Episode 47.「偽物のアイ」
「世界はね、シオン。あなたが考えてるよりずっと救えないんだよ。だから、私たちは自分の救いを見つけるしかない」
「……救い?」
「そう、たぶん、シオンにとってはソーヤだよね。私にとっては……」
と、サクラは言いながら、包帯で覆われた右目をなぞった。そこにあったはずの彼女の眼球は完膚なきまでに破壊されてしまった。
本物と代わらない人工眼球を入れたって、それは彼女が生まれ持った目ではない。偽物、贋作。まるで、あの日いなくなったソーヤみたい。
私は――なんと返すべきなのだろう。世界は救えない、そう彼女は言った。この小さな世界を越えるために、己にたったひとつの幸せさえ許さなかった彼女が、そして半分の世界を失った彼女が、私にそう言ったのだ。
そんな彼女にできることといえば、覚悟。私が抱いたそれを、示し続けるしかない。この先に進むにも、この先を語るにも。私も失う覚悟をしているのだと、そう、話さなければ、今度こそ、私はすべてを無くしてしまう。
だけど、もう――腹は決まっていた。
「――それでも、私はやるよ。サクラ」
心臓が早鐘を打つ。不快な浮遊感と血液の流れる音が一層強く感じられた。
「やるんだ、これ以上この街に悲しみを増やしちゃいけない。いけないんだよ」
もう、私とソーヤだけの話ではないのだ。
【スクールヤード】、ここは子供たちによる子供たちのための、学生の國。
理由はどうあれ、親元から離されて生きてきた私たちは愛を知らない。だからきっと、目の前に愛しい誰かの影法師が現れたなら、それを愛してしまうだろう。
偽者と知らずに、愛を注いでしまうだろう。
それはある意味での答えなのかも知れない。救いなのかも知れない。私たちに新しく用意される、ひとつの逃げ道なのかも知れない。
知れない。
知らない、そんなこと。
私は許せないのだ。その感情を、勘定のもと、欲を満たすために使おうとしている誰かがいることが。だから、私は何があっても抗わなければならない。
私として、なにより、女の子として。
偽物の愛だけは、許せないのだ。
「……」
サクラは、しばらく私の顔を見つめていた。
それは私を咎めているようにも、哀れんでいるようにも見えた。けれど、何より。
「……本当に、いいの?」
その薄い唇を、震わせながら。
「演算炉を停止させるってことは――今いるレプリカントの整備や"創造"もできなくなるんだよ?」
「……そうだね」
「あなたはまた、ソーヤと離ればなれになるんだよ?」
覚悟はした、つもりだった。
なのに、その言葉は予想よりも心を深く抉った。
離ればなれ。
お別れ。
どうしようもなく冷えきった、私の恋の終わり。
私たちの物語の終わり。
彼女は訊いている。終わらせてしまうのかと。ここで幕を引いて、エンドロールを流すのかと。
胸の痛みが、どんどん大きくなる。これは、傷だ。あの日から癒えない傷。ソーヤを喪ったあの日から、ずっと私を苛む古傷。
私はそれにも、決着をつけなければならなかった。
「……いいの」
「……本当に?」
「いいんだよ、だって、ソーヤはもういないんだから。あれはきっとそれっぽい残響で、あいつ本人じゃ、ないんだ」
どん。
ひとつ、大きな音がした。私の心が弾けた音、ではない。サクラがベッドの手すりを叩いたのだ。彼女の腕はとても細いのに、その力はとても強いように見えた。
「……いいわけ、ないでしょ」
震える拳。左目には強く、感情の火が灯っていた。眉も吊り上がり、私を睨み付けている。
彼女のこんな表情を見るのは、初めてだった。
「どう考えたって、おかしいでしょ。どうしてあなたが犠牲になるの。コロニーのみんなのためとはいえ、あなたが悲しまなきゃならないのは、おかしいよ」
「……でも」
「でもも何もないの! だって、せっかく会えたんだよ? 何年も前に終わったと思っていたお話が、また動き出したんだよ? そのためなら、私はあなたがまた無茶をしても、仕方ないと思ってたのに……」
サクラはそう捲し立てると、身を乗り出して、私の目を胸ぐらを掴み上げた。
繋がる視線は一直線。
そして。
「本当に、それでいいの……?」
縋るようにして俯きながら、絞り出すように、それは聞こえた。
潤んだその視界には、私は歪んで見えているのだろう。ぽろり、と彼女の目に映った私が溢れ落ちた。それは真珠のようにも見えたし、もしかしたら、私なんかよりもずっと尊いものだったのかもしれない。
そのくらい綺麗な一滴が、ぽたり。
ひとつ、またひとつ。
私はなんと言えばいいのだろうか、と、一瞬だけ迷った。この手のひらには何でも作れる力があるのに、こういうときに気の効いた一言すら持ち合わせていない。
それなら、捻りなんて要らない。まっすぐに伝えることにした。率直な気持ち。今思っていることを、そのまま。
「……うん、もう、大丈夫。それに――」
そこで、私の視界も歪んでいることに気づいた。でも、だめだ。今はまだ泣いちゃだめ。次に泣くときは、もう決めてあるんだ。
君の前まで。
何もかもが片付くまで。
私はもう、泣いちゃいけないんだ。
だから。
「――あいつには、あの時にお別れを言ったからね」
あの日、ひしゃげたバスの中。
焼け爛れていく彼の顔を、私は今でも覚えている。
ソーヤ=フォルガットは死んだのだ。
そして弱かったシオン=ヴィオレットもそこで死んだ。
だから、あの別れはもう完結している。私はどういう結果を迎えようと、必ず諦めなければならない。
まだ聞き分けのない子供だけど、そのくらいは受け入れた、つもりだ。
「……」
サクラはそれ以上、何も言わなかった。ただ、その大きな瞳に一杯の涙を溜めて、悲壮な顔で見つめるばかりだ。
私は堪えきれずに目を逸らした。一番の友達。数少ない理解者。それにまた、こんな顔をさせてしまったのだ。
「……仲直り、したかったのになあ」
誰にも聞こえないように、口の中で呟いてから、踵を返す。次に彼女と顔を合わせるのはいつになるだろう。その時には、こんな顔をさせてはいけない。
時間が必要なのだろう。この不条理を飲み下すための時間が。この全てが満ち足りたようで、何もかもが崩れ行く世界で、私たちにどうしても、足りないものだ。
だから私はそのまま歩き出す。シュッ、と扉が開いて、サクラと同じ空間から、私は脱出した。
逃げ出すように。
私は彼女の前から立ち去った。
「……はぁ」
溜め息をひとつ。そこには色々なものが込められていて、単一の意味を掬い上げることは難しい。
結局、私の言葉では彼女を納得させることはできなかったのだ。
「……どうして、上手くいかないんだろうなぁ」
私にもっと、上手くこの心を伝える方法があったなら、サクラに心配なんてかけずに済んだのかもしれない。
何が際限無しの創造者だ。唯一無二の才能だ。いくら肩書きを並べたって、私はかけがえのない友達にたったひとつ、伝えたい言葉すら持ってない――。
「――本当に、そうなのかな」
不意に、横合いから聞こえてきた声に、私は思わず跳ね上がりそうになった。
壁に凭れるようにして待っていたのは、純白の髪、細い体、そして何よりも、意志を宿した煌めく瞳。
私と目を合わせて、たっぷり数秒、間を置いてから彼――ソーヤ=フォルガットの残響は、優しく微笑むのだった。
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