第23話 ニクスヘ


 親愛なるニクス・サルジュ・ネージュ様。


 ニクス、手紙ありがとう。

 喜怒哀楽で言うなら、あたしは今、楽しみながら貴女への手紙を書いております。だって話が長いんだもの。ばれるかばれないか、この瀬戸際が楽しいわ。


 あのね、どういう状況かというと、そうね、最近立て続けに環境が一気に変わったの。まずは、仕事案内紹介所の話からしましょうか。


 ハロウィン祭が終わってしばらくしてから、紹介所に新たなシステムが加わったの。



「ねえ、Mr.ジェフ、折り入って相談があるのだけど」



 障害を抱えた人専用の、職場案内システムよ。ニクス、新聞で読んだかしら? 体に障害を持ってる人でも働けるように、そういうシステムが追加されたらしいの。

 これがまたすごいらしいわよ。

 あたしはなんだかよく分からないけど、また相当な信頼と売上げが伸びてるんですって。あたしは分からないけどね? もう、さっぱり。あたしには関係無いから。本当よ。


 それでね、あたしの友達にも、脳に障害を持ってる子がいて、その子は軽度らしいんだけど、でも薬を飲まないと何も集中が出来ないんだって。優先順位の付け方が苦手で、忘れ物が多くて、思ったことがよく口に出たり、うっかり物を落としたり、遅刻したり、そういうのが多い子なの。


 あたしには理解出来ないけど、そういう人が世の中には意外と多いみたいね。

 ニクスの周りにもいるのかしら?


 システムが増えて、きっと今頃、紹介所で働く従業員達は大変ね。……あたしは、本当に関係ないけど。



「はぁー! 忙しい忙しい!」

「紹介所も人手が足りません!」

「おい、ディラン! ここは俺達の鍛えぬいた筋肉で解決だ!」

「素晴らしいぜ! 俺の筋肉!」

「人手不足です。……アルバイトでも雇ってみます?」

「ジェフさん、アルバイト雇用、どうですか?」

「ああ。社長に相談してみよう」



 そういえば、紹介所でアルバイト雇用を受け付けるようになったのよ。あたしもまた屋敷から追い出されることがあれば、まぁ、ないだろうけど、もしもまたあったら、働いてみようかな。


 働くといえば、あたしの働いていた商店街。だいぶ片付いてきたのよ。まだ壊れかけてる建物もあるけど、商店街自体は形を取り戻してきてる。


 リトルルビィは、今年いっぱいまでお菓子屋で働くらしい。



「いっぱい働いて、いっぱい稼いで、テリーと一緒に住むお屋敷代を貯めるの!テリー、待っててね! 今日も可愛いテリーが大好き!」



 リトルルビィも元気よ。出会った頃と比べて、あの子、本当に考えられないくらい成長したの。……成長しすぎて、……来年が心配だけど。その、色々。追いつかれないかとか。その、……色々。


 あ、そうそう。働いてたお菓子屋の奥さんがね、最近なんだけど、爆発事件の時に足を痛めて病院に行ったのよ。それで分かったらしいんだけど、



「二ヶ月なんだって。いやぁ、人生分からないものだね」

「奥さん、無理せずにぃ。まだ入院中ですけどぉ、私もぉ、ジョージ君もぉ、アルバイトの子達もいますからぁ!」

「何かあれば、社長もいますから! ね!」

「ご近所にはぁ、サガンさんもぉ!」

「……」



 社長は、真顔で奥さんのお腹を触るの。30分ごとに厨房から出てきて、レジに来て、触って戻るらしいわ。楽しみなんでしょうね。

 商店街でお世話になった人達も、何だかんだ大変そうだけど、でも楽しそうにしてる。リトルルビィが働きやすいって言って紹介してくれたのだけど、当たりだったわ。


 それと、最初の方で書いた、脳に障害を持ってる友達。アリーチェって名前の女の子なんだけどね、その子について。彼女は確かに人とは少しずれてる部分があるの。でもね、その子が誰よりも長けているところがあって、それが帽子のデザインを考えることなのよ。


 彼女は、今、本気で忙しいみたい。


 お菓子屋で働きながら、学校も行って、帽子のことも勉強してるの。とある大手の帽子製作会社にスカウトされてね、そこで一生懸命やってるみたい。



「ガットさん、この変な帽子なんですか?」

「コンテスト用さ。アリスにはまだ早いかもしれないけど」

「え? こんなのがコンテスト用?」

「こ、ん、な、の?」

「だって! なんか! きのこみたい!」

「はっはっはっはっ!」

「な、なんで笑うんですか……。気持ち悪い……」



 彼女は素直に物を言ってしまうの。本人はそのことに関して、とても気にしてるみたい。



「ああ、疲れた。しんどい。いきた……」


 アリス、来年コソ、怖ガラセテヤル。


「……」


 ちゃきっ。すっ。ちくり。


「……またやっちゃった」



 アリーチェの二の腕には、自分を傷つけた痕があるの。手首じゃなくて二の腕ね。手首だと出血が多いし、見つかりやすいでしょう? だから二の腕。二の腕だと傷が見えにくいし、夏場は袖の短い服を着るから。……最近、また増えてる気がする。


 でも、それを止めてしまったら、アリーチェがこの世界に生きる上での逃げ道がなくなってしまうと思って、あたしは受け止めることにしてるの。その傷を見たところで、それが当たり前のように気にせず、一緒にトランプでもして遊んでるの。



「ねえ、ニコラ、またお願い出来る?」



 それでもしんどそうな時は、黙ってアリーチェを抱きしめてあげるの。何も言わずに、黙って抱きしめて、頭と背中を撫でて、よしよし。って言うの。本当にしんどそうな時だけね。


 でも、アリーチェの場合、それが落ち着くんだって。お母さんに抱きしめられてるみたいだって言うの。それで、アリーチェが落ち着いたら、また遊ぶの。


 彼女はチェスが出来ないのよ。自分にとって複雑なルールがあると思ったら苦手意識が生まれて、人の倍、苦手と思うようになってしまうんですって。だから定番は、絵を描くか、トランプなのよ。でもそれも、なかなか悪くない気がする。


 ああ、そう。苦手といえば、図書館よ。ニクスにも話したでしょう。すっごくからかってくる嫌な司書がいるって。

 10月が過ぎてから、何を企んでるのか、少し大人しくなったの。



「押してダメなら引いてみることにしたんだ。ねぇ、テリー。明日は暇? いつ暇なの? ねえ、三連休の時は邪魔が入ったでしょう? 今度こそ、私とデートしてよ。唄遊びして遊ぼうよ。ねえ、テリー。ねえ、恋しい君」



 前言撤回。いつもと変わらなかった。

 図書館は今日も広くて、色んな本が置いてある。メニーも本を沢山読んでるわ。あたしも本を読めと言われているから、時々家庭教師の先生と、メニーとで読みに行くのよ。


 でもあたし、途中でどうしても眠くなるのよね。本ってミミズみたい。うにゃうにゃって唸ってくるのよ。うとうとしてきたら、メニーの飼ってる猫があたしを引っ掻いてくるの。痛いったらありゃしない。



「テリー! にゃー!」

「ドロシー、お姉ちゃんの邪魔しちゃ駄目だよ」

「にゃあ」

「ふふっ!」



 メニーはどんどん綺麗になっていく。

 ああ、でも、あたしの姉さんも、最近綺麗になった気がする。綺麗に見えるだけだと思うけど。彼氏が出来たもんだから、浮かれてメイクをするようになったわ。

 鏡の前を占領するのはいいけど、自分の部屋だけにしてほしい。わざわざあたしの部屋に来て、ネックレスを借りるためだけに、鏡を占領する意味が分からない。



「テリーにも彼氏が出来たら分かるわ。ああ、会いたいわ。私の愛しい人」

「失礼します。テリーお嬢様、お手紙が」



 そうだ。ニクス、聞いて。キッドからの手紙が本当にしつこいの。臭い言葉がベラベラ載ってて、おまけに青い薔薇。ああ。ぞっとする。あたし、青い薔薇は苦手よ。最近ちょっとした悪夢を見たの。青い薔薇はその時に見たから、思い出してしまうのよ。青い薔薇はしばらく見たくない。



「お嬢様、お電話ですよ。……貴女の最愛の人だと名乗る方から」



 使用人は、それを見て面白そうににやにやしてるの。



「ああ、そうだ。テリー、貴女からの問題を解いてみました。こんな説、どうですか?」



 その使用人のお姉さんね、すごく頭が良いの。あたし、彼女にはもう問題を出さないわ。いつか中毒者のことがばれてしまいそうな気がする。

 逃げるように電話に出れば、しつこい通話。



「ねえ、いつ家に来るわけ? 今日は空いてるんだろ? ねえ、来て。今すぐ。会いたい。胸が苦しい。俺、もう死んじゃう。ねえ。切ったら怒る。来ないと迎えに行く」



 キッドの奴、なんであたしの予定が空いてる日を知ってるのよ。本当にふざけ倒してる。屋敷にあいつの部下でもいるんじゃないでしょうね。

 街を歩けば、まあ、いるんだけど。



「ニコラ! 久しぶりだな!!」

「ふっ! やあ、可憐なテリー嬢。お兄さん達と遊ばない?」

「兄さん! テリー嬢なんて、失礼な呼び方だぞ! 呼ぶならテリーお嬢様、もしくはテリー様と呼べ!!」

「お前だってニコラって呼んでただろ!!」

「兄さん! 俺はニコラの方が呼びやすいんだ!」

「だったら俺だってニコラって呼ぶもんね!」

「ニコラ!!!!」

「ふっ! ベリーハニーちゃん!」



 あのね、こんな双子がいるのよ。これは、まあ、もう一人の王子様の部下なんだけど、どうにかならないかしら。見つかったらうるさいのよ。

 で、どうにかこうにかキッドの家に遊びに行くんだけど、そしたらね、ビリーがお菓子を用意していてくれているの。だから、まあ、悪い気分じゃないのよ。それだけは。



「テリーや、美味しいかい? そうか。それは良かった」

「テリー、食べてばかりだと太るぞ。ねえ、遊ぼうよ。遊んでくれるって言っただろ。テリー、ねえ、テリー」



 横からキッドがうるさいの。本当にうるさい。あたしはビリーの焼きたてのクッキーを食べてるのに。本当、最悪。くたばればいいのに。



「やっとこっち向いた。テリー。今日も可愛いよ。愛してる」



 くたばれ。


 キッドは今日も絶好調。


 ああ、そうそう。ニクス、報告があるの。あたしね、お兄ちゃんが出来たの。

 別にママが再婚したわけじゃないわ。ただ、あいつがそう呼べって言ってるの。気持ち悪いから口には絶対に出さないけど、悪い奴じゃないから、あたしが勝手にお兄ちゃんって頭の中で呼んで、思ってるだけ。


 お兄ちゃんはね、すごくか弱くて、すごく不器用で、すぐ泣いて、すぐ叫んで、すぐ悲鳴をあげて、怖がりで、本当にどうしようもない奴なの。


 だけど、人一倍正義感が強くて、人一倍努力をしようとするの。足もとても速い。そして、とても頼りになるの。


 でも、やっぱりあいつ、すごくか弱いのよ。体調を崩しやすいの。今月から、やっと病室から抜け出すことをやめて、治療に専念するって言ってた。



「ニコラ! 本当だな! 治療に専念したらラジオ局も冬のミックスマックスイベントもついてくるんだな! よし! そうこなくっちゃ! 早速明日から治療しようぜ! わー! やる気出てきたぁーーーーーーーあ!!!」


 え、体調はどうだって?


「心配無用。ちゃんと言われた通り、大人しく治療に専念してるよ。僕も、いつかまともに戻れるといいんだけど」



 ねぇ、ニクス。『まとも』って何なのかしら。

 あたしは自分がこの世界で一番まともだとは思わないわ。あたしにはあたしの考えがあって、ニクスにはニクスの考えがあるでしょう?


 人と意見も考え方も違うのは当たり前のことだと思うの。

 アリーチェが言うまともも、お兄ちゃんが言うまともも、あたしにはよく分からない。

 自分がこうだという理想も、実はまともな人ではない理想かもしれないじゃない。


 あたしは個性的なアリーチェが好きよ。もちろん、ニクスのことだって大好き。もしも二人がまともじゃないなら、それでも構わない。あたしはアリーチェが好きで、ニクスが好きで、それが一つの真実で、一つの現実であるのだから。


 難しいことを書いてしまいました。気にしないでちょうだい。


 あたしの環境は、こんなところかしら。貴族に戻ったって、何も変わりません。あたしはあたしで、あたしの生活をただこなしていくだけ。


 そうね、変化があったとすれば、一つだけ。





 あのね、あたし、趣味で習い事を始めたの。

 それで、この状況ってわけ。





「というわけで! ブレーメンは素晴らしいところなんです! お嬢様!」


 あたしは手紙をノートの裏に隠す。先生にニコリと微笑んで頷く。


「ああ、つい昔話をしてしまいました。失礼。いやいや、でも、本当に素晴らしいところだったのです。泥棒一家の家にたどり着いた時は、仲間達とひやひやしておりましたが、楽器一つで出てきた身、怖いものなどありません! 驚かして追い払ってやりました! ああ、あの時は私も若かった!」


 さてさて。


「つまりですね、何が言いたいか。話を戻しましょう。テリーお嬢様、音楽は、音を楽しむと書いて音楽。楽しみましょう。ええ、楽しむのです。人生は少ないのです。この一瞬のひと時を愉快に過ごしましょう」


 あたしは教科書とノートを閉じた。立ち上がる。


「いいですか。難しいことは考えず、頭の中でブレーメンを描いてください。ブレーメンの町は、見たことがありますか?」


 持ち上げて、首を振る。


「ああ、でしたら是非! 頭で想像してください。本当に素晴らしいところなのです! テリーお嬢様の素晴らしいところ、というのを、頭の中で想像してください!」


 ロバ顔の老人が、指を構える。


「さあ、まずはこの曲から、お嬢様、ゆっくり、やってみましょう!」


 先生が高らかに叫んだ。


「いざ! 行きましょう! 音楽隊が通る楽園! 心のブレーメンへ!」


 まったく、おかしな先生ね。

 口を開けば、ブレーメン。ブレーメン。


(ニクス、やっぱりこの世にまともはないわ。皆、おかしいんだから)


 この結論は、あとで手紙に書いておこう。


 今はとりあえず、レッスンに集中しなければ。


 あたしの脳が、レッスンにジャックされる。







 あたしは、ヴァイオリンを構えた。








 五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編) END

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