第4話 夜のパーティー(1)



 誰かがうなじにキスをした。



「……」



 あたしは眉をひそめて、うずくまる。うなじを枕で隠した。



「……」



 相手がくすっと笑って、あたしの首に指を滑らせた。



「……ん」



 唸ると、またくすくす笑う声が聞こえて、あたしの鎖骨にキスをしてきた。



「ん……」

「テリー」



 キスをされる。



「や……」

「可愛い」



 キスをされる。



「んん……」

「ここを舐められたんだって?」

「さわるな……」

「俺のものなのに」



 キスをされる。



「誰が……おまえの……ものよ……」

「ほら、見せろ」

「やだ……」

「ここか」



 キスをされる。



「やめて……」

「やだ」

「あっ」



 キスをされる。



「やめっ……」

「血も吸われたんだって? ここか」

「ひゃっ……」



 噛まれる。



「やだ……」



 舐められる。



「んっ……!」



 ネグリジェの上からあたしに触ってくる。



「ちょ、どこ、さわって……」

「お前は俺の妻だろ?」

「なにが、妻よ……」



 押す。



「やめて」

「やだ」



 締めつけられる。



「いやなの」

「こっち向け」

「やだ」

「テリー」



 青い目が見てくる。



「愛してる」

「やっ」



 顎を押さえられる。あたしは必死にその体を押す。



「くちは、いや……」

「だーめ」



 口を塞がれた。



「んっ」



 あたしはその体を叩く。



「んう!」



 無理矢理寄せてくる唇に、噛みついた。



「いや!!」

「痛い!」







 ――はっと目を覚ました。






 気が付くと、クレアの指を噛んでいた。



「「……」」


 あたしは仰向けになり大の字で寝ていた。ちらっと隣を見る。あたしの口に手を置いて、体を小さくして寝ていたクレアが顔を上げて、自分の手を見た。血が出ている。


「「……」」


 クレアが起き上がり、指を見て、指をこすり合わせた。血が止まった。


「「……」」


 クレアが銃を取り出し、あたしに向けた。


「なんだ?」

「はあ……。夢か……」

「何の恨みがあってあたくしの指を噛んだ」

「事故よ。変な夢を見たのよ」

「あたくしの美しい指に、歯型がついた!」


 クレアがうずくまった。


「痛い! あー! もう嫌だ! あたくし、今日は仕事しないから!」

「あたしの口に手を置いてる方が悪いんでしょ」

「知らないもん! 目が覚めたら噛まれてたんだもん! 嫌い!」


(あー、出た出た。またこれよ)


 あたしもむくりと起き上がり、クレアの背中を撫でた。


「悪かったわ。クレア。ごめんなさい。でも、変な夢見たの」

「指が痛い」

「絆創膏貼る?」

「あれを貼ったらなんか指が気になるんだ。いや!」

「着替えて。髪の毛梳かしてあげるから」

「……今日は三つ編みがいい」

「ああ、わかった。先に着替えて」

「……もう噛むなよ」

「ええ。ごめんなさい」

「絶対噛むなよ!」

「ごめんなさいって言ってるでしょう!」

「お前が悪いくせに、あたくしに怒鳴るとは何事だ!」

「いいから着替えなさいよ!」

「ばか! ロザリーのばか!! 嫌い!」

「ああ! そう! じゃあ身支度はしなくていいのね!」

「それはお前の仕事じゃないか!」

「嫌いなんでしょう!? じゃあ自分でやればいいじゃない!」

「ばかっっっ!!」


 クレアがぷんぷん怒りながらクローゼットの扉を開き、ばたんと閉めた。


(……はあ。さて、リボンはどれにしようかしら……)


 あたしはクレアの三つ編み用のリボンを選び始めた。



(*'ω'*)



 宮殿へ戻る前に研究所を覗くと、スペード博士とクラブが青い狸の着ぐるみを着ながらにっこにこして、あたしにそれを差し出した。


「ブルーローズのこーうーすーいー」

「今朝、博士が開発したとかなんとかね」

「はあん。いい匂い」


 二人が手につけてくんくんと匂いを嗅いだ。


「よろしければどうぞ」

「中毒者のことは全くわかりませんがね」

「素敵な香水は開発できたの!」

「流石です。博士! とかなんとかね!」

「むふふ! いい匂い!」


 あたしとクレアが手につけて匂いを嗅いでみる。……青い薔薇の匂いだわ。


(別になんてことはない)


 ニクスの残した謎は、残ったまま。


「……」


 クレアがあたしの首に香水を塗った。あたしの首から青い薔薇の匂いがする。それを確認すると、ニッコリとして離れた。


「ロザリー、お前から、あたくしと同じ匂いがする。よかったな。嬉しいだろ。喜ぶがいい。拍手して泣き叫んで感動しろ」

「……変な噂が立ちそう」

「ああ、テリーお嬢様、下水道で亀の中毒者に追いかけ回されたんですって?」


 あたしはスペード博士に頷いた。


「はい」

「亀ですって。あら嫌だ。亀ちゃんは普段とっても可愛いのですよ。それがなんか、聞きましたよ。え? 舌が長かったとか。不気味だったとか」

「中毒者とかなんとかは、体の中で呪いが渦巻いてる。その中毒者は、亀なのか、それとも亀好きの人なのか。心当たりとかなんとかはありませんか? テリーお嬢様」


 亀好き。


(……)


 ラメール。


(いや、ありえない)


 あたしのちょっと上くらいの男の子よ。ありえない。


(いや、でも……)


 可能性がないわけではない。


(調べてみるに越したことはないか)


「博士、小池の亀も調べておきます?」

「あら、そうね! とてもいい案だわ。助手君! 亀の餌を用意しないと!」

「とかなんとかってね」


(いいわ。あたしも調べてやろうじゃない)


 あたしの目がきらんと光る横で、クレアがあたしのリボンを弄って遊んでいた。



(*'ω'*)



 マールス宮殿を歩くメイド達の横を通り過ぎれば、振り向かれる。


「あら、ロザリー、どこにいたの?」

「ちょっと、出張」

「まあ、大変ね」

「またクレア姫様?」

「そんなとこ」

「ご苦労さまね」

「お疲れ様」

「ねえ、ラメール見なかった?」

「ラメール?」

「草むしりしてるんじゃない?」

「そう。ありがとう」


 あたしはとことこ庭まで歩いて行くと、男の使用人が何人か集まって庭の整備をしていた。下っ端のラメールは草むしりをして、ふう、と息を吐いていた。


(ありえないとは思うけど……)


「ラメール!」


 呼ぶと、ラメールが振り向いた。あたしの顔を見て、にこりと微笑んで近づいてくる。


「やあ、ロザリー」

「おはよう」

「休憩室で見かけなかったな。クレア姫様か?」

「ええ。そんなとこ」

「大変だったな。虐められてないか?」

「それが……」


 あたしは目を伏せた。


「ラメール、あのね……」

「ん?」

「実は、相談があって……」

「相談?」

「話せないかしら? ……二人で」


 ラメールが固まった。


「ラメールにしか、話せないの」


 ラメールの脳裏で会議が開かれた。堅物真面目なロザリーは相談したいことがあるらしい。一体なんだろうな。力になれるといいけど。いや、待てよ。僕にしか相談できないことってなんだろう。だって、コネッドだっているのに。わざわざ僕を選ぶなんて。なんだろう。一体何を相談したいのだろう。まさか、ロザリーにとって、僕はそこそこ頼れる存在なのかもしれない。うん? よく見たら、ロザリーって少し可愛くないか? 背も小さいし、なんだか、恥ずかしげに僕に話しかけているようにも見える。いやいや、違う違う。ロザリーはきっと、何かを相談したいんだ。下心なんてないぞ。何もないぞ。うん、だって、僕にはニクスが、メニーがいるのだから。いや、うん、よく見たら、なんか、うん、結構、うん。可愛い気がするかもしれない。


「夜、二人だけで話せない?」

「夜……!?」


 ラメールは確信した。なんてことだ! この子は、僕をデートに誘ってるんだ! ああ、僕にもモテ期がきたようだ! 胸はないが、背も小さいが、鋭い目つきが怖いけど、こんな無愛想な女の子が、僕を好きだなんて、ちょっと優越感!!


「もちろん! いいよ!」

「いつ頃空いてるかしら?」

「夜なら、いくらでも!!!!!」


 ラメールがあたしの手を握った。


「いくらでも!!!!!」

「そう。よかった。じゃあ、夜の九時くらいに、青い薔薇が多い中庭で待ち合わせしない?」

「夜の九時だな! いいよ!!」


(……池の近くの庭を提案してくる様子はないわね……?)


だがそれも、近づかないとわからない。犯人候補は潰しておくべきだ。


「じゃあ、楽しみにしてる」

「ああ!! 僕も楽しみにしているよ!!!」


 ラメールが鼻歌を歌いながらスキップをして草むしりに戻った。ゴールドが不審な目で元気になったラメールを見た。


(よし、約束は取り付けたわ。あとは、仕事をしながら、水の多い所を調べて……)


 くるりと振り向くと、あたしの足が止まった。涙目のリトルルビィが、無表情のメニーが、あたしを見ていた。


「……」


 あたしはにこりと笑った。


「あら、おはよう。二人とも」

「お姉ちゃん」


 メニーの低い声に、なぜかあたしの肩がぴしっと固まる。


「今の何?」

「え? 何のこと?」

「相談したいことって何? 悩みがあるの?」


 メニーがにこりと微笑んだ。


「私が聞くよ」

「メニー、盗み聞きは良くないわよ。いけない子ね。全く!」


 あたしはメニーの鼻を指でつんつんした。


「ほらほら、今日のお仕事をしないと! ね!」

「テリー、何か悩んでるの……?」


 リトルルビィが目に涙をためて、あたしの手をそっと握った。


「私が聞くよ?」

「大丈夫大丈夫」

「テリー」

「テリーって誰?」

「ロザリー」

「よろしい」

「お姉ちゃん、私はお姉ちゃんの妹だよ。ね、話しやすいと思うの」

「私が聞くよ! どうしたの? 昨日のこともあったし、私、テリーの力になるよ!」

「テリーって誰?」

「私が聞くよ! どうしたの? 昨日のこともあったし、私、ロザリーの力になるよ!」

「平気、平気」


 二人の肩に、手をぽんと置いた。


「さあ、今日もたくさんお掃除しましょう」

「お姉ちゃん、今夜は部屋に戻ってくるんでしょう?」

「ええ。今夜は戻るわ」

「お菓子パーティーしようよ。夜の九時に」

「あら、残念だわー。その時間は約束があって……」


(お前は遊びでもね、こっちは中毒者探しなのよ!)


「ごめんあそばせー」

「テリー!」

「テリーってだーれ?」

「ロザリー、ね、私が、私が相談乗るから! 行っちゃいや!」

「大丈夫、大丈夫」

「お姉ちゃん」

「大丈夫、大丈夫」

「ロザリー!」

「大丈夫大丈……」


 コネッドが角から曲がってきた。目が合う。コネッドの目の下に広がる大きなクマも見えた。


「……おはよう。コネッド」

「おう」

「……昨日、寝た?」

「眠れなかった」

「……」

「お前は、クレア姫様のところにいたのか?」

「ええ。……面倒見てくれって頼まれて」

「そうか。……それは良かった」


 コネッドが微笑み、――俯いた。


「リリアヌ様なんだけど」

「え?」

「急用で、帰省されたんだ」


 ――あたしはほんの少し、顔を強張らせた。


「……へえ。急用で」

「ああ。急用だ」

「……そう」

「だから、仕事はミカエロ様が振ってくれてる。何かあったら、ミカエロ様に言うように」

「わかった」


 なるほど。昨晩はリリアヌがいなくなったのね。強面のミカエロは仕事を振りながら、内心思っていることだろう。僕のマイハニー! 早く戻ってきておくれ! 君に会えなくて、胸がはちきれてしまいそうだ!


 コネッドが黙り、拳を握った。


「……」

「……コネッド、……今日は、休んだら?」

「……部屋にいたら、……おかしくなりそうなんだ。……働くべさ」


 コネッドが歩き出し、あたしを通り過ぎ、笑顔でメニーの頭をなでた。


「メニー、おはよう」

「おはようございます。……コネッドさん、顔色悪いですよ?」

「んだ。オラ、ちょっと熱中症で寝不足なんだ。リリアヌ様もいねえし、いつもより倍以上働かねえとな! あら、こいつはどうも! ルビィ様!」

「……おはようございます」

「あら、なしたんですか? なしてそんなに元気がないの? よし、ここはオラが魔法をかけてあげる! だいじょーぶ、だいじょーぶ、なんとかなるべさー」


 メニーの言うとおり、笑顔で振る舞うコネッドの顔は青い。


(……キテるわね)


 今日はなるべく彼女のサポートをしたほうがいいかもしれない。


「ほれほれ、廊下の掃除に行くぞ。ロザリー、メニー」

「ええ」

「はい!」

「それではルビィ様!」


 リトルルビィの視線を感じながら、三人でその場を後にする。ほら、ルビィも仕事しなさい。あたしも仕事するから。それにしても、なんだか人が少なくなったように感じる。ニクスも言ってた。


(……エメラルド城に行ってるもんだと思ったら……)


 いなくなってるなんて、思わないわよ。

 コネッドがあたし達に振り向いた。


「今日は東階段ホールの掃除だぞ。気を引き締めるべさ。二人とも!」

「ん」

「……はーい」


 笑顔のメニーの隣で階段のためにわざわざ作られたホールの天井を見上げる。あら、素敵な笑顔だこと。天使様が手を振ってるわ。さて、掃除掃除。三人で箒を動かす。


(メニーは一生懸命ね)


 真面目な顔で掃除してる。


(今日のランチは何だろう……)


 議員が歩く。あたし達は端に寄り、ぺこりとお辞儀する。みんなメニーに目を奪われた。また掃除を始める。また貴族達が歩いてきた。あたし達は端に寄り、ぺこりとお辞儀する。みんなメニーに嫉妬の目を向けた。騎士と兵士達が歩いてきた。あたし達は端に寄り、ぺこりとお辞儀する。みんなメニーを見ながら列を崩した。こつこつヒールを鳴らして誰かが歩いてきた。頭を下げ続けていると、――スカートを、掴まれた。


「……」


 顔を上げると、緑色の鋭い目があたしを見ていた。


「……」

「……ごきげんよう。セーラ様」

「……」


 セーラがふくれっ面で、あたしのスカートを掴み続ける。メニーがきょとんとセーラを見て、あたしを見た。


「……お姉ちゃん、セーラ様がお姉ちゃんに用があるみたい」

「……セーラ様、専属メイドは?」


 セーラは黙ったままあたしのスカートを握りしめる。あたしはコネッドに顔を向けた。


「コネッド、悪いけど……」

「ああ、大丈夫、大丈夫。メニーもいるから、なんとかなるべさ」

「悪いわね」


 あたしがしゃがみこむと、セーラがあたしのスカートから手を離した。


「セーラ様」

「……」


 セーラがうつむいた。


「本日は、なんの御用ですか?」

「……」

「またお掃除?」


 セーラが頷いた。あたしはコネッドを見上げる。


「ちょっと行ってくる」

「ああ」

「セーラ様」


 手を差し出すと、セーラがあたしの手を握った。それを見て立ち上がり、二人でセーラの部屋に向かう。


(……なんでむくれてるの? あたしなんかした?)


 セーラがずっとむくれている。階段を上がっても、廊下を歩いても、ずっとうつむいてむくれてる。


(ロゼッタ様とマーガレット様がいなくなってから、見かけてなかったわね)


 セーラの部屋の扉を開けた。セーラを先に入れて、あたしは後から入る。


(えっと……)


 振り向けば、今日も抜かりのない綺麗な部屋。


(……)


 あたしはセーラを見下ろした。


「どこを掃除するの?」

「……」

「セーラ様?」

「……」

「……ねえ、部屋は綺麗だと思うけど」

「……」

「……」

「……れたの?」

「ん?」

「わたし、すてられたの?」


 あたしの目が見開かれた。


「メイド達が、お母様が、マーガレットを連れて出ていったって」


 セーラがうつむいている。


「城下町に、男の人に、会いに行ってるって」


 セーラの肩が震え始める。


「わたしは、わがままだから、置いていかれたんだって……」


 セーラがドレスを握りしめた。


「廊下で……話してて……」

「何それ?」


 あたしはとぼけた顔で床に膝を立てた。


「ロゼッタ様は、マーガレット様のお願いを聞いて、少し遠くの方に観光に行ってるだけよ?」

「……わたし、なんで置いていかれたの?」

「セーラは音楽に興味ないでしょう? ロゼッタ様は、マーガレット様がどうしても行きたいって言って聞かないから、今、二人でオーケストラ巡りをしてるのよ。ほら、マーガレット様が、先にどこかに行ってしまったでしょう?」

「……お母様、ショックで寝込んだのよ……」

「あれはね、マーガレット様が、専属メイドを率いて、オーケストラ巡りの旅に行ってたのよ。城下で流行ってるから」


 あたしは、はっとした。


「え、まさか、公爵令嬢が流行を知らないの!?」

「……知ってるわよ」

「ええ。そうよね」


 本当は、そんなの流行ってない。だけど、事実をこの子に言うのは酷ではないだろうか。ママだって、あたしとアメリに、パパとは離婚したって嘘をついた。やっぱり、カエルの子はカエルね。あたしもママと同じく嘘をつく。


「で、ロゼッタ様がその情報を聞きつけて、迎えに行ったのはいいけど、流行りに乗らないのは酌でしょう? 城下町の全てのオーケストラを回ったら、お土産を持って帰ってくるから、セーラ様の面倒をきちんと見るよう、メイド全員が言われたのよ。もちろん、あたしもね」

「……」

「それを、面白くないと思ったメイド達が話を膨らませて、盛り上がってるだけよ」

「……オーケストラ巡り、してるだけ?」

「ええ」

「……いつ、帰ってくるの?」

「さあ? ……でも、近いうちに帰ってくると思うわよ。あなた達も自分の家に帰らないといけないわけだし」

「……帰ってくる?」

「ええ。お土産をたくさん持ってね」


 あたしは、やっぱり正直者にはなれない。堅物真面目から、嘘つきロザリーと呼ばれるでしょうね。でも、それならそれでいい。


「何よ。まさか本当に捨てられたと思ってたの?」

「……別に? お母様とマーガレットがいないから、どこに行ったのかと思っただけよ」


 セーラが鼻をすする。


「お母様が、わたしを捨てるはずない」

「ええ。ロゼッタ様はセーラ様を愛してるもの」

「そうよ」


 セーラが鼻をすすった。


「別に、ふあんだったわけじゃないわ」

「そう」

「しんぱいなんか、してないもん」

「そうね」

「帰ってくるもん」

「ええ」

「大丈夫だもん」

「……」


 あたしは小さな肩を優しく握った。


「セーラ」


 セーラの頭を撫でる。


「大丈夫よ。二人なら、しばらくしたら帰ってくるわ」


 ほんの少しの間だけ、


「待つだけでいいのよ。帰ってくるんだから」


 大丈夫だから。


「……そんなに泣かないの」


 セーラがあたしの制服に顔を埋めたまま、鼻をすすった。


「……泣いてない」

「そう」

「……雨が降ってきたみたい」

「そうね」

「……花粉が飛んでるわ」

「そうね」

「……鼻水がすごいの」

「そうね」

「……傘が必要ね」

「……あたしが傘になるわ」

「……。……。……。……ロザリー」

「ん」

「……。……。……。……ありがとう」

「……」


 サリアならこう言うでしょうね。


「何のことだか、わからないわ」


 ニクスが言ってた。あたしは、痛みがわかる人間になれてるって。だったら、痛みを増やすよりも、きっと、このほうが傷が少なくなると思う。


 ニクスも、きっと褒めてくれたわ。

 ナイス、テリーって。


(……これでいいのよね。ニクス)


 あたしは嘘つきだ。


(これでいい)


 そっと、セーラを優しく抱きしめる。制服は濡れていく。けれど、また洗えばいいから。


(……被害はここにも出ている)


 コネッドだけじゃない。セーラもそうだ。不安は不安を呼ぶ。

 

(早く何とかしないと)


 そう思っても、今日も誰かがいなくなる。


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