しだけ元気を得たかのように見えた。微笑にも本当に少しだけ、それこそ微少の元気を取り戻したように見えて、初対面であったのに、少しだけ安堵した。
だが博士はこれ以上なく不満そうで、面倒そうで、億劫そうだった。
「君達が、アヴァロンお手製のホムンクルスかい? 凄いね、本物の人間みたいだ」
「一人は本物サ。決めつけるんじゃないヨ。自分の腕のなさをわざわざ露呈するなんて、とうとう末期かネ」
「あぁ、医者からはあと一か月も持たないと言われてる」
実に淡泊に、自分の命を語る人だ。
今まで愛する人を蘇生してくれと頼む人を見てきたからか、オレンジにはそう見えた。もうやりたいことはやったから後は死ぬだけだとさえも言う必要がないくらい、後悔のない顔で笑っていた。
だからわかった気がした。
博士はこの人が気に入らないのだ。だから会いたがらない。
すでに消えた命に対して未練のある人間はいくらでもいる。未練を残したまま死ぬ人間はいくらでもいる。
なのにこの人は、この人だけはそれがない。やりたいことはやって後は死ぬだけ。そんな考え方だから、博士はこの人が気に入らない。
それこそ、自分の商売敵を見ているような気分なのかもしれない。だからずっと不機嫌なのだと、理解できた気がした。
「じゃあさっさと死に給えヨ。人生を謳歌したなら、何も悔いがないというのなら、さっさと死んで私の実験体になってくレ」
「相変わらずだな、アヴァロン。だがいいのか? おまえからしてみれば、私なんて取るに足らない存在だろうに」
「死体はいくらあっても足りないのだヨ。おまえのような素体でも使いようはある。私を見くびるんじゃあないヨ」
「はいはい。さすがは【外道】の魔術師殿。同窓として鼻が高いよ……誰か、来たみたいだね」
緑髪の猫耳が後ろに倒れ、周囲に視線を向ける。
自分に斬りかかってきた騎士が足元でのたうち回る中、背中の矢を抜きかけて威圧する。
彼女が乗ってきた天馬もまた蹄を鳴らし、主を護らんと突撃の構えを見せて威嚇していた。
「まったく。久方振りに来てみれば相変わらずか。一体、何人投げ飛ばせば終わるんだ」
「かかれぇっ!!!」
一斉に、鎧をまとった騎士が襲い来る。
緑髪は真正面に跳び上がると鍛え上げられた騎士の厚い胸板を容赦なく蹴り飛ばし、足蹴にして反転。後方に跳んで着地と同時に屈みこみ、周囲の騎士の足を払って薙ぎ倒す。
剣を振り上げて斬りかかろうとする騎士に跳び掛かり、両腕を押さえて細い体を無理矢理入れて膝で顎を蹴り上げる。
そのまま跳び、頭を足蹴にして跳んで矢を番えた緑髪は五本の矢を同時に放つ。
魔術によって風を帯びた矢はそれぞれ軌道を変え、別々の位置に刺さると、一瞬で結界のようなものができて数十人の騎士団を閉じ込めた。
彼らを見下ろす頭上から、天馬に跨った緑髪が弓を引く。代わりに取り出したるは、変わり者の獣人鍛冶師から貰い受けた鋼鉄の剣。
頭上に抛ると変形し、鋼鉄の弓となって手に収まる。
「少し重いが、しっくりくるぞ。友よ」
矢筈をかけた弦を弾く。
渦巻く大気を帯びた矢は摩擦によって炎を帯びて細く、熱く伸びる。
放たれた矢は高く鳴きながら結界中央に刺さり、結界を創り上げる他五本の弓矢へと炎を伸ばして、緑色だった結界を真っ赤に染めた。
「意気に免じて、火傷程度で済ませてやる――“
天を衝く火柱が、結界の内側で爆発して上がる。
火柱が消えると結界も崩れ去り、残ったのは黒い煤に塗れて呻く騎士達。
凄まじい威力を想像させる火柱が上がったにも関わらず、宣言通り死人は出していなかった。
「まだまだ鍛錬が足りないな。出直してこい」
「見事でござったな、緑髪殿」
遅れて、黒髪が到着。
猛毒を発する体であった元の個体の記憶を受け継ぎ、尚且つ毒がなくなっていることもあって、最近洒落っ気が出てきた彼女は、最近和装には変わりないものの、肌の露出を出した意匠に挑戦していた。
だが今のところ大きな変化はなく、丈を短くして二センチ程度太ももの部分を出しているのが、今の彼女ができる精一杯の努力の証だ。
未だ慣れない故、恥ずかしい部分が勝つらしい。
「その剣を使われるところ、拙は初めて見申した」
「実戦では初めてだ。だがやはり、赤髪のようにはいかないな。火加減が難しいうえ、威力が今のより二段階までしかない。最小火力だったとはいえ五、六人は焼き殺し『おっと加減を間違えたか』などと似合わない台詞を言いそうになっていた自分が、恥ずかしく思えてくる」
ゆっくりと体を起こし、窓越しに緑髪と騎士団の戦闘を見ていた彼女はクスクスと笑う。
自国騎士団の無様な姿を見て笑えるはずはないのだが、それでも彼女は笑っていた。
「さすが、君お手製のホムンクルスだ。彼らも鍛えているんだが、何度やっても勝てないな」
「王国騎士団護衛団体とは名ばかりの結果だネェ、これハ。こんな調子で災禍の一体を討ち取るなどと、この国の王は本気で言っているのかネ?」
「本気も本気さ。それに、彼らは君の言う通り本当に名ばかりの新米騎士団。本隊は王直属の護衛団体だから王の側に絶えず控えているし、何よりその中でも精鋭中の精鋭なら、あの獣人ハーフの子も苦戦くらいはするかもよ?」
「当然、それくらいの戦力は用意していないと困るヨ。私の実験体かつ手足たるこいつらの命は、現時点での話ではあるがそう安くはないんダ。使い物になるんだろうネ、その連中ハ」
「無論さ。この私、ヴェルディ・ヴィディエールが直々に育てたのだからね」
ヴェルディ・ヴィディエール。
彼女が後の歴史に名を遺すのだろう偉人であることをオレンジが知ったのは、ずっとの後になってからだった。
当時弱小国だった母国に騎士精度を導入し、自ら団長として騎士団を率いた女傑。
かつて博士と【覇道】の魔術師、そしてもう一人の英雄と共に当時災禍に指定されていた怪物を倒した一人であり、
最強にして最初の女騎士――だった人だ。
現在は本人も言う通り、余命あとわずかまで病に体を蝕まれてしまっている。
その代わりに彼女が直々に育て上げた五人の騎士が、彼女自身も自慢する現王国の最高戦力として此度、かつての師が達成した災禍の討伐という偉業に挑むらしい。
* * * * *
「あ、あの……」
宵闇の漆黒と同じくらいに黒い前髪の下、切れ長の目の中で輝く翡翠色の瞳は、戦場においてはさぞ勇ましく見えるのだろう。
しかし今の彼は、一切口を聞いてくれない少女に対して困惑し、戸惑うばかりの情けない男でしかなかった。
彼もまたヴィエルディより直々に鍛えられ、水の騎士の称号を得た名のある騎士なのだが、今の姿にその面影も威厳もない。
どれだけ名のある騎士であろうとも、今の彼は水浴びしていた女性の裸を見てしまった男であることに違いなかったのだから。
「す、すまない……悪気はなかったんだ。その、あまりに綺麗な姿だったもので、見惚れて、しまって……」
完全武装かつ完全防備。鎧兜にて素肌の一部も見せない彼女に、介入できる隙など一切ない。完全に背中を向けられて顔さえ向けてもらえず、言葉も分厚い装甲の奥にある耳にも、果たして届いているのかどうか。
かれこれ十数分、やり取りにすらなっていない一方的な謝罪が続いている。
事故とはいえ、裸を見られたのだ。恥ずかしいもそうだし、怒りもあるはず。
それこそ、こちらを圧倒するような剣幕でまくし立ててくるようならばまだ、話し合いもできるかもしれない。
だが顔も向けてもらえず話も聞いてもらえず、ずっと部屋の隅で話しかけるなと言わんばかりの雰囲気を放つ背中を向けられて膝を抱え込んで座り込まれては、打つ手などあるだろうか。
ここまでされるとむしろ困り果てた末に逆上してもおかしくないだろうが、彼――アストルフィドルはただ困り果てるだけだった。
どうすれば彼女がこちらを向いてくれるのか、そればかりを考えている。
だがどうすればいいのかわからぬまま途方に暮れて、現在に至るわけだ。
「……もう、いい」
そんな彼を見かねて、いや聞きかねて、金髪が折れた。
元々さっさと部屋を出たかったし、謝罪したいと言われても困るし恥ずかしいし、早く帰って忘れてしまいたい思いでいっぱいだった。
さっさと部屋を出ようと思ったのだが、「もういい」の一言を発するのに恥ずかしくて十数分の時間を要してしまった次第。故にもう言えたので帰るだけなのだが、困ったことに膝を抱えすぎたか、脚が痺れて立ち上がれない。
膝を抱えて座るのは脚が痺れにくいはずなのだが、さすがに長時間座りすぎたようだ。
「だ、大丈夫ですか?」
心配してくれるのは嬉しいが、脚が痺れて立てなくなっただなんて恥ずかし過ぎて言えるわけがない。金髪にはハードルが高過ぎる。
だが立ち上がれないのは事実。
血の通っていない脚に力が入らず、辛うじてふら付きながらも立ち上がろうとするものの、脚が笑ってしまって非常に情けない姿を晒してしまっているのがまた恥ずかしくて、もう死んでしまいたいとさえ考える。
と、金髪は突如全身の浮遊感に襲われる。
そして見事に、正確に自分の体が収まったような感覚がしてみると、全身鎧兜で武装した決して軽くないだろう自分を、先ほどまで謝るしかしなかった騎士が軽々と抱えあげていた。
改めて――いや初めての近距離で見る彼の顔を直視できず、金髪は兜の中で目を瞑る。
「少し、気疲れされたのでしょう。仲間の女性騎士にベッドを貸して貰えるよう頼んでみますので、しばしお休みください」
ただ気疲れしたが故の目眩か何かと勘違いしているらしい。
ますます、脚が痺れたなんて言い出せない。恐る恐る目を開けると見えてしまった彼の翡翠の目がずっと真っ直ぐ見つめてくるものだから余計に恥ずかしくて、指摘するなど金髪には高過ぎて超えられないハードルとなってしまった。
「その、すみません。気軽に、触れてしまって。すぐに運びますので」
「い、いえ……だ、大丈、夫……こちら、こそ、ご、ごめん、なさい……」
「いえ、悪いのは私ですから。ではすみませんが、暫し御辛抱を」
童話の中の姫のように、自分が抱き上げられている。
鎧兜を身にまとった、お姫様とはかけ離れたホムンクルスを抱き上げるのは、少女が憧れ、焦がれた紛れもない騎士。
理想は高く、誇りは気高く、確固たる信念を持って行動し、万人を救う英傑。
理想は高く、自尊心は低く、信念なんていつも揺らいでばかりで、人を救うなんてできたこともない少女にとって、まさに追い求めてきた姿そのもの。
そんな存在に抱かれる自分というものが、金髪はまた嫌いになっていく――
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