第2話 英雄の手掛かり(1)


 朝になれば、あたしの仕事がやって来る。クレアの身支度だ。ぐっすり眠るドロシーを置いて、ベッドを抜け出し、のろのろと着替えて廊下に出た。


(ああ、眠い……)


 何が悲しくて、ニクスが消えた翌日の朝に、しかも、いつもよりも早めの時間にクレアの身支度をあたしがしなければいけないの? 昨日の夕方までエメラルド城にいたのに、夜になってから戻ってきたなんて。くそ。隣の部屋の扉を見てしまった。メニーもまだすやすや寝てるに違いない。くたばれ。


(それにしても、よくクレアも戻ってくるわね。ここにいる人達が消えること、あのお姫様は知ってるはずなのに、物好きめ。事情を言えば、エメラルド城や塔にいられるんじゃないの?)


 扉の前に並んで立っている兵士に頭を下げる。


「おはようございます」

「おはよう。ロザリー」

「やあ。ロザリー。眠そうだな」

「ええ。あなた方も眠そう」

「やばい。おい、ばれてるぞ」

「深呼吸しておこう」


 鎧から息を吐く音が響いた。


「さ、クレア姫様が待ってるぞ」

「バドルフ様は後からいらっしゃる。来ないうちに殺されないようにな」

「はい……」


 扉をノックする。


「クレア姫様、失礼いたします」


 あたしは扉を開けて中へと入る。クレアはまだベッドで眠っているようだ。カーテンから影が見える。


(はあ……)


 あたしはベッドに近付いた。


「クレ……」


 うっ。


 あたしは一歩下がった。


(こ、これは……!)


 白くて長い足。はだけた胸元。柔らかな相棒のテディベアを抱いて眠るクレアの姿は、まさに天使そのもの。


(ぎゃああああ! 見た目だけ天使ぃいいいい!!)


 あたしの中の敗北感と女の嫉妬が鍋に入れられてグツグツ煮込んで混ぜられるぅーー! こんな精神状態の時にさらに追い打ちしやがってこのあまぁぁああああああああああ!!


(せめて、その幸せな夢の中から、過酷な現実に呼び覚ましてくれるわ!!)


「そーれ!」


 あたしは笑顔でシーツを奪った。クレアがテディベアを抱きしめて、眉をひそめる。


「んん……」

「クレアちゃーん、朝よー!」


 笑顔でカーテンを開ける。


「起きてー! 起きてー! クレアちゃーん!」

「……うんん……」


 クレアがうずくまったのを見て、笑顔でテディベアを奪い取る。


「おら!!」

「……ダーリン……」

「早く起きなさーい! 今日も素敵な過酷な残酷なリアルワールドでようこそ! あなたがハッピードリームワールドへ無事に帰るために生き残れるよう今日も頑張りましょう! おら! 起きろ! ジョークはここまでよ! あんたが早めに身支度に来るよう命令したんでしょう? 昨日、リリアヌ様から聞いて絶望したわよ! 早く起きなさい!」


 クレアに手首を掴まれた。


「ふぁっ!?」


 そのまま引っ張られる。


「ぶぉいっ!」


 テリーベアをクレアが抱きしめた。


「ダーリン。まだ起きちゃだめ。あたくしと寝ましょうね。良い子ね。よしよし」

「……」

「愛してる。ダーリン」


 クレアがあたしの頬にキスをした。

 あたしはイラッとして、クレアをとととととん! と叩いた。


「クレアちゃぁーん! あなたの夢の中には素敵なダーリンがいるでしょうけどね、やい! この現実にはお前のダーリンなんていないのよ! いるのはこの可愛いクマちゃんだけなの(´(ェ)`)! おらっ! わかったら起きんかい!」

「……」


 クレアがむくりと起き上がった。


「……」

「まあ! 起きてくれたのね! おはよう! クレアたん!」


 クレアがあたしをベッドから突き落とした。頭がごんっ! と床にぶつかる。クレアがテディベアを再び抱きしめ、またベッドに倒れた。


「……ぷう」


 ブチッ。


「何がぷうじゃ!!」


 あたしはテディベアを抱きしめたクレアを無理矢理起こした。


「呼び出したのはてめえだろうが! 朝が来たら! ぱっと目を見開いて! ぱっと起きる!」


 クレアのネグリジェを無理矢理脱がすと、クレアが悲鳴をあげた。


「きゃーーーあ!!」

「えっ」


 クレアがテディベアを抱いて、体を隠した。


「えっち!」

「え、あ、ごめんなさい!」


 後ろを向いて――はっと気付いた。


(……なんで、あたしが後ろを向かないといけないわけ?)


 再び振り向くと、クレアが桶に溜まった水で顔を洗い、自らドレスに着替え始めた。


「阿呆は見るー♪ 豚のケツー♪」


 クレアが歌いながら自ら化粧を始めた。


「カラス、カラス、なぜ鳴くのー♪ 頭がぷーうだからー♪」


 クレアが歌いながらテディベアを拾い、あたしに投げた。


「もういらない」


 あたしは般若の仮面をつけた。


「ロザリー、髪をやれ。可愛くしてね」

「……。……。……。……。……」

「痛い。優しくしろ。あたくしに撃たれたいのか?」


(うるせえ!!!!!)


 クレアの髪を結んでいると、鏡に映ったクレアが、鏡に映ったあたしを見た。


「ロザリー、なぜあたくしがいつもより早い時間にお前を呼んだと思う?」

「……知らない。何? また塔の掃除?」

「母上に会わせてやる」


 はっと目を見開く。


「お前のことを話したら、母上が会いたいと言っていた」

「……仕事は?」

「王妃が会いたいと言ってるんだぞ? 優先順位を間違えるな」

「……そう。……だったら」


 クレアの髪型が完成する。


「行く」

「よし、きた」


 クレアが立ち上がる。


「とりあえずは朝食だ。ロザリー、食べたか?」

「……今日は抜いてきた。……食欲無いのよ」

「そうか。ならあたくしの隣に座って、あたくしの代わりにあたくしが苦手な野菜を全部食べてくれ」

「……それは自分で食べなさい」


 あたしとクレアが部屋から出ていった。



(´(ェ)`)



 クレアが扉を開けた。あたしも後ろからついていく。たくさんの枕に背中と腰を預けたスノウ様があたし達を見て、侍女達を下がらせた。


「三人にさせて」

「かしこまりました」


 扉が閉まり、クレアとあたしが近付けば、顔色の良くなった、まだ少し疲れた様子のスノウ様が、クレアに手を伸ばした。


「クレア。おはよう」

「おはようございます。母上」


 クレアが頬を預けると、スノウ様が笑顔でクレアの頬にキスをした。そして、あたしに手を伸ばす。


「まあまあ、テリー」

「お久しぶりです。スノウ様」

「こちらへ」


 近寄ると、優しく頬を撫でられる。


「まあ、本当にテリーだわ。クレアから聞いたわよ。キッドから隠れたくてメイドとして忍び込んだんですって?」

「……はい」

「あのばか、また何かやらかしたのね?」

「……ご存知ないのですか?」

「ええ! まったく!」


 スノウ様が全力で頷き、あたしの頬をなでなでとなでまわす。


「キッドとテリーが何かしてたのは覚えてるんだけど、急に苦しくなって、そっちに集中しちゃった。だから、面白そうなところを全然覚えてないの。ねえ、何があったの? ねえ、テリーのほっぺたはどうしてそんなにぷにぷになの? ねえ、テリーのおめめはどうしてそんなに鋭いの? ねえ、どうして? ねえ、なんで? ねえ、ねえ」

「……」

「あら、質問ばかりでごめんなさい。あ、そうだわ。クレアから聞いたのだけど、テリーはクレアとお友達になってくれたんですってね!」

「……はい」

「どうもありがとう!」


 スノウ様が、とても嬉しそうに微笑む。


「この子、キッドと違ってお友達が少ないから、とても感謝してるの!」

「……」

「それと、……見たそうね」


 スノウ様は微笑んだまま。


「クレアの力」


 あたしは静かに頷いた。


「はい」

「驚いた?」

「……まさか、魔力のある者が、存在するとは思ってませんでした」

「私も夫も当時は驚いたわ。でもね、クレアはクレアだから。私達の大事な娘よ」


 スノウ様があたしの手を握りしめた。


「これからも仲良くしてあげてね。一番質が悪いけど、根は悪い子じゃないから! 根だけは!」

「……」

「……で?」


 スノウ様があたしと、クレアをチラッと見た。


「本題に移りましょうか。ね、聞かせてちょうだい。テリーに何やったの? キッド」

「それが……」


 あたしが言う前に、先に、クレアが後ろから言葉を投げた。


「この小娘とキッドが結婚するらしい」

「ちがっ」

「えーーーーーーーーーー!!!!」


 スノウ様が頬を赤らめさせ、口を押さえた。


「結婚するの!!!!????」

「しませ」

「よし、きた!!!!!!!」


 スノウ様が手を叩くと、侍女達が部屋に入ってきた。結婚するならジクシィ。で有名な雑誌を手渡し、そっと部屋から出ていく。スノウ様がジクシィをぺらぺらめくり、全力であたしに顔を向けた。


「テリー! ウェディングドレスを、作りに行きましょう!!!!!!!」

「行きません!!!!」

「何言ってるの!!!?? 事前準備はっ! とても大事なのよ!!!!」

「あたし、結婚しません!!!!!」


 スノウ様がぽかんとした。あたしはもう一度、冷静に、スノウ様に伝える。


「結婚しません」

「……えー……」

「キッドが勝手に人前でやったパフォーマンスです。あたしには断る権利があります」

「ははーん? テリー、またキッドに一枚やられたのね?」

「……おっしゃるとおりです」

「もー。本当に女心がわかってない奴ね! テリーが可哀想!」


 あ、


「もちろん! 私はテリーとキッドの結婚は大賛成よ! だって、テリーが娘になるんでしょう? そうなったら、お買い物一緒に行けるんでしょう? ガールズトークが出来るんでしょう!? いいじゃない! 結婚! 私は大賛成よ! むしろ私がテリーと結婚したっていいわ! あのね! 一生大事にするわ!」

「スノウ様、まだご体調のほうが……」

「あら、そうだったわ! うふふ! ごめんあそばせ!」


 スノウ様が微笑んだ。


「ここには、いつまでいるの?」

「友達と」


 ニクス。


「……」


 スノウ様には関係ない。あたしは微笑む。


「夏休み中の友達と、働いてるんです。だから、その子の雇用期間と合わせてまして」

「あら、そうなの? となると、今月までくらいかしら?」

「ええ。予定では」

「そう。隠れるためとはいえ、ここはいい社会勉強になるわ。たくさん働いて、大切なことを身につけてちょうだいね」

「……はい」

「良い子ね」


 スノウ様の温かい手が、あたしの頭をなでた。そのぬくもりで、ああ、この人は本当に死ななかったのねと、あたしの中で認識した。次は、この人に来るはずだった死で、ニクスが死なないことを祈るのみだ。


(……その前に)


「スノウ様」

「あら、なーに?」

「あたし、せっかくエメラルド城まで来たので、少し、見学をしてもよろしいですか?」

「見学? そんなの、いつだって大歓迎よ。テリーなら、住んだっていいんだから!」

「おほほ! 見学だけで十分です!」

「そうだ。テリー、向こうに引き出しがあるでしょう?」


 あたしはスノウ様の机を見た。


「引き出しを開けてみてくれない?」

「……はい」


 あたしはスノウ様から離れ、机の引き出しを開けた。中には、いくつかのGPSの機械が入っていた。


「それ、一つ持っていきなさい。失くした時のために持ってるやつなの」


 ……。


「これ、キッドも持ってるやつですか?」

「残念。設定は初期段階のものよ」

「……そうですか」


 今現在、GPSがあったとしても、キッドの居場所は不明だ。あたしは手のひらにおさまるやつを持ち、スノウ様の前に戻った。


「それがあれば、クレアとの連絡も楽でしょ」

「いただいていいんですか?」

「何個もあっても仕方ないもの。クレア、設定してあげて」

「あたくし、これよくわかんない」

「何言ってるのよ。意地悪しないでやってあげなさい」

「……はーい」


 クレアがボタンをポチポチ押して操作し、しばらくして、あたしに手渡した。


「あたくしの番号を入れておいた。それと、母上のも」


 地図画面を見れば、王冠模様とリンゴ模様が点滅していた。


「王冠はあたくしだ」

「リンゴは私ね!」

「クレアも持ってるの?」

「ああ。最新のものをキッドから盗んだ」

「……」

「これでお前をいつでも呼べる。呼んだらすぐに来い」


(……これはこれで面倒くさそう……。……あ……)


「スノウ様、恐れ入りますが、もう一ついただいてもよろしいですか?」

「ん?」

「妹も、一緒に潜り込んでて」

「あら、メニーもいるの!?」

「ええ」

「ちょっと、やだ。どうして連れてこないのよ! 会いたかったわ!」

「すみません」

「次は連れてきてちょうだいね! ええ! 可愛いのを持っていってあげて!」

「……ありがとうございます」


(これでメニーと連絡が取れる。メニーの側にはドロシーがいる。手を叩いて呼べなきゃ、メニーを通して呼べばいい)


 あたしは可愛いのをポケットに入れた。


「スノウ様、ありがとうございます。妹とは離れて仕事をすることが多いので」

「あら、それは心配ね! でも、これがあればいつでも連絡できるわ! お力になれてよかった!」

「ええ。とても助かります」

「さあ、GPSも持たせたし、居場所がわかって迷子になることはない! 思う存分城を見学していきなさい!」

「ありがとうございます」

「では、あたくしも……」


 クレアがあたしについていこうとすると、スノウ様が笑顔を浮かべた。


「クレア」


 クレアの手を掴んだ。


「ちょっと、ママと二人でお話しましょうか!」


 クレアの表情が曇った。


「なんだ? 母上と話すことなんて何もないぞ」

「あんたがなくてもね、私にはあるのよ。いいから座りなさい」

「でも」

「座りなさい」

「こわぁーい!」


 クレアが可愛い声を出し、あたしに手を伸ばした。


「ロザリーたん! 助けて!」

「見学に行ってきます」

「行ってらっしゃい! テリー!」


 クレアがあたしを思いきり睨んだ。あたしは無視して部屋から出ていった。二人きりになったクレアとスノウ様は、にこりと微笑みあった。


「座りなさい」

「……」


 クレアが大人しく座った。


(さて)


 あたしは歩き出す。


(行きましょうか)


 舞踏会のあった会場へ進んでいく。見覚えのある廊下を歩くと、二人の兵士が廊下に並んで立っていた。関係ないものが入ろうとすれば、おそらく止められるだろう。でも、今のあたしはメイドよ。


 何食わぬ顔をしてその兵士の前を通り過ぎようとすると――横から、テリーの花が差し出された。


(あん?)


「ふっ!」


 花が差し出されている方向に顔を向けると、兵士が鎧の中からポーズを決めていた。


「こんな所でそんな格好でお歩いているだなんて、さては、未来の実家となる家の下見に来たってところかな?」


 その声に、あたしは思いきり眉をひそめた。


「ふっ! レディ! そんなに見つめないでおくれ! まさかこんなところであなたにお会いできるなんて、思わなかった! ……いいや?」


 そいつが、にやりと笑う。


「レディ、ではなく、プリンセスかな?」

「あんた何やってるのよ」

「何って、見たらわかるだろ?」


 頭の鎧を外したヘンゼル・サタラディアが髪をなびかせ、あたしにウインクした。


「仕事さ」

「ああ! やっぱり!!」


 もう一人の兵士が慌ててあたしに駆け寄った。頭の鎧を外した顔を見れば、あら、ちょっと待って。


「紹介所サボって何やってるのよ!」

「社長! 今までどちらに雲隠れしていたのですか!? もう! みんな心配してたんですよ! 警備員の二人は仕事サボって神に祈りを始めるし! ジェフ様なんか、テリー様を捜しに海外に飛ぶとフライトの準備までいったんですよ!?」

「止めたでしょうね?」

「もちろんです!!」

「よくやったわ」

「それで? 迷子の子猫ちゃん。一体どこに行くつもりかな?」

「ちょっと会場を見たいの。関係者だし、いいでしょう?」

「もちろん」


 あたしは紹介所の従業員の兵士に顔を向けた。


「Mr.ジェフにあたしなら心配いらないって言っておいて。予定なら、来月には戻れるわ」

「本当ですか!? ああ、よかった! これで紹介所も安泰です!」


(来月、顔を出した時にとんでもないことになりそうね。……菓子折りでも持っていこうかしら……)


 パーティー会場だったホールへと入る。普段はこれだけがらんとしてるのね。ステージ以外何も無い。


(スノウ様の倒れた場所……)


 位置につく。


(多分、ここら辺)


 辺りを見回す。


(そりゃ、置かれてたものもないか)


「……」


 あたしは廊下に戻り、ヘンゼルに声をかけた。


「ヘンゼ、聞きたいんだけど」

「何だい? 子猫ちゃん」

「向こうに、サッカーのボードゲームが置かれてたの覚えてる?」

「ああ、スノウ様がとても楽しそうに、美しい雪のプリンセスとゲームをしていたね。その後、彼女は君のお兄ちゃんとダンスまでしていた」

「それはどうでもいいわ。そのゲーム機よ。あれ、調べたの?」

「プリンセス、この城の警備をなめちゃいけない。スノウ様が触れたもの、一つ一つを調べたよ。グラスもあのゲーム機もふくめて。けれど、毒はどこからも検出されなかった。考えられるのは、毒の入った飲み物を飲んでしまったのではないかということくらいかな」

「調べてはいるのね」

「君のお兄ちゃんと婚約者様が徹底的に調べた」

「ああ、そう。……ってことは、参加者の名前とかも確認済みね」

「ええ。全て」

「そう。ありがとう」

「ニコラ、時間はとても経ってしまった。手掛かりは何も残ってないと思うよ」

「何言ってるの。あたしは見学に来ただけよ」

「おっと。そいつは失礼しました」


 頭を下げるヘンゼルを無視して、一階の窓から外へ行ってみる。ここで談笑している男女が何人もいた。もっと進めば、二年前、キッドに連れてこられた噴水のある庭についた。花は咲いているが、ここに青い薔薇はない。


(エメラルド城の周りには青い薔薇は無いのね。意外とあるイメージがあったのだけど……)


 あたしはまた歩き出す。


(ここを進むと、迷路なのよね)


 植物で囲まれてる狭い道。あたしはGPSで見てみる。あれ。道が表示されてる。


(流石、王族が持ってるGPSね。これは迷子にならないわ)


 あたしはGPSを見ながら迷路を進んでいく。道を進めば、一本道。ここでようやく青い薔薇が現れた。ツタがトンネルに巻き付き、青い薔薇がひたすら咲き乱れる。この先に行けば、クレアの住む塔がある。そして、その塔の横道を進めば、マールス宮殿がある。どうやら青い薔薇は塔からマールス宮殿の周辺に咲いているらしい。


(ということは……何?)


 この青い薔薇に何のヒントがあるの?


 あたしはかかとを上げて、トンネルに巻き付く青い薔薇を覗いてみる。


(別にただのブルーローズじゃない……)


 正直、テリーの花より綺麗よね。羨ましい。


(……ニクスはどうして『ブルーローズ』なんて言葉を残したのかしら?)


 一度目の世界から、ニクスが残すヒントって難しいのよ。前にあんたが残したもの覚えてる? 氷の上に落ちてた鞄と汚い石よ。その下にニクスが埋まってるなんて、あたしは到底想像もつかなかったわ。


「……」


 あたしはおそるおそるトンネルの外側を見てみた。何も無い。人は埋まっていないようだ。


(……ほっ)


 少し安心して、胸を撫でおろす。これでツタの中に人が埋まってたら、流石に怖い。


(……塔の近くまで来ちゃったわね)


 今、あそこには、意識不明のリオンと、中毒者の研究をしている研究者二人が切磋琢磨して過ごしている。


(あ、そうだ)


 あたしはトンネルをくぐり、塔まで走った。ブルーローズが風で揺れる。塔に辿り着くと、真っ直ぐ地下に向かった。ノックしてから扉を開ける。


「失礼します」

「なんていうことだ!!」


 スペードが膝から崩れ落ち、涙を流した。


「失敗だ!」

「博士! 失敗は成功の元です! この方法ではない方法で実験をすればいいだけのこと! とかなんとかね!」

「その通りだ! 助手君! さて、笑顔を取り戻して再実験しようじゃないの!」

「了解です! とかなんとか!」

「博士。クラブさん」

「「はい?」」


 二人があたしに振り向いた。


「あらまあ! これはこれは、テリーお嬢様!」

「あれ、お嬢様、どうしたとかなんとかです?」

「少しお話を伺っても?」

「お話ですって!?」

「どうぞ。僕らはお話し好き」

「なぜなら、私たちゃ、なかなかこの研究所から出られないからねぇ!」

「インタビューとかなんとかならどうぞ、快く引き受けましょう」

「あ、ちょっと待ってね!」


 二人が一瞬でスーツに着替えた。お互いを見て、よし、よし、とチェックし、あたしに振り返った。眼帯とメガネと歯がきらり。


「さあ、どうぞ、テリーお嬢様、私達に何をお求めかな?」

「お求めかな? とかなんとか」

「ここら辺に、青い薔薇が咲いてますよね。あれって何か、意味があったりします?」

「「ブルーローズ?」」


 二人がこれを揃えて、にやりとした。スペードが欠けた前歯をあたしに見せた。


「テリーお嬢様、ブルーローズの意味はご存知ですかな?」

「意味?」

「どういう意味の象徴か、ご存知ですか? とかなんとか」

「……さあ。存じ上げません」


 スペードが答えた。


「『不可能』」


 クラブが答えた。


「『存在しない』」


 スペードがパンツのポケットに手を突っ込ませた。


「テリーお嬢様、ここはどういう塔かご存知ですかな?」

「……お姫様から聞いたのは、初代国王様が作らせたところだと」

「その通り。キング様がこの塔を作られた。なぜか。それは、異世界に帰られたご友人をいち早く迎えるためです」

「……異世界?」

「僕がご説明しよう」


 クラブが紙芝居を始めた。


「昔、昔、この国が国じゃない頃のお話。この世界は悪しき者に支配されていた世界だったそうな。初代国王キング様は、救世主アメリアヌ様と悪しき者を倒した一人」


 ――去年、レオから聞いた話ね。彼は、アメリアヌは女神ではなくて、白の魔法使いであると言っていた。そして、世界は、『救世主』が現れたことによって、救われたと。


「世界が平和になった後、そのうちの一人が、なんと異世界の住人で、異世界に帰ったそうな。けれどね、その人はどうやら約束をしたそうなんだ。時がきたら、必ず戻ってくる。その約束を守るために、キング様がこの塔を作られた。空から降ってくる異世界からの客人に『お帰り』と言うために、この高い塔が建てられた」


 この塔は、『存在しない友達』のために作られた。


「ブルーローズは、その友達を忘れないために種を撒いて、咲かせたそうな。……とかなんとか」

「そのお友達ってどうなったんですか?」

「言い伝えとかなんとかでは、結局帰ってこなかったらしい。まあ、そりゃそうだろうね。自分の故郷である世界に帰ったら、もう一度異世界に行こうだなんて思わないさ」


(……神話が本当だったと前提して、救世主が現れたってことは、その救世主は『異世界』の人だった?)


 クラブが紙芝居をしまい、上を指差した。


「塔の中に描かれた絵は、その時の冒険を表しているそうだ。時間があるなら見てみたらどうかな?」


(……クレアが言ってたわね。キング様が職人達に描かせた絵だって)


 こくりと頷いた。


「ええ。少し興味が湧きました。見てみます」

「よかったら掃除の続きをしてくれてもいいんだよ。またほこりが増えてきたってなもんで」

「その間に、私達は実験に励むことにしよう!」

「そうですね! 博士! 僕達はお掃除よりも、実験第一! とかなんとか!」

「げへへへへへ!!」

「ひひひひひひ!!」

「……」

「ところでブルーローズとかなんとかに興味を持つだなんて、一体どうしたのかな。テリーお嬢様。王子様に花でも届けるのかい?」


(この人達、マールス宮殿で起きてること知ってるのかしら)


 中毒者の研究もしているようだし。……大丈夫か。


「……マールス宮殿で起きてることはご存知ですか?」

「あーあ、こりゃなんとかこんとか、クレア姫様だな?」

「友達が被害に遭いました」

「ほう」


 スペードがあたしに振り向いた。


「友達とな」

「ニクス・サルジュ・ネージュ。今は、ネーヴェと名乗ってますが」

「おや、まさかのミス・ネージュかね」

「……ご存知ですか?」

「お嬢様、私はね、自分の失敗は覚えておく質なんです。なんたって、次の薬の開発の糧になりますからね。ええ。そうだとも。私の薬が効かなかったと報告を受けた事例の一つだとも。彼女の父親は手遅れだった。だが他の方法で作った薬があれば、効力は倍で、何とかなったかもしれない。なぜ我々は研究していると思う? 完璧を求めるからだ。この事件が終わらない限り、我々は薬の開発を進めるよ。そうだとも」

「マールス宮殿で起きてることとかなんとかも、こちらは把握済みさ。なぜならすでに、キッド様がお調べになられていたから」


 ――なんですって?


「キッドが、すでに?」

「ああ。彼はね、不可解な事件とかなんとかには誰よりも早く気づくのさ。不可解すぎる事件はみんな中毒者の可能性を見ているからね。そうなったら、流石は、我らのキッド殿下。彼はたちまちヒーローとかなんとかだ。これを解決して、世界に平和を取り戻そう」

「……なるほど。そのタイミングで」

「そのとおり」


 スノウ様が毒を盛られた。


「調査は中断。一度、ラプンツェルを取りに出かけられた。だから、クレア姫様が引き継いだ。今、マールス宮殿では、おそろしいこととかなんとかが起きている。一刻も早く、解決しないと、みんなが消えてしまう。とかなんとかね」

「ニクスが宮殿で起きていることを何となく気づいていたようで、手かがりを残してくれました」

「ブルーローズ?」

「ええ」

「博士、何かご存知とかなんとかですか?」

「青い薔薇はそこら辺にたくさん生えてるわよ。だがね、今回の事件とは何の繋がりがあるかわからない。テリーお嬢様、ミス・ネージュが被害に遭ったということは、彼女はもういないということかね?」

「はい」

「なるほど。これは研究対象だ」

「そういえば、博士、バドルフ先生が本日クレア姫様のお部屋に、青い薔薇を置きに行っているのを見ました」

「なんだって!? これはなんて素敵なタイミング! テリーお嬢様、持ってきてください!」

「……あたしが?」


 訊くと、二人が同時に頷いた。


「我々は研究で忙しいの!」

「細胞という細胞を研究しなくては! とかなんとか」

「さあ、行ってらっしゃい!」

「お土産とかなんとかは結構なんで!」

「ああ、忙しい忙しい」

「ああ、忙しい忙しい」


 二人が優雅に珈琲を飲み始めた。


(……クレアの部屋に、青い薔薇ね)


 バドルフは優しいわね。あんなお姫様の面倒を甲斐甲斐しく見てくれてるなんて。


(流石、ビリーのお兄ちゃんね)


 あたしは仕方なく研修室から出ていき、クレアの部屋に行くために一階のエレベーターに乗った。扉が閉まる。エレベーターが上に上がっていく。それにつれて、エレベーターから見える壁の絵が変わっていった。


 家が上から降ってくる。

 女の子と猫が家から出てくる。

 女の子と猫がカカシと出会う。

 女の子と猫がきこりと出会う。

 女の子と猫がライオンと出会う。

 文字が書かれている。「ずっと俺様の大事な友達!」

 最上階に、緑の国が待っている。


 扉が開く。


 エレベーターから下り、クレアの部屋へ繋がる両開きの扉を開いた。中は、ほこりだらけの一階と違って、とても綺麗だ。


(ここも機会があれば整理したほうがいいかも。またメニーでも連れてこようかしら)


 エリアで壁紙も絨毯も変わる広々とした部屋。さて、青い薔薇はどこかしら。バドルフが持ってきたということは、花瓶に入ってると思うのだけど。


(ということは、窓かしら)


 このエリアの窓辺を見る。ない。

 他のエリアの窓辺を見る。ない。

 別のエリアの窓辺を見る。ない。


(どこ?)


 きょろりと見回す。しかし、青い薔薇が入った花瓶は見当たらない。


(……トイレとか?)


 トイレを見る。ない。

 洗面所を見る。ない。

 キッチンを見る。ない。


(どこ?)


 あ、痛い。棚に腕がぶつかった。どこ見て立ってるのよ。気をつけなさい。棚ふぜいが。すると、棚の上から本が落ちてきて、あたしの頭に落下した。


「いぎゃっ!!」


 悲鳴をあげて頭を押さえると、本が地面に落ちた。


(くぅうう!)


 あたしは本を拾った。


(あたしは本の帽子なんていらないのよ!)


 ぺらぺらめくって中身を睨むと――手が止まった。


(ん?)


 あたしは黙り、この本の一ページ目を開いてみた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る