第17話 10月12日(5)

 

 17時30分。西区域。



 レンガ通りをぶらぶらと歩いていく。赤いレンガのワイン工場が目立っている。レンガの上を馬車が走り、その横を歩行者が歩く。レンガの道の横には湖。レンガの道を沿って歩いていると、小さな商店街を見かける。


(んっ)


 あたしの目に留まる。

 古着屋、雑貨屋、本屋、ブランド店。あたしの好みの店がずらっと並んでいる。


(あそこの通り、行ったことある。奥に、素敵なブランド店があるのよ。ドレスが素敵なのよ。大人っぽいのよ)


 あたしの目が、きらきらきらきらきら。


「ん?」


 レオがあたしの輝く視線を辿り、その商店街に気付き、あたしに訊く。


「行ってみる?」

「……そうね。小さな商店街だし、困ってる人もいそうじゃない?」

「よし、入ってみようか」


 頷いたレオとその商店街に入る。ずらっと並ぶのは、あたしの趣味に合った店達。


(うわあああああああああ!!)


 きらきらきらきらきらきらきらきら!


(宝石!)


 きらきらきらきらきらきらきらきら!


(ネックレス!)


 きらきらきらきらきらきらきらきら!


(鞄!)

(靴!)

(ドレス!)


 きらきらきらきらきらきらきらきら!


(あっ、あの花のヘアピン、美しいあたしに似合いそうだわ!)


 きらきらきらきらきらきらきらきら!


 手を伸ばして、値段を見て、あたしの目と、指が、ぴくりと痙攣する。


(うぐっ)


 その値段は、普段なら大したことない。


(……普段のあたしなら買うでしょうね。あら素敵だわって、躊躇いなく買うに決まってる)

(……でも、今は……)


 財布に入ってるお小遣いが増えることはない。


(……畜生!!)


 ヘアピンを見つめる。


(可愛い……。大人っぽい…。これは、清く美しいあたしがつけるべき代物だわ……)


 でも、今のあたしはお金持ちではない。お小遣いには限りがある。お金持ちの親もいない。このヘアピン一つ、買うお金はない。


(……)


 ぎぎぎぎぎぎ! と値札を睨んでいると、


「……欲しいの?」


 その声で、はっ、と振り向く。レオがじーーーっと、足を止めて、ヘアピンに夢中になっていたあたしを、後ろから見ていた。


「は?」


 あたしはヘアピンから目を逸らす。


「何言ってるの。見てよ。このヘアピン。この値段。ヘアピン如きで、この値段。貧乏人のあたしには理解出来ないわ」

「綺麗だね。買ってあげようか?」

「いらない」

「ニコラに似合いそう」

「いらない」


 レオを無視して、あたしは止めていた足を動かす。


「ほら、困ってる人を探すんでしょ。早くして」

「はいはい。そうだね」


 レオが肩をすくませながら微笑み、あたしの隣に歩いてくる。そして、歩幅を揃えて、一緒に歩く。レオがきょろりと一度通りの道を見回す。


「とは言っても、皆、安全平和に過ごしてるよ。困ってる人はいなさそう」

「もう解散する?」

「まだ三十分しか経ってない。少し粘ろうよ」


 レオが言った直後、


「マイケルー!!」

「ん?」


 レオが立ち止まり、声に振り向く。あたしも声に振り向く。声の主の男は、右肩と頭と左肩に三羽の烏を乗せ、誰かの名前を叫んでいた。


「あああああ! どうしよう……! マイケルがいないぞ!」

「「カー」」

「お前らも心配か! でも、安心しろ! そう遠くへは行ってないはずだ!」

「なんだ? 何事だ?」


 レオがきょとんとしながら、男に近づく。


「あの、すみません」

「うん?」


 両肩と頭に烏を乗せた男がレオに振り向く。レオが首を傾げる。


「どうかされたんですか? 迷子ですか?」

「おお、優しい少年、聞いてくれるかい? 私は実に馬鹿な親だ!」

「「カー」」


 相槌のように烏が鳴き、男がうなだれる。


「実は、ちょっとこいつらに構ってあげている間に、マイケルがどこかに行ってしまったようで」

「「カー」」

「私は大馬鹿だ! マイケルはまだ子供なのに、目を離してしまうなんて! あの子は好奇心旺盛な子だから、はぐれると分かっていたのに!」

「「カー」」

「良かったら、探すのを手伝ってくれないかい? 白くてたくましいウロコの彼は、すぐに目につくはずだ!」


 レオが眉をひそめる。


「白くてたくましいウロコ……?」

「私はあちらを探してみる! 君は、向こうを探してくれるかい!?」

「え」

「頼んだよ!! 少年!!」

「「カー!」」


 男と三羽の烏に頼まれ、レオがぱちくりと瞬きする。呆気にとられているうちに、男は向こうの道へと走って行ってしまう。


「マイケルー! 私のマイケル! どこにいるんやーい!」

「「カー!」」

「ああ! ちょっと!」


 レオが手を伸ばして男を引き止めるが、男は行ってしまった。レオが困ったようにあたしに振り向く。


「ニコラ、今の分かった……?」

「……魚じゃない?」

「ウロコって言ってたもんな。でも、魚が逃げ出すか?」

「逃げ出したから焦ってたんじゃない?」

「でも、あの人、水槽とか持ってなかったよ」


 レオとあたしが顔を見合わせて、黙った。


「「……」」


 皆目見当がつかない。


「こうなったら仕方がない……」


 レオが、ふっ、と笑った。


「家族探しに最適な僕の友達を呼ぼう」

「え、あんたって友達いるの?」

「いるよ! 僕にだって友達くらいいるよ!」


 レオがぱちんと指を鳴らす。


「かもん!! コリー!」


 その瞬間、向こうから何かが勢いよく走ってくる。ばたばたと走ってくる。あたしに向かって走ってくる。


「わん!」

「え!?」


 小汚いでかい犬が、あたしに突っ込んでくる。


「わん!」

「ぎゃっ!!」


 地面に倒れたあたしの背中を、足で押さえる。


「わん!」

「畜生! こいつ何よ! してやったりってこの顔何なのよ!!」

「ぺろぺろぺろぺろ」

「うわあああ! 舐めてくる! 汚らわしい! 触るな! けだものおおおお!!」

「こらこら。コリー!」


 コリー、と呼ばれた、目も隠すほど毛だらけの犬のリードをレオが引っ張る。


「紹介しよう! ニコラ! 僕の部下の一匹! そして友達のコリーだ! さあ、コリー! ニコラに挨拶するんだ!」

「……」


 レオが言った瞬間、コリーが大人しくなる。

 レオがふっ! と笑う。


「大人しい奴だろ? ほら、頭を撫でてやると甘えてくるんだよ!」


 レオが頭を撫でようと手を伸ばすと、コリーがそれを避ける。そしてまた黙る。


「ほらね、シャイだろ? くくっ! 可愛いなあ! コリーってば!」


 もう一回レオが撫でようとすると、コリーがその手を避ける。そしてまた黙る。レオがやれやれと肩をすくめた。あたしはぼそりと言った。


「ねえ、……あんた、嫌われてるんじゃないの?」

「何言ってるんだよ。コリーは雌なんだ。だからきっと、男の子には照れ臭いんだよ」


 コリーがあたしの足元ですりすりしてくる。


「さあ、コリー! 君の素敵な鼻で、白くてたくましいウロコの主を探すんだ!」


 コリーが自分の体を舐め始めた。


「コリー! 今こそ君の力が必要だ! さあ! 行くんだ!」


 コリーがくしゃみした。黙る。


「コリー、君の鼻は昔からすごいじゃないか! さあ、一緒に行こう!」


 コリーが欠伸をした。


「……コリーさん、お願いします。探してください……」


 レオがそう言うと、ふん! と鼻を鳴らし、コリーが地面の匂いを嗅ぎだす。レオがふっ! と笑い、胸を張って、実に誇らしげにあたしを見た。


「どうだ。すごい子だろ」

「あんた、やっぱり嫌われてるんじゃないの?」

「何言ってるの!? コリーは女の子だよ!? 犬だろうが何だろうが彼女はレディなのさ! 丁寧に扱ってあげないとこうなるのさ! 嫌われてないよ! 決して嫌われてないよ! 犬にまで嫌われるわけないじゃないか! あははははは!」


 泣きそうなレオが笑い、帽子を深くかぶり直す。


「でもね、コリーは本当にすごいよ。見てて。ニコラ」


 コリーが地面の匂いを嗅ぐ。とことこと歩いていく。ふと、止まる。くんくんと匂いを嗅ぐ。透明の、小さなウロコがある。くんくんと匂いを嗅ぎ、それを辿って歩き出す。


「ウロコってあれかしら」

「そう離れてないって言ってたから、ここではぐれた可能性も高いな。コリー、近くにいそうかい?」


 コリーの足が止まった。くしくしと、足で頭を掻きだす。


「……コリーさん、追ってくれませんか……。お願いします……」


 レオが言うと、コリーが鼻を鳴らして、また歩き出す。


(犬にまで下に見られるなんて……哀れな奴……)


 コリーの辿る足と一緒に進んでいく。しばらくして、一つの建物にたどり着く。


「「ん?」」


 あたしとレオが声をあげて、建物を見上げる。ステーキ屋だ。看板に美味しそうなステーキを持ったシェフの絵が書かれている。

 コリーがレオに振り向く。


「わん!」

「うん? どうしたんだ? お腹すいたのか? コリー」


 コリーがレオの足を蹴った。


「いってっ! 地味にいって! コリーが大きいから余計にいって!!」

「……まさか、ここにいるわけじゃないでしょうね?」


 じいっと建物を眺めていると、レオが笑った。


「ステーキ屋に魚が紛れ込んだら、誰かが見つけてるだろ」

「そうよね。出入り口から入ってきたら、流石に分かるわよね」

「ステーキ屋で料理に出すわけでもないし、不審に思う人はいるだろ。流石に」

「そうよね」

「そうさ」


 あたしとレオが顔を見合わせる。あたしは眉をひそめる。


「じゃあ、なんでここ?」


 レオが眉をひそめる。


「僕にも分からない」


 その瞬間、


「ぎゃあああああああああああああ!!!」


 悲鳴をあげた客人達が、扉を開けて、一斉に出てきた。流れるように全員外に逃げ出し、従業員までも出てくる始末。あたしとレオを通り過ぎて、悲鳴をあげて、その場で恐怖と興奮で跳ね飛ぶ。あたしとレオがぽかんとして、逃げ出した人達に振り向く。


「中に! 中に!」

「あばばばばばばばばばば!」

「噛まれてないか!?」

「ひいいいいいい!!」

「なんだ?」


 レオが顔をしかめて、あたしに顎で店を差した。


「ニコラ、行くよ!」

「あたしも行くの……?」

「当然だ! 早く!」

「ええ……」


 嫌な顔をしながら、レオとコリーの後ろをついていく。レオが店の中に入る。悲鳴が聞こえるほうに足を進ませると、包丁を握ったシェフと背中に隠れるコックがいた。


「シェエエエエエフ!!」

「私の厨房には近づけさせん!」

「シェエエエエエフ!!」

「ひいい! 押すな! 押すんじゃない!!」

「ニコラ、あっちだ!」


 レオがコリーと共に駆け出し、白くてたくましいウロコの主を見て、ビタッ! と固まった。


「っ」


 レオが息を呑んだ。


(あ、なるほど)


 あたしは納得した。

 長い舌を出したり引っ込めたりする白い巨体の蛇が、厨房の前で固まり、シェフ達を睨んでいたのだ。

 その鋭い眼差しと、立派なウロコを見て、レオが真っ青な顔で悲鳴をあげた。


「ひえっ!」


 レオがコリーを引っ張って、あたしの背中に隠れた。きょとんとして、レオを睨む。


「ちょっと、あたしを盾にしないでくれる?」

「駄目! 駄目駄目! 僕、蛇駄目なんだ!」

「あたしだって無理よ。あんな気持ち悪いの触れない」

「え、嘘だろ? 待って? なんで? 白くてたくましいウロコ……」


 白い蛇だ。


「え、ちょっと待って、嘘だ。無理だって、ニコラ、どうしよう」

「王子様なら動物だって手懐けられるでしょ。行ってきなさいよ。あたしはここでコリーと一緒に待ってるから」

「わん!」

「ねえ、君は僕の妹だ。こうしよう。君に手柄をあげるよ。今回は君が捕まえてくるんだ」

「嫌よ」

「大丈夫。遠慮は不要だ」

「嫌よ」

「ちょっとウロコに触るだけさ!」

「嫌よ!」

「僕だって嫌だよ!」

「つべこべ言わず行ってこい! おら!」


 コリーのリードを奪い、レオの背中を押すと、レオが抵抗する。


「まままままま! まて! 待て待て! やだ! 無理無理無理!」

「あんた男でしょう! 男らしく行きなさいよ!」


 ぐーーーーっと背中を押すと、レオが全力で首を振った。


「いやあああん! やめてぇ! 押さないでえええん!!」

「気持ち悪い声出さないの! 男の子でしょ!」

「あのさ! 蛇に! 男であることも、男でないことも、関係ないと思うんだ!! 男であったら何でも出来ると思ったら、それはニコラの大間違いさ! 僕らは人間だよ! 人間にはね! 好き嫌いというものがあってだなあああ!!」


 ぐーーーーーーーーっと前に押すと、レオが嫌がって、あたしの体を抱きしめて、しがみついた。


「ごめんごめんごめんごめん!! 本当に無理! 無理無理無理!」

「はあ……」

「シェエエエエエエエエエフ!!」


 コックが悲鳴をあげる。シェフが青い顔で、包丁を持ったまま口から泡を出している。


「しっかりしてください! シェフ!」

「ぶくぶくぶくぶく……」

「ああ! どうしよう! ああ! どうしたらいいんだ! 女神アメリアヌ様! どうか我らをお助けください……!!」


(男のくせに、どいつもこいつも……!)


 チッ、と舌打ちすれば、


「ちゅー」

「はっ!」


 厨房の中から、まん丸に太った可愛い鼠が、ととと! と走ってくる。

 騒ぎに気付いて、避難しようと走ってきたようだ。


(こ、こんなところに、鼠が……!)


 あたしの表情がぱあっと明るくなる。目元が緩む。口元が緩む。鼠一匹であたしの心の毒は浄化される。


(可愛い!)


 走ってくる可愛い鼠に見惚れていると、白蛇がきらりんと目を光らせた。


(ん?)


 鼠の姿を見つけた瞬間、蛇がすすす、と愛しい鼠に近づきだす。


「シェエエエエフ! 蛇が動きました!!」

「ぶくぶくぶくぶく!」


(ん?)


 いじらしい鼠の後ろから、蛇が大きく口を開ける。


「あっ」


 あたしが声を出した瞬間、ぱくりと、白蛇が愛らしい鼠に噛みついた。


「ああああああああああああああああ!!」


 直後、あたしは絶望の悲鳴を上げる。


「レオ!! そこ退いて! 鼠が!!」

「はっ!」


 レオの目がきらんと光った。


「蛇は食事を始めると、時間がかかるんだ! その間に主人を呼べば、どうにかなるかもしれない!」


 レオがぱちんと指を鳴らす。


「呼んで来てください! コリーさん!」

「わん!」


 コリーがあたしの力の抜けた手からリードを引っ張って、走り出す。白蛇は、嬉しそうにもぐもぐとゆっくりと食事を始めている。


「やめてええええええええええ!!」


 あたしは叫んだ。


「鼠が! 鼠が犠牲になったわ! 鼠が!!」

「偶然鼠がいてくれて良かった。見てみなよ。ニコラ。蛇も嬉しそうだ。きっと、お腹が空いてたんだな」

「いやあああああ! 鼠ちゃん! あたしの可愛い鼠ちゃん!!」


 もぐもぐもぐもぐ。


「いやあああああああああ!! 噛まないであげてーーーーーー!!!!」


 ごくり。


「のーみーこーまーなーいーでええええええええ!!!!」


 涙目のあたしが、絶叫した。

 レオに抱きしめられて動けない体では、鼠を助けることは出来なかった。




(*'ω'*)



 18時30分。西区域。ステーキ屋の前。



 夜が近づく空。シェフとコックとレオに、白蛇の主人が頭を下げていた。


「誠に! 誠にマイケルが、ご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした……!」

「「カー」」

「気をつけてくださいよ。今回は大目に見ますので」

「おお、心優しいシェフ、誠にありがとうございます。今度この子達と食べに来ますので」

「「カー!」」

「……動物は勘弁していただけますか……」


 シェフが丁重に断る。男が頭を下げて、そして、チラッとレオを見て、微笑んだ。


「心優しい少年、見つけてくれてありがとう。マイケルは非常に大人しい性格でね、とても臆病なんだ。騒ぎになって、怯えてしまっていたに違いない」

「ああ、よく分かります」


 コリーのリードを持ったレオが微笑む。


「動物って、常に人間に警戒してるんですよね。だから、自分は害のない人間だって伝えるにも時間がかかるし、すごく大変」

「おお、分かってくれるかい。少年」

「ええ、よく分かります。この子もそうでして……」

「立派な犬だ。大切にしてあげるんだぞ」

「もちろんです」

「動物は友達だ」

「ええ。大切にしないと、ですね」


 動物を大切にするなら、


「鼠の気持ちも考えなさいよ!!」


 あたしは土で作った不格好なお墓に木の枝を立てて、号泣しながら両手を握った。


「えええええええええん! 鼠……! あたしの鼠ちゃん…!! えええええええん!! 丸くて可愛かったのに……! びええええええええん!!」


 おいおい泣きながら、ぎゅっと手に力を込める。


「女神アメリアヌ様、今度あの鼠が生まれる時は恵まれた環境の人間にしてあげてください! あんな死に方、可哀想だわっ!!」

「わん!」


 コリーがあたしの傍に駆け寄り、頬を舐める。あたしは涙目でコリーを見る。


「何? 慰めてくれるの……?」

「わん!」

「ああ、レオと違って、あんた良い子ね……。鼠を見捨てるような男なんてね、ろくな男じゃないわ。あんた見る目あるわよ」

「わん!」

「ニコラ、もう暗いから帰るよ」


 言い放つレオを、ぎろりと睨む。


「てめえ……絶対許さないからな……! あたしはあの子の分まで生きてやるんだから!」

「生で食物連鎖を見て驚いてるんだな? あはは。君にも可愛いところがあるじゃないか!」


 ブチッ。


「コリー! こんな奴放って帰るわよ!」

「わん!」

「ちょ、ちょっと! 待ってよ! 僕も帰るってば!」


 あたしとコリーが歩き出すと、後ろからレオがついてくる。あたしの横に並び、レオが歩幅をあたしに揃えて歩く。


「ねえ、ニコラ」

「何よ」

「明日から土日が挟む。つまり、二日間の休憩が待っているんだ」

「ええ。そうね」

「その間に、してほしいことはあるかい?」


 レオがあたしに耳打ちした。


「10月末に、何か良くないことが起きるんだろう?」


 それを聞いて、あたしの足が止まる。コリーが止まる。レオも止まる。レオがあたしを見る。あたしがレオを見る。目が合う。


「……ええ。そうよ」


 今日も、鼠のショックで忘れていた。レオは微笑んでいる。


「この二日間で、僕にやれることをしよう。何か、協力できることはあるかい?」

「……人を探してほしいの」

「人?」


 レオがきょとんとする。あたしはその名前をレオに伝える。


「アリーチェ・ラビッツ・クロック。15歳の女の子よ」

「その子を探してほしいのかい?」

「そうよ」

「アリーチェなんて名前、どこにでもいそうだけどな……」


 レオが考えて、あたしに質問する。


「その子は、国民?」

「ええ」

「城下町にいるの?」

「分からない」


 正直、アリーチェの詳細なんて覚えていない。名前の文字の綴りも分からない。住んでいる場所も城下町なのかも分からない。調べても、紹介所に名簿の登録をしてなかったということしか分からなかった。


「詳細は言えないけど、何としても見つけないといけないの」

「アリーチェ・ラビッツ・クロックだな?」

「そうよ」

「分かった」


 レオが頷く。


「すぐ見つかるさ。で、見つけたらどうしたらいい?」

「あたしにその子が誰か教えて。まず顔を見たい」


 見つけたところで、人違いの可能性も出てくる。環境を確認して、そのアリーチェが事件を起こす本物かどうか、判断したい。


「分かったよ」


 レオが頷く。


「月曜日に良い報告を期待して待ってるんだ。ニコラ」

「当然よ」


 それが交換条件。


「王子なんだから、それくらいできるでしょ」

「王子にだって出来ないことはあるんだぞ。ニコラ」

「蛇に触れないとか?」

「しょうがないだろ。……苦手なんだよ。蛇」


 むくれながらレオが歩く。あたしも歩く。コリーも歩く。

 帰り道に向かって、歩き出す。

 道を歩き、歩く人々を通り過ぎて、肩を並べて、レオと一緒に歩いて、店をいくつか通り過ぎると、レオがはっとした。


「ああ、いけない。忘れるところだった」


 レオが、思い出したよう上着のポケットに手を突っ込ませた。


「これはお兄ちゃんから、ささやかなプレゼント」

「ん?」


 振り向くと、レオが手のひらサイズの小さくておしゃれな袋を、あたしに差し出していた。


「……何それ」

「いいから」


 レオに言われ、その袋を受け取る。ごそごそと開けてみると、


(あ)


 あたしの目が見開かれる。


 さっき店で眺めてた、花のヘアピン。


 色んな色の石が細かく詰め込まれ、三つの花がピンに飾られている。可愛いよりも、大人っぽい、綺麗なピン。私服のドレスよりも、舞踏会に着ていくドレスに似合いそうな、お洒落なピン。


「……いつの間に……」

「さっき、ステーキ屋で事情聴取があっただろ? その隙に」

「あの待ち時間で?」

「そう」

「あたしがせかせかお墓作ってる間に?」

「そう」

「……呆れた」

「それで泣き止んでくれる?」


 レオが腕を伸ばす。


(あ)


 レオの手が、そっと、あたしの頬に触れた。レオが優しく微笑み、あたしを見つめる。


「目が濡れてる。また泣きそうな顔だ」

「……どこの口説き文句よ。気持ち悪い」


 あたしは、ふん、と鼻を鳴らし、レオの手を叩いた。


「レディの肌に触るなんて、失礼だわ」

「これは失敬。我が妹君」


 レオがおかしそうに、くすっと笑う。あたしはまたヘアピンを眺める。綺麗なピンは、あたしの手の中にある。


(可愛い)


 貰った人が誰であれ、


(可愛い)


 そのヘアピンに見惚れる。


「……これ、大切にしてあげてもいいわ。気に入った」

「それは嬉しいね」

「……お礼なんて言わないわよ。これはプレゼントなんだから」

「いらないよ」


 レオが笑う。


「ニコラが笑ってくれさえすれば、お礼の言葉なんていらないよ」




 嘘つき。


 お前が、あたしを恐怖のどん底に落としたくせに。


(許さない)


 許さない。


(許さない)


 こんなもの渡されたって、


(もう)



 全部遅いのよ。





 ぎゅっと、ヘアピンを握る。

 日が落ちた空には、星が光りだしていた。



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