3.鋼の黒山
娘は目を覚ました。
あたりはごつごつとした岩場で、意識を失う前に見た場所とそう変わらないように思える。
しかし、周囲がやたらと賑やかだった。
具体的に言うと、花やら食べ物で飾り立てられていたのだ。
目でそれぞれを追っていくと、その中心は娘自身のように見える。
言ってしまえば、供え物のような。
単なる眠気とは別のだるさでぼんやりとする頭を働かせ、そんなことを考えた。
そもそも、ここへは偵察に来たはずだ。
次の目的地に向かう途中、避けて通れない場所。「鋼の黒山」と呼ばれる怪物がいる危険地帯が、ここから始まっていた。
クラノとカナリヤが様子を見に行き、娘は案内役の少女とともに残ったのだが。
「謀られましたか」
少女が勧めてくれた飲み物に、何か入れられていたらしい。気づかなかったことが娘にとっては不覚だった。
それでこのあり様なのだから。
「さて、どうしましょうか」
そう言ったものの、娘は上半身を起こそうとして、何度も失敗した。
意に反して、瞼がどうしても閉じてこようとする。
一服盛られたというには、明らかに人間に対する分量ではなかったようだ。
ずしり。
そのとき、地面が揺れた。
娘は、なんとかそちらに意識を集中させる。
地鳴りと揺れは、徐々に娘のいる地点へと近づいているようだ。
鈍った感覚ではいつものようには捉えられないが、何か巨大な質量が動いている。
そして、岩場の陰からそれは姿を現した。
周囲の、あらゆるものの大きさに対する感覚を狂わせる巨躯と、圧倒的な存在感。「鋼の黒山」とは、なるほど言い得て妙か。
現れたのは、母である紅き竜よりもひと回りは大きい竜だった。
故郷から旅立って以来の、久しい感覚だ。
全身を鋼の鱗で覆われた黒い竜は、ゆっくりと、娘の眼前まで鼻先を寄せる。
「お前が生贄か?」
「どうやらそのようです」
生贄に自ら出向いたことはあるが、差し出されるのは初めてだ。娘はぼんやりと考えていた。
「人間……とは違うようだな」
「わかりますか」
「その首飾り。どこで手に入れた? 布で封じた腕からも魔力が漏れている」
娘は内心、舌を巻いた。
同じ竜族にはわかってしまうらしい。
「生え替わりで落ちたものを、直接いただいて首飾りにしました。腕のこれは……遊んでいたらくっついてしまって」
「その鱗の持ち主は」
黒鋼の竜は娘に問う。
その表情からどことなく紅い母を連想し、
「あなたもよくご存知のはずです。クロガネさん」
気がつけば、つい声に出していた。
うまく力の入らない身体をなんとか起こしながら、娘は失言した口を押さえる。
許可なく竜の真名を呼ぶことは、とんでもない非礼だ。
「ハガネと呼べ」
紅き竜の実子は怒る様子もなく、鼻先で軽く娘の胸元を押す。
身体の支えがきかない娘は、いともたやすく後ろに倒された。
頭こそ浮かせて守ったものの、背中を地面に強く打ちつけ、意識をあっさりと手放してしまった。
◇ ◆ ◇
娘は、ツンと鼻を刺激するにおいで目を覚ました。瞼もさきほどより抵抗なく開く。
目の焦点を合わせている間に、身体を起こした。
背中の痛みにわずかに顔をしかめたが、我慢できる。
周りのあれこれを、視覚的にはっきり認識できるようになったころ、娘はにおいの元を見つけた。
娘から離れた場所に、何かの草が積み上げられている。
盛り草は小さな火種から白い煙を上げており、それが娘がのところまで流れていたのだ。
「気付けだ。身中の薬を薄める効果もある」
クロガネ――ハガネは、煙の向こう側に座っていた。
「ありがとうございます。そして先ほどは失礼しました」
娘は身体を起こしながら正座をし、ハガネに頭を下げる。
「私はどれくらいこうしていたのですか?」
「大して長くない。半刻くらいか」
「半刻……。その程度でしたか」
身体の
道すがら見かけただろうか。あとで探して持ち帰ろう、と娘は思った。
「つかぬことをお聞きしますが、よろしいでしょうか」
「何だ」
「あなたはなぜ生贄を?」
要求しているのか、それとも押しつけられているのか。
娘は明言を避けた。
「戯れだ。人間どもが鬱陶しいとき、母上がそうしていたと聞いたことがあった」
答えは素っ気ないものだった。
生贄については、ハガネから人間に言いだしたことらしい。
「実際に私という生贄が来たわけですが、どうでしたか?」
「存外、おもしろいものが釣れたな。まさか母上と関わりのある者とは」
ハガネは無遠慮に娘を見る。
「お前の方はどうだ、鱗の娘。目的は果たせたのか」
娘の目的は、
「いいえ。その算段をつけている間にこうなりまして。今出ている偵察隊が、あなたを避けられる道を見つけ次第、ここを抜けるつもりでした」
師匠たちはまだ偵察中だろうか。
ハガネが母の子ということは、カナリヤの甥にあたるわけだが、面識はあるのだろうか。
娘がそんなことを考えていたとき、
「愛弟子! 大丈夫か!」
聞き慣れた、男の低い声。大声で娘を呼んでいる。
「お嬢さん、そこにいるんだな!?」
こちらは青年の声で。
娘とハガネの中間にある崖から、帯剣した金属鎧姿のクラノが命綱も着けずに滑り下りてくる。肩に、絶叫する褐色肌の少女を担ぎながら。
黄玉の妖精竜カナリヤも、小さな翼を羽ばたかせてクラノの後を追ってきた。
娘と「鋼の黒山」ハガネ、クラノとカナリヤ、案内役の少女ラニが一同に会した。
「無事かお嬢さん! ……と、ハガネじゃないか!」
カナリヤはハガネの姿を認め、少し驚いたようだ。
ハガネも少し目を開いて、
「伯父貴か」
「その呼び方やめろよ」
カナリヤが即座につっこんだ。
「お前、この辺にいたのか」
「たまたまだ。まだ十年もいない。伯父貴はずいぶんと砕けた態度になったな」
「まあ、それなりに世俗に
「そういうものか」
聞いている分には、ただの世間話のようだ。
長命な竜族にとって、十年、数十年は、人間の数日から数年程度でしかないのだろう。
「偵察隊とは伯父貴たちのことだったか。ならばこのような者を差し出さずとも、自由に通したものを」
「だからその呼び方やめろって! それはともかくとして、お嬢さんを置いてったのはオレたちじゃないよ」
「そう。こいつな」
クラノは、いつの間にか肩から下ろしていたラニの背中をバシーンと叩いた。
「いったっ!!」
ラニは背中を押さえて悶絶する。
奇しくもそこは娘が地面で打った場所と同じだが、同情はしてやらない。
「そうか。なら、元々この者をどうこうする気はない。休んで行くなり、好きにするといい」
「そうさせてもらうよ、ハガネ。これからちょっと厄介者のところへ向かうことだったんだ」
竜族たちの話は済んだようだ。
娘は師匠から受け取った自分の荷物を地面に下ろし、
「さて、ラニ」
笑顔で、褐色肌の少女の名を呼ぶ。
さして大きくもない声音の鋭さに、ラニはびくりと身体を強ばらせる。
「説明がなかったこと、人間には多すぎる量の薬を盛ったこと。きっちりと落とし前をつけましょう?」
「で、でも結果良しというか、あなたならうまくやってくれるだろうと思ってたし、そもそも人間じゃないから大丈夫かなって……」
ラニは早口で弁明し、そして同時に己の失策を悟った。
「口答えしたこと、も追加ですね」
娘は目元の笑っていない笑顔で、いつの間にか手にした薙刀を構えながらラニに近寄る。にじり寄る。
「なあクラノ、あれ止めなくていいのか?」
「これくらい好きにさせてやれよ。やりすぎんなよー」
カナリヤと、のほほんとしたクラノのやりとりを合図に、ラニはきっちり三回宙を舞ったのだった。
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