「あなにやし」の秘密

@kyoh_izumo

第1話 あなにやし えをとこを

 エッセイ、般若心経を読む項において、日本語とサンスクリット語の共通点を書きました。

 日本語とサンスクリット語の違いは明快です。

 日本語には、サンスクリット語が印欧祖語とされる理由にあたる音、ヨーロッパ祖語の響きがありません。

 サンスクリット語には、日本語のヘブルアラム語的な音がまったく入りません。

 日本語とサンスクリット語が影響し合っている、またはどちらかがコピーであった場合には、上記の変化は出ません。

 これは、サンスクリット語が成立する以前、三〇〇〇年から五〇〇〇年前、それ以前に日本語とサンスクリット語の話者が共存していたことを示します。

 それと同時に、

 音が正しい。

 という言い方をしなければなりません。

 サンスクリット語に入って居る印欧祖語の音は断片的に同一(同じyの音が入っているとかその程度)ですが、日本語はほぼ現在と同じ形になっています。会話のなかで通じてしまうほどです。

 言い換えると、かなりの日本語の音は、五〇〇〇年前から変わっていないのです。

 このような言語は他に存在しません。

 英語、ラテン語、スラブ語、アルタイ諸語、漢語、全て古い日本語よりも新しい言語です。


 サンスクリット語に入っている日本語と言いましても、それが本当に日本語なのかをちょっと検証、遊んでいきたいと思います。


 古代日本語。やまと言葉の再生をします。


 古代日本語の再生と言いましても、サンスクリット語と日本語で共通する音に注意する必要があります。

 日本語は、書き言葉と話し言葉がありまして、近代まで一致していません。現代では文言一致しますが、たとえば1900年パリ万博の頃の新聞と、パリ万博で録音された日本人の話声を比較することは容易です。文言がまだ一致していないことがわかります。新聞では、「そう言ふものなり」などという書き方をしますが、話声のほうは今そこにいても違和感がありません。それ以前になると、「私は知らない」と書けば「我関セズ」になります。文章が話し言葉とどんどんかけ離れる傾向がでます。サンスクリット語にある、日本語の音は話し言葉のほうです。あっち、くらんだ、今、さまざまなどです。これらは平安時代の文献にある言葉ではありません。

 古い話し言葉のほうを探さなければいけません。

 出雲弁や東北の方言は同源で、平安時代よりもさらに日本語としては遡れますが、これの起源を遡ったところで文献が出ません。

 しかし日本書紀や古事記には噂話や伝説が記載された部分があります。この中に実は、台詞の「音写」が存在します。台詞の音写とは、話し言葉そのものであるはずです。

「あなにやし、えをとこを」

「あなにやし、えおとめを」

 イザナミとイザナギはこのように「言って」柱を回って結婚します。

この【言って】というのがミソです。台詞の音写なのです。

 2018年現在の訳では、

「まあほんとうにええおとこ」

「まあほんとうにええおんな」

 と言うのが大半のようです。

 なにかおかしいのです。最後の「を」が意味不明になっているところとか、結婚する台詞とは思えない下品さがあるところです。

 ちなみに、日ユ同祖論などでは、あなにやしをヘブルアラム語で「アナ・ニーサ」(私は結婚する)と読むものもあります。ヨセフ・アイデルバーグ著から抜粋です。しかしこれ、後半は「ええおとこ」なのです。半分だけヘブルアラム語というのもおかしな話です。

 サンスクリット語に古代の音があるならば、この古代日本語が読めるかもしれません。

 「あなに」これは古代の和歌でも使われている表現です。「まさに」「本当に」という意味です。疑うところがありません。サンスクリット語でも同じ音で、「まさに」という意味になってますね。

 「やし」これは日本語では、まさにを強調するかのように扱われていますが、現代語訳では「超すごいいい男」という賛美になるのでしょうか。

 サンスクリット語では、「求める、乞う」という意味です。

 「え」

 これは「ええ」「良い」と解釈されますが、

 古代の和歌では、否定文に「え」が強調形で残ります。名詞の前につけて、「これ」という意味ですね。

「え?」

 というのも同じです。強調する意味があります。かなり強い強調かもしれません。

 「えおとこを」

 で、「この男性を」ということになります。

 それで読み直してみましょう。

「まさに求めます。この男性を」

「まさに求めます。この女性を」

 これが結婚のときの台詞だと思われます。

 古代日本語を再生させたら、次の文章を現代の日本語で読めるようになるでしょう。

「あなにやし、えをとこを」

「あなにやし、えおとめを」


 さてこの結婚式のスタイルですが、実は古代イスラエルと同じなのです。

 柱を回って誓いの言葉を述べます。


 邪馬台国のエッセイでも語っていますが、倭国と古代イスラエル建国前のシロの時代が重なります。

 BC1000にイスラエル王国が建国、このとき倭国が日本に来ていますので、重なっていたのはBC1100〜BC1200年あたりでしょうか。

 その時、カナンにはシロという場所に王のいない国がありまして、出雲の神在月よろしく、一年に一度みんなが集まっていたようです。時代が重なるのです。

 シロがなくなってから、倭国が日本にきているのです。

 このシロというところに軍事拠点であったようですが、倭国でも軍事拠点をシロと呼びます。

 神道の様式も、その時代から古代イスラエルと同じです。

 不思議ですね。

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