第15話 10月29日(5)


 15時。商店街。


 死体が運ばれていく。兵士達が建物の下から生きている人がいないか、探し回る。


「せーの!」


 兵士と商店街の人々が瓦礫を退かす。


「お前、筋が良いな! うちで働かないか!」

「え」


 孤児と商店街の人々が話す。動ける人は男も女も関係なく商店街の掃除を始める。瓦礫をどかし、レンガをどかし、箒でほこりを取っていく。


「もっと腰落とす!」

「こ、こうですか」

「そうだよ! 修道院の見習いだからって許されないよ!」

「は、はあ……」


 少女達が掃除を行う。子供達も笑いながら箒で掃除をする。到着した救急隊が負傷者を運んでいく。皆で励まし合う。


「ああ、ポール、頼むよ。目を覚ましておくれ」

「もう少しで病院だ。大丈夫だ! 君は生きてるよ!」

「しっかりおしよ!」

「大丈夫だ!」


 兵士や警察が爆弾を探し、イルミネーションを撤去する。燃えつきた飾り達。無事だったお化けのバルーン。店の前を掃除して、店を掃除して、無事だったところの安全や、修復不可能な場所も大人達が確認して回る。


「さあ、パンをお食べ! コックが焼いてくれたよ!」

「食欲無い……」

「食べないと力が入らないだろ! それとも何だい! うちのパンは食べられないってのかい!?」


 ミセス・スノー・ベーカリーの社員がパンを配って回る。人々が喜んで受け取る。人々が嘆きながら受け取る。人々が呆然としながら受け取る。

 食べないといけない。食べないと生きていけない。瀕死の人々が何人も倒れている。兵士たちが隠す。運ぶ。人々が泣く。人々が死体を撫でる。人々が涙を落とす。

 濡れた地面の水をかき集め、下水に流していく。


「……あの」


 あたしは水をかき集めるジミーに訊く。


「指輪、見ませんでした?」

「指輪?」

「……王冠の形の」

「見てないな」

「そうですか」


 あたしは俯く。ジミーがあたしの肩を掴んだ。


「ニコラ、腹空いただろ。向こうでパンを食べてろ」

「……まだ、大丈夫です」

「パンを食べてから、それから手伝ってくれ」

「……分かりました」

「うん」


 ジミーがあたしに微笑む。


「菓子屋は無事だったか?」

「カリンさんと奥さんが、……足を」

「そうか」

「ジョージさんも、怪我を」

「そうか」

「皆、怪我をしました」

「生きてるだけいいさ」


 死体が運ばれている。馬車が走り回る。


「馬達も大変だ」


 ジミーが水をかけ集める。


「ほら、ニコラ。向こうでフィオナもパンを配ってた。貰うといい」

「はい」

「まだ爆弾が残ってるかもしれない。気をつけてな」

「はい」


 頷いて、フィオナとエミリがいる方に歩く。フィオナがあたしに微笑んだ。


「ニコラちゃん」


 パンを差し出す。


「はい」

「ありがとう」

「ニコラちゃん、無事でよかったわ」

「ええ。フィオナも」


 あたしはエミリを見下ろす。この子も無事だ。あたしはエミリに訊く。


「エミリ、お母さんは?」

「さっき、会えたの」


 エミリが微笑む。


「お母さん、避難してて、大丈夫だった」

「そう」


 頷くと、フィオナが表情を曇らせた。


「……ニコラちゃんのご家族は?」

「……多分、大丈夫だと思う」

「私も会えてないんだ」


 フィオナがパンの入った袋を見つめる。


「でも、うちも大丈夫だと思う。被害が大きかったのは中央区域とか、お城の近くだったから。南区域なんて、沢山橋が壊されたって」

「……そう」

「大丈夫よ。橋がなければ川を泳げばいいんだわ。……どちらにしろ、夜になったら会えるから」


 フィオナが微笑む。


「お互い家族が無事だといいわね」

「そうね」


 あたしはパンを握る。


「ありがとう」

「いいえ」


 フィオナがエミリを引っ張った。


「エミリ、向こうにパンを配りに行きましょう」

「うん」


 エミリがあたしを見て、手を振った。


「じゃあね。ニコラちゃん」

「またあとで」


 あたしはパンを持って、片付いていない瓦礫の山に座り込む。パンを頬張る。もぐもぐ食べる。小指を見る。


 指輪は無い。


「……」


 小指が寂しくなった気がする。


(……最近入りづらかったし、丁度良かったかも)


 パンを頬張る。


(指輪くらいまた見つかる)


 お金で買えばいい。


(命は買えない)

(命に代えはない)


 あたしは景色を眺める。ぼろぼろの商店街を見つめる。

 爆発したのは、特定の場所のみだった。イルミネーションが設置された場所だけが爆発した。他の区域は一部だけで済んだが、中央区はハロウィンの飾りを多くしていたせいで被害が大きかった。


 一度目の世界であたしが馬車で見回ったところはもちろん、中央区の商店街通り、噴水通り、および、他の並びも、広場も、ぼろぼろだった。

 だから、中央区域に来ていた人達に、沢山の被害が被られた。


 買い物に来たり、たまたま遊びに来ていたり、偶然出かけていたり、働いていた人々が、怪我を負い、亡くなった。


「……」


 大好きなパンに味を感じない。


「……」


 それでもパンをかじると、


「ああ、疲れた」


 隣に誰かが座った。


「ん」

「やあ」


 隣でリオンが微笑んでいた。


(は?)


 あたしは黙って距離を離した。


「ちょっと」


 リオンがあたしの腕を掴む。


「なんで逃げるんだよ」

「触らないで」

「パン屋からパンを貰ったんだ。一緒に食べようよ」

「リオン様と馴れ馴れしく話すレディなんて見たことないわ。いい? 話しかけないで」

「酷いな。全く」


 リオンがパンを頬張る。あたしは少し離れた位置でパンを頬張る。


「うわ。もちもちだ。ニコラ、一口あげるよ」

「いらない」

「ねえ、一口あげるから、君のやつも一口頂戴」

「やだ」

「いいじゃないか。兄妹だろ」

「あんた、体調は?」

「今日はすごく気分がいいんだ。まるで病気が治ったみたいに、心が晴れやかだ」


 きっと、この素敵な天気のおかげだろう。


「でもさ、これ長く続かないんだ。多分一週間後にはまた引きこもってるよ」


 リオンがパンを一口分ちぎった。


「はい」


 あたしはパンを一口分ちぎった。周りを見る。誰も見てない。


「はい」


 お互いのパンを一口分交換する。それをお互いにひょいと口の中に入れる。リオンがパンの味に感動した。


「わお……。なんて美味しいんだ。素晴らしい。なんて名前のパン屋だっけ?」

「……ねえ、レオ」

「うん?」

「どこからが、夢で、現実なの?」


 レオがパンを噛んだ。


「うーんとね」


 レオがパンを飲み込んだ。


「まず、街をジャックしようとしたあの男、皮膚がぶくぶくに膨らんでたね。あれは現実」

「……そう」

「中毒者が飴を舐めすぎて、暴走したんだ」


 君は捕まった。人質になった。それも現実。


「そこから、兄さんの部下のミス・コートニー。あの人が男に幻覚を見せた」


 ダイアンは、『戦うべき魔王の手先』を探している時、商店街の人達を見回していた。その中に、ソフィアがいた。ソフィアは黄金の瞳を光らせた。


「それからは簡単だ」


 頭の中で君を殺す妄想をしてぼーーーっとしていたあの男を、僕が取り押さえた。


「そこから」


 ジャックが悪夢に誘った。


「君とあの男は、悪夢に落ちていった」


 悪夢の中で、あたしは殺された。

 悪夢の中で、ダイアンはあたしを殺した。

 腕をもぎ、足をもぎ、あたしに恐怖と痛みを与えた。


「でも」


 レオが言った。


「全部、夢だから」


 ふふっと笑って、パンを食べた。


「君は眠ったんだ」

「ジャックが眠らせた」

「怖い思いをしないように」

「あの男には恐怖を与えるために」

「ジャックが二人を眠らせて、悪夢へ引きずり込んだ」


 虹色の夜空。流れ星。星の木。サッカーの試合。


「……アリーチェが夢の中にいたのは想定外だったけど」


 でも、


「嬉しそうだったな。ジャック」


 レオが呟いた。


「ジャックが会いたがっていたんだ。友達に、最後のお別れを言いたいって」


 ジャックは分かってた。

 アリーチェが死にたがっているのを、知っていた。

 自分が悪夢を見せに来なくなると、アリーチェが死を選ぶことを悟っていた。


「ニコラ、勘違いしないでほしいんだけど、ジャックはアリーチェに酷いことはしない。彼らは友人だったんだ。ジャックにとって、アリーチェは初めての友達だった」


 アリスはジャックの悪夢を求めていた。

 ジャックの話し相手はアリスだった。皆が怯えるジャックに優しくしたのは、いきたがりのアリスだけだった。

 悪夢を恐怖するはずなのに、その恐怖を求めた。衝動を抑えるために求めた。


 もっと怖いのを要求した。

 ジャックは見せた。

 まだまだと言ってみせた。

 ジャックは見せた。

 アリーチェはもっと求めた。

 ジャックは楽しくなってきた。

 アリーチェは楽しくなっていた。

 ジャックは楽しくなってしまった。

 アリーチェは楽しくなってしまった。


 二人は異質な友達だった。


 現実でジャックはアリーチェを隠した。

 現実でアリーチェはジャックを隠した。

 ばれたら、会えなくなってしまう気がして。


「アリーチェにもしものことがあったら、ジャックはあの子を連れていったんじゃないかな」


 不幸せな現実から、あの子が求める幸せな悪夢の中へ。


「せめてもの、ジャックに出来ることだ」


 牢屋の中でアリスは死んだ。ジャックが連れていったのだ。冤罪で牢屋に入れられたアリスは絶望した。全てに絶望した。アリスは死を望んだ。友達に同情した彼が、彼女を不思議の国悪夢へと連れていったのだ。魂だけを抜いて。

 アリスは、恐怖する現実から、幸せな悪夢の世界へ彷徨うことになった。


 新聞に載っていた。アリーチェの遺体は、とても綺麗だったと。


「来年の10月、また会えると聞いてジャックが嬉しそうにしてた」


 ふふっと、レオが笑った。


「だからかな。今日の気分がとても穏やかなのは」


 リオンがパンを噛みながら、ひび割れた商店街の風景を眺める。


「……さっき話を聞いたんだけど、アリーチェは、やっぱり変な買い物をしていたらしい。爆発物の材料は、全部アリーチェがミスター・ダイアンに言われて買ったものだ」

「……」

「最悪の事態を回避出来たのかな」


 リオンが微笑んで、あたしに振り向く。


「ね、ニコラ。どう思う?」

「……最悪の事態を回避して、これなわけ?」


 商店街はぼろぼろになった。瓦礫だらけだ。


「死人も、怪我人も出たわ」

「ああ、そうだね」

「……」

「僕は君から10月28日に良くないことが起きるって聞いていた。ね、これのことだろ?」

「……」

「日付を間違えるなんて、君のお婆様はおっちょこちょいだ」


 人々が汗を流しながら働く。リオンがその姿を見つめる。


「もう、忘れてることはないか?」


 リオンがあたしに訊く。あたしはパンを頬張った。


「……ジャックの呪いのこと? だったら、とっくの前に思い出してるわ」

「ああ、僕も思い出したよ」

「そう」

「ああ、全部思い出したんだ」


 リオンがパンを噛み切った。


「全部覚えてるよ」


 リオンがパンを味わう。


「ニコラ」

「ん」

「ね、僕は全部覚えてる」

「ん」

「思い出したよ」

「ん」

「ジャックと一つになったときに、全部思い出した」

「ん」

「テリー・ベックス」


 リオンがにやりと笑った。


「ギロチン刑にされた気分はどうだ?」







 あたしはパンを飲み込む。ごくりと喉が鳴る。顔を上げる。目を開く。ゆっくりと、リオンに顔を向ける。

 リオンはあたしを見ている。


「テリー」


 リオンがあたしを呼ぶ。


「僕はそろそろ行かないと」


 リオンが立ち上がる。


「今夜も夢で会おう」


 リオンがあたしの頭に手を置いた。


「逃げるなよ」


 低い声が響く。


「貴様の罪を忘れるな」


 リオンの手が離れた。あたしの手からパンがころりと落ちた。リオンが拾った。


「あーあ。何やってるんだ。もったいないだろ。全く」


 リオンがパンをほろって、口の中に入れた。


「うん。やっぱり美味い」


 リオンが歩き出す。あたしに背を向けて歩き出す。

 あたしは見つめる。リオンの背中を見つめる。


 リオン様の背中を、青い顔で見つめる。


「……」


 あたしの血の気が下がる。


(思い出した……?)


 あたしは立ち上がる。


(一度目の世界の記憶を……?)


 あたしは後ずさる。


(また死刑になるの?)


 いや、


(あたしはこの世界で、まだ罪を犯してない)


 今夜も夢で会おう。

 リオンの声が離れない。


「……」


 リオンの背中が遠くなっていく。


「……」


 あたしは黙る。


「……」


 あたしはリオンを見送る。




 リオンが歩いていく。






「ニコラ」


 びくっと、肩を揺らす。振り向くと、アリスが歩いてきた。


「アリス」

「ここにいたのね」


 アリスがあたしのリュックをあたしに渡した。


「あ」


 あたしは受け取る。


「サガンさんが、一応、自分の荷物を持っておけだって」

「……わざわざありがとう」

「いいのよ。私も鞄を取りに行ったついでだったの」


 アリスが言いづらそうに、口を開いた。


「でね、私、もう帰るの」

「ん、そうなの?」

「姉さんが」


 アリスが目を泳がした。


「……家にいるみたいで」


 その瞬間、秋風が冷たく感じた。アリスが重い口を動かす。


「あの周辺、何ともなかったんだって。姉さんがいるってこともあって、兄さん、西区域周辺には爆弾を仕掛けてなかったみたい。だから、一番被害が少なかったの」


 でも、


「姉さんが、……すごくショックを受けてるって……」


 アリスが肩を落とす。


「……帰るわ」


 アリスが表情を曇らす。


「……婚約してたんだもん」


 アリスが俯いた。


「私と違って、姉さんは純粋に恋が出来るから、この先の未来も考えてたはずよ」


 それが一気に崩れた。


「帰る」


 アリスが眉をへこませた。


「悪いわね」

「……そう」

「ごめんね」

「なんでアリスが謝るの」

「私、気付けたはずよ」


 変な買い物だって思わなかった。


「……冷静に考えたら、電気に必要ない物ばかりだった。私ね、理科を勉強してるの。だから爆弾の材料って冷静になったら分かってたわ。……よく見ていれば、違和感に気付けたかもしれなかったのに」


 アリスが表情を曇らせる。


「……帰るわね」

「……馬車に気をつけて」

「うん。……ニコラも」

「ええ」

「……。……じゃ」


 アリスが無理矢理微笑み、ゆっくりと歩き出す。帰り道に向かって足を進ませる。その背中は、とてつもなく寂しく見えた。


「……」


 その背中を見送る。


(婚約者が犯罪者)


 殺人鬼。


(……アリスもショックを受けてるはずなのに)


 数年間、ずっと片想いをしていた相手に、罪をなすりつけようとされていて、


(かなりショックを受けているはずなのに)


 自分のことよりも家族を心配して帰る姿は、健気で、とても勇敢に見えた。


(……)


 あたしは息を吐く。深い息を吐く。


(……そろそろ、あたしも手伝いに戻ろう)


 忘れたい。


(夜が来ることを忘れたい)


 悪夢は終わってない。


「にゃあ」


 きょとんとする。足元に、緑の猫。


「……ん……ドロシー?」

「お姉ちゃん!」


 血相を変えたメニーが走ってくる。


「え?」

「お姉ちゃん! 隠れて!!」

「へ?」

「こっち!!」


 メニーが慌ててあたしの手を引っ張る。瓦礫の山の裏にあたしを隠す。


「何?」

「しー!」


 メニーが人差し指を立て、指示する。そして、あたしから離れる。


(……何?)


 ばたんと、扉の開く音がする。馬車だ。


「ん?」


 瓦礫の山の裏から見る。見覚えのある馬車だ。


「あれ」


 馬車から貴婦人が出てきた。


「あ」


 貴婦人が商店街に向かって叫んだ。


「テリーーーーーーーーーーーー!!」

「お母様!」


 メニーが走る。


「ここにはいないみたい! ね! あっちじゃないかな!」

「メニー! テリーはどこなの! 貴女、お昼に会ってたんでしょ!」

「メニーに当たってもしょうがないでしょ。ママ!」


 馬車から出てきたアメリがママを引っ張った。


「大丈夫よ。テリーのことだわ。ぴんぴんしてるに違いないって」

「ああ! なんてこと!! 私の可愛いテリーが!! テリーーーーーー!!」

「ふっ! お困りですか! マダム!!」


 ヘンゼが薔薇をママに差し出した。ママとアメリとメニーがヘンゼを見る。


「……貴方は?」

「兵士です。マダム」

「……兵士」

「警察もおります!!」


 グレタが横からわいてきた。


「どうも! マダム! 私はヘンゼル!」

「私はグレーテル!!」

「お困りでしたら、兵士の私と!」

「警察の私が!」

「「お受けいたしましょう!!」」


 ママのこめかみに、青筋が立った。


「……この国の警備はどうなってるのですか」

「「え」」

「警察から連絡がきました。娘のテリーが人質にあったと」


 ラジオでも言ってました。少女が一人、変質者の人質になったと。


「兵士と警察でしたか」


 ママの目が燃えている。


「三年前のことを覚えていますか。長女のアメリアヌが不審者に誘拐されました」


 ママが恨みに燃える。


「その半年後のことを覚えていますか。うちの家庭教師が不審者に襲われました」


 ママが怒りに燃える。


「一年前のことを覚えていますか。変な病気が流行り出して、三女のメニーに病にかかりました」


 ママが憎しみに燃えている。


「その半年後のことを覚えていますか。同じく三女のメニーが怪盗と名乗る不審者に誘拐されました」


 そして、


「今年、この瞬間、さっき、私の可愛い娘、次女のテリーが不審者の人質にあったと連絡がありました」


 ママが兵士と警察を睨む。

 ヘンゼとグレタの顔が引き攣る。


「我が誇り高きベックス家の関係者、および、娘達全員が、呪われたように事件に巻き込まれる始末、一体どうつけてくれるんですか?」

「いや、あの」

「マダム、落ち着いてください!」

「……落ち着けですって?」


 ママが目を見開いた。


「警備が怠っているのに、それに意見するこの私に、お前達、落ち着けと言ったの?」

「いや、あの」

「マダム!」

「答えなさい」

「いや、そういうことではなくてですね」

「皆、一生懸命やっております!!」

「一生懸命やれば、許されると思ってらっしゃるの?」

「グレタ! 余計なこと言うな! いやあ、すみません。可憐なマダム」

「過去に囚われるのはよくありません! 我々は未来を見ていくべきです!」

「グレタ!!」

「まあ……」


 ママのこめかみに、二つ目の青筋が浮き出た。


「過去の問題を忘れて、前向きにこれからを過ごせと……?」

「い、いや、あの、マダム!」

「ベックス家に、泣き寝入りをしろと?」

「落ち着いてください! マダム!!」

「……こんの……無礼者どもが……!」


 ママが大きく体を震わし、拳を握り、思い切り息を吸って、叫んだ。


「く  た  ば  れ  !!」


 ママの怒りが爆発した。

 ヘンゼとグレタが吹っ飛んだ。

 メニーとアメリがママのドレスにしがみついた。

 商店街の人々がママに振り向き、唖然とした。

 兵士と警察の空気が、一気に凍った。

 ヘンゼとグレタが地面にたたきつけられ、気絶した。

 ママが鼻を鳴らした。両手でメニーとアメリの肩を掴んだ。


「行きますよ。二人とも。ついてらっしゃい」

「はい、ママ」

「はい、お母様」


 アメリとメニーが頷き、馬車に歩く。アメリが先に乗る。メニーが一瞬瓦礫の山を見て、ドロシーと一緒に馬車に乗り込む。扉を閉めるためにやってきたギルエドにママが背筋を伸ばして座ったまま伝える。


「エメラルド通りよ」

「はっ」

「何としてもテリーを見つけ出して、屋敷に連れ戻す」

「かしこまりました」

「お前も探すのよ」

「はっ」

「行って」


 ギルエドが扉を閉めた。そして御者席に座り、紐を弾いた。


「やっ!」

「ひひん!」


 ベックス家の馬達が走り出す。優雅に走り出す。ヘンゼとグレタは白目で伸びている。商店街の人々が瞬きをする。


「……誰だ。テリーって」

「そんな娘、ここにいたか?」


 そう言って、作業に戻る。


「……」

「ニコラ」


 リトルルビィが後ろから声をかけてくる。あたしは振り向く。


「今の、ニコラのママ……?」

「あんた初めて見るっけ?」

「くすす。びっくりした。確かに目元がテリーにそっくりだ」


 ソフィアが横から声をかけてくる。あたしとリトルルビィがソフィアに振り向く。ソフィアが微笑む。


「で? ニコラちゃん、実家に帰るの?」

「……まだ帰らないわ」

「でも、テリーのママ、探してたよ。……心配そうな顔してた」

「何のためにメニーがあたしを隠したと思ってるのよ」


 あたしは二人に言う。


「ママとの約束は、まだ二日残ってる。隠れた貴族令嬢として、約束は守らないと」


 あたしはリュックからそれを取り外す。


「……あまり目立たない方がいいわね」


 あたしは帽子を被った。リトルルビィが眉をひそめた。


「……テリー、何? その……個性的な帽子……」


 ソフィアが笑った。


「くすす! 君ってそういうの好きだったの?」

「馬鹿。これは変装用よ」

「かえって目立たない?」

「お黙り」


 あたしはミックスマックスの帽子を深く被った。


「リトルルビィ、行きましょう。ドリーム・キャンディの付近を片付けないと」

「うん!」

「私も手伝うよ」

「あんたは図書館じゃないの?」

「図書館は無事だったから、残ってる人達に任せるさ」

「キッド殿下の手伝いは?」

「あの方についていったら、ただぼうっと立ってるだけの仕事に回されてしまうよ。だったら君の傍で働いた方がいい」


 リトルルビィがソフィアを睨んだ。


「……私がいるから平気よ。ソフィア、帰って」

「くすす。人手が足りないんだろ? 手伝うよ」

「いらない」

「いるでしょ?」

「いらない」

「いるくせに」


 リトルルビィとソフィアの間で火花が飛び散る。あたしは黙って歩き出す。


(……今日の仕事は長引きそうね)


 道端で医者達が怪我人を見ている。


「あひゃひゃひゃ! ほれ、私が治してみせよう! 私はお怪我が大好きなんだ! 見せてごらん!」

「あーん!」

「おや、こいつは困った! どうやら私は子供に懐かれてしまう魅力があるらしい! んーふふふ! どう思うかね! 助手君!」

「流石です。博士。とかなんとかなもんで」

「このおじちゃん怖いよー!!」

「あひゃひゃひゃひゃひゃ!!」


(働こう)


 あたしは歩く。リトルルビィも歩く。ソフィアもくすすと笑って歩く。

 瓦礫が少しづつ片付けられていく。無事な建物の中からは、掃除をする音が聞こえてくる。


(大丈夫)


 リオンが全部、立て直す。


(祭はきちんと開催される)


 リオン。


「……」


 あたしの足は動き続ける。

 忘れるように、動き続ける。


 日は、まだ沈まない。






(*'ω'*)





 19時。



 ランプをつけ、照明をつけ、商店街の片づけを続ける。リトルルビィが汗を拭った。あたしも汗を拭った。商店街通りに出店が並ぶ。


「ニコラ!」

「せーの!」


 巨大な布を広げる。固定した木材に布が被さる。社長が釘で地面に打ち付けた。出店のテントが完成した。


 リトルルビィが拍手をして、社長を見上げた。


「当日はここで売るんですね!」


 社長がこくりと頷いた。


「ニコラ! 中に入ろう!」

「ん」


 リトルルビィに引っ張られ、出店のテントの中に入る。


「すごいすごい! 見て。棚が並んでる!」

「ここに商品を置くのね」

「きっとすっごく混むよ。ニコラ、頑張ろうね」


 商店街通りの瓦礫の撤去作業が続く中、全店舗の出店が無事に並べられた。リトルルビィが微笑む。あたしも微笑む。


 微笑むアリスはいない。


「……リトルルビィ」

「うん?」

「アリスは大丈夫かしら」


 リトルルビィが眉をへこませた。


「……実はさっきね、連絡が来たの。……アリスの家に捜索が入ったんだけど、特に何もなくて、あったのはあのダイアンって人の家。部屋に、沢山の爆弾の材料があったって。だから、疑いは特に無し。アリスは絶対無罪。しばらく調査が続くだろうけど、……あのね……」


 リトルルビィが俯いた。


「こういう時は、下手に触れない方がいい、そっとするべきだって、前に似たようなことがあった時に、キッドが、……言ってた」

「……そうよね」

「うん」

「そっとしておくわ」

「……うん」


 テントの中に設置されたテーブルにリトルルビィが肘を乗せて、まだ瓦礫が残る商店街を眺めた。


「ニコラ」


 リトルルビィをちらっと見る。リトルルビィは続ける。


「……あのね、私、びっくりしちゃったの」


 突然、爆発が起きて、地面が揺れて、お店が揺れて、体が固まって、


「あの時、どうしていいか、分からなかった。もう少し判断が早ければ、カリンさんも足を怪我しなくて済んだと思うの」

「……あんた、まだ子供じゃない。驚いて当然よ」

「でも、私、普通の人間じゃない。吸血鬼で、キッドの部下よ。沢山訓練だって受けたの。こういう時の対処法も習ってた」

「無理よ。……あんたまだ小さいのよ」


 リトルルビィは12歳だ。まだまだ子供だ。


「あたしでさえ驚いたのに、あんたが冷静に動けるわけないじゃない」

「……」


 リトルルビィが瞼を閉じた。


「私、何も出来なかった」


 現場の中心にいたのに、


「動けなかった」


 リトルルビィの赤い目から、小さな涙が、ぽとりと落ちた。


「商店街が、こんなにぼろぼろになったのに」


 リトルルビィは大人と一緒に安全に避難した。そしてその中で、その人々を守ろうと周りを見張っていた。


「私、悔しくて」


 リトルルビィが赤い目を擦った。


「悔しくて仕方ないの……」


 リトルルビィが義手で涙を拭いた。


「何も出来なかった」

「あんたは悪くないわよ」


 リトルルビィの背中を撫でる。


「悪いのは、この町を破壊した奴よ」


 実行に移した奴。そして、


「……それを提案させた、根源も」


 紫の魔法使い。


「頑張ったわよ。ルビィ。あんた、怖いの我慢して、見張っててくれたんでしょ?」

「怖くないよ。だって、吸血鬼だもん」

「元々は人間でしょ」

「吸血鬼だもん」

「あんたは普通の子供と変わらないのよ」


 とても小さな女の子。


「頑張ったわよ。十分」


 ドリーム・キャンディの建物は無事だった。ただ、棚が雪崩れて、カリンが、奥さんが、足を怪我しただけ。ジョージが色んなところで出店の組み立て作業を行っている最中で、怪我をしただけ。


「大丈夫。直るから」


 この商店街通りも、数年後には元通りになる。


「ほら、まだ人手が足りてないところもあるわ。行きましょう」

「……うん」


 リトルルビィが目を擦った。


「擦っちゃ駄目」


 ハンカチを押し当てた。


「ん」

「こうするの」


 涙を吸い取って、ハンカチを鼻に押し当てる。


「ちーんして」


 リトルルビィが鼻をちーんと鳴らした。


「もう一回」


 リトルルビィが鼻をちーんと鳴らした。


「もう一回」


 リトルルビィが鼻をちーんと鳴らした。


「ラスト」


 リトルルビィが鼻をちーんと鳴らした。


「いいわ」


 もう一度顔を拭いて、ハンカチをポケットにしまう。リトルルビィの濡れた頬をなでる。


「いいのよ。あんたはまだ子供なんだから。甘えたって怖がったっていいの」


 リトルルビィが黙る。じっと、あたしを見つめる。


「……」

「抱っこする?」

「……」


 リトルルビィがあたしに抱き着いた。


「ん」


 重さのないリトルルビィを持ち上げる。


「ほら、行くわよ。サガンさんから指示が来るかも」


 リトルルビィを抱っこしたままテントから出る。星空が広がっている。


(……じいじに遅くなるって連絡しないと)


 片付けは終わらない。兵士も警察も、男も女も、皆、汗を拭って、商店街の片づけを続ける。


(……もう少し、手伝いたい)


 もう少しだけ。


「二人とも」


 しわがれた声に、リトルルビィとあたしは振り向く。そして、目を見開いた。


(あ)


 影は、あたし達に近づく。


「まだかかりそうかい?」


 じいじがいつものオーバーオールの作業服姿で、商店街の通りを歩いていた。


「ビリーのおじいちゃん!」


 ぱっと、リトルルビィが微笑み、あたしの腕から抜け出した。じいじに駆け寄る。


「おじいちゃん!」

「ふぉふぉふぉ」


 突っ込んできたリトルルビィを抱き止め、じいじが微笑んだ。


「連絡が来たよ。大変だったのう」

「ごめんなさい。私、上手く動けなくて」

「ルビィ、怪我は?」

「私は平気」

「ならいいじゃないか。いざという時に必要なお前が負傷しなかっただけ偉いよ。それに、ずっとこの通りを見張っていてくれたのだろう?」

「うん」

「小さいのに頑張ったのう。偉いぞ」


 リトルルビィの頭を、じいじが撫でる。リトルルビィが微笑み、微笑み、再び目を潤ませて、顔を引き攣らせて、歪ませて、じいじに抱き着く。肩を揺らす。体を震わせる。ぐすんと、鼻をすする音が聞こえた。

 じいじが微笑み、リトルルビィの頭を撫でた。


 じいじがあたしに顔を上げる。


「ニコラや」


 あたしはじいじに近づく。


「怪我は?」

「頭と、足。かすり傷」

「そうかい」


 じいじが片腕を広げた。


「おいで」


 あたしはじいじにくっつく。じいじの胸に頭を置いた。


「よしよし、怖かったのう」


 じいじの手があたしの頭を撫でた。あたしの頭にぬくもりが乗せられる。


(あ)


 それが残酷なほど、酷く、心が落ち着いた。


(あ)


 そこで自覚した。酷く、体に力が入っていたことに。


(あ)


 急に、怪我したところが痛くなった。


(あ)


 急に、血が体をめぐり始めた。


(あ)


 急に、心臓が動き始めた。


(あ)


 じいじのぬくもりが、あたしの氷を溶かして、そこに眠っていたものが、ようやく目覚める。のんびりと欠伸をして、あたしの胸に、こう言うのだ。



「ああ、やっと安心した」



 急に、涙が出た。



 あたしの体が震え始める。リトルルビィの体が震えている。あたしの手がじいじの背中に伸びた。リトルルビィの手がじいじの服を握った。

 じいじの手が、リトルルビィとあたしを抱きしめる。


「もう大丈夫じゃ。よしよし。二人とも、よく無事だった」


 リトルルビィが鼻をすすった。あたしは口と鼻を押さえて、鼻をすすった。体が震える。頬が濡れる。じいじの服が濡れていく。


「今夜はもう遅い。子供のお前達が帰っても何も言われないさ。リトルルビィ、今夜は家に来なさい。一人じゃ心細いだろ」


 リトルルビィが頷いた。


「ニコラ、今日は野菜と果物炒めじゃ。お腹は空いてるかい?」


 あたしはこくこくと頷いた。


「よし、じゃあ、帰ろう」


 じいじが微笑んだ。


「馬車を置いてある。乗りなさい」


 ああ、でも、


「落ち着いてからでいいよ。時間は沢山あるからな」


 じいじが落ち着く声で言った。


「ゆっくりでいいよ」


 リトルルビィとあたしが、じいじにしがみつく。ぼろぼろと、情けないくらい涙を落として、じいじに掴まる。ビリーは微笑む。他人の、リトルルビィとあたしの頭を撫でて、優しく、とても優しく、あたし達を包み込んだ。



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