第50話.全てが始まる夜明けの鐘の音
下校時刻の辺りの風景は光が十分に足らないような真っ暗闇の夕方ではなく、まだ街灯もそこまで必要ではないような薄暗いものだ。
夏を迎えるこの梅雨という時期はどうして「梅」に「雨」を付け加えるのか、幼かった俺は過去に調べたことがあった。
ま、答えはそのまま梅の実がよく熟すのがこの頃で、ちょうど雨が降りやすいことが運よく被ってしまったためらしい。当時の俺にとってはなんてつまらない語源だとも思ったっけ。
「そうね、梅の木が生えやすくてさらに雨が降りやすいから『梅雨』。本当に昔の人々というのは面白いわね」
そこは単純すぎて「浅はかで笑えるわ」なんて貶すのではないのか。普段、俺と話すような流れならばそう言ったはずだ。
「他にもカビが生えやすいから「黴雨」となった説もあるのよ、ばい菌と同じ『ばい』の漢字ね」
なるほどそんな由来があるのか。なんとも俺が生きる時代では考えないような言葉だ。なじみがないと言った方がいいのか、現代の技術だったらスーパーで売っているカビ取り剤で容易にカビなんて消してしまうからな。
「『黴』じゃなく『梅』にしたのは『黴菌』と捉えられて良いイメージが付かないからか」
「いえ、部屋を見回したらカビだらけで外に目を向けたら梅が生えていたからかもしれないわよ」
「そんな滅茶苦茶な理由でか!?」
「昔の住民なんて所詮そんなものでしょう、他にもこんな由来があるのよ」
「嫌な気配しかしないが念のため聞いておこう」
「『黴雨』だったのだけれど当時の人にとって『黴』の字を書くことが面倒だからそこら辺に生えていた『梅』を使った、なんてのもあるわ」
おお、なんと俺のモットーを過去の人々は理解していたというのか、もしタイムスリップをしたら住民達と意気投合してしまいそうだ。
「それは素晴らしい選択だ。もしそのまま変えようとしなかったら『黴』を書かせられたってのか。画数を考えただけでも頭が痛くなる」
「私だったら夏の前に降る雨で『前夏雨』にするわ」
「その方がつまらないだろ!そもそも梅雨って明確に季節は分けられないんじゃなかったか、だから『梅』なんて文字使ってるんだろ?」
「なら秋雨はどうして?」と神無月。
どうして痛いところをこうも突いてくるのか。
「そうね、どうしてかしら」とさらに問答を突きつけてくるので俺は嫌々答える。
「秋に降る雨だから『秋雨』だ」
「季節は区別できないんじゃなかったの?」と再び神無月。
「いや俺は『梅雨』」のことを言ったんだ。梅雨はこれといって季節が決められているわけじゃない、神無月だって知ってるだろ?日本の四季というのは何だ?」
「春夏秋冬だけど~~?それが何か関係あるの?」
小首をかしげていまいち理解していないようなので俺はアンサーを教えることにした。細かく言うならばアンサーに繋がるヒントのようなものか。
「『秋雨』だぞ?」
その一言で合点がいったのか「ああ!!」と右こぶしを左掌の上にポンと叩いた。
「そう、秋雨の秋は日本で明確に四季の中に入っている。つまり秋に降る雨というのは別上変な問題というわけではないということだ」
「強引ね」と水無月は神無月の耳に届かない声で俺に言った。まあ、そんな反応をするだろうな。
納得して「なるほどーー」と頷いている神無月と無言で目の前の交差点を眺めながら歩き続ける水無月を両隣にしながら下校する俺。
ちょうど信号が赤になり交差点の手前で立ち止まると、ふと俺は頭に
「な、なあ。俺と
何も知らない水無月は戸惑いをみせながら俺を二度見し、
「私たちはいいけど、神無月さんのことは紹介するも何ももう知っているじゃない」
小説家だ、という自己紹介は俺と水無月はした。そして一人の読者であるということも神無月はした。
でも、それだけでは足りないはずだ。
「神無月、いいのか?」
俺は俺自身で彼女を促す。俺の口から明らかにしてしまえば、クリエイターの門に立とうとする彼女の為にならない。そんな予感がしたのだ。
無言。言葉が空中に現れずにそのまま空気としての流れを感じる。淀みを生じず、そのまま車と同じように交通の流れを乱さないようにただ流れるだけ。
俺もそうだが、水無月も神無月の沈黙する姿をじっと見つめながら立ち止まっている。他人は立ち上がるように補助として手出しは出来るが、自分が立ち上がるためには自分自身でしかそれは出来ない。病院でリハビリをするのは当事者しか不可能だということと同じだ。
「も、もし…………」
信号が青になり渡れるはずの交差点をあえて渡らない俺と水無月、そして神無月。やがて二度目の赤が到来する。
「よかったら、でいいんですけど……」
薄暗くなる夕方、黄昏時に、神無月の方へ振り返った水無月。水無月の背から溢れた地平線の向こう側からの陽の光が神無月を照らしている。
「新聞記事に使う写真を私に描かせて欲しいです」
相変わらず沈黙を続ける水無月、その表情顔つきは生徒ではなく、これはどちらかというと編集者の顔だ。物事を長くかつ深く、深海に届くような険しい目で思い悩んでいる。
まるで新米小説家が編集部に押し入りで自作小説を持ち掛けてくるような光景。つまり神無月も、やっと
ゆっくりと閉じていた口を開き、そして呼吸を整え応える。
「…………いいわよ」
俺、いや俺たちの眼前に広がっている信号の色は「青」だった。
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