5.六花
真珠光沢のある、白い鱗。
身体は細身で、大きさは娘の母である紅き竜と、妖精竜カナリヤの中間ほど。
背中に純白の羽毛の翼を広げ、周囲に透明、白銀、大小様々な雪と氷の結晶を漂わせた美しい竜。それが、この雪山の主だ。
ラニが集めた情報によると、この辺りではそう呼ばれているそうだ。
「私はリッカ。強く美しい紅き竜の、末娘よ」
美しい竜は、娘を睨みつけながら名乗った。もちろん真名ではない。
「私はクレナイ。紅き竜セキの鱗を譲り受け、娘と認められた者です。シラユキさん」
対する娘は、シラユキ――リッカの真名を遠慮なく呼ぶ。鞘代わりの布を巻きつけた薙刀の柄を、雪積もる大地に突き立てる。
途端、穏やかだったはずの風が勢いづいた。吹き上げられた雪が、嵐のように娘を取り巻く。
シラユキが冷たい怒気を露わにしたのだ。
「どうしてこうなった……」
カナリヤは、ひとりと一頭の睨み合いを呆然と見ている。ラニには聞こえないだろうが、真名の応酬にひやひやしてもいた。
「まあお前のせいだろな、相棒よ」
クラノはあっさりと応える。いつもの金属鎧ではなく、魔獣の皮をなめした鎧を身に付け、毛皮の外套を羽織っている。
そして、着膨れするほどの防寒装備でありながら、砂漠育ちで寒がりなラニにひとつ。先ほど「顕現」したばかりの幼い身体にひとつ、毛皮を手早く巻きつける。
「く、クラノさん……あれって大丈夫なの?」
寒さ(と恐怖)に震えながら、ラニは吹雪に包まれていく娘たちを指差す。
「さあなぁ。
もうひとり分、小さな毛皮玉のようなものを完成させ、クラノにしては珍しくため息を吐いた。
◇ ◆ ◇
雪山を目的地としたのは、カナリヤのひと言がきっかけだった。
「そういやこのへんにいるらしいんだよ。オレの姪、妹の末娘」
魔王討伐隊(ハガネが後半の手柄を全て持って行ったが)の面々と別れ、次はどこに行くかと話していたとき。カナリヤが、雪山近くの森でそう言った。
「末娘さんというと、氷の魔法が得意という竜ですか」
「そう。妹は火竜だから、属性的に相性が悪かったんだけどな。お袋の助けを借りつつもひとり立ちできたのは、姪自身うまく魔力を制御してたからだとも思うんだよ」
「なるほど。その竜に私が教えを請いに行く、というわけですね」
「え、また竜?」
娘とカナリヤの会話に反応し、褐色肌の案内人ラニは口元をひきつらせる。
カナリヤ、(娘)、ハガネと続いてまた竜だ。一生のうちにこれほど竜に縁のある少女もそうはいないだろう。
「私はそろそろ、故郷に帰りたいかなーって……」
ラニは小さな声で、控えめに主張する。
「そうだな。こいつには十分働いてもらったし、そろそろ帰してやるか」
意外にも、賛同したのはクラノだった。
ラニは驚きを顔いっぱいに広げてから、ぱっと喜色を滲ませたが、
「砂漠までだったらあの雪山突っ切るのが早いだろ。最後の仕事だ。情報収集、よろしく頼むぜ」
にっと白い歯を見せて笑うクラノに、がっくりと肩を落としてみせるラニだった。
◇ ◆ ◇
雪山越えをするにしては薄着な娘が、山を登りながらあたりを見回す。
「予想に反して穏やかですね」
視界に広がる景色は、白いことは白い。しかし、柔らかくサラサラとした雪がまばらに降りてくるくらいで、手のひらに乗せるとすぐに溶けてしまう。
「寒いことには変わりないよ……。巫女さん、なんでその格好で平気なの?」
ラニが両手で自身を抱きしめている。毛皮の外套についた被り物を
「私には火竜の御守りと鱗がありますからね。むしろ、少し暑いくらいです」
娘は、外套の首元を開けて軽く扇ぐ。
毛皮など身につけなくともこと足りそうだが、あまりにも目立ちすぎるのでやめたのだ。
「ま、がんばれよラニ。ここは天気が荒れることは少ないって、お前が言ったんだからよ」
クラノが、ラニの背中をばしっ! と叩く。毛皮越しで威力は落ちているはずだが、鈍い音がした。
「いったいってば!! だからもう、クラノさん力加減覚えてくださいって言ってるじゃないですかっ!!」
ラニは、頭ひとつ半ほど背丈の違う大男に言い返す。一年近く旅を共にしただけあって、多少なりとも度胸を身につけたようだ。
「おっと、そろそろみたいだぞ」
先頭を飛んでいたカナリヤが、空中で静止する。三人もそれに倣った。
「あら伯父さま。久しぶりね」
雪と白い樹々以外何もなかった山頂に、若い女の声がした。
不自然に広々としたそこに、粉雪と、大きな雪の結晶が渦巻く。
淡い虹光沢を放つ白い鱗に、細身の身体。背中に純白の羽毛の翼を広げた美しい竜が、氷雪から姿を形作り、宙に浮いていた。白銀の雪の結晶を纏い、とても神秘的に見える。
「元気そうだな。ええと……」
カナリヤが、ちらりと娘たち三人を見やる。
「リッカよ。姪の名乗りを忘れるなんてひどいじゃない? コ・ハ・ク・お・じ・さ・ま?」
リッカはふざけて見せてから、後ろの娘たちに気づいた。
しかし視線は一点、娘に向けられている。
「伯父さま、ヒトガタでも作ったの? おかしなのがいるようだけど」
娘から目を外さぬまま、あからさまに表情を歪めている。
「お嬢さんのことか? ヒトガタとかじゃない。元は人間で」
「へくしっ」
娘は覚えがあったし、予感もあった。
声がした方に顔を向けると、
「さ、さむいです……」
いつぞやルリが顕現したときのように、一糸まとわぬ姿の子供がそこにいた。
ふわふわな翡翠色の髪と碧の目をした愛らしい子供は、
「男の子ですね」
ルリと違って、性別がわかるものがあった。娘は、自分の外套を脱いで包んでやる。
「ちゃんと包んでやるよ。こっちに寄こせ」
「お願いします。さあ、暖かくしましょう」
娘は、子供――カナリヤの魔力に影響され、娘の体内から顕現した魔法生物の少年をクラノに引き渡す。
クラノは慣れた様子で服やら靴やらを着せて、さらに毛皮などを巻いていった。
ついでに、呆然としながら寒がっているラニも毛皮を巻き始める。
「なんなのよ、それは」
震える声がした。リッカだ。
カナリヤは
「悪いな、突然で。いつ出てきてもおかしくなかったんだけど、まさかここでとはなー」
「伯父さま、説明になってないわ」
娘が振り返って見たリッカは、声だけでなく、身体もわなわなと震わせていた。
「伯父さまだけじゃなく、お母さまの魔力も感じるわ……」
「説明が途中だった。あのお嬢さんは元は人間で、お前の母竜のそばにいすぎて魔力的に変質しててさ。放っとくと魔力を身体に貯め込んで、今みたいに魔法生物を顕現させちまうんだよ。今回も、気づいたときにはもう遅くて……リッカ?」
カナリヤがリッカの顔を覗き込む。
が、恐らく今のリッカは気づいていないし、気にもしていない。
「今回もってことは、前にも……」
「あ、ああ。お前の母親がやらかした後だった」
「……今回は」
「……オレの油断だ」
ぶちり。
何かが切れる、そんな音が聞こえた気がした。
ヨハン絡みの騒動が始まるときと似ている。
娘が思ったのはそんなことだった。
開戦かなと、娘は愛用の薙刀を持ち直す。
そして、娘とシラユキの睨み合いにつながったのだ。
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