2.慌ただしい日 ~カナリヤの来訪~

 竜の兄竜カナリヤが、風に乗って竜たちが棲む山にやってきた。

 身体の大きさ(小ささ)からして、流されてきたのかもしれないが。

 竜はあらためて、娘の腕に抱かれている小さな黄玉おうぎょく色の兄竜を見る。


「噂に聞いてはいたけど、お前ずいぶん丸くなったな。人間を自分の娘と認めるなんてさ」

「兄者もこう……態度が軽くなったな」


 兄竜も、以前は竜と同じような口調だったはずなのだが。

 小さな兄竜は笑った。


「今は人間とあちこち旅をしてるんだ。世俗にもまみれるさ。その連れもじきここにたどり着く」

「人間と、旅を……」

「あの」


 黙って竜たちのやり取りを聞いていた娘が、ようやく口を開く。


「お母さんのお兄さんというにはその、ずいぶんと体の大きさが」


 娘は、巨大な体躯の竜と、腕の中に収まっている小さな兄竜を何度も見比べる。


「オレは妖精竜なんだ。身体は小さいけれども魔法は得意ってね」

「そうだ。竜というのは生まれてみなければわからぬと言っただろう、娘よ。兄者はお前の腰の高さの卵から生まれて以来、姿が変わっていない」


 竜が生まれた直後は、二頭の大きさにさほど差がなかった。しかし、兄竜の身体はほとんど成長しなかったのだ。大きくなるばかりだった竜との体格差は、見てのとおりである。


「して、兄者。今日はどうしたのだ?」

「特にこれといった用事はないよ。たまたま近くに寄ったら、お前がなにかと噂になってたからさ。会いに行ってみるかって思っただけで。まあ、来てよかったよ。オレが思っているよりも元気そうだし」


 兄竜は娘の顔を見上げる。娘は兄竜と目を合わせて、不思議そうに首を傾げた。

 魔法に特化した兄竜なら、娘の状態も見ただけでわかるのだろう。


「ところでな、なんだか妙に疲れるんだよな。どういうことだ?」


 娘に背中を預けるようにしていた兄竜が、じたばたと四肢を動かす。あまり力が入っていないようだ。

 娘がそっと兄竜を支えて、膝の上に下ろす。


「私は少し調子が良くなりました。魔獣の肉を食べたときのように、魔力の飢えというか……。そういうものが少し、満たされたような気がします」

「あー、なるほど。濃度の問題か。お嬢さん、ほぼ魔力の塊みたいなもんなのに、魔力不足で貧血起こしてる感じだよな。お嬢さん中の結晶それが原因か。つまり、接触することで魔力の濃度が高いオレから、お嬢さんの方に吸収される形で流れたと」

「まあ」


 娘は驚いたように兄竜に触れて、そっと毛皮の敷物の上に下ろす。兄竜は少しよろけた。

 下ろす前に、娘が少し魔力を吸収したらしい。まったく、ちゃっかりしている。


「せっかくお越しいただいたのですから、なにかおもてなししましょうか。魔力をいただいてしまったことですし、魔獣の干し肉はいかがです?」


 娘は、まだ手をつけていない干し肉を差し出す。


「オレの魔力は休めば戻るけど……、妹の娘の好意を無下にはできんよな。いただくよ。その前に、そこの温泉に入っていいかい?」


 兄竜は、もわもわと湯煙漂う温泉を見る。

 その温泉も、竜が長く棲んでいる影響からか多少の魔力を宿している。

 兄竜はそれと関係なく、湯につかりたいものと思われた。幼竜のころから水浴びや温泉が好きなのだ。


「わかりました。では、ご案内を」

「大丈夫だって。目の前だし」


 兄竜は娘を制して、背中の小さな翼で温泉まで飛んで行く。そして水面に下りて湯につかろうとし、


「さてさて、旅の疲れでもとれ」


 つかるをとおり越して、そのまま「ちゃぽん」という音とともに温泉に落ちて沈んでいった。

 竜と娘は顔を見合わせる。

 娘はすぐに頷き、素早く温泉に飛び込んだ。

 少しの潜水時間のあと、捧げ持つようにされて兄竜が水面から出され、続いて娘が顔を出した。


「ここは深いので、立ち湯にしていまして。大丈夫ですか?」

「いやはや、驚いた。助かったよ」

「浅瀬にご案内しますね」


 そのまま娘は、兄竜を浅瀬まで連れて行く。

 兄竜が少しずつぐったりしているように見えるが、大丈夫だろうか。


 浅瀬に着いた娘は、いつも湯浴みに使う桶に兄竜を入れて温泉に浮かべ、桶が沈まない程度に湯を入れて手を放した。

 兄竜は桶の湯につかり、温泉の上をゆっくりと漂っていく。


「こりゃいいや。礼を言うよ、お嬢さん」

「いえいえ、ごゆっくり。私は着替えてきますね」


 温泉から上がり、娘はずぶ濡れの髪を絞って衣装を脱ぐ。

 瞬時に、その身体を湯気が覆い隠す。竜がかけた魔法だ。


「なるべく早く戻りますね」

「髪はよく乾かせよ」


 娘は微笑みを浮かべて頷く。

 濡れた巫女装束の水気を絞りながら、洞穴へと下がっていった。




 娘が着替えに下がってしばらく経ったころ、


「お母さん」


 娘の生活拠点がある方向から声がした。

 振り返ると娘がいた。が、竜はその服装を見て眉根を寄せる。

 娘が身にまとっていたのは、袖や脚の部分が透けた素材で作られ、ほかは身体の要所要所を隠しただけの、へそまで出ているような露出度の高い衣装だ。そして慌てて着替えたのか、衣装が妙に乱れている。


「砂漠地方の踊り子の衣装か」


 兄竜はひと目で断じる。いつの間にか、頭に手ぬぐいを乗せていた。


「旅の商人が、どうしても私に、というのでいただきました」

「それはいいとして、衣装の乱れを直せ。はしたないぞ」

「はい、すぐに。ところで、お母さんの宝物から瑠璃玉をいくつかいただいてもいいですか?」


 娘が言っているのは、今まで村人たちが生贄とともに竜に捧げた貢物のことだ。

 貴金属や玉、珠などは竜にとって特に使い道がない。ないが、種族特性として収集癖のある竜は、それらを律儀に保管している。


「構わんが、何に使う?」

「それは」


 娘は何かに気づき、途中で言葉を切る。


「お母さん、そのまま少しだけじっとしていてください」


 そして竜の顎下まで駆け寄って止まり、真上に片手を伸ばす。

 ぱしっと、娘は落ちてきたものをつかみ取った。


「この鱗もいただきますね!」


 剥がれ落ちたばかりの「逆鱗」を持って、娘は慌ただしく洞穴へと去っていった。




 カラカラと呼子よびこが鳴る。

 境界線を越えてきた人間を察知するために、娘が設置しておいたものだ。


「はいはい、ただいま参ります!」


 衣装の乱れを完璧に直した娘が現れた。背丈を越える棒状の柄に、燃える炎をかたどった赤い刀身の得物を手にして。


薙刀なぎなたか。この辺りにもあるんだな」


 湯から上がり、身体を乾かしている兄竜がもの珍しそうに娘の薙刀を見る。


「よくご存じで! 旅の商人と麓の鍛冶師が悪ふざけしながら作った一品なんです! この辺りでも珍しい武器ですが、それについては後でぜひ!」


 娘は話しつつ二頭の前を駆け抜ける。

 二頭がそろって顔を動かしながら後ろ姿を追う中、娘は慌ただしく山を下る道へ消えていった。


「なんか忙しそうだな」

「普段はそうでもないのだが」


 珍しく用事が重なったものだ。

 竜は兄竜の身体が早く乾くように、体表の温度を少し上げた。




 娘が出かけて少し経って。


「おーい、カナリヤー!」


 低い、男の声がした。

 娘が下山に使った道の入り口に、人間の男がひとり立っている。


 大柄で締まった身体、短い黒髪と頬に十字傷。身につけた鎧はこの辺りでは見慣れない金属製で、使い込まれていて小傷が目立つ。

 腰に下げられた剣は抜かれてこそいないものの、鞘も新品ではありえぬ風合いがあり、中の刀身も同じくいくつもの場数を踏んでいると思われた。


 男は人好きのする顔立ちをしているが、普段竜に挑むごろつきとは比べものにならない、凄まじさを感じ取れた。

 が、それ自体はたいした問題ではない。


 この男は、兄竜の真名・・を口にしたのだ。


 竜は威嚇の咆哮とともに首をもたげ、地面に尾を打ちつける。

 尾が直撃した岩が砕け散り、ずしんと地面が大きく揺れた。


「おお、おっかねぇ」


 男は口でこそそう言ったが、おどけただけで一歩も退いていない。

 竜はさらなる威嚇のため、炎を吐くべく口内に灼熱の球を作り出す。

 どこで兄竜の真名を知り、なぜここに来たのかはわからない。が、いざとなったら焼き殺してしまえばいい。


「おい、落ち着け妹!」


 竜の眼前に、兄竜の小さな身体が飛び込んできた。


「こいつはさっき言っていたオレの連れだ!」

「しかし兄者、この人間は真名を」

「いいんだ、オレが教えたんだから!」



「ただいま戻りましたー」



 緊迫した空気の中、娘が緊張感なく戻ってきた。

 いつもは涼しい顔をしているのに、今は「腑に落ちない」という表情をしている。


「山で何者かが争った形跡はあったのですけれども、誰もいませんでした」


 そして、娘と男は互いの存在に気づいた。

 ふたりはお互いの顔を見合わせて、


「あ」

「あ」


 片方は驚きに目を見開き、もう片方は笑いをおさええられないといった風に、それぞれの表情を浮かべてから、


「師匠!」

「久しぶりだな、愛弟子!」


 突然のことに、竜と兄竜は置いてけぼりをくらってしまった。

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