初めての海に大はしゃぎ

 翌日。朝目が覚めて朝食後に支度を終えると、俺たちはすぐに休憩所を出た。

 するとすぐに大陸の端に到達して海が見えてくる。そこでまたちびっこは大興奮……かと思いきや、それはティナも同じだった。

 たしかにほとんどハジメ村周辺から出たことないって言ってたし、海を見るのもそりゃ初めてか。


 ティナとエリスは「わ~!」とか「すごい!」とか二人で似たような台詞を交互に飛ばしながら騒いでいる。ロザリアはそんな二人をにこやかに見守り、ラッドはその膝でまたもや眠りこけていた。

 

 大陸上空から離れると視界は本格的に青に染まる。見渡す限りにどこまでも海が広がり、彼方にある水平線はどこまでいっても変化することがない。

 そんな光景をじっくりと眺めていたら服の袖がくいくいと引っ張られた。

 振り返るとエリスが視線をこちらには寄越さず、眼下の景色の中にある何かを指差しながら言った。


「ねえねえ、あれは何? 人間じゃないわよね」

「あんなとこに人間が浮いてたらやばいな。ありゃクラーケンってモンスターだ。海の表面に顔を出すこと自体が珍しいからラッキーだぞ」

「へえ~」


 エリスが歳相応に感嘆の声をあげる。旅が楽しめているようで何よりだ。

 本来海上でクラーケンに遭遇したらラッキーどころかピンチなことに対しては誰も何も言ってこないのでよしとしよう。

 エリスの次はティナの番だ。


「ねえねえ、じゃああれは何?」


 ティナは眼下の景色にぽつりと浮かぶ島を指差している。


「あれは島だな。まあこの辺の海じゃ珍しいかもな」

「違うよもー! 何の島かって聞いてるの!」


 眉間に皺を寄せて語気を荒げるティナ。


「何怒ってんだよ。知らねえけど家らしきものが見えるから人は住んでるんじゃねえかな」

「ふ~ん、またいつか行ってみたいなぁ」


 そんな感想をティナが述べる間にも、島は俺たちの後ろに流れてしまっていた。


『魔王を倒した後にいくらでも私が連れて行ってやるぞ』

「本当? さすがぴーちゃんだね」

「そっ、その時は私も一緒だから」

「うん。じゃあエリスちゃんのお仕事がお休みの時にしようね」


 勢いよく照れながら割って入ってきたエリスに、穏やかに微笑むティナ。

 その会話の後、二人はまた何か面白いものがないかと探す作業に戻っていく。

 でも俺は、最近よく出てくるようになった「魔王を倒した後」という言葉に、またしても思考を奪われていた。


 いつかキースが言っていた「魔王を倒した後はどうするんだ」という質問が頭の中でもう一度暴れ出す。

 

 俺はどうしたいのだろうか。未だによくわからないけど、ぼんやりと思っていることはある。

 それはティナと、少なくとも今と同じ関係ではいたくないってことだ。


 今と同じようにただ一緒に暮らしていこうと思えば出来ないこともないと思う。それでも、俺はティナと友達や仲間とかになるために下界に来たんじゃない。

 わがままなのかもしれないけど、俺はティナとこっ、恋人に……夫婦になりたいんだ。だから、俺が気持ちを伝えるべき時はもうそこまで迫って来ているのかもしれない。


 そう思うと何だか緊張してしまって、懐にある世界樹の花に手を添えた。

 実はティナから力をもらえるような気がして、何かに悩んだり落ち込んだときはこうしてこれに手を当ててみたりしている。


 とまあそんなことはいい。とにかく気持ちを伝えることに関しては今は置いておこうと思う。

 人生をかけた勝負だし、キースあたりの意見を聞いてからにしたい。何だかんだであいつを頼りにしてしまっているところが悔しいけどな。


 あれこれと考えていると、ずっと気分が高揚しっぱなしの二人からまたも歓声があがった。

 すっかり意識を引き戻された俺は、どちらともなく尋ねる。


「なになに、今度は何だ?」

「なんか遠くに少し大きな島が見えてきたわよ! あれじゃない?」


 そう言ってエリスが指を差す先にはたしかに島がある。

 そんなに大きいというわけでもなく、一日あれば走って一周出来そうだ。


「お~、そうだな。たしか地図によればあれがトオクノ島だと思うぞ」

「楽しみだね、エリスちゃん」

「ま、まあそうね」


 素直に感情を表現するのが恥ずかしいのか、エリスは頬をほんのりと赤く染めてうなずく。


『今回も街中に下りるか?』

「いや、初めて行く街で勝手もわからないから、外の適当な場所で下ろしてくれ」

『わかった』


 フェニックスとの確認作業も終わった。後は島に下りるだけだ。

 街の上空から少し離れたところに到達し、少しずつ高度を落としていく。

 膝にラッドを寝かせたロザリアに声をかけた。


「準備はいいか? ラッドも起こした方がいいぞ」

「そうですわね……ほらラッド様、トオクノ島へつきましたわ」


 ゆさゆさ、肩を揺さぶるもラッドが起きる気配はない。魔法で寝かせてるからそう簡単には起きたりしないのだ。

 すぐに状態異常を回復する魔法でも使うんだろうと思ってたら、ロザリアはなぜか杖を取り出した。すると次の瞬間、それで勢いよくラッドの頭をごしゃっと殴打する。


 ラッドは身体を跳ねさせてからゆっくりと目を開けて上半身を起こすと、頭を抱えながら唸り声をあげた。


「う……ん」

「ラッド様、おはようございます」


 ラッドは気品のある笑みを口元に湛えたロザリアの方を向いた。


「おはよう、ロザリア」

「御気分はいかがですか?」

「何だか頭が痛いのだけれど……概ね問題ないよ」

「まあ、それは大変ですわ! 下りる寸前までは今少し膝枕でお休みになりませんと!」

「い、いいのかい? 何だか恥ずかしいな……」


 ロザリアはラッドの頭に手を添えると、優しく自分の膝へとうずめた。

 ……何だか怖いものを見た気がするな。

 今のはどういうことなんだろうか。好きな人には意地悪をしたくなるということなのか、それともそこまでしてラッドに膝枕をしてあげたかったのか。


 思索にふけっていると、俺が一部始終を見ていたことに気付いたロザリアがこちらを見て柔らかく微笑んだ。


「ジン君。愛の形は様々なのですわ。ですから……」


 と言ってロザリアは、唇に立てた人差し指を当てる。

 やはり女心というものは俺にはまだ難しいのだと思い、この件に関しては考えるのをやめることにした。


 二人のやり取りを見守ってから少し、遂に俺たちはトオクノ島へと下り立った。

 全員が下りたのを確認してからフェニックスがいつもの大きさに戻ると、俺たちはいきなり目の前に見えている街へ向かって歩き出す。もちろんこの時、エリスを肩車することも忘れていない。


 周りは特に何もない草原地帯だ。後ろを振り返ると、遠くには島の外周を走る山々がそびえたっている。

 とはいえ、この島は完全に山に囲まれているわけでもないので、カジノで遊びたいやつらが世界中から集まってくるみたいだ。そのほとんどは金を持ってる貴族とからしいけどな。


 昼下がりの太陽がほんのりと島を照らす中、街に入る寸前のところでみんなに話を切り出した。


「思ったより早く着いたけど、どうする? もう宿屋に入るか?」

「う~ん。せっかくだしカジノに行ってみるのもいいかもしれないねえ」

「まあ、お前はずっと寝てたし疲れてないだろうからな」


 そこでラッドは気取った仕草で前髪をかきあげた。


「ふっ、そういった言い方はやめてくれたまえ。寝てたのではなく、ロザリアの膝枕を堪能してたのさ」

「お前それ自分で言ってて恥ずかしくねえの?」


 いやだって、俺がティナの膝枕を堪能なんてしたら間違いなくばかやろぉ案件だし、今想像しただけですでにちょっと顔が熱くなってきてるぞ。

 そこで好奇心旺盛なティナが、手をあげながら元気よく提案した。


「はい、たいちょー! 私はラッド君の言う通り、カジノに行ってみるのがいいと思います!」

「それはどうしてかな? 言ってみなさい」


 ミツメの城で兵士長が部下に接してる時みたいに、少し大仰な口調で後ろ手を組みながら言うと、ティナは敬礼の真似事をしながら返事をする。


「はいっ! 行ってみたいからです!」

「よろしい、その代わり私も一緒に行こう」

「ありがとうございます、たいちょー!」

「あんたどんな理由でも認める気満々じゃないのよ……」


 と、呆れた感じの声が上から降ってきた。

 当然だ。ティナがそうしたいと言うのなら俺が断る理由はない。


「それじゃま、適当にカジノを探すか」

 

 そう言って一歩を踏み出したところで、ラッドが声をかけてくる。


「ジン、どうせ行くのなら中央の一番大きいカジノにすればいいんじゃないかな。ひとまず魔王城の地図というものにお目にかかろうじゃないか」

「ラッドにしては中々いいことを言うじゃねえか」


 振り返ると、ラッドは威張り顔になって胸をはった。


「ふっ、もっと褒めてくれたまえ」

「何かあんたら二人、最近どんどん気持ち悪くなってきてるわね……」

「俺を巻き込むな、俺を」


 まあ男同士の友情は度が過ぎると気持ち悪いのはたしかだ。俺とラッドの間でのそれとなるとなおのことだろう。

 俺の抗議に対して返事代わりについたエリスのため息を聞きながら、俺たちは世界最大のカジノ街、シックスの中へと足を踏み入れた。

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