第12話 殿下の愛人(2)
ニクスが目を丸くして、ソフィアを見た。
「怪盗パストリルって、女の人だったの!?」
あっ。
「そうじゃなくて! あの!」
「くすす。いいよ。散々言われ慣れたから。テリーなんか、性別がわかった瞬間、泣いてたもんね」
脱衣所の椅子にぐったり座るあたしを団扇でパタパタ扇ぐ。
「私だけがニクスの事情を知ってるのも不公平だからね」
「納得がいきました。テリー、手紙で言ってたんです。怪盗パストリルは中毒者で、キッドさんがそれをなんとかしたって」
「そのとおり。なんとかしてもらったから、私はキッド殿下の忠実なる犬となったわけ」
「まさか怪盗パストリルに会えるなんて。……テリー、大丈夫?」
さらっと体を洗うだけのつもりが。ソフィアと喋っててのぼせて倒れてここまで運んでもらうだなんて。貴族令嬢として、不覚だわ!!!!!! ニクスとソフィアの会話は続く。
「キッドさんは、どうですか? 戻ってくるんですか?」
「実は、キッド殿下もリオン殿下も連絡が取れなくてね。花探しに苦労しているみたい。でもおかしいんだよね。遠くとはいえ、もうとっくに戻ってきてもいい頃なんだけど」
「……スノウ様は、いかがですか?」
「そうだね」
ソフィアが微笑んだ。
「あと一週間ってところかな」
あたしは貼られたカレンダーを見た。一週間後は、9月15日。
「……」
「私も頼まれて様子を見に来たんだ。これは、うん。まあ、可能性はあったこと。予定ではもっと早く帰ってきたはずだったんだけど、現に、二人はまだ帰ってきてない。帰ってきてない以上、薬は作れない」
このままでは、スノウ王妃は亡くなってしまう。
「……あんた、催眠でどうにか出来ないの?」
「テリー、私に出来るのはあくまで催眠。騙すことだ。あなたは毒になんか侵されておりませんっていう、惑わしをすることだけ。流石に、命はどうにもならない。失ってしまったリトルルビィの腕を、元に戻すことが出来ないようにね」
「……」
「まあ、でも、来てよかったよ。君も元気にしてるみたいだし。よかった、よかった」
ソフィアがにこりと微笑んだ。
「しばらく、城にいることを命じられているんだ。毒の犯人も見つかってないみたいだし」
「あんたはそのために派遣されたってこと?」
「そういうこと」
「だったら、職場はここじゃないでしょ。とっとと仕事のある宮殿に行きなさいよ……」
「行ってもいいけど」
ソフィアが眉を下げて、足を絡めた。
「みんなに言われちゃうんだよね。キッド殿下の女が来たぞ。いい顔しておけって。私、何もしてないのに」
「え、何ですか? それ」
ぽかんとするニクスを見て、あたしが口を開いた。
「怪盗パストリルは、キッドの愛人なんですって」
「えっ!?」
「違う」
ソフィアが珍しく嫌そうに顔を引きつらせた。
「キッドにキスをせがまれてたって」
「いつ?」
「胸も揉まれたとか」
「ああ、なんか癒しが欲しいって言って触ってたね」
「ニクス、ほら、聞いた? いやらしい奴よ。こいつは。こういう奴なのよ。この女は」
「だとしても、キスなんかしてないし、私はキッド殿下になんか心を奪われたことはない。あの方の正気を盗んだことはあるけれど」
「長続きしなかったけどね」
「私が心を盗まれたのはテリーだ……」
「とにかく! 早く仕事に戻りなさい!」
「私、ここでメイドとして働こうかな。そしたら毎日テリーといられる。そうでしょう?」
にこりとするソフィアを見て、ニクスがあたしを顔を向けた。
「テリー、すごく仲良しなんだね」
「ああ、わかった。噂さえなくなればいいのね。デマだったとみんなにわからせれば、あんたは仕事のある場所に戻るのね?」
「そうだね。可能ならそうするかな」
「……来なさい」
あたしは立ち上がる。
「ニクス、ちょっとソフィアを連れて行くわ」
「ん、どこに?」
「悪いけど、あの落書きの壁、お願いできる?」
「それなら任せて」
「……ありがとう」
あたしは微笑み、すぐに口角を下げ、ソフィアを見下ろした。
「ほら、早く行くわよ! 来なさい!」
「はいはい」
ソフィアがくすすと笑って立ち上がった。
「仰せのままに。恋しい君」
黄金の瞳は美しく輝く。
(*'ω'*)
扉をノックする。返事は無い。あたしは扉を開けた。ばきゅーん! と壁が撃たれた。
「……こいつはしまった。ロザリーちゃんだったか」
銃を置いたクレアが書類の山に囲まれていた。
「おい、この書類を片付けてくれ。邪魔でかなわん」
「クレア、願いを聞いてくれるのよね?」
「ああ、いいぞ。何か思いついたか?」
クレアが顔を上げた。あたしの後ろにいるソフィアを見て、顔をしかめた。
「……その女、知ってるぞ。お前の言ってたキッドの愛人だ」
「ご無沙汰しております。……クレア姫様」
ソフィアがにこりと笑い、クレアもにんまりと笑った。
「何の用だ。あたくしの仕事部屋に勝手に入るな」
「クレア、願いなんだけど」
「ロザリー、その胸だけ女を追い出せ。キッドの犬など、顔も見たくない」
「彼女の噂を消してほしいの」
「あぁ?」
クレアがペンを書類に刺した。
「お前、今なんと言った? 噂を消すだと?」
「そうよ。彼女はキッドの愛人じゃないの。でも噂が流れているからお城にいづらくて仕方ないんですって。噂のせいでお仕事が出来ないのは可哀想でしょう?」
「ロザリー、せっかくのネタを消せと言うのか?」
「どうせガセネタなんだから使えないでしょう?」
「……」
「で? どうするの?」
「……ふん。使えない武器などあたくしには必要ない。愛人でないのなら、キッドをばかにすることも出来ない。意味がない。よかろう。その程度たやすいこと」
クレアが立ち上がった。椅子を蹴り、机に片足を乗せ、銃をあたしの胸に当てた。銀と青の髪が揺れる。
「いいか。今後はちゃんとした情報を持ってこい。でないとお前の願いも叶えてやらないからな!」
クレアが銃であたしを突き飛ばした。体のバランスを崩すと、ソフィアが後ろからあたしを支えた。
「以上」
クレアが机から下りて座った。
「ロザリー、アイスティーのおかわりを。暑くてかなわん」
あたしはソフィアを見上げた。
「これでいい?」
「私のために身を張ってくれたんだね。ありがとう」
ソフィアがぎゅっとあたしを抱きしめた。
「誰よりも大好きだよ。恋しい君」
――その瞬間、ソフィアのピアスが割れた。視線を辿ると、クレアが構えた銃から煙が立っていた。
「おい、女、あたくしのものに触るな」
「あなたのものではありません」
ソフィアが微笑み、さらにあたしを抱きしめた。あたしはむぎゅっと潰れる。
「この子がいらないなら、私がいただいてもよろしいですね?」
「あたくしが、いつ、いらないと言った?」
「まるでこの子を人形のように、銃で突き飛ばしたではありませんか」
「愛嬌だ。お友達同士で小突き合うだろう? あれと一緒」
「お友達」
「そうだよ。あたくしとそのチビはお友達なんだ」
「でしたら、クレア姫様、お友達程度のあなたが、この子に触らないでください」
クレアが片目を痙攣させた。
「なんだと?」
クレアが刺したペンを持って、くるくると回し始めた。
「お前、今、あたくしになんて言った?」
「お友達『程度』のあなたが、この子に触らないでと言いました。二度と」
「面白い。では、お前達はそれ以上の関係だと? くひひ。なんだ。家族か? 恋人か?」
「恋人です」
「は?」
あたしが訊き返すと、ソフィアが微笑んで断言した。
「私とこの子は、赤い糸が結ばれた恋人同士です。ですので、お友達程度のあなたが、出しゃばらないでください」
もう一つのソフィアのピアスが割れた。クレアの銃から煙が立っている。
「もう一度言おう」
クレアが銃を構えた。
「あたくしのものに触るな」
青い目がソフィアを睨んだ。
「離れろ」
指が動く。
「消えろ」
「ストップ!」
あたしはクレアの前に手のひらを見せたまま、ソフィアを見上げる。
「誰が恋人ですって? 誤解を生むようなこと言わないで!」
「テリー、偏見なんて捨てて。女同士だから何? そんなの関係ない。私はテリーを愛してるよ。本気で、そこにいるお友達よりも、ずっとテリーをわかっているし、君の願いだって、私が叶えてあげる」
「わかった。もういい。よくわかった。ほら、出て行きなさい。仕事して。噂なら大丈夫よ。お姫様が消してくれるから!」
「テリー、今夜、一緒の部屋で寝る?」
「いいからとっとと行け!!」
ソフィアを部屋から追い出して、扉を閉めた。見張りの兵士達がソフィアに敬礼した。ソフィアが振り向き、じろりと扉を睨みつける。そして、何も言わずに去っていった。見張りの兵士達は思った。もしかしたら彼女は、俺に気があるのかもしれない! 明日はちょっと髪の毛を弄ってみよう。
あたしは扉を押さえたまま、クレアに向ける顔を引き攣らせる。
「会ったことあるなら知ってるでしょ。ちょっと変わったお姉さんなのよ」
「キッドの部下だ。信用できない。部屋を掃除しておけ。通気性を良くしろ。あんな女の吸った空気など吸いたくない」
「窓は開いてる」
「ロザリー、お前は相当変な奴に好かれているようだ。……」
クレアがあたしをじろりと見た。
「お前、まさか、女が好きなのか?」
「ばかなこと言わないでくれる? あたしは男が好きよ」
「あの女が、お前を恋人だと言ってた」
「違う」
「あたくしを襲うつもりなら無駄だぞ。返り討ちにしてくれる」
クレアが真顔で銃を構えたのを見て、あたしはため息を吐いた。
「あのね、何を思ってるのか知らないけど、あたしは同性愛を否定するつもりはないし、差別するつもりもないわ。それはつまり、あたしには全く無縁のことだからよ。あたしは男が好きだからあなたを性的な目で見たことは無いし、なんだったらあたしが同性愛者なら、一緒に暮らしてるメイド達と、今頃、恋愛物語になってるでしょうが」
「……確かにその通りだ。……つまり……」
クレアが唾を飲んだ。
「あの黒髪のメイドは、お前の彼女か!?」
「友達よ! 変な目で見ないで!」
「……なんだ。つまらん」
つまらんって何よ。なんでそんなつまらなさそうな顔になってるのよ。
「ああ、全く、怒鳴ったら喉が渇いた。ロザリー、アイスティーはどうした。お前は一体グラスを取りに行くのに何時間かけているんだ。早くおかわりを出せ。書類を整理しろ。あたくしの肩を揉め! お前は全く使えない。おい、早くあたくしのために働け。アイスティー一つも出せないのか。お前は!」
(うるせえわね……。色々あったのよ……。座ってサインしてるだけのお前とは違うのよ……)
あたしは煮え切らない想いを秘め、ぐっと拳を握った。
(*'ω'*)
「キッド殿下の落とし方?」
聞き返したコネッドに、あたしはにこりと笑って頷いた。
「ずっと考えていたの。愛人がいるなら、あたしでもチャンスがあるってことでしょう?」
「あはは。ロザリー、真に受けたな?」
「えー? 何がー?」
「昨日言ったアレ、オラもさっき聞いたんだけど、どうやら続きがあったようでさ」
とある日、突然、その女はやってきた。
「彼女は、俺の部下だ」
なんでも、キッド殿下は誰もいない廊下で、部下の彼女を壁に閉じ込めてキスをせがんだ――と言われているが、それは全て、
「テリーとの初めてのキスに備えておきたい! さあ、俺にキスをしろ!」
「私は、あなたの部下として派遣された女です!」
「いけません! 殿下!」
「早まってはなりません!」
「うるさい! 部下は男女関係なく全員、俺にキスをしろ! そして、鍛えぬいた唇で、俺はテリーとキスをする!」
「殿下……」
「なんて一途なお人なのだろう!」
「そこまで言うなら、殿下、私達を口説きながらキスをしてみてください。そうすれば、テリー様だって、ころっといきますよ!」
「よし、きた! 俺はテリーのために口説いてキスしまくってやる!」
「「キッド殿下万歳!」」
なんでも、キッド殿下は誰もいない部屋で、部下の彼女の胸を揉んでいたとか。
「ほら、ここだろ? 可愛い顔してごらん?」
「あっ……! いけません……! キッド様!」
「これでテリーは気持ちよくなるんだな……!?」
「ばっちりですよ! キッド殿下!」
「もうメロメロに間違いございません!」
「よし、これで前戯はばっちりだ。全ては、俺の妻、テリーのために!」
「「キッド殿下万歳!」」
なんでも、誰もいない空間では、キッド殿下と部下の彼女がべったりしているだとか。
「愛してるよ。ハニー」
「いけません、あなたには、正式な恋人が……」
「だとしても、今は、君を離したくないんだ!」
「あっ、だめえっ……!」
「もう離さないよ。ハニー」
「キッド様、わ、私も……お慕いしております……」
「ハニー……」
「キッド様……」
影が一つになる。
「……これで子作りの準備はばっちりだ」
「素敵な芝居でございました。キッド殿下」
「アダルト映像が撮れましたわ」
「なんて素晴らしい映像なんだ」
「くっくっくっ。これで全ては整った。あとはこの俺がテリーにプロポーズをするだけ! テリー! ああ、愛おしい我が君! 待っていてくれ! 俺は君の忠実な愛の奴隷となろう!」
「「キッド殿下万歳!」」
「つーまーりー、愛人伝説は、全部キッド様がテリー様にプロポーズをするためのシチュエーションで付き合わされた部下達の話だったわけだべさ」
「……」
「中央宮殿に残ってた部下達がその話を呟いているのを、メイドが聞いたらしい。それで、今朝ここまで回ってきた。いやあ、オラ、ちょっと勘違いしてたべさ。あの人、キッド様の愛人だと思ってたんだけどな。昨日いたらしいぞ。ロザリー見なかった? 金髪の、すごい美人な女性で、名前はソフィア・コートニー」
「……いた……かしら……?」
「しばらくの間ここら辺にいるんだってさ。なんか見張られてる感じがして嫌だべさ。やっぱり好きにはなれねえなあ」
噂は確かに消えた。消えたけれども……。
(やってくれたわね。クレア……)
よくもあたし(テリー)をだしにしやがって……。
「ねえ、コネッド、もっとキッド様のお話聞かせてちょうだい。一途な王子様って素敵だわ」
「一途と言うなら、リオン様が素敵だべ。リオン様のお話、聞きたくなーい?」
「それはいらない」
「……かっこいいのに……」
コネッドが切なげに呟いた。
あたし達が前を通ったトイレの中で、メイドのメリルが見つけた。
「あらやだ。蚊に刺されてるみたい」
「休憩室に薬があったはずよ。塗ってから仕事すれば?」
「そうする。……それにしても、目立つ傷だわ」
メリルが鏡を見て、眉をひそめた。
「誰かに噛まれたみたい」
昨日はメイドのようだ。
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