第7話 メイドの信頼
アメリアヌ様は世界の救世主。この世界を作り出した女神と呼ばれている。
その昔、この世界は闇に覆われた。最悪な災厄が襲ってきた。
しかし、アメリアヌ様が打ち砕いた。最悪な災厄は消え失せた。
その際に、地面には希望の花が咲いた。
それが、テリーの花である。
(ママが好きな話だ)
神話が好きすぎて、アメリとあたしにその名前をつけるほど。
(小さい頃から聞かされたのよね)
「アメリアヌは、女神の名前なのよ」
「テリーは、希望の花の名前なのよ」
「ああ、美しいわ。私の娘達」
「良い子に育つのよ」
そう言われて育ったあたしは悪い子になった。必要のない本は読まない。教科書なんて絶対読まない。読みたい本だけ読む。王子様とお姫様の本。お姫様の本。サクセスストーリー。ハッピーエンド。王子様がお姫様を迎えに行くおとぎ話。ロマンチックハッピーラビリンスストーリー。ああ、素敵。素敵。素敵。
そう、思ってた。
(そんな本、ヘドが出るわ)
クロシェ先生がにっこり笑って、教科書を閉じる。
「さあ、歴史の時間はおしまい。次はお待ちかねの読書の時間よ。二人とも、本は持ってきた?」
メニーとあたしは本を取り出す。
良い子ちゃんのあたしは本を開く。あの頃とは別のジャンルの本。タイトルは『嫌いな人は嫌いなままでいい。自分を磨こう。100の心掛け』。
クロシェ先生が本のタイトルを見て、眉間に皺を寄せた。
「テリー、随分と、……その、大人な本を読むのね」
「えー? そうですかぁ?」
「クロシェ先生、お姉ちゃん、いつものことです」
「ああ、そうなの…」
あたしは11歳の笑みを浮かべ、クロシェ先生が戸惑いながら、メニーがもう慣れてしまった空気の中、読書の時間が進んだ。一時間だけの読書の時間。メニーは子供らしく絵本を読む。童話のようだ。二人で静かに本を読み、メニーがクロシェ先生に時々訊いている。
「先生、これは、なんて読むんですか?」
「それはね」
あたしも淡々と読み続ける。
(…趣味を見つける。そうね。あたしには植物ちゃんがついてるわ。次。…休む。ああ、確かにあたし、すっごく精神的に疲れてるかもしれない。メニーに気を遣って、使用人達にも気を遣って、こんなに勉強して読者して、ああ、あたし、なんて良い子ちゃんなのかしら! 次。…動物を見る。ああ、鼠が恋しい。あたしの鼠ちゃん。可愛い鼠ちゃん。あの口をもぐもぐしてる時とか可愛いのよ。癒されるのよ。ああ、見たいわ。鼠ちゃん。次。…お散歩をする。所詮気分転換ね。まあ、悪くない案かもしれない。次)
本を読み続ける。字を目で追う。嫌いな人を無理して好きになる必要はないと言葉を眺めつつ、本を読んでいく。字が進む。進むと、お腹がすいてくる。頭が痛くなってくる。目が疲れてくる。うとうとしてくる。メニーに鉛筆で太ももを突かれた。あたしははっとして、また本を読む。メニーは集中を切らさず本を読む。あたしはまたうとうとしてくる。メニーが本を読みながら鉛筆であたしの太ももを突いた。またはっとする。また字を追う。
かち、と時計の針が動いた。と思ったと同時に、終わりの音が鳴り響く。あたしとメニーが伸びをした。クロシェ先生が頷く。
「はい、ここまで」
「ああ、楽しかったぁ!」
メニーが本を置いて、上機嫌に微笑む。
「読書の時間ならいつだって喜ぶのに」
「ふふ! メニーは本が好きなのね」
クロシェ先生がそう言って、あたしを見た。
「テリーも随分と集中していたわね。興味深い事でもあったの?」
「ええ。とても参考になりました」
ママってば、流石だわ。探してみたら、ママも良い本を持ってるじゃない。
あたしは本を閉じる。顔を上げると、クロシェ先生がメニーに宿題を出し始めていた。
「じゃあ、メニー、読めなかったこの言葉と、これと、これとあれとそれとこれとこれこれこれこれこれこれこれを、ノートに100個書いてきてね」
「…………。………はい」
「テリーは…」
(あたしもあるの!? 一度も質問しなかったのに!)
「この本を読んでくる事」
クロシェ先生に本を渡される。
(ん?)
「これ一冊読むだけですか?」
「ええ!」
あたしの表情が緩む。
(なーんだ! 楽勝じゃない!)
あたしは本を掴み、タイトルを見た。
『村一番の美女と醜い野獣~愛の物語~』。
あたしは絶望から机に突っ伏した。メニーは絶望から本を閉じた。
今日も絶望する宿題を出されて、あたしたちはげんなりする。
(何よ! 何なのよ! この乙女すぎる本! くだらなさそう! あたしには必要なさそう! 何よ! ちゃんと良い子に読書してたじゃない!!)
クロシェ先生は容赦ない。こんな乙女臭むんむんの本を渡してくるなんて、彼女こそ鬼畜だ。
(畜生! だから勉強なんて嫌いなのよ!)
「二人とも、お疲れ様! 明日も頑張りましょうね!」
クロシェ先生は、今日も今日とて、良い笑顔。鼻歌を奏でながら勉強部屋から出ていった。しばらくして、メニーが本と教科書とノートを持って、ふらふらと立ち上がり、
一瞬で、目を輝かせた。
「お姉ちゃん!」
あたしの腕を掴む。
「トラブルバスターズの時間だよ!」
メニーがあたしの体を揺らした。
「お姉ちゃん! 行こう! パトロールに行こう!」
(うあああああ! やめろぉおおおお!)
がくがく揺らすんじゃない! あたしは疲れたのよ!!
「あは、あはは、メニー、おほほ、あんた、元気ねぇ……」
「早く! お姉ちゃん! パトロールに行こうよ! 皆が! トラブルで困ってるよ! トラブルバスターズを! 待ってるよ!」
(はっ倒してやろうか! この引きこもり娘!! だからなんでそういう時だけ元気なのよ! お前は!! 見たらわかるでしょ! あたしは! 疲れてるのよ!!)
がくがく揺らされ、あたしはようやく立ち上がる。
「分かった、分かった。行きましょう…」
「わぁーい! パトロール! パトロール!」
メニーがあたしの手を握り、勉強道具を置いたまま歩き出す。
(畜生…! 今日は何もありませんように!!)
何もなければそのまま解散だ。解散したらあたしは休むわよ。好きなだけ好きな事してやる。
(メニーのど畜生! くたばれ!!)
あたしはメニーに引っ張られながら、勉強部屋から出るのだった。
(*'ω'*)
廊下を歩くと、困ってる使用人達は数多くいた。内容は、本当に小さなものだけれど、
例えば、
「ぎゃああああ! 紙袋が千切れてベタな感じで林檎が落ちて転がっていくー!」
「やあ! 僕は林檎なのさ! ころころころりんなのさ! 逃げだせ転がれスーパー回転スマッシュブラザーズなのさ!」
「お姉ちゃん!」
「はいはい」
散らばった林檎をコック見習いに渡す。
「お嬢様方、ありがとうございます!」
コック見習いがにこりと笑う。
それ以外にも、
「急にぎっくり腰に!」
「お姉ちゃん、大変! エレンナがすごい顔してる!」
「あんたはここにいなさい! 人を呼んでくるわ!」
運ばれていく際に、エレンナがあたし達に振り向く。
「助かりました、ありがとうございます。お嬢ちゃん方。……あー、痛い! いたたたた!」
それ以外にも、
「おっと! こいつはしまったぜ! 社会の窓のボタンがぽんと取れちまったぜ! おいおい! こいつは困ったもんだぜ! 完全に丸出しモロ出しのワイルドボーイになっちまったぜ!」
「お姉ちゃん! お裁縫道具!」
「メニー、そっち持ってなさい」
ちくたくちくたく。使用人に制服のパンツを返す。
「テリーお嬢様! メニーお嬢様! ありがとうございます! 社会の窓が塞がりましたぜ! ふーう!」
(はあ)
自分で考えた事だけど、なんか、もう、どうでもよくなってきた。メイド達はにこにこしてるし、使用人達は皆、微笑ましそうにあたし達を眺めてるわけだし、もう十分じゃない?
それよりあたしは、
(部屋に戻って! ぐーたらしたい!!)
あ、そうだ。あたし、いいことひらめいちゃった。
「メニー」
足を止め、メニーを呼ぶ。メニーも足を止め、あたしに振り向いた。
「ん? なぁに? お姉ちゃん」
「うっ!」
あたしは座り込んだ。
「お腹が!」
「え?」
メニーがぎょっとして、あたしは続ける。
「なんか痛いがする!」
「え!?」
「なんかやばい気がする!」
「え、お姉ちゃん、大丈夫?」
「なんか大丈夫じゃない気がする!」
「え? え? ど、どうしよう!」
「なんか痛いかもしれない気がする!」
「え、えっと、えっと」
メニーがきょろきょろと辺りを見回し、しゃがみこみ、あたしの顔を覗き込んだ。
「お姉ちゃん、あの、誰か呼んでくるね!」
「あー! なんかもーダメな気がするー! 死んじゃう気がするー!」
「お姉ちゃん! 待ってて! じっとしてて!」
メニーが立ち上がり、ぱたぱたと走っていく。
(ふん。単純で助かったわ)
あたしはスッと立ち上がり、辺りを見回した。
(さて、一人になったところで、部屋に戻ってぐーたらして…)
「クロシェ先生! こっちです!」
「テリー!」
戻ってくるのはやっ!!!
(しかも先生までいるじゃない!)
ただ部屋に戻りたかっただけなのに、なんだか大ごとになりそうな予感がする。
(まずいわね。ここはどこかに隠れて…)
あたしはきょろきょろと見回す。扉がある。急いでその扉を開き、静かに閉じた。扉に耳を傾けると、足音が聞こえる。
「あれ? お姉ちゃんがいない」
「え?」
「さっき、ここで急に座り込んで…」
「誰かとお部屋に戻ったのかもしれないわね。一緒に行ってみましょうか」
「はい!」
メニーとクロシェ先生の足音が過ぎ去り、聞こえなくなっていき、完全に聞こえなくなると、あたしはため息をついた。
(ちょっと面倒なことになったわね。いいわ。しばらくここに隠れてよ)
部屋を見回すと、窓辺に一輪の花が飾られている。
(ばあばの部屋)
あたしは歩き、花を見つめ、部屋を見回し、クローゼットを見た。
(またアルバムでも見ようかな)
あたしは巨大なクローゼットを開け、天井までびっちりついた本棚を見上げる。かかとを上げ、昔のアルバムに手を伸ばす。
(これは、まだあたしが産まれてない時)
一冊、手にとって開いてみる。若いママがいる。
(何歳だろう?)
次のページを開く。ママとお婆様が写っている。
(あら、素敵な写真)
次のページを開く。パパが二人の間に加わった。
(若いパパ)
若いママと、若いパパの写真が続く。アルバムを閉じて、本棚にしまった。その横にあるアルバムを手にとって、開く。若いママと若いパパが笑っている。
(素敵な笑顔ね)
次のページを開く。結婚式の写真。
(あ、ウエディングドレス)
花嫁姿のママの写真を眺める。
(ママがいる)
隣には、
(パパがいる)
花びらが舞い散り、幸せそうに微笑む若い夫婦がいる。それにハンカチを押し当てて喜ぶお婆様と、その隣に、小さな少女。
(これ、誰かしら?)
ページをめくる。ふとした時から、お婆様の隣に使用人姿の少女が映っている。
年齢は、メニーくらいだ。あたしよりも年下だろう。
(ばあばの世話係?)
ページをめくると、後ろからかちゃりと音が鳴った。
(うん?)
「あら」
振り向くと、扉を開けたサリアと目が合う。サリアがあたしを見て微笑んだ。
「こんにちは。テリー」
扉を閉め、掃除道具を持ってあたしに近づく。
「お掃除を始めますよ。さ、ご自分のお部屋にお戻りください」
「サリア、あたしは今、この部屋から出るわけにはいかないのよ」
「あら、また何か悪さを働きましたか?」
「働いてない。あたしは良い子ちゃんよ」
「ふふっ。とは言え、私も仕事なので掃除をさせていただきますよ」
「お好きにどうぞ。あたしのことは空気だとでも思ってて」
「かしこまりました」
サリアがくすりと笑って、換気のために窓を開ける。冷たい風が入ってくる。気にせずサリアがバケツを置いて、窓を拭き始めた。あたしも気にせずアルバムを開く。
「ねえ、サリア」
「はい」
「サリアはいつからここにいるの?」
「………」
サリアが窓を拭きながら計算する。
「今年で13年になりますね」
(ん?)
あたしはきょとんと瞬きをして、サリアに振り向く。サリアが窓を拭いている。
「13年?」
「ええ」
「今年で?」
「そうですね。アメリアヌお嬢様が12歳なので、ええ。13年になります」
「………サリアって」
あたしはサリアの背中を見つめる。
「いくつ?」
「ふふっ。何ですか。急に。年頃のレディに、年齢を聞くものではありませんよ」
サリアが微笑みながらあたしを横目で見て、また笑う。あたしはぽかんとして、写真を見る。
(13年前)
あたしはサリアを見る。
(13年前)
お婆様の隣にいる少女を見る。
(……………)
ん?
「サリア」
「はい。何でしょう?」
「これに写ってるの、もしかして、サリア?」
指を差す。サリアが振り向き、雑巾を置いて、手をエプロンで拭きながらあたしに歩いてくる。アルバムを覗き込んで、写真を見て、サリアが笑った。
「ええ、そうですよ。私です」
「…サリア、いつから働いてるの?」
「13年前から」
「サリア、本当にいくつ?」
「さて、何歳でしょうね?」
(あんた、貫禄あるくせに、かなり若いでしょう!)
呆然としていると、サリアが微笑んだまま、あたしの横にちょこんと座る。
「そうですよ。私は、アメリアヌお嬢様の出生も見守りましたし、テリーの生まれたところも見てるんです」
お部屋で、奥様の汗を拭ってました。
「アンナ様はアメリアヌ様にお祈りをしておりました。無事に生まれますようにと。そして旦那様は、奥様の手をひたすら握ってました」
ひー! ひー! ふー!
いだだだだだ! お前! ちょっと痛い! いだだだだ! ちょっと待て! 手が痛い! お前! 痛いんだよ!
貴方が痛がってどうするの! 私の方が痛いのよーーーー!!
いだだだだだだだ!!
「で、そんなこんなでアメリアヌお嬢様がお生まれになったわけですね」
アンナ様も旦那様も大喜び。奥様は青い顔でぜえぜえ。
「ほら、お前! 見てごらん! 可愛い女の子だ! よく頑張った!」
「ああ! 私の娘! よく頑張ったわ! アーメンガード!」
「ええ、ええ、そうですね…。ああ…私は少し休みたいわ…。ママ、後は頼みました…。貴方、その子をお願い…。私は…もう、くたくたよ…」
「ああ、なんて可愛い子だろう!」
旦那様は、それはそれは大切に、アメリアヌお嬢様を抱きしめられました。
「サリア…」
「はい」
私は奥様の汗を拭うだけ。
「その一年後」
再び、出産の日がやってきたわけです。
「でも、テリーの時は、そんなに苦労しませんでしたよ」
テリーったら、予定日の三日前に出てきてしまったんです。まるでその日がいいの。生まれたいの! と言っているように。
「アメリアヌお嬢様の時は時間がかかりましたが、テリーは呆気なく出てきましたよ」
四時間くらい、でしょうか?
「もうそれは、ぽんと」
呆気なく。
「…サリア」
「はい」
私は奥様の汗を拭うだけ。
「旦那様が間に合わなかったんです」
急いでお仕事場から駆け付けまして、職場の方々と一緒にお屋敷に乗り込んできた時には、もう奥様の腕の中で、テリーが眠っている時でした。
「ああ! 生まれてる!」
「やったじゃないか! ダレン! 女の子だ!」
「なんて可愛い子だ!」
「赤毛だぞ!」
「ダレン、お前も罪な奴だな!」
「お前、抱かせてくれ! 可愛い! 可愛い! かわいいいいいいい!!」
「お黙り!!」
奥様が乗り込んだ男三人に怒鳴り、アンナ様の膝の上でアメリアヌ様が遊んでいて、旦那様がようやくテリーを抱っこしたんです。
「ああ、なんて愛しい子だ」
優しく貴女の赤毛を撫でながら。
「二番目には、男でも女でも、この名前をつけるつもりだったんだ。テリー」
旦那様はテリーを愛しておりましたよ。
「ああ、可愛いな。愛してるよ。テリー」
「なのに、捨てたのね」
サリアが微笑む。あたしは口角を下げる。
「あたしとアメリを愛してたくせに」
屋敷から出て行ったのね。
「パパは勝手よ」
あたしはアルバムを閉じる。
「もう、どこにいるかも分からない」
パパからの手紙は、届かない。
「人の気持ちは変わるものね」
「テリー」
サリアがあたしの両肩を撫でた。
「旦那様は、テリーを愛してました。大層可愛がってました。それは、本当です」
「裏切り者のことなんて、どうでもいいわ」
夜になったら帰ってくるよって顔で、涼しい顔で、この屋敷から出て行った。
そして、離婚した。
二度と帰ってこなかった。
「あたし、パパなんて嫌い」
あたしはアルバムをぎゅっと握る。
「家族を捨てたパパのことなんて、もう忘れた」
あたしに、パパなんていなかった。
「そんなことよりも、サリア」
あたしは横にいるサリアを見上げた。サリアは既にあたしに顔を見せている。あたしはニッと笑った。
「ねえ、サリアのこと聞かせて」
あたしが話題をサリアに変えると、サリアがきょとんとした。
「ん、私のことですか?」
「そう。サリアのこと」
「私のことを聞いても、何も楽しくありませんよ」
サリアがそっとあたしの肩から手を離し、立ち上がる。ゆっくりと窓に向かって歩き出すのを、あたしは振り向いて眺める。
「ねえ、サリアはどうやってここに来たの?」
「馬車で」
「そうじゃなくて」
「ふふっ。わかってますよ」
サリアが再び窓を吹き始める。
「私は孤児院から、アンナ様に拾われてきたんです」
…………。
あたしはぱちぱちと瞬きをした。
「孤児院?」
「ええ」
「サリア、親がいないの?」
「ええ。二人とも、私が小さい時に亡くなりました」
偶然、アンナ様が孤児院にいらしたことがあったんです。
「何が気に入ったのか、私と数回、話をして、雇用契約を結ばされ、この屋敷に連れてこられました」
私の傍にいなさい。サリア。
はい。
「ママが雇ったんじゃないのね」
「ええ。あの時はまだ、アンナ様がベックス家の当主でございました」
この服が、今日から貴女の服です。着てごらんなさい。
はい。
ちゃんと働けば、お給料ももちろん入ります。頑張りなさい。
はい。
「サリア、その時からここで働いてるの?」
「はい」
サリアが次の窓を拭く。
「辞めたいと思った事はないの?」
「無いと言えば、嘘になります」
あたしはサリアの背中を見る。
「働きにくい?」
「もう慣れました」
サリアの手が雑巾で窓ガラスを拭いていく。
「サリア、働きにくいなら、正直に言って。あたし、何とかするために、今、色々動いてるのよ」
「色々ですか」
「そうよ。時間が解決するわ」
「まあ。何をしてくれることやら」
サリアが面白そうに口角を上げる。
「では時間が解決するまで、テリーに一つ問題を出しましょう」
「ん?」
サリアが窓を吹きながら口を動かした。
「きらきら流れる歌の先にあるものは、一体何でしょう?」
「きらきら流れる歌の先にあるもの?」
あたしは眉をひそめる。
(またサリアの謎々ね)
「今度はちゃんと答えがあるの?」
「謎には、必ず答えがあるんですよ」
「でも、前聞いたのは、答えが無かったわ。ひらいめいた答えが答えだって言ってた」
「ええ、ひらめいた答えが答えです」
「じゃああたしがひらめいたら、それが答えになるの?」
「腑に落ちれば、そうなるかもしれませんね」
「そんな問題ある?」
「なぜ問題は謎だと思います? わからないから謎なんです。納得のいく答えは一つだけ。歌の先にも、きちんと答えはあります」
サリアが微笑む。
「いくら時間をかけても構いません。考えてみてください」
サリアが窓を拭き終える。あたしは考える。
(……わからない)
分からないから、この話題は後回し。
「分かんないの、やだ!」
子供のようにぷう、と頰を膨らませて、あたしは横たわる。サリアが雑巾を置いて、あたしに近づいた。
「テリー、床に寝転がったらいけませんよ。ギルエド様に怒られてしまいます」
「サリアが起こしてくれるから平気」
「テリー、私は今窓を拭いて、手が汚いんです。ドレスが汚れてしまいますよ」
「いいもーん」
ごろごろと転がると、サリアがくすくす笑い、エプロンで念入りに手を拭き、あたしを捕まえる。
「テリー、駄目ですよ」
あたしの体をひょいと起こす。顔を上げると、サリアが微笑んでいる。あたしもにむこりと笑う。
「ねえ、サリア」
「はい」
「あたし、サリアが好きよ」
「ありがとうございます」
「サリアは?」
「大好きですよ。テリー」
サリアがあたしに微笑む。あたしもにっこり笑う。
「じゃあ、体をサリアに委ねるわ」
「こらこら、いけませんよ」
ぐたぁ、と脱力すると、サリアがあたしの肩を抱えた。
「だって大好きなんでしょう? あたしもサリアが好きだから両想いよ。あたし、サリアに甘える事にする」
「うふふ。どうしたんですか? テリー」
「なんかサリアに甘えたい気分なの」
すでにアルバムは閉じられている。
あたしは過去ではなく、現実を抱きしめる。
「サリア、あたしと遊んで。ね?」
「お掃除中です」
「手伝うから」
「駄目です。テリーの手が汚れてしまいます」
サリアがあたしの片手を、両手で包んだ。
「さ、言うこと聞いてくださいな」
「分かった。そこまで言うなら大人しくする。でも、しばらくこの部屋から追い出さないで」
「うふふ。テリー」
「悪いことはしてないわ。ただ、ちょっと、その」
あたしは目線を横に流した。
「ちょっと、この部屋にいたいの」
「メニーお嬢様とクロシェ先生でしたら、貴女を探して三階を歩いてますよ」
……………。
あたしはサリアを見た。サリアはにこにこしながら、あたしを見た。
「……サリア」
「はい」
「見てたの?」
「これも答えです」
あたしは瞬きをする。サリアは微笑み続ける。
「メニーお嬢様とクロシェ先生が心配そうな顔で三階へ向かわれ、そしてここには貴女一人。なぜだろうなって思った結果、そういう回答が出ました」
納得のいく答え。腑に落ちる答え。
「お掃除が終わるまで、どうぞ、好きなだけいてください。でもその後、すぐに部屋から出て、二人に会いに行ってください。心配してますので」
サリアがそう言って、あたしの背中を撫でる。そして先生のように、首を傾げる。
「わかりましたか?」
「……はい」
返事を返すと、サリアがにこりとまた笑って、あたしから離れる。立ち上がって、掃除の続きをするために箒を手に持つ。
「テリー、良かったら手伝ってくれますか?」
「うん」
頷いて、あたしは置いてたアルバムを本棚にしまった。
―――きらきら流れる歌の先にあるもの。
(……結局、何なんだろう)
あたしは立ち上がり、サリアに振り向いた。
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