第13話 10月27日(2)


 ??時。閉鎖病棟。







 白い扉を開けた。




 真っ白い部屋。ベッド以外何もない、がらんとした、殺風景な部屋。窓はガラスと鉄格子で固定されている。なのに部屋の中は窓が全開され、秋風が入ってきているように酷く寒かった。冬のように、氷点下のように、寒くて、凍えるくらい寒気を感じた。背中がぞっとする。けれど、あたし以外、何でもない平気な顔をしている。皆、寒くないの? こんなに寒いのに、どうして平気な顔が出来るの。いかれてるわ。


 キッドが中に入った。あたしが中に入った。メニーとドロシーが中に入った。リトルルビィが中に入った。ソフィアが中に入った。兵士達が数人、外に残って、中に入った。


 寒い。冷たい。寒気がする。体が震える。ガチガチ歯が鳴る。寒さの方向を見る。


 白いベッドに、リオンが座っていた。

 顔の青いリオンが座っていた。

 顔を俯かせるリオンが座っていた。

 静かに呼吸するリオンが座っていた。

 その場所から、寒さを感じる。

 リオンが生きていないような、寒さを感じる。

 部屋が凍っているように、寒い。

 けれど部屋は凍っていないし、誰も寒がっていない。

 寒さで顔を青ざめているのは、あたしだけだ。

 白い息を吐く。

 リオンが巨大な氷のように感じる。


 リオンは俯き、顔が見えない。

 キッドが近づいた。リオンの前に歩き、立ち止まる。


「リオン」


 キッドがリオンを見下ろす。


「質問タイムだ」


 キッドがリオンを問う。


「お前、魔法使いに会ったのか?」


 リオンは反応しない。


「リオン、飴を貰ったのか?」


 リオンは反応しない。


「リオン」


 キッドがリオンの足を足で小突いた。


「おい」


 でもリオンは、反応しない。虚ろな目で、ぼうっとしている。


「リオン」


 キッドが呼ぶ。リオンはぼうっとしている。

 あたしは一歩近づいた。二歩近づいた。足を動かした。リオンの手に触れた。


「レオ」


 キッドが横目で、あたしとリオンを見る。


「レオ」


 あたしはしゃがみこんだ。


「やっと見つけた」


 リオンの顔を覗いて笑う。


「あたしの勝ちよ」


 リオンの手が、ぴくりと動いた。


「隠れんぼは、あたしの勝ち」


 リオンの目が見開いた。


「お前の負けよ」


 リオンの目玉が動いた。


「残念だったわね」


 あたしはにやけた。



「見つけたわよ。ジャック」



 ――その瞬間、あたしの顔が掴まれた。リオンの両手が、あたしの頭をしっかりと掴んだ。


(むぐっ!?)


 ぎょっとして、慌ててリオンの手を掴むが、全く離れない。リオンの目が近づいた。あたしに目を見せた。青い目がぐるぐる回りだす。


(ひっ!?)


 ぐるぐる回る。あたしは手をばたつかせる。しかし、誰も助けてくれない。


(え!?)


 ばたりと倒れる音。またばたりと倒れる音。


(え? え? え?)


 横を見る。キッドが倒れている。


(え?)


「見ツカッチャッタ」


 リオンが笑う。見たことがないほどいやらしい笑みを浮かべて、あたしに目を見せる。


「ジャア、今度は、オイラガ、鬼だよ」


 リオンの目がぐるぐるぐるぐる回る。


「鬼ニナルカラネ」

「ニコラ」

「鬼」

「僕は鬼」

「オイラガ」

「鬼」

「王様」

「僕は」

「リオン」

「オイラハ」

「切リ裂キジャック」



 悪夢そのもの。



「彷徨ウガイイ」


 ジャックは笑う。


「切り裂かれるがいい」


 リオンが笑う。目を回す。あたしは回る目玉に引き寄せられる。意識が遠くなる。引き寄せられる。



 ジャックの悪夢に、引き寄せられる。





 意識が、遠くなる。





 遠く、なる。













( ˘ω˘ )










 ――テリー。




 ドロシーの声がする。


「テリー」


 ドロシーがあたしを呼ぶ。


「魔法にかからないのは君だけだ」


 ドロシーがあたしの肩を叩く。


「起きて」


 あたしは目を開ける。


「君ならこの中を歩ける」


 ドロシーがあたしの手を引っ張り、あたしを立たせた。


「残念ながら僕は行けないんだ。ここで見張ってないと」


 また『あいつ』が現れるかもしれないから。


「君一人で、鬼退治に行っておいで」


 ドロシーがあたしの手を握り締める。


「大丈夫。この手があれば、協力者は現れる」


 ドロシーがあたしの手を離す。笑顔を浮かべて、さっきまで握っていた手をあたしに振った。


「またあとで会おう」


 あたしは頷いて、扉を開けた。




( ˘ω˘ )





「やめろおおおおおおお!!」


 走ってくる音。男の怒鳴り声。


「俺の楽園に手を出すな!!」

「ひっ!」


 小さな少女の足がすくんだ。14歳のキッドが少女を引っ張った。


「走って!」

「きゃっ」


 少女が転んだ。キッドと少女の手が離れる。


「あ」


 キッドが思わず声を漏らした。けれど少女は倒れたまま。男が走ってくる。


「邪魔する奴は殺してやる!!」

「っ」


 少女が体を硬直させた。兵士が声をあげた。


「お逃げください! 危険です!」

「あああああああああああああああああああ!!」


 男が包丁を持って走ってくる。

 少女は身を縮こませた。


「ひっ……!」

「っ」


 キッドが咄嗟に少女をかばった。男の包丁がキッドの腹を突き抜ける。


「ん」


 キッドが唸った。


「くくっ」


 キッドが笑い、包丁が抜けないように押さえた。


「よくも、よくも俺の楽園を!!」


 男は包丁を抜こうとするが抜けない。キッドが押さえる。


「畜生! 畜生!! 畜生!!!」


 キッドが強く包丁を押さえる。


「くそおおおおおおおおおおおお!!!!」


 男が叫ぶ。兵士が男を押さえる。キッドが動かなくなる。血が流れる。キッドから血が流れる。少女は怯えている。縮こまっている。キッドは少女を見つめる。ずっと見つめる。そのまま、動かなくなる。

 キッドの青い目が濁る。血に染まる。


 動かなくなる。




 あたしはキッドの頬を叩いた。


「ちょっと」


 ぺちぺちと叩いた。


「自分で言ったはずよ。あんた、ここで死なないんでしょう」

「……そうだ。俺はここで死なないんだ」

「そうよ。あんたが死ぬのはまだ先よ」

「包丁で刺される相手は、メニーだ」

「そうよ」

「そうだよ。俺は死なない。死んだりしない。殺されたりしない。あの時、あの場所で、お前に出会えたから」


 キッドが包丁を抜く。血が止まっている。キッドがあたしに振り向き、あたしを優しく抱きしめる。


「愛してるよ。テリー」

「……離して」

「結婚しよう」

「離せ」

「好きだよ。テリー。俺にはお前だけだよ。好きだよ」

「離せ」

「テリー」

「離せっつってんのよ!!」


 あたしはキッドを突き飛ばす。突き飛ばされたキッドは、くくっといやらしく笑い、闇に消えた。





( ˘ω˘ )






 雪の積もった森の中、ボロボロのマントを被った小さなリトルルビィが獲物を狙う。クロシェ先生を狙う。クロシェ先生が歩く。リトルルビィは一瞬で仕留める。クロシェ先生の喉を噛む。クロシェ先生が悲鳴をあげる。リトルルビィは離さない。彼女の血を飲み干す。クロシェ先生がぺったんこになる。リトルルビィは微笑む。立ち上がる。飢えが満たされた彼女は歩き出す。あたしがその手を引っ張った。


「リトルルビィ」


 リトルルビィが驚いたように振り向いた。あたしの手を払った。あたしを睨んだ。


「ルビィ」


 リトルルビィが後ずさった。牙を見せた。


「ルビィ、おいで」


 あたしは腕を広げた。


「あたしが受け止めるから」


 リトルルビィがじっとあたしを睨んだ。


「おいで」


 リトルルビィがあたしを睨む。


「バイト、遅刻するわよ」


 リトルルビィがきょとんとした。


「ほら」


 あたしはバスケットを投げた。リトルルビィは義手の手で、バスケットを受け取った。


「花を摘みに行きましょう。あたしと花の冠を作るのよ」


 あたしは微笑む。


「おいで」


 リトルルビィの足が動いた。


「おいで」


 リトルルビィがあたしに手を伸ばした。


「良い子ね」


 リトルルビィがあたしに抱きついた。

 あたしはリトルルビィを抱きしめた。


「……テリーは私を受け止めてくれる、唯一の人よ」

「今のあんたには、沢山の人がついてる。沢山の人と良い関係を築いていけたから」

「テリー」


 リトルルビィがあたしの頬にキスをした。


「ちゅ!」

「ん」

「好き!」

「……ルビィ」

「好きなの!!」

「ルビィ」

「テリー」


 リトルルビィが赤い目を輝かせて、あたしを見つめた。


「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」

「……」

「テリー!!」


 リトルルビィがあたしの手を握った。


「私にはテリーだけよ。テリーと一緒にいると幸せなの。テリーとずっと一緒にいたいの。テリーが大好き。テリー好き! 好き好き好き! 離れたくない! テリーのこと一生幸せにするから、お願い! 私のお嫁さんになって!」


 私の小さな胸ではとても抑えられない、このはちきれる想いを、


「受け取って! テリー!」

「あ! 見て! あそこでメニーが手を振ってる!」

「え? メニー? どこ?」


 あたしは振り返ったリトルルビィの背中を押した。


「え」


 リトルルビィが突き飛ばされた。


「きゃああああああああああああああ!!」


 突き飛ばされたリトルルビィがあたしに手を伸ばす。


「テリィーーーーーーー!!!」


 叫び声と共に、闇の中に消えていった。






( ˘ω˘ )






 あたしは冷たい雪の上に、座り込んでいた。しかし、ここにいても意味がないのは分かっている。足元には綺麗な石と鞄が転がっている。あたしは立ち上がる。ランプを持ってトンネルへ向かう。トンネルの中をランプで照らしながら歩く。奥に、鏡が立っていた。


「これの額縁、結局、どこに消えたのかしらね」


 あたしは鏡を睨む。


「ニクス、どう思う?」

「そうだな。魔法使いさんが回収しちゃったんじゃないかな?」


 あたしの横で、12歳のニクスが微笑んだ。


「この鏡の破片は、キッドが回収したのよね」

「そうだよ。消えてなければ、キッドさんが鏡の破片を持ってるはずさ」

「ニクス、この鏡が憎い?」

「憎いよ。すごく憎い。」

「苦しい?」

「苦しいよ。すごく苦しい。でも、過去を振り返って何になるの?」


 後悔しか生まれない。


「僕はお父さんの娘であることを後悔してない。お父さんにしたことも、お父さんを助けたかった僕の心を、僕は後悔してない。テリーに出会えたことも後悔してない」


 ニクスは切なげに、元気に、微笑む。


「あたしは、テリーに出会えて嬉しかった。テリーの友達になれて嬉しかった」

「ニクス」

「テリー、これからもあたしの友達でいてくれる? 親友でいてくれる?」

「ニクス、これからもあたしの友達でいてくれる? 親友でいてくれる?」


 あたしとニクスは微笑み合う。


「あたしは」

「あたしは」

「ずっと」

「ニクス」

「テリーの傍に」

「心ではいつだって」

「一緒だよ。テリー」

「一緒よ。ニクス」


 あたし達は手を握り合う。


「約束だよ。テリー」

「約束よ。ニクス」


 あたしとニクスが手を握り、一緒に歩き出す。一歩だけ踏むと、二人で汽車に乗り込んでいた。二人で笑い合えば、汽車の扉が閉まっていく。光が薄くなる。汽車の中でニクスが闇に包まれて、あたしに優しく微笑んで、姿を消した。






( ˘ω˘ )






 怪盗パストリルが警察から逃げる。笛を吹いて逃げる。お金持ちの娘の心を盗んで、宝石を盗む。パストリルは微笑んでいる。笑顔の仮面で本音を隠す。パストリルが暗い部屋で飴を取り出す。その手を、あたしは掴んだ。


「やめておきなさい。キッドにゴキブリって言われるわよ」


 ソフィアがきょとんとした。そして、何でもない顔であたしの顎をすくい、キスをしようと唇を近づけた。


「やめて、汚らわしい。また頭突きをお見舞いされたいの?」

「くすす」


 ソフィアが笑い、あたしから離れ、パストリルの仮面を脱いだ。


「ああ、暑苦しい」


 ソフィアがマントを脱いだ。


「こんなもの、もう必要ないんだった」


 ソフィアが妖艶に笑う。


「私の不幸は、皆、君が受け取ってくれた」


 ソフィアがあたしの両手を握る。


「テリー、ここは夢だから、願いが叶うかもしれない」

「願い?」

「キスして。私に恋のキスを。恋しい我が君。テリー。私と恋をしよう」

「お黙り」


 あたしはソフィアの両手を振りほどく。すると天井に吊るされた縄が目に入った。あたしは天井を見上げる。


「気味が悪いものをぶら下げないでくれる?」

「うん。ごめんね。恋しい君」


 ソフィアが銃を縄に向けた。


「私の命は君が盗んでしまった。私の判断で捨てることは、もう出来ない」


 縄が撃たれた。縄がばらばらになる。地面に落ちる。ソフィアがくすすと笑った。


「これで逃げ道はなくなった」


 ソフィアは銃をしまう。あたしを見つめる。


「テリー、また唄遊びで遊んでくれる?」

「……そうね、気が向いたら」

「約束だよ」

「約束はしない」

「ふふっ。じゃあ月に誓って。毎晩形を変えてしまう不実な月に、私とのことを誓って」

「唄遊びをするためにそこまでするの?」

「だって、そうでもしないと遊んでくれないじゃない」

「子供か!」

「大人になればなるほど、子供に戻っていくものさ」


 だから、遊ぼうよ。また二人で。素敵な唄を作ろうよ。


「忘れちゃ駄目だよ。恋しい君」


 ソフィアが立ち上がり、歩き出す。歩いて、進んで、ゆっくりと、薄暗い部屋から飛び降りた。くすすと笑ったソフィアが、闇に消えた。






( ˘ω˘ )







 メニーが立っていた。





 メニーが使用人の姿で、義姉の背中を見つめていた。

 義姉はメニーを背に、ヴァイオリンを弾いていた。

 メニーはそれを見守っている。

 メニーはずっと見ている。

 時間の針が進む。

 メニーは成長する。

 義姉は成長する。

 メニーは見つめる。義姉を見つめる。

 ずっと見つめる。人形のように見つめる。

 永遠に見つめ続ける。


「……その目が嫌いなのよ」


 メニーが振り向いた。

 あたしのよく知ってる顔のメニーが、あたしを見た。


「あんたなんか嫌い。出会った時から、ずっと嫌いだった」


 メニーは黙ってる。


「大嫌い」


 メニーは微笑む。


「嫌いよ。お前なんか」


 メニーがあたしに近づいた。


「嫌い」

「お姉様」

「嫌い」

「お姉様、泣かないで」

「嫌い」

「テリー」




 メニーがあたしを抱きしめた。



「次こそ、ちゃんと守るから」


 メニーがあたしに囁いた。


「何があっても守るから」


 メニーが切なそうに顔を歪めた。


「お願い、今だけ我慢して。これがうまくいけば、次に目を覚ます時、全部元に戻ってるから」


 メニーがあたしを抱きしめる。


「大丈夫。テリー」

「私のテリー」

「愛してるテリー」

「大好きテリー」

「私だけのテリー」

「私だけ」

「テリーだけ」

「テリー」

「狂った歯車を戻すだけ」

「大丈夫。心配しないで」

「明日で全部、終わるから」

「苦しみも、痛みも、恐怖も、全部」

「大丈夫だから」

「もう、大丈夫」

「次こそは」


 メニーがあたしの背中を撫でた。




「何があっても、必ずテリーを守るから」




 メニーはそう言った。

 あたしにそう言った。

 あたしは死刑になった。

 メニーはあたしを見守った。



 これ、いつの記憶だろう。


 あたしは鍵をかける。


 無かったことにする。









( ˘ω˘ )





 あたしの記憶が混ざりあう。





( ˘ω˘ )





 あたしの世界が回っていく。





( ˘ω˘ )





 どこに手を伸ばしていいか、分からない。





( ˘ω˘ )




 重い十字架のせいで、暗くて深い海の底へと沈んでいく。




( ˘ω˘ )





 記憶が混雑する。





( ˘ω˘ )





 忘れられない。忘れたくても、忘れられない。




( ˘ω˘ )




 忘れていく。忘れたくないのに、忘れていく。




( ˘ω˘ )




「テリー」


 ドロシーの声が、あたしの頭に反響する。


「世界は一巡した」

「死んだ魂は、死ぬことを拒んだ」

「死んだ魂は、生きることを受け入れた」

「呪いを受け入れた」

「君はどうだい?」

「君は呪いを受け入れるかい?」


 でも、あたしは呪いを受けていない。


「世界はリセットされた」

「君の覚えている世界を、世界は忘れた」

「君の覚えている世界を、世界は繰り返す」

「君だけがリセット出来ないんだ」

「これを呪いと言わず、なんと呼ぶんだい?」


 あたしは沈んでいく。深く、深く、沈んでいく。


「キッドは生きる呪いを受け入れた」

「リトルルビィは生きる呪いを受け入れた」

「ニクスは生きる呪いを受け入れた」

「ソフィアは生きる呪いを受け入れた」

「メニーは生きる呪いを受け入れた」


 ドロシーがあたしの顔を覗き込む。


「どうだい? 君は受け入れられるかい?」


 あたしは顔を上げる。ドロシーを見上げる。


「リセットは出来ない」

「記憶は消せない」

「君は全てを背負うことになる」

「リセットする前の世界も」

「リセットした後の世界も」

「それが君が生きる呪い」

「どうだい? テリー」

「これが現実だ」

「忘れたくないことを忘れて、忘れたいことは覚えている」

「嫌なことも、苦しいことも、恥ずかしいことも、苦いことも、嬉しいことも、楽しいことも、全てを背負うのが、君の現実だ」


 忘れられない。忘れたくても忘れられない。

 忘れていく。忘れたくないのに忘れていく。


「これが現実だ」


 ドロシーの緑の目が、あたしを見下ろす。


「これが、君の生きるための条件だ」


 罪人は闇に深く沈んでいく。


「君は、どうする?」


 あたしの口から酸素の泡が出る。ぶくぶく、と泡が浮かんでいく。上へと昇っていく。あたしは沈んでいくのに、酸素は、上へ。


「君はどうしたい?」


 この先には、苦しい現実が待っているよ。

 悪夢ではなく、夢ではなく、現実が。


「痛みは本物」


 幻ではない。


「苦しみは本物」


 幻ではない。


「テリー」

「それでも」


 あたしは手を伸ばす。


「あたしは生きるわ」


 あたしは腕を伸ばす。


「死にたくない」


 あたしは必死に腕を伸ばす。


「あたしは、人生を謳歌するまで死ねない」


 あたしは目を見開いた。


「あたしは悪夢に彷徨ったりしない」

「あたしは現実に生きる」

「あたしは現実で幸せになる」

「あたしは野望がある限り、実現するまで諦めない女なのよ」


 あたしは光に手を伸ばす。


「あたしを誰だと思ってるの?」


 あたしは悪夢の闇から、這い上がろうと手を伸ばす。


「あたしこそ、テリー・ベックス様よ」


 あたしは闇を睨んだ。


「いいわよ。受け入れてやろうじゃない」


 記憶がなんぼのものよ。

 痛みがなんぼのものよ。


「痛み以上に、生きてたら良いことだってあり得るわ」


 毎日、欲を満たして絶対幸福の生活をするまで、


「死んでたまるか」

「こんなところでくたばれるか」

「妬みと嫉妬に苦しめられてるところで」

「気持ちに揺らされてるところで」

「こんな苦しいまま、終わってたまるか!」

「幸せすぎてたまらなくなるまで、死んでたまるものか!!」

「ドロシー!!」


 あたしは手を伸ばす。


「十字架を背負わない人間が、今のご時世いると思う!?」


 ドロシーが笑う。


「少なくとも、君よりは背負ってない人が多いと思うよ」


 ドロシーがあたしの手を握った。


「受け入れるんだね」

「受け入れるわ」

「それが君の答えだ」

「これがあたしの答えよ」

「どんなに痛くても、これが君の選択だ」

「どんなに辛くても、これがあたしの選択よ」

「正面から受け止められるね?」


 ドロシーがあたしの手を握り締める。


「行っておいで」


 あたしの手を離した。


「受け入れるんだ」


 ドロシーが星の杖を振った。


「忘れてはいけない。テリー・ベックスは罪人だ」


 忘れてはいけない。あたしの現実を。


「これは現実だ」


 これは悪夢だ。


「さあ、テリー、行っておいで」


 ドロシーが上に上っていく。あたしは沈んでいく。


「見守ってるよ」


 キッドは受け入れた。生きる現実を受け入れた。

 ルビィは受け入れた。生きる現実を受け入れた。

 ニクスは受け入れた。生きる現実を受け入れた。

 ソフィアは受け入れた。生きる現実を受け入れた。


 あたしは受け入れる。現実を、正面から受け入れる。





 地に下りた。ゆっくり、つま先から地に着く。

 目の前には、幾多もの錠が外された扉がある。


 あたしは近付く。扉のノブを掴む。ひねる。引っ張る。



 悪夢への扉が開いた。





(*'ω'*)






 あたしは目を開ける。

 あたしは立っている。

 風が吹く。風があたしの顔と肌に当たる。

 ギロチンがあたしを待っている。

 観客はあたしが死ぬのを待っている。

 あたしは歩き出す。囚人服で歩き出す。てくてく裸足で歩いていく。切られた髪が涼しい。高くなった身長。汚れた手足。体。顔。あたし。

 本来のあたしの姿で、あたしは歩く。

 どんどんギロチンに近づいていく。


 忘れちゃいけない。

 忘れちゃいけない光景。

 あたしは、この景色を、忘れてはいけない。


 あたしは立ち止まる。玉座を見る。リオン様が冷たい目であたしを見下ろしている。あたしはリオン様に微笑んだ。


「あんたのメニーを虐めたこと、そんなに憎い?」


 あたしは笑った。


「あいつが悪いんじゃない。いつまで経っても生意気な態度だから」


 ふふふふふふふ!


「懲らしめて何が悪いの? 格の違いを教えてやったまでよ」


 あたしを誰だと思ってるの?


「あたしはテリー・ベックス。貴族の令嬢なのよ? ただの平民のお金持ちだったメニーを、わざわざベックス家が拾ってやったんじゃない!」

「黙れ」

「ふふっ! 何が悪いの? 教えてよ。あんたにだって嫌いな奴くらいいるでしょう? 嫌いな奴が困る姿ってね、見ていてすっごく気持ちいいのよ! それを求めて、何が悪いの? あんただって同じことしてるじゃない! あたしを傷つけて、傷つけて、苦しめて、その顔見て気持ちよかったんでしょ? 同じよ。あたしはね、メニーが大嫌いなのよ。あいつの純粋で透き通った素直な人間性が気に入らないのよ!!」


 透明で透き通って真っ白で美しくて綺麗で儚いその存在。


「嫌い、大嫌い、あいつなんか大大大大嫌い!! それを傷つけて何が悪いの? お前だってあたしを傷つけたくせに! 人のこと言えない立場のくせに!」


 あたしは笑う。


「ジャック」


 あたしは笑う。


「あんただって恐怖する人の顔が好きじゃない」


 あたしは笑う。


「あたしが悪?」


 あたしは笑う。


「どこが? ねえ、その基準は何?」


 あたしは笑う。


「同じことしておいて、あたしを殺すなんてちゃんちゃらおかしい!」


 ほっほっほっほっほっほっほっ!!


「あんたのどこが正義なのよ! 説明しなさいよ!」

「トリック・オア・トリート」


 ジャックはあたしを睨む。


「お菓子、ないんだろ?」


 あたしはギロチンに固定された。

 ジャックが笑った。


「はっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」


 リオン様の姿のジャックが叫んだ。


「これより、テリー・ベックスの死刑を開始する!」


 リオン様が命令する。


「首をはねよ!!」


 本来の記憶。

 本来の世界。

 そうよ。あたしは死ぬのよ。


 ここで、後悔しながら死ぬのよ。

 残念だけど、それが現実。


 あたしは抗うことなく、静かに目を閉じた。


 そしてあたしは、頭の中で考える。


 メニーに何をしてあげられたのだろうと、

 どうしてメニーに嫉妬していたのだろうと、

 あたしという人間の価値は何だったのだろうと。

 あたしはテリーとして生まれた。

 女として生まれた。

 人間として生まれた。

 最低な人間だった。

 メニーを虐めて、その末に無一文になり、盗みを働いてあたしは牢屋に入った。死刑となった。


 メニーさえいなければ。

 いや?

 メニーがいても、あたしは何かが出来たはずだ。

 メニーを好きになる努力はしたか。

 好きとはなんだ。

 嫌いとはなんだ。

 感情とはなんだ。

 嫌いを嫌いと言って何が悪い。

 好きを好きと言って何が悪い。

 感情の権利は、一人一人にあるはずだ。

 なぜあたしは世界から嫌われた。

 なんであたしが嫌われた。

 あたしはどうすればよかった。

 あたしはどうするべきだった。

 あたしは嫉妬した。

 彼女の美しさに嫉妬した。

 メニーになりたかった。

 憧れた。

 理想だった。

 だから憎んだ。

 嫉妬した。

 これがあたしだ。

 嫉妬しか出来ないあたしの行動の結果。

 あたしは死刑となる。

 自業自得だ。

 あたしは救われない。

 あたしの祈りは届かない。

 あたしの願いは叶わない。

 童話のような現実はやってこない。

 王子様は来ない。

 助けなんて来ない。

 味方なんていない。

 あたしを理解してくれる人なんていない。

 あたしを愛してくれる人なんて、誰もいない。


 皆が愛するのはメニーだけ。


 あたしなんて、誰も見てくれない。

 手を叩いて笑われるだけ。


 あたしは悪い子だから、

 あたしは人を嫌いになる子だから、

 あたしは人を妬むから、

 あたしは負の感情でいっぱいだから、

 あたしはひねくれてるから、

 あたしは生意気だから、

 あたしは我儘だから、

 あたしは気難しいから、

 あたしは不器用だから、

 あたしはメニーを憎んだから、


 こんなあたしなんて、誰も見てくれない。

 誰も、助けになんてこない。


 あたしは一人。

 ずっと一人。


 あたしは悪。


 だから、罪を背負って、一人で、ずっと、罪を、背負う。

 それを、あたしは受け止めよう。

 それを、あたしは受け入れよう。

 あたしが作り出した結果なのだ。

 それが、結果なのだ。

 受け入れよう。この悪夢も、この死も、あたしは受け入れなくてはいけない。

 一度目の死を。

 二度目の生を。

 全てを背負って、いかなければいけない。


 ギロチンの刃が放たれた。

 罪人のあたしは目を閉じた。


(ああ、嫌な人生)

(ああ、短い人生)

(もっと、謳歌すればよかった)


 人を妬む感情なんて、なければよかったのに。


(メニーを妬まなければ)

(メニーを羨ましいと思わなければ)

(メニーを好きになれたら)


 あたしは罪人にならなくて済んだのに。

 こんな現実受け入れなくて良かったのに。

 死ななくて済んだのに。


(神様は意地悪よ)


 あたしにばかり天罰を下す。


(そんなだから、あたしもこうなるのよ)


 悪いのは全部この世界のせいだ。

 悪いのは全部結果を生んだ、あたしのせいだ。


 刃が近づく。あたしを殺す。あたしの首が取れて転がる。ころころ転がる。


「さようなら」


 次の人生は、もっと良い子になりたい。


「さようなら」


 あたしは死ぬ。


「さようなら」


 どうぞ。こんな悪い子、殺してよ。さっさと殺してよ。

 それで、それでね、あたし、次生まれ変わったら、もっと、もっと、もっと、綺麗で、可愛げのある、素敵な女の子に。透き通った、あの、クリスタルの彼女のような、そんな女の子に、なりたい。なりたい。なりたい。

 あたしは祈る。

 目を閉じて、ひたすら祈る。

 死ぬ前に祈る。

 あたしの願いは叶わない。

 祈るだけ。

 受け入れたら、もうおしまい。

 さようなら。次の人生でお会いしましょう。

 罪人は死んでいく。

 罪人は嫌われていく。

 罪人は朽ちていく。

 さようなら。


 さようなら。



 ギロチンの刃が近づく。

 ギロチンの刃が、あたしの首に食い――





















 ――こんでない?

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