愛する人と共に
アルベルトが目を覚ますと、自分のベッドだった。
一体いつから眠っていたのか。体を起こすと、ずっと横になっていたせいで体が凝り固まってしまったようで、体の節々が痛む。
全身の至るところに薬品を染み込ませただろう包帯が巻かれている。それを起因として思い出した。自分は、今すぐ横で直立している彼女に負けたのだと言うことを。
「おはようございます、アルベルト様」
「おはよう……シャルロータ・リラ・ウォーカー」
自分は、彼女にまったく敵わなかった。
彼女を最初の地点から一歩動かすこともできなかった。圧倒的敗北だった。
「今まで通り、銀髪とお呼びください。あの名は本来、明かしていいものではありませんから」
「そう、なのかい?」
「はい。詳細をご報告申し上げた際、博士にかなり叱られました」
とはいっても、しょんぼりしているような様子はない。
相変わらず、表情が読めない人だ。
「……俺の我儘に付き合ってくれて、ありがとう。手間をかけさせたね」
「問題ありません。こちらは体験入学中、面倒を見てくださった御恩もありますので」
一応、恩は感じていてくれていたのか。
彼女の言動はなんでも淡白に過ぎるから、感情や表情についてはよくわからない。
だがあの夜、名乗りを上げたときだけは活き活きしていたようにも見えた気もしなくはないが、博士に叱られたらしい手前、突っ込むのはやめておいた方がよさそうだ。
だがよくよく考えてみれば、彼女にはちゃんと感情があるし反応だって返す。
何より、優しい。自分勝手な我儘にも付き合って、こうしてわざわざ目が覚めるまでいてくれるくらいには、この不愛想な女性軍人は優しかった。
ただ今だけは、その優しさをも包み隠す不愛想のない顔にわずかな悔しさすら感じる。こちらはズタボロだというのに、傷一つない綺麗な顔をしていたからだ。
衣服もあのときとまったく同じのようだが、やはり傷一つない。力不足を痛感させられる。
「俺は、どのくらい強かった……ですか」
「私が相手して来たのはモンスターばかりで、人間相手で戦った経験はあまりないのですが……少なくとも、あの学校の中でお手合わせした方々の中では、あなたはとても強かったです。剣も、そして心も」
心。
その単語が彼女から出たことに、アルベルトは一番驚かされた。
もはや彼女が無情で、心もない人形だとは言わないつもりだったが、それでも何を考えていて何を感じているのかわからない彼女から、心という単語が出てくるのが不思議でならなかった。
しかしどこか幸せというか、嬉しい気持ちになった。
彼女にもちゃんとそんな言葉があるのだと思うと、他人事ながら嬉しかった。
「心は、人にとっての原動力だと聞き及んでおります。実際、この学校に来て私に負けた人も、私が人を負かすところを見た人も、心が折れてしまえば実に弱かった。何度手合わせしても、もう負けると諦めて、手を抜いてさえいました」
「けれど、アルベルト様は私に全力で挑まれました。その結果はアルベルト様の納得のいくものではなかったかもしれません。ですが、あなた様の心は誰よりも強く、私に響きました。故に、届いたのです」
「それは、どういう……」
扉がゆっくり開けられる。
銀髪はその人に、今までにない敬礼を送る。軍人以上に美しい姿勢は変わらなかったが、ほんのわずかに緊張感のようなものが漂っていた。
室内だからということで脱いでいた軍帽を彼女の頭に無理矢理押し付けて、半分殴るように被せたために苛立っているのだと思ったが、目を見ると、その実なんの感情も宿っていないと気付いて逆に怖くなった。
目の前に明らかな異質の存在がいることに、戦慄さえ覚えて背筋に悪寒が走る。
「おまえがアルベルトかネ?」
たった一声。問われたこちらが先に、その人の正体を理解した。
【外道】の魔術師だ。面識は一切なかったが、威圧感溢れる姿と感じられる魔力からしても間違いなくそうだ。断言できる。目の前にいるのは、世界でも指折りの魔術師だ。
「は、はい。アルベルト・ヒッタヴァイネンと申します」
必然的に、首を垂れる。そして頭を上げることができない。頭を上げる勇気がない。
今まさに銀髪に褒められたばかりなのに、情けない。
「取って食いはしないヨ、図々しい。表を上げ給エ」
と許可が出るまで、本当に頭を上げられなかった。
頭を上げても、なかなか直視できない。
そんな軟弱な部分を見て、魔術師は自分の手元に何かを投げつけてきた。構えながらに見下ろして確認すると、それは母の思い出の象徴たるあの花だった。
「こいつからの要望でネェ。随分と久し振りに作らされたヨ。今じゃ誰でも育てられるのに、わざわざ作れだなんて厚かましくなったものだよまったく」
「申し訳ありません、元帥。私の頭では、これしか彼の心に応える方法が思いつかなかったのです。無知な私をお許しください」
「……まぁ、いいがネ」
そのときだった、自然と頭が上がったのは。
高圧的な男からは想像もつかないくらいに、優しい声音が聞こえてきたからつい、見上げてしまったが、だからと言ってまたその後恐怖に脅かされることはなかった。
そこにいたのは確かに【外道】の魔術師であり、世界でも有数の実力ある魔術師であることには違いなかったが、同時に銀髪シャルロータの父とも言える男性だった。
丁度、娘と話すアウリスとよく似ている。娘の至らぬ点に呆れながらも、どこか微笑んでみている親の顔だった。
それを見てしまっては、もう恐怖など存在しなかった。
何より今さりげなく、この花を作ったと言った。母の時代では希少だった、銀色の花弁を咲かせる花。母とアウリスを繋げてくれた思い出の花を、この人が。
「さて、では打ち合わせと行こうか。こういうのは苦手なんだがネェ」
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
純白のウエディングドレスに身をまとった新婦シルヴァの美しさに、アルベルトは言葉を失うばかりだった。失ってばかりで、本当に何も出てこない。
人は真に感動していると、言葉なんて軽々しく叩けなくなるのだと改めて知った。
「アルベルト?」
「ご、ごめん。見惚れてて……」
「もう。試着したときにも見たでしょう?」
「関係ないよ。ずっと、ずっと、今日は綺麗だ。綺麗だよ、シルヴァ」
今すぐにでも抱き締めて誓いの口づけをしてしまいたい欲求をグッと
参列席には結婚を祝ってくれる学校の友人や教師が列席して埋めてくれていたが、本来両親が座るべき場所にはアウリスしかいないことが余計に寂しく感じる。
だけれど――。
その後は双方永遠を誓いあい、誓約の口づけを交わして双方の友人代表スピーチを聞いたりと予定通りに式を進めた。【外道】の魔術師、銀髪によるアドリブはこの後だ。
式場を外に変え、幸せの象徴たる白い鳩を解き放った後だ。シルヴァがブーケトスをすることになっていた。が、急遽シルヴァに頼んで変更してもらった。
シルヴァも快く快諾してくれた。そんな素敵なことはない、と言ってくれた。
これは二人の結婚式で、二人の祝い事なのだけれど、二人には誰よりも感謝を述べたい相手がいた。誰よりも、幸せになって欲しい人がいた。
シルヴァはブーケを投げることなく、女性の中へと歩み寄っていく。すっかり投げるものだと思い込んでいた女性陣は、ポカンとしたまま思わず道を開けてしまう。そのため誰にも邪魔されることなく、シルヴァはブーケを届けられた。
その人はとても優しい笑顔で迎えてくれた。とても彼に――新郎アルベルトに似ていて、シルヴァはとても気持ちが落ち着いた。同時に安堵から、感動から泣きそうになる。
「先に式を挙げて、申し訳ありません……初めまして、シルヴァ・ヒッタヴァイネンと、申します」
「まぁ、可愛い娘さん。アウリスに目がそっくりね。アルベルトにはもったいないわ」
声音が聞こえた瞬間、アウリスは跳ねるように立ち上がる。女性らが視界を遮って、その人の姿を認識し切れない。だが、疑う余地はなかった。
「受け取って、いいのかしら」
「はい、是非……今度は、貴女方が幸せになられる番です。お義母様」
花嫁から受け取ったブーケを持って、女性はゆっくりアウリスへと歩み出る。
彼女の大好きな銀色の薔薇で作られたブーケを持って笑う彼女の笑顔を、アウリスは忘れたことなどなかった。何度だって夢に見ていた。
アルベルトの笑みを見ると、時折思い出すことだってあった。だから、見間違うはずなんてなかった。見間違ってたまるものか、とさえ思っていた。
「久し振り、アウリス。聞いてた以上に可愛い娘さんで、ビックリしちゃった」
「なん、で……」
「アルベルトが、頑張ってくれたみたいなの」
アルベルトもまた、笑っていた。微笑みながら涙を流していた。
勘弁してくれ、とアウリスは思う。だってそうだろう。これで父親である自分まで泣いては、示しがつかないではないか。
「アウリスさん。あなたはずっと俺達のために尽くしてくれた。母のことを想い続け、その息子である俺を引き取って育ててくれた。そしてシルヴァまで俺に預けてくれた。もう、充分だ。次は、あなたが愛する人と共にいる番なんだ。義父さん」
「そんな、俺は……俺は、何もしていない。何もできていない。それに俺は、おまえ達が俺達の代わりに結ばれてくれれば、それで――」
それで、納得しようと思っていたのに。
――鋼の意志を以て、貴女を一生護り抜く
本当に、誰が決めたんだろう。そんな花言葉を。
でも彼女がそんな花を好きだったから、彼女が愛していたから、自分も愛していた。護ろうと頑張れた。ただ、それだけだったのに。
「貴方がそうして泣いているところ、初めて見たわ」
「……あぁ、また会えるだなんて、思ってなかったから。嬉しいんだ。すごく、すごく、嬉しいんだ……君ともう一度話せることが。何より――俺と君の子供達が、俺達をまた、繋いでくれたことが」
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
後日談である。
数年後に軍人学校を卒業したアルベルト・ヒッタヴァイネンは、祖国の南北統一戦争に参加。南北を隔てていた壁を破壊し、再び一つの国とすることに成功した。
その後は大きな大戦もなく、二人の子宝に恵まれた彼は今も尚、最愛の家族と幸せな時間を過ごしている。
将来の夢としては、そう――いつまでも、家族を思い続け、大事にできる人間でありたい。
引き裂かれても思い続け、死んでも尚忘れ形見たる子供達を護り愛し続けてくれた義父のように、人を愛し続けられる人になりたいと思っていた。
鋼の意志を以て、一生護り抜く。
その花言葉と、その花を愛した女性を愛し続けて、今も尚愛し続ける義父のような、強く深い愛情を抱き続けられる存在でありたいと、アルベルトは思い焦がれるのだった。
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