第13話 キッド殿下の右腕


 猫が自分の手を舐める映像を見たメイドのチェルシーがため息をついた。


「なーんて言うの? ほら、キッド様みたいな方が、この猫ちゃんみたいに何かを舐めてる姿って、すごく興奮したりしない?」

「わかる!」

「キッド様って、存在がエロいのよね!」

「色っぽいっていうの?」

「ああ、抱かれてみたい!」

「きっといい匂いがするんだわ!」

「「ああ! キッド様!」」


 コネッドが反抗してリオンの絵が描かれたハンカチを頬に添えた。


「ああ、リオン様。オラはあなただけだべさ。好き」

「コネッドはリオン様が好きなのね」

「だってさ、リオン様は肌を舐めたりしないもん」

「キッド殿下だってしないんじゃない?」

「わかってねえな。ロザリー。オラ、前からキッド様は素敵だけど、リオン様の方がいいって言ってるべ? なあ、ロザリー、お前さん、人肉を食べる王子様と、食べない王子様、どっちが好きだ?」

「……は?」

「キッド殿下はな」


 人肉を食べるんだ。


「なにーーーー!?」


 クレアの瞳が輝いた。


「キッドが、カニバリズム!?」


 クレアがいやらしいほど口角を上げた。


「おい、ロザリー、今日はなんだ? 何を願ってる? さあ、言え。あたくしに叶わせろ。そしてそのネタをあたくしに言うんだ! さあ! 早く!!」

「まあまあ、そう焦らないの。お姫様」

「なんて面白そうな話だ。いや、待てよ。その話は以前の時のように、デマではないだろうな?」

「あたしがそこを調べないと思って? 事実かはまだわからない。けれど、可能性が高いということだけ言っておきましょう」

「なんだ。ロザリーちゃん。今日は何が望みだ? さあ、早く言え!」

「今日はまだ願いを決めてないの。だから思いついたら叶えてもらうわ」

「ああ! それでいい! だからとっとと言え!」

「順を追って説明するわ」


 その少女はある日、突然やってきた。


「この子は今日から俺の専属メイドにする」

「よろしくお願いします」


 彼女はとても健気に働く小さな女の子。しかし、とある日、メイドが少女の指が一本なくなっていることに気が付いた。


「これは、怪我をしたんです」


 そう言って少女は手を隠した。すると翌日、またもう一本の指がなくなっていた。


「誤って包丁で切ってしまって」


 不審に思ったメイドは少女がキッド殿下の部屋に入っていくところを見て、その扉をひそりと開けてみた。すると、そこで見たものは――少女の指を切って、美味しそうに食べるキッド殿下の姿だった。


「君の指は美味しいね」

「光栄でございます。殿下」

「指が終われば手から首までいこう。そして、腕にいって、肩までいって、そこが終わったら、反対側の左腕を食べてあげるからね」

「嬉しゅうございます。キッド殿下」


 今や、その少女は右腕を失っているらしい。そのことにショックを受けたこのメイドは、仕事をやめて、口をつぐんだまま、実家に帰ってしまったそうな。


「なるほど。その少女を見つければ、その話は成立するということか」

「右腕がない子よ。あなた、見たことない?」

「ああ、ロザリー。なんということだろう。それは……本当かもしれない」

「……なんですって?」

「なぜなら、キッドの部下にいるからだ。右腕がない女の子が」


(なんですって!?)


 あたしはくわっと目を見開いた。


「でかした。ロザリー。これは王位継承権を揺るがす話になるかもしれない。まさか、あいつがあの女の子の腕を食べていたとはな……」

「ひ、左腕は!?」

「残念ながら、なくなっているのは右腕のみ。キッドがじっくり食べていたに違いない」


(そういえば、あいつ、やたらとあたしの足を舐めてたわ。あれは、食べたいっていう意思表示だったってこと……!? うわ。なんておそろしい奴なの! 結婚しなくて正解だわ!)


「くくく……。なるほど。キッドがな……。こいつは面白い……」


 クレアがにやりと笑っていると、バドルフが乱暴に扉を開けた。驚いてあたしとクレアが目をそっちに向けた。


「クレア」

「どうした。先生」

「来なさい。スノウの容態が悪い」

「……」


 クレアが頭を掻き、面倒くさそうに立ち上がる。


「状況は?」

「今週が山場かもしれん」

「ロザリー」


 クレアがあたしに顔を向けた。


「戻れるかわからない。お前は別の仕事をしていろ」

「……はい」

「すまないね。ロザリー」

「……いいえ」

「クレア、こちらへ」


 黙ったままクレアがバドルフと共に部屋から出て行く。


(……今週が山場)


 リオン、どうなってるの。


(いつ帰ってくるわけ?)


 もう少しで15日になるわ。あたし達の誕生日から一ヶ月後、スノウ様が亡くなる。


(解毒薬なら、魔法でどうにか出来ないわけ?)


 あたしは手を鳴らした。しかし誰も来ない。


(ああ、そう。お前はそういう奴だったわよね。ドロシー。メニーがいれば、お前はそれでいいのよね。最低な魔法使いよ。お前は)


 あたしはクレアの部屋から出た。見張りにお辞儀をして廊下を歩いていく。


(あたしがスノウ様の部屋に行ったところで出来ることは何も無い。ここはキッドとリオンを待つしかない。キッドがいながら、どうして戻ってこないわけ?)


「あ、ロザリー」


 はっと振り返ると、箒を持ったニクスが駆け寄ってきた。


「ニクス」

「これからクレア姫様のところ?」

「ううん。今日は別の仕事しろって」

「あ、だったら手伝ってくれないかな。みんなで庭の掃除をしてて」

「ええ。行く」

「よかった」


 ニクスの横について、庭へと向かう。


「ねえ、ロザリー」

「ん?」

「なんか、……なんて言うのかな。……人が少なくなった気がしない?」

「……ニクス、実はね、さっき、スノウ様の容態が危ないって、バドルフ様がクレアを呼びに行ったの」

「……あー。そのせいかな。妙に宮殿がすっきりしてると思った」

「エメラルド城に行けば、みんないると思うわよ」

「心配しても、あたし達に出来ることはお掃除だけだもんね」

「大丈夫よ。リオンはともかく、キッドがいるし」

「リオン様も頼れる人だよ。舞踏会で踊った時、すごくリードしてくれたもん」

「リオンは見せかけだけよ」

「そうかな? あたしはすごく見惚れちゃったけど」

「……」

「なんで拗ねてるの」


 ニクスと足を揃える。


「とにかく、今週中には戻ってくるわ。たぶんね」

「間に合えばいいけど」

「間に合わないと困るわ」

「そうだね。みんながスノウ様のことを心配してる。早く、薬が作れたらいいけど……」


 その瞬間、庭からコネッドが走ってきた。


「あ、コネッド」

「ニクス! ロザリー! 向こう手伝ってくれ!」

「え?」

「大変だべさ!」


 コネッドが顔を青くさせて大声を出した。


「マーガレット様が!」


 宮殿の三階屋根にドレスをひっかけたマーガレットがぶらさがったまま、動けないでいた。


「ふええええん!」


 集まったメイドと使用人が一番大きな布を選び、端を持って広げた。


「いざって時はこれでマーガレット様を受け止めるんだ!」

「つーか、なんであんなとこにいるんだよ!」

「セーラ様と屋根で遊んでたらしい」

「そのセーラ様はどこに行ったんだよ!」


 セーラの姿はない。あたしとニクスとコネッドが走ってきて、ぶらさがるマーガレットを見上げる。ニクスが大きな声を出した。


「マーガレット様! 動いちゃ駄目ですよ!」

「助けて、ニクスぅ……」

「三階からは行けないの?」

「すでに行ってる」


 ラメールが指を差した。屋根の上に兵士達がのぼって手を伸ばしているが、位置的にぎりぎり届かない。それに万が一、マーガレットに触れたら、引っかかったドレスが破れて下に落ちてしまう可能性があるため、兵士達も動けないでいる。


「ふええええん!」

「ロゼッタ様は?」

「それが、エメラルド城に行っていて……!」

「ロザリー、バドルフ様を知らないか!?」

「さっき、姫様とエメラルド城に……」

「リリアヌ様を呼んで来い!」

「ミカエロ様もだ!」

「「はいー!」」

「助けて! お母様ー!」

「マーガレット様、動いちゃ駄目です!」


 その瞬間、強い突風が吹いた。風に揺られて、マーガレットの体が大きく揺られ、その直後、引っかかっていた部分がびりっと音を鳴らした。


「っ」


 マーガレットが落ちていく。


「マーガレット様!」


 兵士達が手を伸ばすが、もう届かない。マーガレットが真っ逆さまに落ちていく。メイド達が悲鳴をあげ、使用人達は慌てて布を広げた。こうなったら受け止めないといけない。でないと、使用人は全員ギロチン刑だ。


(ドロシー!!)


 あたしは手を鳴らした。


(ドロシー! 来い!)


 誰も来ない。


(ドロシーーーーーー!!!)


 マーガレットが目を瞑り、あたし達が全員死刑を覚悟した瞬間――マーガレットの影が消えた。まるで時が止まったように、みんなが硬直した。再び突風が吹いた。右の木が揺れた。前の木が揺れた。左の木が揺れた。後ろから地面に着地した音が聞こえた。全員が振り向いた先に、


 赤いリボンを揺らした少女が、マーガレット様を優しく地面に下ろしていた。


「お怪我はありませんか? マーガレット様」

「……はい」

「そうですか。それは良かった」


 リトルルビィがにこりと微笑み、一歩離れ、跪いた。


「わたくし、キッド殿下の命令の元、トラブルが起きた時に解決するよう言われて参りました。わたくしの固い義手があなたに触れてしまったこと、どうぞお許しください」

「……は、はい」

「どうもありがとうございます。感謝します」


 リトルルビィが顔を上げて、マーガレットを見た。


「念のため、物知り博士をお呼びしております。医療室へ」

「……あのおじさん、嫌い」

「そうおっしゃらず」


 リトルルビィが立ち上がり、凛々しく使用人達を見た。


「誰か、マーガレット様を医療室へ!」

「は、はい!」


 メイド達がマーガレットに駆け寄った。


「さあ、マーガレット様」

「立てますか?」

「おんぶします。さあ、背中へ」

「……ニクスも一緒がいい……」

「ん?」


 リトルルビィが反応した。


「ニクス?」

「ニクス! マーガレット様が呼んでるわ! 来てちょうだい!」


 ニクスが走った。きょとんとするリトルルビィに、ニクスが苦笑いをした。


「こんにちは。リトルルビィ」

「……ニクス、何やってるの?」

「アルバイト」

「アルバイト? ここで?」

「そうだよ」


 ニクスがリトルルビィに耳打ちした。


「あたしがいるということは?」


 リトルルビィがはっと顔をこちらに向けてきたが、残念。あたしはいない。リトルルビィが赤毛を探す。しかし、あたしはいない。


「マーガレット様、行きましょう」

「ニクス、怖かった……」


 ニクスが他のメイド達と一緒にマーガレットを連れて行く。リトルルビィが探す。


「赤毛、赤毛のメイドはいませんか!?」

「あら、これはルビィ殿!」

「ゴールド! マーガレット様は!?」

「ミカエロ様、あちらです!」

「リリアヌ様! 赤毛のメイドはどこですか!?」

「赤毛のメイド……ですか?」


 リリアヌがきょとんとして振り返った。


「あちらに」

「テリー!」


 メイドを振り向かせる。残念。あたしじゃない。


「ごめんなさい! 間違えました!」


 リトルルビィが隣にいた赤毛のメイドを振り向かせる。


「テリー!」


 残念。あたしじゃない。


「ごめんなさい! 間違えました!」


 リトルルビィが近くにいた赤毛のメイドを振り向かせる。しかし、残念。あたしじゃない。リトルルビィが涙目でリリアヌを見た。


「あの、いるはずなんです。鋭い目つきの、あの、赤毛のメイド。ニコラっていませんか?」

「ニコラというメイドは雇っておりません。テリー様の変装の可能性がございましたので、面接の時に止めて、城下町へと帰しました」

「ああ、そんな! 私、ニクスに嘘をつかれたのね! からかわれたんだ! ニクスったら酷い! ぐすん! ぐすん!!」

「あら、ルビィ殿、おいかがいたしましたか?」

「悪い悪い。ロザリー。まさか布を置いた場所にお前さんがいるとは思わなかったんだ。悪気はねえんだ。ロザリーが小さすぎて見えなかっただけだべさ」

「あたし、これから成長するのよ。成長期なのよ」

「大丈夫か? ロザリー」

「ありがとう。ぺスカ」


 ぺスカに手を引っ張られて布の山から脱出する。向こうを見ると、あら、リトルルビィが泣いてるわ。さっきまであんなにかっこよかったのに、どうしたのかしら。


「ぐすん! ぐすん!」

「ルビィ殿、なぜお泣きになっていらっしゃるの? まあ、お困りましたわ」

「ロザリーは見たことあるか? あの子、俺達よりもずっと年下なのに、キッド殿下の直属の部下なんだぜ?」

「妹の友達よ」

「は? まじで?」

「ちょっと行ってくる」


 あたしは小走りで走り、リリアヌに声をかける。


「リリアヌ様」

「あら、ロザリー」

「この子、あたしの妹の友達なんです」


 両腕をそっと掴むと、リトルルビィが息を呑んで硬直した。


「知り合いなので、話をうかがいます」

「素晴らしい積極性です。ロザリー、それではお願いいたします。お知り合いとは言え、このお方はキッド様から信頼のお厚い直属の部下様でございます。くれぐれもお失礼の無いように」

「承知いたしました」


 リトルルビィが顔を上げる。あたしと目が合う。


「ルビィ様、こちらに」

「ふへっ」


 背中を押し、広い庭から出て行く。聖堂の扉を開ける。……吸血鬼って聖堂に入って大丈夫なのかしら。中に入れて、扉を閉める。リトルルビィを椅子に座らせて、あたしも隣に座って向かい合う。


「久しぶりね。ルビィ」

「テリー!」

「むぎゅっ」


 強く抱き締められる。


「ああ! 良かった! 無事だったのね! メニーに言っても、何も教えてくれないんだもん!」

「そう。でも怒らないであげて。口止めしてたのはあたしだから」

「いいの! テリーが見つかったから! もういいの!」


 さっきまでの凛々しかった姿はどこに行ったのか、リトルルビィがでれんと頬を緩ませた。


「テリー、頭撫でて!」

「はい」

「きゃー!」


 リトルルビィが顔を隠して、叫んだ。


「好き!!!!!!!!」

「はいはい」

「まさか城にいるだなんて思わないよ。それもマールス宮殿なんて、眼中になかった。……誰が提案したの?」

「ニクス」

「ニクスったらすごい!」


 リトルルビィの手があたしの腰を掴んで引き寄せた。


「はあ。テリーの匂いがする。くんくんくんくん!」

「勝手に人の匂いを嗅がないの」

「テリー、明日生理になるよ」

「なんですって!?」

「匂いがする」

「今日は!?」

「明日の朝だと思う」

「なんて素晴らしい情報をくれたのかしら。いいわ。飴ちゃんあげる」

「わあ! いいの!? やった!」


 今朝トロからいただいた飴をリトルルビィにあげると、リトルルビィが口の中で転がした。


「そっちはどうなの?」

「うん。一時期テリーがいなくなったから、大騒ぎになったけど、ちょっと落ち着てきたよ。ベックス家はまだ荒れてるみたいだけど」

「どんなふうに?」

「メニーから聞いた話だと、神父様が毎晩来て、家族みんなでお祈りをして寝るんだって。テリーが戻ってきて、キッドと結婚しますようにって」

「直ちにやめるよう伝えておいて」

「メニーは最近飽きて引きこもってるんだって」

「あの子、また引きこもってるの?」

「窓叩いても全然遊んでくれないの。今忙しいからって言って」

「……部屋で何してるの?」

「わかんないの。インクの匂いがするから、本でも読んでるんじゃないかな……?」


(……あいつ、そのまま引きこもり令嬢になるかもね。そしてぶくぶくに太って醜くなって、外に出られなくなればいいんだわ。ああ、いい気味)


「でも、メニーが唯一言ってたのが、テリーも自分も大丈夫だから心配しないでって。それだけ。私、本当に何度も訊いたの。テリーの場所教えてって。でもね、本当に教えてくれなかったの。メニーってそういうところ頑固なんだもん!」

「喧嘩してないでしょうね?」

「喧嘩なんてしてないよ。私達、仲良しだもん!」

「……そう」


 普段通りのリトルルビィの笑顔に、心がほっとする。


「あんたは元気?」

「……元気じゃないよ」


 リトルルビィが口角を下げた。


「だって、テリーがいなくなっちゃったんだもん」

「匂いで辿れなかったの?」

「私、犬じゃないよ? ……こんなに人の多い所にいられたら、わからないよ……」

「悪かったわね。でも、あたしも隠れることで精いっぱいだったのよ」

「テリーは悪くないよ。悪いのはキッドだもん」

「そうよ。あいつが全部悪いのよ」

「テリー……」


 リトルルビィがあたしの手を握った。


「お願い。まだ結婚しないで」

「ばかね。しないわよ。するわけないでしょう?」

「私、あと二年で15歳になれる。そしたら、テリーにプロポーズするから」

「リトルルビィ」

「女同士は結婚しちゃだめとか言うんでしょ。私、勉強したんだから。確かに女同士の夫婦ってすごく少ないけど、でも……」

「落ち着いて。結婚はね、好きだけではいられないのよ。家族になるって、すごく大変なことなんだから」

「私、テリーと一緒なら平気だもん」

「こういう難しい話は、あんたにはまだ早いと思うわよ」

「そうやってまた子ども扱いするの?」

「子供じゃない」

「私、ずっと一人で生活してた。お兄ちゃんがいなくなってから、キッドの言われるままに勉強して働いて、ずっとテリーだけを見てきた」


 リトルルビィが手の力を強めた。


「好きよ。テリー。テリーしか考えられない」


 頬を赤くしたリトルルビィがあたしを見つめる。


「あと二年待って」


 リトルルビィが近づく。


「あと二年で、私は絶対に大人になるから」


 リトルルビィの顔が近づく。


「テリーを守れる女の子になるから」


 だから、


「私を選んで……?」


 ――扉ががちゃりと開いた。振り向くと、セーラが汗を拭っていた。


「ふう」


 セーラが前を見た。あたし達と目が合った。セーラが顔をしかめた。あたしは目を鋭くさせた。


「……セーラ様、何やってるの」

「……」

「マーガレット様には謝ったの?」


 セーラが扉を開けて逃げた。あたしはすぐに立ち上がる。


「あのガキ!」

「きゃあ! テリー!」

「リトルルビィ! あの子を追いかけて!」

「え? え? あ、セーラ様を?」

「早く!」

「はーい!」


 リトルルビィが瞬間移動した。気が付くと、扉が開けられている。突風が吹いた。気が付くと、セーラが転んでいた。気配が現れる。気が付くと、セーラがリトルルビィに抱っこされていた。


「何よ! 離しなさいよ!」

「よしよし」

「いたわ! セーラ様だわ!」

「セーラ様!」


 ロゼッタ様の専属メイド達にセーラとリトルルビィが囲まれた。


「ああ、これは、ルビィ様!」

「セーラ様がまた悪戯を!」

「悪戯しちゃったんですか?」

「離してよ!」


 リトルルビィの右腕を見て、セーラが顔を青くした。


「ひっ!」


 慌ててリトルルビィから離れ、専属メイド達の後ろに隠れた。


「そ、その子! お兄様に腕を食べられた子だわ!」

「え?」


 リトルルビィが顔をしかめた。


「何のお話ですか? セーラ様」

「わたし、知ってるのよ! あなた、その腕、キッドお兄様に食べられたんでしょ! わたし、聞いたんだから!」

「……あー」


 リトルルビィが微笑んで、義手をひらひらさせた。


「そうです、そうです。食べられたんですー」

「ほら、やっぱり!」

「セーラ様、もう行きましょう」

「申し訳ございません。ルビィ様」

「いいえ」

「ちょっと! わたしに触らないで! お母様に言ってやるからね!」

「ロゼッタ様はスノウ様の元へ行かれました。お願いです。良い子にしていてください」

「どうしよう。呪われたわ! あの黒い義手が、わたしに触ったの! もう駄目! わたし死んじゃう!」

「……セーラ様」


 あたしはセーラの前に立つ。セーラがあたしを睨んだ。


「気安くわたしの名前を呼ばないで! メイドのくせに!」

「だったら気安くリトルルビィに話しかけないで。この子の腕は食べられたわけじゃない」


 メニーを守ろうとしたあたしを、守ろうとしたキッドが、リトルルビィの腕を切ったのよ。


「妹の面倒はどうしたの」

「関係ないでしょ!」

「マーガレット様が泣いてる間、あんたどこにいたのよ」

「かんけいなっ」

「マーガレット様が死んでたら、あんたどう責任取ったのよ! リトルルビィはそれを助けたのよ! 公爵令嬢たるもの! 腕を怖がる前に、お礼くらい言いなさいな!」

「っ」


 セーラが息を呑み、黙りこくり、あたしを睨み――踵を返して走り出した。


「セーラ様!」

「お待ちを!」


 専属メイド達が追いかけていく。あたしはそれを見て、鼻を鳴らした。


「これだからマナー違反の貴族は嫌いなのよ。同族だなんて思われたくないわ」


 振り向くと、リトルルビィが俯いていた。


「大丈夫?」


 リトルルビィがあたしの肩に顔を埋めた。


「ルビィ?」

「テリー」


 リトルルビィの表情は見えない。


「ありがとう」


 声は、嬉しそうに弾んでいる。


「すごく嬉しかった」


 顔を上げたリトルルビィは、すごく嬉しそうに微笑んでいた。


「でも、気にしないで。噂なんて前からずっと流れてるの」

「キッドがカニバリズムって?」

「それは最近の噂かな。前はね、キッドがロリコンで、小さな女の子を連れてきたのは、そういう性的なことをするためだって噂が流れてたの」

「キッドはロリコンなの?」

「私ね、思うんだけど、……キッドは、たぶん年上が好きだと思うよ」

「……年上が好きなの?」

「うん」

「……なんで?」

「年上にリードされるの好きだと思う」

「……キッドが?」

「うん」

「……ふーん……」


 あたしはリトルルビィの肩をぽんぽんと叩いた。


「有力なネタをありがとう」

「ネタ? なーに? それ」

「リトルルビィ、お腹空いてるでしょう。あたしとランチを食べましょう」

「食べる!」


 あたしはリトルルビィを休憩室の方へと連れて行った。



(*'ω'*)



 寝室に戻ってきたクレアが顔をしかめた。


「なぜ、そのガキが、メイド服を着て、あたくしの部屋にいる?」


 クレアを見て、リトルルビィがにっこりと笑って、お辞儀した。


「お久しぶりです。クレア姫様」

「挨拶は結構。おい、ロザリー」

「お姫様の部屋を片付けるって言ったら手伝ってくれたのよ」


 リトルルビィのおかげで綺麗に掃除が出来たわ。しかし、クレアは不満そうにリトルルビィを睨んでいる。


「クレア、会ったことあるでしょう?」

「お前が言ってた、右腕をキッドに食われた小娘だ」

「それ違うのよ」

「何?」

「あたし、この子が右腕を失った時、一緒にいたわ。知り合いなの」

「……」

「ガセネタばかり持ってきて申し訳ないと思って。でも、この子から有力な情報を聞いたから、それで勘弁してくれない?」

「……ふん。どうせろくな情報じゃない」


 クレアがシーツを取り替えたばかりのベッドに座った。


「だが、聞いてやる。どんな話だ?」

「キッドって年上好きらしいわよ」

「はっ。嘘だな。それはガセだ。あいつは年下好きだ」

「って、思うでしょう?」


 リトルルビィが肩をすくめた。


「でもね、いざリードされたら、キッドって戸惑った顔するの。みんな気付いてないけど」

「あんたはわかるの?」

「だって、9歳の時からずっと一緒にいるんだよ? わかるよ」

「……ですって」

「……あたくしは、そんなキッドを見たことないぞ」

「たぶん、ずっとリードする側だったから、いざされると嬉しいんじゃないかな。……まあ、私はキッドじゃないから、知らないけど」


 リトルルビィがクレアに微笑んだ。


「満足ですか? 姫様」

「……結構。お前は出て行け」

「じゃあ、ロザリーも」

「ロザリーは残れ。用がある」

「じゃあ、私も残ります」

「赤き小娘、母上の面倒を頼まれているのではないか? あの胸だけ女がお前を捜していたぞ」

「あ、そういえば、呼ばれてた気がする……」


 リトルルビィがあたしに振り向いた。


「ロザリー、掃除道具しまっておくよ。貸して」

「あたしが行くからいいわよ」

「だめ! 私が行くの!」

「……わかった。じゃあお願いね」

「うん!」


 にぱっ、と笑って、リトルルビィがあたしに近付いた。


「大好きよ。テリー!」


 ――むちゅ。


 リトルルビィの柔らかな唇が、頬に押し付けられた。


「こら」

「えへへ!」


 あたしから箒を奪い、そそくさとリトルルビィが逃げていく。


「じゃあね、ロザリー! またね!」


 扉を開けた。


「だ、大好き!」


 そして、勢いよく扉を閉めた。見張りの兵士がリトルルビィに敬礼した。リトルルビィは足を躍らせながら、箒を抱きしめて去っていった。兵士達は話をした。あの子、多分このままいったら美人になるぜ。お前もそう思うか? 俺もそう思うんだ。今のうちにいい顔しておこうぜ。うん。


 部屋に残されたあたしはクレアに顔を向けた。クレアが腕を組み、少し、あたしから離れた。


「お前、やっぱり女好きだろ」

「違う」

「あたくしは見たぞ。お前はあの女の子からキスをされてた」

「頬にキスくらいするでしょ。あいさつよ。あいさつ」

「こうして恋愛物語が始まるんだ。女同士の。気持ち悪い。おえっ」

「吐かないでくれる? 用って何よ」

「お前、母上と知り合いだったな。だったら、覚悟をしておいた方がいい」

「……何が?」

「15日だ」


 クレアが言い放った。


「14日が終わる前に、弟達が帰ってこなければ、母上は確実に死ぬ」

「……」

「薬を作る準備はすでに整っている。あとはラプンツェルのみ。しかし、それがない以上、こちらではどうもできん」


 クレアが髪飾りを取り、髪を下ろした。


「会いに行きたいのなら、様子を見て連れて行ってやろう」

「……」

「弟達とは連絡がつかないらしい。……何をしているんだろうな。男どもが情けない」


 クレアが髪を払った。


「ロザリー、あたくしの髪を梳かせ」

「……はい」


 ブラシを持って、隣に座る。クレアの髪の毛を梳かしていく。銀と青の髪は持つだけで輝いて見える。


「明日も出勤だろう?」

「ええ」

「会うか?」

「……会って、出来ることがある?」

「話すことは出来ない。手を握ることは出来る」

「……」

「ずっとうなされ苦しんでいる。麻酔を打って、抑えて、切れて、また打って、その繰り返し」

「……」

「医者はまだ大丈夫と言っているが、15日で全てが終わる」

「……どうしてわかるの? 15日って、まだ日があるじゃない」

「勘」

「……勘?」

「あたくしの勘は当たるぞ」

「女の勘?」

「そのとおりだ。よくわかってるじゃないか」

「勘なんてあてにならないわ」


 その予想は当たってるけど。


「そうね。……手を握れるなら、会いに行きたいわ」

「そうか。では、それが今日の願いとしておこう」

「……なんかそれ、ずるくない?」

「ガセネタばかり持ってくる方が悪い」

「……お友達なんだから、大目に見てくれない?」


 ブラシを置く。


「はい。おしまい」

「……」

「バドルフ様は?」

「……」

「日も暮れてきた。そろそろご飯が来るかも。あたしは戻るわ」


 立ち上がろうと腰を浮かすと、クレアに手を掴まれた。


(え)


 ベッドに戻される。


「……」


 クレアの背中を見る。クレアはこっちを見ない。ただ、手だけを掴んでくる。


「クレア?」

「まだだ」


 こっちを見ない。


「まだ髪が乱れてる」


 クレアは顔を向けない。


「完璧に梳かすまでやれ」


 手の力が、強い。


「……はいはい。やればいいんでしょ。やれば」


 あたしは再びブラシを持って、クレアの髪にあてた。クレアの手があたしから離れる。


「……一つだけ、言っておくわ」


 再びクレアの髪を梳かす。


「あなたの弟のリオンは頼れる人よ。何があろうと、倒れても、起き上がらなくなることはない。あなたが15日までというのなら、14日の朝には帰ってくるでしょうよ」

「……」

「キッドはね、すごくあざとくてむかつくけど、いざという時はリオンを守ってくれる優しい人よ」


 あたし達は待つことしか出来ない。でも、


「大丈夫よ」


 あたしは断言する。


「絶対に間に合うから」


 キッドとリオンなら、やり遂げる。


「お前に言われなくてもわかってる」

「……そう」

「痛い。引っ張るな。……優しくしろ」

「……はい」


 あたしは髪を梳かしていく。クレアは、あたしに振り向かない。

 今日も日が落ちていく。





















 兵士がいたから悪いんだ。今日は兵士にしよう。

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