「自由も突き詰めれば怠惰」
獣人、人獣。
二つの種族が住む皇国は、人間が入れば鼻を曲げそうなほどの獣臭で満ちていた。
人の特性を有しているとはいえ、獣に近い種族なのだから当然と言えば当然だが、しかし理由はそれだけではない。
石鹸や洗剤などの衛生管理に必要な代物が、ほとんど存在しないのだ。
人間とは相対する種族だ。
潔癖に過ぎる人間の文化を良しとせず、受け入れない者も多い。
ましてや同じ獣の臭いなど気にする者もおらず、食い物にすらならない嗜好品は必要のない代物としてこの国にはほとんど存在しなかった。
人間の文化に興味を持った変わり者だけが、人間から奪った香水などを代わりに使っている程度である。
故に石鹸の香りを漂わせ、人間に近い匂いを発する緑髪の存在は、皇国の者達から見てもかなり異質な存在に映っていることは間違いないだろう。
お陰で話を聞こうと思っても、誰も近付いて来ない。
博士曰く、一度敵と見做した者を未来永劫敵として見続ける執念とも言うべき執着の深さもまた、彼らが奴隷としての扱いを受け続ける理由だという。
人間の中にも奴隷解放のために動き、獣人を解放しようとしてくれるものがいる一方で、長年奴隷として扱われ続けてきた彼らには人間を含めた他種族を許す気がなく、すべての人間を敵として恨み続け、歩み寄ろうとしない。
数百年に及んで奴隷として扱われてきて、今更許せなど確かに虫のいい話に聞こえるだろうが、真に自由を求めるのならばある程度の許しと歩み寄りは必要だろう。
だが彼らは祖先が受けた痛みを、苦しみを、死を忘れない。
奴隷の先祖と当時の飼い主との間に生まれた子は特に、先祖を奴隷に貶めた人間を許せるはずもなく、先祖からの恨みつらみを、より深く大きくして現代にまで受け継いでいる始末。
彼らが世間一般的な自由を得られるのは、もっとずっと先の話になるだろう。
と、誰にも話を聞けず、遠ざけるような視線を受け続けるままに歩いていると、いつの間にか
皇国をグルリと囲う石造りの壁の近くには壁を守る憲兵の家が多く、交代で憲兵が簡素な槍を持ち、警備に立っている。
だがその中で、緑髪の注目を引く家が一つ。
皇国の中で初めて見るくらいに稀有な煙突があり、白煙を上らせている。
扉のない大きな窓から中を覗いてみると、季節が逆転しているかのように熱い室内で、真っ赤に燃える鉄を汗だくで打ちこむ獣人がいた。
鍛冶工房のようだ。
「あ? んだおまえ。見かけねぇ顔だな」
キリっとした黄金の双眸。
大柄で筋肉質。かつ立ち上がるとかなりデカい。
頭に巻いたタオルの下で耳が、ズボンの下で尻尾が膨らみをつけていた。
「失礼。この国に用があって参った、旅の者だ。休息がてら散歩していたらここを見かけ、中を覗かせて貰っていた」
「はぁん、外道魔術師とやらの遣いか。話は聞いてるぜ。獣人がいるたぁ驚いたな」
「獣人の血が入っているだけで、ただのホムンクルスだがな。おまえ達よりも、ずっと下の存在だ」
ホムンクルスは奴隷以下だ。
大体は人体実験の被験体にされるために生まれ、命という命を絞り尽されて廃棄されるだけの存在。
命を育む権利もなく、自由を求める権利すら、本来与えられない存在だ。
故に警戒する必要はない、とそういう意味合いで言ったのだが、彼は別の捉え方で返す。
「落ち込むなよ。おまえ充分あったかいぜ。あったかいうちは生きてんだ、獣人もホムンクルスも。生きてることを蔑むこたぁねぇ。向かい風の日もあるだろうが、追い風の日もあらぁな」
緑髪の髪をぐしゃぐしゃに掻き回す。
初めて男の人に頭を撫で回されて、緑髪は初めて頬を朱色に染めて狼狽えた。
博士の拳骨ならば幾度となく喰らったが、博士よりも大きくて硬くて、力の強い手だった。
何より、温かかった。
「なんだ、可愛い顔するじゃあねぇか。女は恥じらってるときが一番可愛いからなぁ」
「な、なんなのだその偏見は」
「俺の性癖だ! 大目に見てくれや!」
笑うと犬歯が見える。
大口で笑う彼は緑髪の頭をさらにわしゃわしゃと搔き乱すと、水につけて冷やしていた鉄棒を手に具合を見て、低く唸ると気に入らなかったのか叩き折ってしまった。
「柔い!」と一言叫び、加工前の鉄棒に手を伸ばす。
「おまえいい匂いがするが、白い目で見られたろ。俺も同じさ」
橙色の炎の中に、鉄棒の先をくぐらせる。
独特の臭いを発して赤く燃え上がるとすぐさま炎から取り出し、筋肉の塊である太い剛腕で鉄槌を握り締め、大きく振りかぶって叩きつける。
汗が弾け、火花が散る。
数回繰り返すと鉄棒を水につけ、一気に冷ます。
鉄の色を取り戻すとまた炎の中へと投じられ、赤く燃え上がると抜き出して鉄槌で叩き、水につけて冷やしてはまた炎に
「俺は、一度この国を出たんだ。色んな国で色んな他種族を見た。その中で見た鍛冶屋の光景が忘れられなくて、こうして鉄を打っている。見様見真似、だがな」
「それでよく、これだけ打てたな」
壁には彼がこれまでに作ったのだろう刀剣や、槍などの武器が飾られている。
魔術式が施されている様子はないが、ただの武器として見ればなかなかのものだろう。
もしかしたら、魔術式を施すと逆に強度が衰えてしまう代物なのかもしれない。
「そいつらは駄作さ。ただ見かけがよくできたから置いてるだけ。そうでもしねぇと、客なんて来やしねぇ」
獣人も人獣も、武器を使う習慣がほとんどない。
緑髪としては人の世界を見に行ったこともそうだが、鍛冶という分野に惹かれた彼がとても稀有な存在に思える。
そしてそんな彼のことを、国民はよく思っていないらしい。
住まいは国の端。
警備兵は使ってもいいだろうに、見えた限り警備兵の槍は木の棒に石を括りつけただけの簡素な出来だった。
おそらく自作だろう。
人間の文化に触れるというのが、やはり快く思えないようだ。
「俺は異端なんだよ。わざわざ人間の世界を見に行った変わり者。んでもって帰って来れば、恨みつらみじゃあなく鍛冶に惚れたと抜かしやがるもんだから、周囲は気味悪がって近付きもしねぇ」
「難儀な話だ。おまえのような者が多ければ、国も変わりゆくだろうに」
「皮肉な話でもある。変わるってことが怖ぇのさ。自由を求めて他種族を呪っているうちはいい。だが恨む相手を――人間を認めちまったら、今まで胸ン中ぁ渦巻いてた憎悪の炎が消えちまう。みんなそれが怖ぇのさ。憎む相手がいるからこそ、この国は成り立ってる」
「今や奴隷解放の動きを見せる国も多いだろうに。連携し、共に歩むことさえできれば」
「自由を求め過ぎなのさ、この国は。自由だって突き詰めれば怠惰なんだぜ? 何もしたくねぇってのだって自由なんだからな。好きなときに喰って好きなときに寝て好きなときに異性を抱いて、好きなときに何もしねぇ。それが真の自由だと、疑いもしねぇ」
「それでは獣だ」
「そりゃあ半分は獣だからな」
「確かにそうだ」
鉄棒が刀剣の形に出来上がって来た。
男の腕で振ると空気を斬るぶぅん、と重い音がして、剣そのものの重みを想像させられる。
男は軽々と振るっているが、自分ではそうはいかないのだろうなと、緑髪は汗を垂れ流す男の腕を見つめる。
「でもよ、だからって獣の生き方に準じるのもどうかと思うよなぁ。せっかく考えられる頭に、器用に物が扱える腕もある。自由を求めることだってできる。なのに俺達は他の種族とは違うと言いやがる。人間と同じじゃあねぇかなぁ、言ってることがよ」
「皮肉な話だな、それこそ」
「まったくだ。知る、考えるってことをしようとしねぇ。だから俺みたいにわざわざ危険な旅に出て、何かを学んでくる奴はバカと罵られるってわけよ」
作り上げた剣の出来に満足したのか、何本かある装飾前の棚に入れる。
タオルを外すと、黒髪の中から丸々とした熊の耳が出て来た。
大きな体格にはちょっと似つかわしくなく、可愛らしさすらある。
緑髪がクスっと笑うと、男は気恥ずかしそうに頭を掻いて照れ隠しに笑う。
「あぁ……この耳見るとみんな笑うんだよなぁ……そんなに似合わねぇ?」
「あぁ。なんだかそこだけ幼さを感じてしまう」
「そうなんだろうなぁ。タオル外すと十中八九笑われる」
「まぁ、耳は鍛えようがないからな。仕方あるまい」
「それに比べておまえは……」
「ひぁっ!!?」
男の手が緑髪の耳を挟む。
思わず上がってしまった声を恥じらって口を閉じるがすでに遅く、男はニマニマと笑みを浮かべながら緑髪の耳で戯れる。
自分と違って大きな緑髪の耳を、男は本気で羨んでいた。ましてや獅子の耳、というのが男心をくすぐる。
強い者には惹かれるものだ。少なくとも、この男は。
「ホント、可愛いなおまえは。この国にはいつまでいるんだ?」
「さ、さぁな……皇帝との交渉次第だ。決裂することはないだろうが、皇帝がいつ決心するかによる。おまえ曰く、この国は変化を嫌うらしいからな」
「そうかぁ。じゃあおまえ、しばらく暇だな。これから毎日俺のところに来いよ。外界の話を聞かせてくれ」
ずっと触っていた男の手を振り払い、緑髪は耳を隠しながら距離を取る。
そのとき上目遣いで彼を見上げてしまったのも、緑髪からしてみれば偶然なのだが、まるで狙っていたかのような涙目で恥じらい顔で、男の心を鷲掴んだ。
「お互い調度いいだろ? おまえは暇潰しできるし、なんなら仕事ってことで何か作ってやる。俺は外の話が聞きてぇし、なによりおまえが面白ぇ。な、いいだろ?」
「それは、構わないが……耳を触るのは禁止だ。次に触れたら射抜く」
「おぉおぉ、弓兵だったか。だったら任せな。今調度、いいのを作ろうと思ってたんだ」
と、設計図が散らばっている机に向かって行って一つ取り出す。
男は緑髪と肩を組んで「見ろ!」と促した。
「これが俺の理想の武器さ! これが何本も作れるようになれば、この国だって人間に負けやしねぇ! 力には力で、とは行きたくねぇが、しかし人間達と対等に張り合うからには俺達も強くならなきゃなるめぇよ。そこで、こいつの出番ってわけだ!」
「確かにこれは凄いとは思うが……私の弓は神樹でできている。更なる武装は必要がないのだが――」
「いや必要だ! 俺のこいつが必要だ! だから任せとけ! 必ずおまえが行く前に作ってやるぜ!」
結局そのまま押し切られ、翌日も来ることになってしまった。
夕刻になるまで話して帰り際、彼はそういえばと思い出して――
「名乗ってなかったな。俺はアポロ。おまえは」
「特に名前はない。作者からは緑髪と呼ばれている」
「なんだよ詰まらねぇな、そのままじゃねぇか。外道魔術師ももっと捻らねぇとよ。外道なんだから」
「そうだな」とアポロは唸る。
そして手を思い切り強く叩き、
「よし! おまえは今日からティーだ!」
「
「馬鹿野郎! 茶ってのはすげぇんだ。熟成させればさせるほど美味くなるし、香りも増す。おまえの緑はそういう深みを持った色だ。おまえはこれからますますイイ女になる。それこそ茶のようにな」
褒められている気はしない。
だが貶されている気もしない。
即席で考えた名前にしては、かなり意味を込めてくれていることに、緑髪は若干の気恥ずかしさと嬉しさを感じていた。
「……わかった。ではおまえのまえでは、ティーと名乗ろう」
「そうこなきゃな! じゃあまた明日な、ティー!」
「あぁ、アポロ。また明日」
初めて名前で呼ばれる。
また明日、この名が呼ばれるのだなと思うと、どこかこそばゆい気もして、緑髪は仕方なかった。
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