第2話 誕生日には心許りのケーキを
「お前さんは、『遠慮』という言葉を知っているかい?」
「うん、知ってるよ」
「意味は?」
「他者に対して行動を控えめにすること」
「正解。じゃあ、何で俺の財布は空なんだ?」
「それは僕が選んだケーキの値段と、アヤメの所持金が同等だったから」
「……そうだな、お前さんがあり得ない量のケーキを遠慮なくお買い上げしたからだな」
あれから――
アヤメは『好きなケーキを買ってこい』と瀧聲に言い、自分の財布を預けた。
食べることが大好きな瀧聲へ、ちょっとした誕生日プレゼントのつもりで――
しかし、しばらくして戻ってきた瀧聲が抱えていたのは、想像を絶するおびただしい数のケーキと、それと反比例してすっかり軽くなった財布だった。
「ケーキなんて久々に食べるなぁ。1個の値段が高いから、あんまり縁がなくって」
無表情ながらもホクホクと嬉しそうな瀧聲。
その横で、明らかに表情を強ばらせて財布を見つめるアヤメ。
財布に何も残っていないことを確認すると、深くため息をつく。
「高いって分かっているなら、何でこんな量を買ってきたんだよ……」
瀧聲が「んきゅ?」と首を傾げる。
「だってアヤメ、『好きなケーキを買ってこい。』って言ってたでしょ?全部好きだから、端から端まで買ってきた」
「あー……もういい。いくら非常識なお前さんでも、有り金全部使わないだろうと信じて、財布を託した俺が悪かった」
全く悪びれる様子のない瀧聲に頭を抱えたアヤメは、財布を見ないようにして鞄の奥底に押し込む。
彼が瀧聲に財布を預けることは、今後二度とないだろう。
「それで、お味は?」
「うん、美味しいよ。特にチョコケーキが美味しい」
丁寧にフォークで切り分けながら、答える瀧聲。
非常識なまでに大食漢な瀧聲だが、意外にもいただきますはちゃんとするし、食べ方もそこそこ綺麗だ。
「こんな数のケーキ、食べるの初めてだから嬉しいな」
口の端についたクリームを指ですくってそっと舐めると、呟くように言葉を続ける。
「……あと、誕生日にこういうことをするのも初めて」
「……そうかい」
「ねぇ、誕生日ってみんなこうなの?みんな、こうやってケーキを食べるものなの?」
瀧聲の質問に、アヤメは「まぁな」と頭の後ろで腕を組む。
「大半の人はそうだろうな。おめでたいから、ケーキを食べて祝うんだろう?」
「僕も?めでたいの?ずっとずっと……何も出来ずに、ずっと、彷徨ってるのに?」
自身に問いかけるように、言葉をゆっくりと含みながら話す瀧聲。
抑揚のない口調の、その裏に滲んだ悲痛な色。
友人を亡くし何百年も彷徨う彼が、何を思うのか――
出会ってから日が浅いアヤメには分からない。
「さぁ。誕生日の『誕』には、いつわるという意味があって、苦しいこと悲しいことが始まる日ということでもある。つまり、めでたく喜ばしい日ってわけでもないんだろう。ただな……」
言葉を切るアヤメ。
長い人差し指をスッと伸ばす。
「お前さんが今まで生きた中で出会った者、親だって友人だって何だっていい。奴らからしたら、それは『めでたい日』なのさ。誕生日がなかったら、会えなかった。繋がることが、きっとなかった。だから、『おめでとう』で喜ばしい日なんだ」
「自分じゃなくて、他人にとって喜ばしい日……」
言葉を反芻した瀧聲は顔をあげた。
「じゃあ、アヤメにとって僕の誕生日は『めでたい日』?」
「さぁて、どうだか。人の好意を良いことに、有り金全部使っちまうような奴だからねぇ?」
ゆるりと首を振ったアヤメは、手短なケーキに手を伸ばす。
「あっ僕のケーキ!」
瀧聲が言うが、お構いなくケーキを口に含むアヤメ。
クリームがついた指を軽く舐めながら、碧い瞳を細めて悪戯っぽく微笑む。
「元々俺の奢りなんだ。少しくらい食ったところで、バチは当たらんだろう?」
「むー……」
頬を膨らませて黙り込む瀧聲。
正論を突きつけられて、反撃の言葉が出ないようだ。
瀧聲が黙っているのをいいことに、アヤメが二つ目のケーキに手を伸ばした時、「……とう」と呟く声が聞こえた。
「ん?」
「ありがとう……って。祝って、くれて」
抑揚のない口調に、乏しい表情。
それでも、黄色い瞳を揺らしながら呟かれたその言葉には、確かに感情があった。
虚を突かれたようにきょとんとしたアヤメだったが、フッと微笑むと言葉を返す。
「……どういたしまして」
瀧聲は黙って頷くと、食事を再開する。
その口元は、ほんの少しだけ微笑んでいた。
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