第5話 10月19日(2)


 13時。中央区域。噴水前。



 リトルルビィがきょとんと瞬きした。

 あたしはため息をついた。

 リトルルビィがあたしの首を見た。

 あたしは訊かれる前に答えた。


「……猫に噛まれたのよ」

「猫!?」


 リトルルビィが目を丸くして驚き、あたしの包帯で隠された首を撫でた。


「悪い猫ね! 大丈夫? テリー。痛くない?」

「……心配ないわ」


(あいつ許さない……)


『悪い猫』を思い浮かべて歯を食いしばる。唯一、リトルルビィがあたしの首を撫でてくれるのが癒しだ。やがて手が離れ、リトルルビィが訊いてきた。


「お昼は?」

「……ちょっと食べてきた」


『悪い猫』に包帯を巻いた首をにやにや見られながら、パンとスープを。


「包帯なんて、まるでハロウィン仕様だね。お前そのままミイラの仮装して行けば? そうだ。それがいい。濁った色の髪の毛も隠せて丁度いいじゃないか。あっははは! 全く! 痣をつけるなんて、ジャックも酷いことするなぁ!」


(9割てめぇのせいだろうが!!)

(よくもこのあたしの美しい首に醜い痣をつけやがってからに! あの青痣野郎!!)


 鏡で見た時に、目立つうなじの噛み痕に絶望した。


(しばらく包帯生活じゃない!! あんの、ぐぞ野郎がぁ……!!)


 そして、


 ギロチンで切られたような痕も、確かに痣として残っていた。


「チッ」


 舌打ちして、親指の爪を噛んだ。


「くそ……。三連休初日に最悪よ……」

「どこか喫茶店にでも寄って、一休みする?」


 心配そうに見上げてくるリトルルビィを見て、ため息を吐き、首を振る。


「今、合流したばかりじゃない」

「でも……」

「早く出かけましょう。あたしはね、この首のことを忘れたいのよ」


(それにしても)


 ちらっとリトルルビィを見て、普段着ているのを見たことがない白いフリルがついた赤いワンピースドレスを眺め、微笑んだ。


「そのドレスどうしたの? 可愛い」

「ほ、本当? 可愛い?」

「赤いマントはいつも通りだけど、色の組み合わせも悪くない。……買ったの?」

「うん! 今日初めて着るの!」

「あんた、もっと大切な時に着なさいよ。紳士とデートはしないの?」

「今日が大切な日なの!」


 リトルルビィが俯き、恥ずかしそうに呟く。


「可愛い私を見せたかったんだもん……」


(あんたはいつも可愛いでしょ)


 はあ。もやもやがなくなっていく。


(悪い猫によって募らせたストレスが一気に消え失せていくような感覚。ああ、やっぱり出かけるって大事よね……。女の子同士で話すって大事よね……)


「リトルルビィ、今日は沢山歩きましょう。あたしね、すごく歩きたい気分なの」

「うん! 歩こう!」

「で、どこ行くんだっけ?」

「あのね! 北区域にあるマンチキン通りでね! ハロウィン祭のちょこっと前の前夜祭っていうお祭りが開かれるの!」

「ちょこっと前の前夜祭?」

「うん! ちょこっと前の前夜祭!」


(この国のイベント会社で、ネーミングセンスのいい人はいないの?)


 それに、北区域って、城が建てられてる国の中心都市部みたいなものよ。


(城の目の前にあるマンチキン通りの祭の名前が……ハロウィン祭ちょこっと前の前夜祭……か……)


 そこで、あたしははっとした。


(まさか、ちょこっとのちょこは、チョコとかけてるの!?)


 そんなことを考えているとは知らないリトルルビィが、純粋に微笑みながら、ふわふわ体を揺らす。


「そこで一緒に歩いて、美味しいもの食べて、ステージのパフォーマンス見て楽しもうと思って! なんかね、いっぱいゲストがいるんだって!」

「ふーん」

「それに、テリー、今日はね」


 リトルルビィが、にんまりとして歯を見せた。


「プランを立ててきたの」

「……プラン?」

「テリーと私が楽しむための、とっておきのプランなの!」

「……へえ?」


(たかがあたしなんかと遊び歩くだけで、プランを考えてきたの?)


 可愛いことしてくれるじゃない。


「いいわ。付き合ってあげる。何してくれるの?」

「ふふっ! あのね!」


 リトルルビィが嬉しそうに笑い出す。くだらない子供ながらのプランを聞きながら、それも悪くないと思いながら、リトルルビィと話しながら、北区域行きの乗合馬車へと歩き出した。




(*'ω'*)




 13時30分。


 祭会場に到着する。


「トリック・オア・トリート!」


 ピエロが楽しげに叫んだ。


「ようこそ! マンチキン通りのハロウィン祭ちょこっと前の前夜祭へ! ここではお化けが歩いているぞ! 君達はもしや、生きている人間ではないか!?」


 子供達が笑うと、ピエロも笑った。


「駄目だよ! そんな可愛い笑顔ではお化けに気付かれてしまうよ。さあ、このお面をつけて、お化けのふりをするんだ。安心して。皆の分があるからね!」


 あたしとリトルルビィにも仮面が配られる。


「楽しんで! トリック・オア・トリート!」


 あたしとリトルルビィが仮面をつける。


「仮面をつけるなんて、仮面舞踏会みたい」


 ピエロを通り過ぎてから呟くと、リトルルビィも周りをきょろりと見ながら言った。


「すごい! お面祭ね!」


(息苦しい)


 額から顎まですっぽりはまる仮面は息苦しくて仕方ない。周りを見回せば、同じような仮面の人で祭会場が埋め尽くされている。隣を見ても後ろを見ても前を見ても仮面を被った大勢の人々。

 あたしは隣にいるがいこつの仮面を被ったリトルルビィを見る。


「リトルルビィ、離れちゃ駄目よ」

「はーい!」

「はい。お手」


 差し出すと、リトルルビィがきょとんとする。あたしの手を見て、あたしを見る。


「うん?」

「はぐれたら困るでしょ。お手」

「……えっ」


 リトルルビィが胸に手を置いた。


「テ、テリーと、手を繋いで歩くの!?」

「あんたいつも繋いでくるじゃない」

「はっ! 待って! 心の準備が! ちょっと待って! 三秒ちょうだい!」


 一秒。

 リトルルビィがドレスに手をこすりつけた。


 二秒。

 リトルルビィが仮面の位置を直した。


 三秒。

 リトルルビィが深呼吸した。


「お待たせ!」


 リトルルビィが義手じゃない方の手で、あたしの手を握った。


「行こう! 歩こう! れっつごー!」

「はいはい。れっつごー」


 リトルルビィに合わせた返事をして、手を握り合って歩き出す。リトルルビィの手はとても温かい。仮面でどんな表情かは見られないが、ふふっと笑う声が聞こえてくることから、いつものようににやにやしているのだろう。


(こんなことで喜ぶなんて、やっぱり、お子様)


 胸がぽかぽかしてくる。


(良い天気になって良かったわね。リトルルビィ)


 辺りを見れば、墓地のように飾られた道通り。がいこつがあちこち。骨があちこち。犬が見たら喜びそうだ。作り物の墓が置かれ、がいこつが置かれ、キャンドルも置かれている。昼間なのに薄暗い雰囲気の通り。ハロウィンの空気をひしひしと感じる。


「リトルルビィ、何食べる?」

「あれ!」


 リトルルビィが指を差す。

 がいこつのリンゴ飴。

 購入して、二人で舐める。


「リトルルビィ、何食べる?」

「あれ!」


 リトルルビィが指を差す。

 キャンドルの絵が描かれた焼きたてクッキー。

 購入して、二人で食べる。


「リトルルビィ、何食べる?」

「あれ!」


 リトルルビィが指を差す。

 墓の形のカップケーキ。

 購入して、二人で食べる。


「リトルルビィ、何食べる?」

「あれ!」


 リトルルビィが指を差す。

 心臓の形のファッジ。

 購入して、二人で食べる。


「リトルルビィ、何か飲みましょう」

「あれ!」


 リトルルビィが指を差す。

 蛍光色のジュース。

 購入して、二人で飲む。


「……何味?」

「葡萄!」

「あたしは洋ナシだった」

「一口飲む?」

「そうね。あたしのも飲んでいいわよ」

「やった!」


 交換して、リトルルビィの葡萄ジュースをストローから飲む。

 リトルルビィはあたしの洋ナシジュースをストローから飲む。

 お互いのを再び交換する。


「はい、返す」

「うん!」


 受け取って、リトルルビィがぽっ、と頬を赤く染める。


「……か、間接キスね……。テリー……」

「はいはい」


 空になったコップをゴミ箱に入れて、再びリトルルビィと手を繋ぎ、道を歩く。


「テリー、アイスも食べる?」

「あら、いいわね」

「あ、でも混んでるから、私が買ってくる!」

「あたしが行くわよ。あんた小さいんだからここで待ってて」

「だめ!」


 リトルルビィがむうっと頬を膨らませた。


「私が買ってくるの! 混んでたら、私が並ぶの! これもプランだから!」

「あら、そうなの?」

「テリー、ここで待ってて!」

「無理はしちゃ駄目よ」

「何味がいい?」

「バニラ」

「待っててね! 迷子になっちゃ駄目よ!」


 リトルルビィがアイスの出店に周りにいる人混みををかき分け、中へと入っていく。あたしは道の端に避け、言われた通りリトルルビィを待つ。


(確かにこんなに人が多いと、迷子も出てきそう……)


 ぼうっとしていると、手を握られた。


(あら)


「早かったわね。リトル……」


 見下ろすと、リトルルビィはいない。


(うん?)


 代わりに、片手でお面を持ち、涙目であたしの手を握る小さな女の子がいた。


「……お姉ちゃん……」

「えっ」


 あたしはぎょっと目を見開く。


(嫌な予感が……)


 小さな女の子が呟いた。


「お姉ちゃんどこ……?」

「……」

「うえええん」


 小さな女の子の目から涙がこぼれてくる。


「ふええええん」


 あたしの手を握って離さない。


「……」


 あたしはお面を取って、しゃがんだ。


「悪いわね。あたしはお姉ちゃんじゃないのよ」


 手を離そうと緩めると、女の子の手がぎゅっとあたしの手を握る。


「ぐっ!」


(離れない……だと!?)


「ふええええん!」

「えー……」

「お姉ちゃんがいないぃ……! うえええん!」

「えーーーーー……」


 辺りを見回す。女の子を探しているお姉さんらしき人は見かけない。


「お姉ちゃぁあん……! うええええん!」

「えーーーーー……」


 あたしは困り果てる。泣きわめく女の子に困り果てる。――そして、はっとする。


(あ、そうだ!)


 後ろにある木に振り向く。


「ドロシー! 手伝って!」

「だからさあ……」


 うんざりした顔のドロシーが木から出てきた。


「なぁんでそういう時に僕を呼ぶわけぇ……?」

「いいじゃない。どうせ誰にも姿見えないんでしょ」

「迷子は知らないよ……。見回りの兵士とか王子様とかいないの? そこら辺に」

「じゃあ連れてきてよ」

「人遣い荒いんだから……」


 ドロシーが箒を手に持ち、ふわりと飛んでいく。祭を歩く人々はドロシーを無視する。見えていない存在を見上げる人はいない。ドロシーは探す。ドロシーは見つける。あたしを見下ろし、指を差す。


「テリー! ここにその子を探してるお姉さんがいるよ!」

「よし」


 あたしは女の子を引っ張り、ドロシーが飛んでいる場所の下に歩いていく。人混みの並みに沿って歩くと、きょろきょろ辺りを見回す女性と目が合う。


「あっ!」


 あたしより年上の女が、あたしと手を繋ぐ少女を見て、声を出し、近づいた。


「すみません! この子ったら!」

「お姉ちゃん!」


 少女が女性に抱き着く。女性があたしに頭を下げた。


「本当にごめんなさい。ありがとうございました」

「いえ」

「ほら、お姉さんにお礼は?」


 少女があたしを見上げる。


「お姉ちゃん、ありがとう」

「もうはぐれちゃ駄目よ」

「うん!」


 少女があたしに手を振り、女性と共に歩いていく。


(事件解決)


 上を見上げると、ドロシーが首を傾げた。


「もういい?」


 あたしは頷く――直前で、動きを止めた。


(うん?)


 再び手を握られる。見下ろすと、お面を手に持ち、涙目であたしの手を握る小さな男の子がいた。


「……」


(うん?)


 男の子が呟く。


「パパ……どこ……?」


 あたしは見上げる。


「ドロシー!」

「もー!!」


 ドロシーが上から探す。見つける。


「ここだよ!」

「よし、行くわよ。坊や」


 あたしは小さな男の子を親に引き渡す。父親から感謝の言葉を述べられ、小さな男の子はあたしに手を振って父親と歩いていく。


(ふう。事件解決……)


 上を見上げる。ドロシーがふう、と息を吐いた。


「二回連続とはまさかの出来事だったね。もういい?」


 こくりと頷く――直前で、動きを止めた。


(うん?)


 再び手を握られる。見下ろすと、お面を手に持ち、涙目であたしの手を握る小さな女の子がいた。


「……」


(まさか……)


 女の子が呟く。


「ママぁ……」


 あたしは見上げる。


「ドロシー!」

「ちょっとおおおおお!!」


 ドロシーが見つける。あたしは連れて行く。


「はい!」

「ああ、どうもすみません!」

「さようなら!」


 あたしは見上げる。ドロシーと目が合う。


「もう大丈……」


 ドロシーの声を最後まで聞く前に、手を握られる。


(何だと!?)


 見下ろすと、再び小さな男の子が涙目であたしの手を握っていた。


「お兄ちゃん……!」

「ドロシー!」

「この祭会場はどうなってるんだ!」


 ドロシーが見つける。あたしは連れて行く。


「はい!」

「ああ、見つかってよかった!」

「さようなら!」


 あたしは見上げる。ドロシーと目が合う。


「テリ……」


 ドロシーの声を最後まで聞く前に、手を握られる。見下ろすと迷子。


「ドロシー!」

「ぐあああああああああ!」


 ドロシーが見つける。あたしは連れて行く。保護者に引き渡す。あたしは顔を見上げる。ドロシーの顔を見る前に手を握られる。見下ろすと迷子。


「ドロシー!」

「子供から目を離すなーーー!」


 ドロシーが見つける。あたしは連れて行く。保護者に引き渡す。あたしは顔を見上げる。ドロシーの顔を見る前に手を握られる。見下ろすと迷子。


「ドロシー!」

「迷子多すぎか!!」


 ドロシーが見つける。あたしは連れて行く。保護者に引き渡す。手を握られる。見下ろすと迷子。


「ドロシー!」

「くそ! なんて日だ!」

「ドロシー!」

「こっち!」

「ドロシー!」

「そっち!」

「ドロシー!」

「ちょっと待って、これ結構労働……」

「ドロシー!」

「何これなんでこんなに迷子多いの!」

「ドロシー!」

「はいはいはいはい!」

「ドロシー!」

「ちょっといい加減に……」

「ドロシー!」

「迷子てめえらああああああああ!!」

「ママ、あそこで魔法使いさんが空飛んでる」

「はいはい」

「こら! そこの子供! 僕は見せ物じゃないぞ!!」

「ドロシー!」

「だあああああああああああ!!」



 ――ぐったりと、二人でベンチに座る。ドロシーが息を切らしてあたしを見た。


「何なんだい……? なんでそんなに君は迷子を引き当てるんだい……? 子供好きなの? 子供愛してるの? チルドレンラブガール? だから小さな吸血鬼にも好かれているんじゃないかい?」

「知らないわよ……。手を握られるのよ……。何なのよ……!」

「君、間抜けな顔してるから、子供に好かれやすいんじゃない? ぷぷっ」

「ふざけんな。この間接客してたら泣かれたのよ。睨まないでって親にも怒られた。睨んでないのに。生まれつき目の形が悪いだけでこれよ。あんなクズ親子くたばればいい」

「こらこら、そんなこと言わないの」

「三連休最初でこれなの……? 先が思いやられる……」


 出店で買った金平糖の袋をドロシーに渡す。


「報酬よ」

「ああ……ありがとう……はあ……」

「はあ……疲れた……」


 二人で大きな息を吐いて、あたしは大声を出した喉をさすった。ドロシーが金平糖の袋を開け、――ちらっと、あたしの包帯の巻かれた首を見た。


「……うん?」


 眉をひそめて、あたしの首を見る。あたしもドロシーを見る。


「……何?」

「魔法の気を感じる」


 ドロシーがあたしの首に指を差す。


「そこから感じる」

「……ああ」


 あたしは首をさする。


「ジャックに会ったみたいなの」

「会った……『みたい』?」

「覚えてないのよ。会ったこと」

「君が?」


 きょとんとするドロシーに、あたしは頷く。


「でも、ジャックの悪夢を見た後に残る痣が、あたしの首に残ってた。悪夢を見たはずなのよ。あたしがすごい悲鳴あげてたから、キッドが起こしに来たんだって」

「君、覚えてないの?」

「全くね」

「魔法にかかりにくいのに?」

「……」

「……今までにない現象だな」


 ドロシーがあたしに体を向けた。


「テリー、ちょっとだけ、君の中を覗いてみてもいいかい?」

「ん? そんなこと出来るの?」

「君が許してくれるなら、出来るよ」

「……いいわ」


 あたしはドロシーに体を向けた。


「やって」

「じっとしてて」


 ドロシーがあたしの額に、自分の額を押し付ける。そして、静かに呟いた。


「獣の呪いは魔法のキス。美女は現る君の傍。薔薇が散る時、心よ見せろ」


 ドロシーの緑の目がぎろりと光る。あたしは瞼を閉じる。視界が真っ暗になる。

 緑の手があたしの中の扉をとんとんノックする。あたしはどうぞ入ってと言うが、あたしの手では扉は開かない。緑の手は扉を触る。扉を観察する。観察して、隙間を探す。僅かな隙間があったのか、緑の手が細くなり、するすると入っていく。あたしは入れず、扉の前で膝を抱えて座り、緑の手を待つ。

 緑の手は見つめる。中を観察する。


 ドロシーが黙る。

 あたしも黙る。

 ドロシーが息を呑んだ。

 あたしは黙る。

 ドロシーが静かに戻ってきた。

 あたしは黙る。

 ドロシーは膝を抱えて座るあたしを見下ろした。


「テリー、何も覚えてないの?」

「覚えてたらジャックを見つけてるわ」

「覚えてないんだね?」

「ええ」

「なるほど」


 ドロシーが腕を組んだ。


「今、少し見てきたけど、まあ、思い出せなくても害はないよ」


 むしろ、


「……思い出さない方がいい」


 あたしは瞼を上げた。

 ドロシーも瞼を上げた。

 微笑むドロシーが見えた。


「ありがとう。テリー」

「……何が?」


 にこりと笑ったドロシーがあたしの額から離れる。そして、ふらりと目を伏せた。


「……」


 ドロシーの視線が再びあたしに動く。手をそっと伸ばして、あたしの包帯が巻かれた首に、優しく触れた。


「君が魔法にかかった理由、分かったよ。君はジャックに会ってる」

「やっぱり会ってるのね」

「ああ」

「あたし、叫んだの?」

「君が悲鳴をあげるほど怖い夢を見てね」

「一つだけ予想してるの。死刑の夢」

「わお。正解するなんてすごいじゃないか」

「思い出さなくて正解だわ」

「思い出せるはずがないよ。あんなんじゃ」


 ドロシーの手が首から離れる。


「脳の記憶の場所っていうのはね、なんていうか、一つ一つ部屋になってるんだよ。ジャックが隠した記憶の部屋には、頑丈に錠がされてるんだ。一つ、二つ、三つ、四つ、いくつもの錠が設置されてて、あれじゃあ、自力では無理さ。ジャックが鍵を開けないと」

「他の人にもそうやって鍵をしてるわけ?」

「だろうね」

「それが11月になったら全部なくなるってこと?」

「あるいは、11月になったら呪われた全員が死亡して、悪夢に彷徨うことになる」

「不吉」

「可能性を述べただけだ」

「鍵が開けられる可能性もあるわ」

「……さあ、どうかな。11月になってみないと分からない」


 ドロシーが肩をすくめた。


「一つだけ教えてあげるよ」

「ん、何が?」

「ジャックの傍に、本物の魔法使いがいたんだ」


 きょとんと、瞬き三回。そして、眉をひそめる。


「……魔法使い」

「そうだよ。僕と同じ」


 ジャックの隣に、


「本物の」


 魔法使い。


「偉大な紫の」


 言いかけて、ドロシーが黙った。


「……」

「……ドロシー?」


 あたしはドロシーの顔を覗き込む。


「あんた、顔青いわよ?」

「……念には念をだ」


 ドロシーが真剣な眼差しであたしを見る。


「テリー、おまじないをかけてあげる」

「え?」


 きょとんとしたあたしに、ドロシーが立ち上がり、くるんと杖を振った。


「遅刻をするよ。走れや兎。ちくたくちくたく時計は鳴るよ。薔薇は君を待っている!」


 ドロシーの銀色のパンプスがリズムを刻んで地面を叩く。星のついた杖から粉が噴き出る。あたしにふりそそぐ。粉が消えていく。あたしは左手をちらっと見る。以前のようなハート型のほくろは無い。ドロシーにもう一度視線を向けた。


「何したの?」

「おまじないさ。テリー、何かあったらキノコを食べてみて」

「……キノコ?」

「そう。キノコを食べると、色んなことが思い出せるよ」

「…どういうこと?」

「例えば、そうだな。君がパストリルの幻覚を見てしまったとするだろ? キノコを食べることによって魔法は解かれるから、幻覚をぶち壊すことが出来るということさ」

「つまり……?」

「またジャックによって何かを忘れてしまった場合、キノコを食べることによって忘却の魔法の効果がなくなる。つまり、思い出せるということさ。それも、覚えてることも、忘れてることも、細かくね」

「忘れたとしても、思い出すということ?」

「そういうこと」

「忘れたいことも、忘れたくないことも、それが忘却の魔法であれば、忘れることは無いということ?」

「そういうこと」


(なるほど)


 キノコを食べることによって魔法の効果を無くす。忘れた記憶を思い出すということか。


「キノコは何でもいいの?」

「ああ。キノコであれば何でもいい」

「そう」


(……思い出す魔法ね……。……惨劇回避には必須かも)


 忘れてしまえば、何も出来なくなる。


(……本物の魔法使い、ね)


 一つ、気になる。


「……ドロシー、その魔法使いって、呪いの飴と関係ある人?」

「絶対ではないけど、高確率で考えられる」


 だけど、


「……だとなると、確実に人間の手には負えない」


 君達に手出しは出来ない。


「それくらい危険なんだよ」

「危険?」

「そう。危険だ」


 ドロシーは何か知っているように呟く。


「非常なくらいに、危険人物だ」


 ちらっと、あたしを見て、微笑む。


「そのまじないが、君を守ることを願ってるよ」

「キノコを食べればいいんでしょ」

「そうだよ」

「分かった」


(もしかしたら、このやりとりも忘れてしまうかもしれないけど)


「出来るだけ覚えておくわ。ありがとう」

「どういたしまして」


 ドロシーが大袈裟に深々と頭を下げる。ドロシーの帽子を見つめ、ふと、思う。


「……だったら、キノコを食べれば、その錠がついてる記憶も思い出せるの?」

「いや、それは無理だ」

「どうして?」

「君の扉の錠は特にすごいんだ。ジャックがどうしても思い出してほしくないらしい。僕の魔法ではどうにもならない。……だけど、そうだな。ほんの一部なら、まあ、思い出せるかもしれないけど、それも出来るか分からない」

「……そう」


 腕と足を組んで、黙って、ドロシーに首を傾げる。


「……でも、思い出せなくても害はないんでしょ?」

「……えーっとね……」


 ドロシーが苦く微笑み、目を泳がせる。


「もちろん、害はない。ないけど……大切じゃない思い出と言えば……そうじゃない」

「……何それ? どういうこと?」

「つまり……そうだな……」


 ドロシーが言葉を考える。


「君が忘れた一瞬のひと時、これは、ある人から見れば大切なことだし、君から見ればそうでもないことかもしれない。軽くて、重くて、何というか、本来であれば、忘れるはずがない記憶なんだ」


 でも、


「こじ開けることは出来ないし、思い出したところで、君は混乱するだけだ」


 だから、


「余計なことは思い出さない方がいい。とだけ言っておこう」

「……余計なことね」


 余計な情報を仕入れても良いことはない。


「……分かった。錠がかけられた記憶は、余計なことなのね」

「……そうだね。見方を変えれば、余計なこと、かな」

「そう」


 ならいい。


「そんなの、思い出さなくていいわ」


 忘れて害がないなら、思い出さない方がいい。

 思い出して害があるなら、思い出さない方がいい。


「ありがとう」


 あたしが言うと、ドロシーは黙って微笑んだ。


「で、……ドロシー、ジャックの手掛かりはなかった?」

「確定なのは、ジャックが完全に中毒者だってこと。お化けじゃない」


 ドロシーが思い出しながら、眉をひそめた。


「あと、ずいぶんと君と親しげだったな。君にアイスを勧めてた」

「アイス? ジャックが?」

「ああ。それとは別に、君と遊びたがってたよ」

「ジャックが?」

「うん。どうやらジャックは君のことを大切に想っているようだね。悪夢を見せてこんなに君が驚くと思ってなかったのかな。これ以上怖がらせたくないから、君の目が覚めるまで夢の中で大人しくしてるって言っていた」

「……」

「君はジャックにお菓子を渡そうとしていた。でも、ジャックが拒んだ。君の目が覚めるまで大人しくしていればいいから、お菓子を貰う必要が無いって。それに君は納得してた」

「……待って。じゃあ、悪夢はいつ見たの?」

「君が眠った時に悪夢を見せられたんだ。でも、その悪夢の中にジャックは出てこなかった」


 出てくる前に、キッドが君を起こしたからかな?


「キッドと会話してから、君はもう一度眠った。その時にジャックが会いに来たんだ」


 まるで、驚かせてごめんねと、友人に謝罪するように。


「……」


 ということは、


「あたしの知り合いに、『ジャック』がいる……?」

「……テリー、心当たりは?」

「……あったら見つけてる」


 誰だ。


「ジャックは、人間の形をしてなかったの?」

「鬼だったね」

「鬼?」

「そう。鬼の子」


 ジャックは可愛い鬼の姿をしていた。


「知り合いに鬼なんていないわ」

「探すなら、君の知り合いを一から百まで調べた方がいいかもね。その中からジャックを見つけ出せるかも」

「……明後日、リオンに会うの。その時に彼に相談してみる」

「どう? リオンに見つけ出せると思う?」

「分からない」


 でも、


「リオンなら、いける気がする」


 分からないけど、


「とにかく、相談してみるわ」

「あまり深入りしない程度にね。何度も言うけど、ジャックの傍には危険な魔法使いもいる」

「そうね。ジャックの候補だけでも見つけられたら、その時は」

「……その時は……」


 ドロシーが頷く。


「キッドに言うなり、僕に言うなり出来るはずだ」

「……キッドは平気なの?」

「ああ。キッドだったら大丈夫。その魔法使いには太刀打ち出来ないだろうけど、ジャックであれば何とか出来るだろうし」

「……」

「ふふっ。嫌そうな顔だね」

「この首の包帯、誰のせいだと思ってるの」

「ん?」

「キッドが噛んできたのよ」

「噛んできた?」


 ドロシーがきょとんと目を丸くした。


「何々? 君達そういう趣味があるの? ……どこまでしたの?」

「馬鹿おっしゃい。記憶を忘れたことに腹を立てて、三連休に自分以外の人達と遊びに行くからって勝手に拗ねて噛まれたのよ。本当最低」


 むすっとして、ドロシーに訊く。


「ねえ、噛み痕消せない? うなじよ。うなじ」

「そんなに強く噛まれたの?」

「ひりひりするの。ああ、あたしの美しい肌に痕が残ったらどうしよう。最低。最悪。世界は理不尽だわ。なんであいつならジャックを何とか出来るわけ? おかしいわよ」

「仕方ないさ。キッドは特別なんだよ」

「王族だから?」

「……ま、それもある」

「だったらリオンだって何とか出来るじゃない」

「リオンは……」


 何かを言いかけ、ドロシーが言葉を止めた。


「……ねえ、彼さ」


 ドロシーがふと、あたしに訊く。


「今、何歳だっけ?」

「え?」

「年齢」

「……あたしの二個上だから、16歳のはずよ」

「16か」


 へえ。16歳。


「……16歳?」


 ドロシーが口元を押さえて、何かを考え始めた。


「……」

「何?」

「いや、リオンが16歳ってことは……」


 ……既に、もう……。


「え?」

「……え? ……だとしたら」


 ドロシーが眉をひそめた。


「なんで君といれるんだろう?」

「何が?」

「彼はなんであんなに元気なんだろう」

「ドロシー?」

「学校に行ってるんだっけ……?」

「リオンのこと? そうよ。昼間は学校に行ってる」

「……あれ?」


 ドロシーが何かを思い出す。


「ちょっと待って」

「何?」

「テリー、リオンといつ会うんだっけ?」

「明後日」

「二人で?」

「じゃない?」

「二人でいられるの?」

「さっきから何言ってるの?」

「おかしいんだよ」

「何が?」

「16歳のリオンと一緒にいるのが」

「なんで。あんたが一緒にいるよう言ったんじゃない」

「そうさ。僕が言ったんだ。リオンに近づくように僕が言った」


 だけど、


「ちょっと待って」


 16歳。


「ちょっと待って」


 ドロシーの表情が険しくなる。


「テリー」


 ドロシーが顔を青ざめる。


「……僕は過ちを犯したかもしれない」

「え?」

「テリー、今なら遅くない。念には念を。ジャックのことがあるだろうけど、その、明後日、リオンには……」

「テリー!」


 声が響く。その声を聞いて、ドロシーがぎょっと肩を揺らし、あたしははっと目を見開いた。


(あっ!)


 瞬きをすれば、ドロシーがいない。振り向けば、頭に仮面をずらしたリトルルビィが涙目であたしを見ていた。


「ど、どこに行ったかと思えば……!」

「ああ……ごめんなさ……」

「テリー!」


 リトルルビィがベンチに座るあたしを抱きしめた。


「迷子になって、ここにいるしかなかったのね!!」

「……」

「ごめんね! 離れちゃってごめんね!」


 ちゅ、と頬にキスをされる。


「不安だったでしょ! ごめんね!」


 ちゅ、と頬にキスをされる。


「もう大丈夫だからね! ごめんね!」


 ちゅ、と頬にキスをされる。


「大好きテリー! もう心配ないからね! 私がいるからね! ごめんね!」


 ちゅ、と頬にキスをされる。


「テリー! もう大丈夫よ!!」

「……」


(え? なにこれ、つまり……)


 あたしが迷子扱い?


「テリー! お菓子買ってあげたよ! 一緒に食べようね!」

「あ、はい」

「テリー! もう心配ないからね!」

「あ、はい」

「テリー! 結婚しようね!」

「それはしない」


 リトルルビィがベンチに座り、買ってきた大量のお菓子を広げ出した。




 ――明後日、リオンには……。



(何が言いたかったのかしら)


 彼が16歳だから何?


(……なんか、あったっけ?)


 一度目のことを思い返してみるが、何も分からない。

 あたしが思い出そうとしても、何も出てこない。

 かっこいい王子様がいたことしか、思い出せない。


(……なんか、あったっけ?)


 あたしは何も思い出せない。



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