第16話 10月11日(5)


 レオがスタッフに渡されたランタンを持って、前に進む。お互いでお互いの手を強く握り合う。だって、はぐれたら困るでしょ?


(決して怖いわけじゃない)

(断じて怖いわけじゃない)


 中は夜の荒野だった。水車が設置されていて、本当に回っている。レオが唾を飲んだ。


「いいか、ニコラ。僕達の目的は二つ。この中で起こっている異常を見つけて、解決することだ。それとこの中で迷ったお客さんのレディを探すこと」

「たかが一本道よ。歩いてれば自然と見つかるわ」

「そうだね。ちゃちゃっと済まそう。こんな暗い迷路、いつまでもいるなんて気が触れている」

「今だけあんたに同感してあげる。賛成よ」

「ここは二人で力を合わせるんだ」

「ええ」

「悪戯は無し。どっきりも無し」

「変な声あげて驚かせるのも無しよ」

「言っておくが、ニコラ、これは怖いからじゃないぞ」

「分かってるわ。集中するためでしょう?」

「そうだとも。集中するためだ。怖いわけがない。こんな作られたお化け屋敷」

「ええ、同感よ」

「一本道だ。さっさと歩こう。ニコラ」

「そうね。レオ。さっさと終わらせましょう」


 一本道を歩き続けると、レオがランタンで足元を照らし、転ばないように配慮する。しかし、あるポイントを見つけて、足を止める。あたしもそこを見て、足を止めた。


「……ニコラ、見えるか」

「ええ」


 あそこに腕がある。


「絶対くるぞ」

「分かってる」

「わあああって驚かせに来るぞ」

「分かってる」


 しかし、ここを進まないと次にはいけない。レオが橋に向かって、声を投げかけた。


「あのー、すみません! もしかして、役者の方はいらっしゃいますか? なんかこの建物の中で問題があったそうで、ちょっと様子を見に来ました。もし、この腕が役者の方なら、ぜひ出てきてくれませんか?」


 腕は動かない。


「……作り物だ。行こう。ニコラ」

「……ええ」


 二人で歩き出すと、――腕がばたばたと動いた。


「私のうでええええええええええ!!」

「「ぎゃああああああああああ!!」」


 二人で悲鳴をあげ、その場を走る。


「役者なら出て来いって言っただろ! 問題が起きてるんだってばああああああ!!」

「くたばれええええええ!!」


 レオとあたしが後ろに叫び、前に進む。しばらく走って、立ち止まる。二人で呼吸を整える。


「はあ……はあ……。全く……言うこと聞かない役者は……嫌いだ……」

「同感よ……」

「もしかしてと思うけど……、ここの役者達、意識高い系じゃないか……? 問題があっても役になりきって僕達を虐めようとしてるんじゃ……」

「これが遊びじゃなくて仕事なら、そうするでしょうね……」

「……これは、ちょっと手強そうだな……」


 いいだろう。そっちがその気なら、


「ニコラ、あいつらが最も恐れていることは、僕達が怖がらないことだ」

「そうね」

「でも、それだと役者達が可哀想だ。仕方ない。『驚くふり』はしてあげよう」

「そうね。『驚くふり』をしてあげないと、彼らも仕事だもの。可哀想」

「『驚くふり』をしながら誰も怪我をさせることなく、黙って問題を解決しよう。ああ、僕らって優しいね!」

「ええ、『驚くふり』をするんだもの。全くだわ!」


 二人で顔を見合わせて、こくりと頷く。


「前に進むぞ。ニコラ」

「ええ」


 そして、また一歩前に出ると、


 ――ぎぃぃぃぃいいいいいい。


「ひっ」

「っ」


 あたし達は音が鳴った方向に振り返る。水車が回っているだけ。


「ああ、水車が回りだしたぞ。すごい仕掛けだね。ニコラ!」

「ええ、この技術、真似したいわね」

「ああ、すごいすごい! ハロウィンには最高だ!」


 そう言って、二人で水車小屋の前を通ると――横から顔が出てきた。


「お前の娘を渡せぇぇえええええ!」

「うわああああああ!!」

「いいいいいいいい!!」


 レオとあたしが走り出す。橋を越えて、次のエリアまで走り、立ち止まる。そして、――二人で笑い出す。


「はっはっはっはっ。ストーリーを聞いておいて良かったな。ニコラ、聞いたか? さっきの言葉は、きっと悪魔の声だぞ」

「ええ。娘をさらおうとしてる悪魔役だったわね。メイクもなかなか素敵だったわ」

「いやあ、ここまでくると、そこら辺の迷路と変わらないな。子供でも笑って入れるよ」

「そうね。子供でも入れるお気楽な所だわ」

「ああ、愉快愉快。何も怖くないぞー」


 レオとあたしが笑いながら足を進ませる。次のエリアは家の中になる。


「見ろ。ニコラ、とてもくつろげそうな部屋だね」

「ええ、全くよ。こんな所で過ごしてみたいものだわ」

「ホームパーティーにいいかもしれないね」

「ええ。そうね」


 ドンドンドンドン!!


「「っ」」


 二人で、しゅっと、息を呑みこむ。扉を見ると何もない。出てこない。


「音だけだ」

「音だけね」

「ああ、驚いたふりも完璧だ。はっはっはっはっ」

「ああ、今のタイミングはナイスだったわね。感動したわ」

「いやいや、本当だね。ニコラ」


 レオとあたしが笑いながら歩き出す。決められた道を進み、窓の横を通り過ぎると――あたしの頭が掴まれた。


「ああああああああああああああ!!!」

「うわああああああああああああ!!!」


 あたしが叫び、レオが叫び、あたしに振り向き、また叫ぶ。


「うわああああああああああああああああ!!」


 あたしの手をぐいっと引っ張ると、簡単に手があたしの頭から離れ、二人で走る。ランタンの明かりで足元を照らしながら走り、歩き、止まる。そして、二人で笑いだす。


「あはははは! ニ、ニコラ! 大丈夫かい!? まさか! 呪われてないよな!?」

「ばばばばば、馬鹿ね! 役者に頭撫でられただけよ!」

「ああ、きっと女の子の頭を撫でたかったんだろうね!」

「おほほほ! あ、あ、あら? どど、どうしたの? レオ。あ、あんた! 声が震えてるわよ!?」

「ばばばば、馬鹿言わないでくれよ! お兄ちゃんは何も怖くないぞ? 笑いをこらえているのさ! ああ、笑いが止まらない。あはははは! ははははは! あばばばばば! ニニ、ニコラの方こそ、こ、声が震えてるぞ? 怖いのか?」

「まままま、まさか! んなわけないでしょう?」

「そそ、そ、そうだよな!」

「ええ! そそ、そ、そうよ!!」


 ぎゅうううっとお互いの手を握り締めて、二人の足が動き出す。


「つ、次はどんなものが出てくるかなー? あーあ、楽しみだー!」

「まるで、て、テーマパークのようだわ!」

「ああ! そうだね! ニコラ!」


 二人で笑いながら道を進むと、――ぐすん、ぐすんと、泣き声が聞こえる。二人でびくっと声をあげた。


「わあああ。驚いた……ふりさ! 泣き声だよ。ニコラ」

「ひぁああ。……ふふっ。今のは驚いたふりよ! 本当だわ。泣いてるわね!」


 声の方向を見ると、そこにライトが当たる。ぐすんぐすんと泣いている女性が、歩いて渡れない場所にいる。あたし達は微笑んで足を進ませる。


「ニコラ、見てごらん。あんな所に素敵なレディがいるよ」

「あれがきっと手無し娘ね。まだ腕がある時よ」

「あらすじであったね。ああ、泣いてるだけで何もしてこないのかな? ああ、つまらないな! よし、先に進もうか!」

「ええ! そうね! とっとと行きましょう!」


 泣いているだけで何もないことを確認して、次のエリアに向かう。二人で足を揃えて前に歩くと――レオの横の壁が破壊され、そこから斧を持った粉屋の主人が出てきた。


「私を許しておくれーーーーーーー!」

「「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!」」


 レオとあたしが叫び、全力疾走で走る。ぼろぼろのフローリングの廊下を走り、歩き、止まり、一度呼吸を整える。


「はっ……はははっ……ははっ……。……いやあ、つい、走りたくなってしまった。大丈夫か? ニコラ? ついてこれた?」

「はは、ええ、へ、平気……」


 あたしの胸が痛い。肺が痛い。呼吸も乱れている。緊張状態。


 ――少し、まずい。


「ちょ、ちょっと、疲れたかも……」

「さっきから驚いたふりばかりだからね。僕も喉が痛いよ」


 はあはあ。ぜえぜえ。はあはあ。ぜえぜえ。


「よし、行こうか」

「ええ」


 胸を押さえながらまた歩き出すと、向かいから足音が聞こえてくる。


「ん?」


 レオがランタンを向ける。向かいからやってくる影も、ランタンを持っている。


「あれ?」


 レオと同じランタンを持っている。


「ニコラ、あれもしかして、はぐれて迷子になってるお客さんじゃないかな?」

「え?」


 あたしも見る。確かに遠くから歩いてくる明かりがある。見えるランタンの形は同じもの。


「あのー!」


 レオが声をかける。


「すみません! 先に入った方ですか!? 貴女の彼氏さんが、入り口で貴女を待ってましたよ!」


 声をかけると、ランタンを持った影が近づいてくる。


「ああ、やっぱりそうらしいな」


 黙って近づいてくる。


「やっぱり迷子になってたんだ。三人で出口まで向かうことにしよう」

「レオ」


 あたしはその姿を見て、顔を引き攣らせる。


「本当に、あれ、迷子の人?」

「ん?」


 レオが目を凝らして、よく見る。そして、とても――とても、静かになる。


「……。……。……ま、間違い……ないんじゃ……ないかな?」

「へえ」

「……間違い、ないよな?」

「ええ。多分」

「そうだよな?」


 向かいから歩いてくる影を、二人で見つめる。


「……でも、レオ」

「ああ」

「首がないように見える」

「ああ」

「首ある?」

「いや、無いように見える」

「なんで歩けてるの?」

「分からない……」

「ねえ」


 あたしとレオが一歩下がった。


「どうするの?」

「うう……」


 レオが顔を引き攣らせる。


「ううううううううううううううう……」


 向かいから、ひたひたと歩いてくる。首のない女が、ランタンを持って歩いてくる。ランタンを持ったまま、首のない女の体が、こっちに歩いている。そして、あたし達に気付き、歩き、早く歩き、大股で歩き、


 勢いよく、走ってきた。


「うわあああああああああああああああああああ!!!」

「いやあああああああああああああああああああ!!!」


 レオとあたしが全力疾走で逃げる。後ろを見れば、女が追いかけてくる。


「なんで追いかけてくる!? なんで無言で追いかけてくる!?」

「首がないのよ! 声を出せるわけないでしょう!!」

「うわああああああああああああ!!」


 レオが走る。猛スピードで走る。あたしは引きずられるように走る。足を動かすのがやっとだ。転びそうになる。


「っ!!」


 ――今転んだら、死ぬ!!!


「こっちだ!!」

「っ」


 レオがあたしを引っ張る。作られた木の後ろに回り、陰に隠れる。レオがランタンを上着の中に忍ばせ、明かりを隠し、じっと二人で縮こまる。ランタンを持った女が猛スピードで道を走り、通り過ぎた。走る足音が聞こえる。どんどん無くなっていく。音が消えていく。聞こえなくなる。


 静かになる。


 はあああああ、と、レオが息を吐いた。


「ああ……死ぬかと思った……」


 レオがまた深呼吸をした。


「いや、あれは駄目だって。追いかけられたら、流石に逃げるよ」


 レオが振り向く。


「ニコラだってそう思うだろ?」


 その瞬間、あたしは膝から崩れた。


「え?」


 あたしの乱れた呼吸が止まらない。


「ニコラ?」


 あたしの過呼吸が止まらない。


 ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。


「ニコラ? ニコラ?」


 ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ。


「ニコラ」


 レオが跪く。そして、暗がりの中、冷静な声であたしの肩を掴み、囁く。


「落ち着いて。大丈夫だよ」

「ぜえはあぜえはあぜえはあ」

「ゆっくり呼吸するんだ。いいかい?」

「ぜえはあぜえはあぜえはあ」

「大丈夫。ゆっくり、ゆっくり呼吸するんだ」


 レオがランタンを地面に置き、あたしの口と鼻に手を押し付けた。少しだけ狭い丸まった空間が出来上がる。


「さあ、呼吸して。深呼吸だ」

「ぜえはあぜえはあぜえはあ」


 呼吸が苦しい。何も聞こえない。耳が遠い。


「ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ」

「ゆっくりゆっくり。大丈夫、ゆっくりでいいよ。大丈夫」


 レオがあたしの背中を撫でた。それでも汗が出てくる。呼吸が出来ない。息が苦しくて、もっと呼吸をする。


「ニコラ、大丈夫だよ」


 レオが囁いて、あたしの背中を撫で続ける。


「大丈夫だよ」


 呼吸が出来ないあたしの背中を撫で続ける。


「ゆっくり呼吸するんだ。ゆっくり」


 レオが囁く。


「いくよ。一緒にやろう」


 レオがそう言って、息を吸った。


 すーーーーーーーー。


 あたしも息を吸う。


 すっ、すうう、すっ、すっ。


 レオが息を吐いた。


 はーーーーーーーー。


 あたしも息を吐いた。


 はっ、すっ、はああ、はあああああ。


 レオが息を吸った。


 すーーーーーーーー。


 あたしも息を吸う。


 すううう、うううう、ううううはっ、すうううう。


 レオが息を吐いた。


 はーーーーーーーー。


 あたしも息を吐いた。


 はああああああ、えほっ、あああああ。


 レオが息を吸った。


 すーーーーーーーー。


 あたしも息を吸う。


 すううう、っ、すううううう。


 レオが息を吐いた。


 はーーーーーーーー。


 あたしも息を吐いた。


 ふううううううう、ううううう!


 レオが息を吸った。


 すーーーーーーーー。


 あたしも息を吸う。


 すーーーーーーーー。


 レオが息を吐いた。


 はーーーーーーーー。


 あたしも息を吐いた。


 はーーーーーーーー。


「……ああ……ああ、あ……」

「大丈夫、大丈夫だよ。ゆっくりでいいから、そうそう。ゆっくり」


 レオが呼吸するたびに揺れる体の動きに合わせて、呼吸を真似すると、ようやく深呼吸が出来るようになる。繰り返し、レオがあたしの背中を撫でて、なんとかパニックになるあたしの頭を落ち着かせる。


(……っ……力が……)


 ぐったりと体が脱力する。


「……僕のせいだね。意識はある?」


 こくりと頷く。


「……力、出ない……」

「大丈夫。君は僕の傍にいてくれるだけでいい」


 レオがそう言って、あたしの腕を肩に抱えて、あたしの両膝の裏に手を伸ばし、あたしを背中に抱えた。


「よいしょ」


 立ち上がり、ランタンを持つ。


「ニコラ、両手を握れる?」


 あたしは言われた通り、自分の両手を握って、レオの肩を抱く。


「絶対その手を離すんじゃないぞ」


 レオがそう言って、木から身を乗り出し、歩き出す。


「スタッフの人が言っていたのはあれかもしれない。本物のお化け……あるいは、幽霊がランタンを持って彷徨い歩いてるのかも」


(なんでお化けがランタン持って歩いてるのよ……!)


 ぎゅっと手に力が入る。


「とりあえず出口まで行こう。だいぶ進んだはずだ。入り口よりも、出口の方が近いかもしれない。それと、途中で役者の人がいたら、声をかけよう。流石にぐったりしてる客を見て、驚かせてくる人はいないよ」


 レオが足を動かす。


「大丈夫。お兄ちゃんがついてる。怖がらなくても大丈夫だぞ。ニコラ」

「……別に……怖くない……」

「ああ。僕の足が早かっただけだったね。僕はね、かけっこだったら誰にも負けない自信があるんだ」

「……」

「ああ、でも、鬼ごっこで、兄さんが鬼だったら捕まるかな……。かけっこも兄さんが相手なら負けるかも……。あの人も足早いんだよなあ」


 レオが足を動かす。


「手無し娘って、おとぎ話なんだって。ニコラ、今度図書館に行って、手無し娘が最後どうなるか一緒に読もうよ」

「……」

「案外、ハッピーエンドかもしれないよ? おとぎ話だから、どこぞの王子様に会って、結婚して終わりの話かも」


 レオが話を続ける。


「ニコラには好きなおとぎ話、ある?」

「……」

「どんな物語が好きなの? 教えてよ。僕、本を読むのは得意じゃないんだ。外で体を動かす方が好き。狩りとか楽しいよ。今度一緒に行ってみようか」


 レオの明るい声が聞こえる。と同時に、変な音が聞こえた。


(ん?)


 何この音。


 変な歌が聞こえる。


(聞いたことある……。……これは……)


 あたしの腕に、力がこめられる。


(これは……)





 ジャック ジャック 切り裂きジャック





「え…?」


 あたしの目が見開かれる。



 ジャック ジャック 切り裂きジャック



「レオ…!」


 震える声で、レオを呼ぶ。


「なんか聞こえる! 変なのが聞こえる!」

「ひぇ!? な、なに!? 何が聞こえるって!?」

「う、歌! ジャックの歌を、誰か歌ってる!!」

「う、歌!?」


 レオが顔を引き攣らせて、首を振った。


「そ、そそ、そんなの聞こえないよ! 落ち着いて。ニコラ」

「き、聞こえるってば!」


 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「ジャックが歌ってる!」

「き、聞こえないってば……。……分かった。僕を怖がらせようとしてるんだろ……」

「違う! 本当に聞こえてるのよ!」


 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「レオ! レオ! 早くここから出てよ! 早く!!」


 ぎゅうううっとレオの肩を抱くと、きょとんとしたレオが、ふいに微笑んだ。


「大丈夫だってば。何も聞こえないよ」


 レオが歩き出す。


「ジャックなんて都市伝説だろ? いないってば」

「でも、歌ってる! ジャックが歌ってるわ……!」

「じゃあ僕達も歌うんだ」


 レオがすっと息を吸って、歌った。


「ジャックなんて怖くない。怖くないったら、怖くない。ジャックなんて怖くない」


 レオが楽しそうに歌う。


「ジャックなんて怖くない。怖くないったら、怖くない。ジャックなんて怖くない」


 レオが歌いながら歩く。あたしはその肩を抱く。レオがあたしをあやすようにたまに跳ねて、また歌う。しばらくおばけ役の役者は現れない。そのまま二人で暗い道を進む。


「あ」


 レオが何かを見つける。


「鍵がある。なんだこれ」


 扉があって鍵がある。レオの顔がまた引き攣った。


「……ああ、……そういうことか……」


 あたしをもう一度おんぶし直す。


「ニコラ、怖かったら目を瞑るんだ。いいか。手だけは離すなよ」

「こ、怖くないわよ……」

「い……行くぞ……行くぞ……」


 レオは行かない。


「行く。ちょっと待って」


 すーーーはーーー。


「行く」


 行かない。


「待って」


 すーーーはーーー。


「よし、行く」


 行かない。


「ううううっ、ちょっと待って。すーーはーー。すう、ふう、待って」


 レオがごくりと固唾を飲み込む。


「よし、ニコラ、僕の背中にいるのはニコラだよね?」

「あたし以外誰がいるのよ……」

「よし、行くぞ。行くぞ。よし、行くっ」


 レオが意を決して、鍵を握った、瞬間、――ドドドドドドド、と走ってくる音が聞こえた。


「よしよしよしよし! 想定内だ!!」


 レオが震える手で鍵をドアノブに突っ込ませる。


「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫!!」


 あたしがチラッと振り向く。向こうから首のない女が走ってきていた。


「ひっ……」


 小さく悲鳴をあげて、レオの肩をぎゅうううっと抱く。


「レオ、早く! 早く!!」

「よしよし! 開いた! 今開いた!!」


 がちゃりと扉を開ける。秋の風がぶわっと吹かれる。外に通じている。そして、レオの全力疾走が始まる。


「うわああああああああああああああああ!!」


 悲鳴をあげて、走っていく。振り向くと、首のない女、その後ろから、大量のお化けがあたし達を全力疾走で追いかけてきていた。


(ひいいいいいいいいいいいいいい!!!)


「レオ! 早く!! 早くうううう!!」

「ううううううううううううううううううううううううう!!!」


 レオが真っ青になってランタンを投げ捨てた。あたしだけを抱えて、前のめりになって、駆け込む。


「あった! 出口出口出口!!」


 叫び、走って、足を動かして、秋の風に吹かれながら、レオがあたしをおんぶして、お化け屋敷から出た。


「うわあああああああああああああ!!」

「おかえりなさーい!」


 男女のスタッフが笑顔で出迎える。お化け屋敷の周りで待っていた人々が、何事だと目を見開く。レオの足が滑り止まり、出口に振り向く。あたしが見た大量に追いかけていたお化けは出てこなかった。ただ一人、首のない女だけが、出口から走ってきた。


「ぎゃああああああああああああああああ!!」


 男女のスタッフが悲鳴をあげて抱き合う。


「ひいいいいいいいいい!!!?」


 レオが目を見開いて、あたしを背に抱えて守りながら一歩二歩三歩四歩下がる。首のない女の体がお化け屋敷の前で倒れる。それを見た客の男が、声を張り上げた。


「おお! ハニー!!」

「「えっ」」


 レオとあたしの声が重なる。男がもぞもぞする女に近づいた。


「一体どうしたんだい!? 首がないように見えるよ!」

「ダーリン!」


 女が叫んだ。


「潜って遊んでたら、チャックのお口が挟まったみたいなの! 取ってちょうだい!」

「おう! こいつはまたお茶目なハニーだぜ! 待ってろ! 君の顔を見るために、僕が今、その呪いを解いてあげよう!」


 ちょちょいのちょい。チャックが下ろされ、女の頭が襟から出てきた。


「はあ! ダーリン! お化けに追いかけ回されて怖かったわ!」

「おお! ハニー! もう大丈夫さ! 僕らは悪魔の呪いを乗り越えて、こうして再会出来たんだから!」

「「……」」


 レオとあたしが黙ると、スタッフの男が胸を撫で下ろした。


「なんだ……。本物のお化けじゃなくて、お客さんだったか……」


 レオが黙る。あたしは眉をひそめる。


「良かったわ! これでまたお化け屋敷を再開できる!」

「いやあ、助かりました!」


 スタッフ達がレオを見て、周りにいた人々もレオを見て、恋人達もレオを見て、――スタッフの男以外、全員、目を見開く。


「あれ、リオン様?」

「はっ!!!」


 レオが頭を触る。帽子がなくなっている。


「しまった! 帽子!!」


 また顔を青ざめて、あたしを背に持ったまま、人のいない道を見つけて、そっちへ走り出す。見てた人々が悲鳴をあげた。


「きゃあああああああああああああ!! リオン様だわああああああああ!!」

「うわあああああああああああああ!! リオン様だあああああああああ!!」

「リオン様ですって!?」

「なんだって!?」

「きゃーーーー! リオン様ーーーー!!」

「どうしてこんなところに!!」

「素敵!!」

「走る姿もハンサムだぜ!!」

「ニコラ!! 絶対に手を離すなよ!!!」


 レオの全力疾走が、また始まった。



(*'ω'*)



「あーあ。……もう散々だ……」


 夕暮れが沈むのを見ながら、ぼろぼろのレオがぼろぼろのあたしをおんぶしたまま噴水前に向かって歩く。


「ミックスマックスの帽子、どこかに落としたんだろうな。あーあ、買ったばかりなのに……」


 あたしのリュックについてた帽子を代わりに被りながら、歩いていく。


「ニコラ、体は大丈夫?」

「もう平気」

「そう」


 レオがあたしを抱えたまま歩く。あたしの足が揺れる。秋風でレオの髪が揺れる。レオの肩を抱いたまま、あたしの口が、ぽつりと動いた。


「……ありがとう」

「何が?」

「過呼吸、整えてくれたでしょ」


 あたしは視線を逸らして、また呟く。


「……だから、ありがとう」

「……初めてだな。君からありがとうを言われるのは」


 レオが嬉しそうに微笑んで、口を動かす。


「こちらこそ、付き合ってくれてありがとう。ニコラ」


 まあ、


「思い返してみれば、なかなか楽しいかけっこだった。そうだろ?」

「かけっこね……」


(あたしはあんなの、もうごめんよ)


 チラッと、人気のない道を見る。地面を見る。そろそろ歩けそうだ。


「レオ、そろそろ下ろしてもいいわよ。足の感覚が戻ってきた」

「いいよ。ここまで来たんだし、家まで送る」

「家……」


 あたしは呟いて、首を振る。


「駄目」

「過呼吸起こしたのは僕のせいだ。送るよ」

「駄目」

「いいや。送る」

「……」


 頑固なところはスノウ様譲りだろうか。


(余計なところで面倒ね。……どうするか……)


 あたしは考えて、考え込んで、ひらめいて、それを言う。


「うちの爺ちゃん、すごく怖いの。男の子に送ってもらったって知ったら、あたしが怒られるわ。もちろんあんたもね」

「僕も?」

「孫に何しとるんじゃ! 説教してやる! こい! って家に引きずられるわよ」

「僕、これでも王子様だよ」

「爺ちゃんからしたら関係ないわ」

「……どこまでなら送っていい?」

「噴水前」

「分かった」


 レオが頷き、歩く。


「一人で帰れる?」

「噴水前からなら、帰れる」

「本当?」

「ええ」

「分かった。その言葉信じるよ」


 もう少しで噴水前にたどり着く。レオがもう一度、ため息をついた。


「はあ。……ニコラ、お化け屋敷はもう無しだ」

「同感」

「何があったって近づかないぞ」

「ええ」

「怖いからじゃない。ああいう暗いところを歩くと……ほら、綺麗な夕暮れが眩しく思えるだろ?」

「ええ。本当ね」

「せっかくの夕暮れが台無しになる。だから、お化け屋敷は無しだ」

「賛成」

「ただ、東区域の祭は明日もあるらしい。明日も行ってみる?」

「あれだけ騒ぎになったんだから、やめておけば?」

「……そうだね。明日は別の場所に行こう。さーて……どうしようかな……。ニコラ、どこがいい?」

「あたしに訊かないでくれる? あたしは疲れたわ。くたくたよ。もう家に帰りたい……」

「……同感。僕も帰りたい……」


 げっそりしたレオと、ぐったりしたあたしが、沈んでいく夕暮れを見て、はあ、と同時にため息をついた。




(*'ω'*)



 18時30分。



 じいじがぼろぼろのあたしを見て、眉をひそめた。


「ニコラや、どこで何をしてきた? 門限を守ればいいという問題ではないぞ。どこで悪さをしてきたんじゃ」

「してないってば……」


 うんざりして顔をしかめると、ぐううと、下品な音があたしのお腹から演奏される。あたしは自分のお腹を睨む。


「チッ……。下品な音ね……」

「お風呂に入っておいで。ご飯はそれからにしよう」

「はい……」


 二階に上がろうとして、じいじに確認する。


「……キッドは?」

「明日は朝からやることがあるらしい。城にいるそうじゃ」

「ああ、そう……」


 とりあえず、今夜はゆっくり眠れそう。

 音に気にせず二階の部屋に行き、荷物を置いて、着替えを持ってくる。部屋から出て、廊下を歩いて、階段を下りて、脱衣室に入る。


(お風呂でゆっくりしよう)


 扉を閉めて、棚に着替えを置く。服を脱ごうとして、


「……」


 あたしの手が、服ではなく、扉を開けた。


「じいじ」


 声をあげると、じいじがリビングのソファーから立ち上がり、チラッと脱衣室の方を覗いた。あたしと目が合う。


「ねえ、この家って人が死んだって歴史とかある?」

「今の時代、人が死んでない土地などないぞ。ニコラや」

「……ねえ、別に、あの、特にそういうわけじゃないんだけど」

「うん?」

「……幽霊とか、出ないわよね?」

「見たことはないのう」

「そうよね」


 あたしは頷いて、扉を閉める。閉めて――ふと、また扉を開ける。


「じいじ」


 ソファーに戻ろうとしていたじいじが、またあたしに振り向く。


「うん?」

「あなた、ソファーにいるのよね?」

「ああ」

「あたしが上がってくるまでいる?」

「食事の用意をしなくていいのかい?」

「あたしが上がってから手伝うからいいわ。とりあえずそこにいて」

「ふむ。分かった。そういうことならソファーでゆっくりしよう」

「ええ。そうして」


 あたしは頷いて、扉を閉める。閉めて――また扉を開ける。


「じいじ」


 ソファーに戻ろうとしていたじいじが、またあたしに振り向く。


「今夜のご飯は何?」

「パスタじゃ」

「何パスタ?」

「クリームパスタじゃ。野菜多めのな」

「へえ、そうなの。分かった。ありがとう」


 あたしは頷いて、扉を閉める。閉めて――また扉を開ける。


「じいじ」


 じいじは動かず立っている。


「今日シャンプー」

「ニコラ」


 じいじがあたしを睨んだ。


「早く入ってきなさい」

「はい」


 あたしはようやく扉を閉めた。ぱぱっと服を脱いで、ぱぱっと浴室に入って、ぱぱっとシャワーを浴びる。


(お湯……温かい……)


 一度シャワーを止めて、――ちらっと後ろを振り向く。


(……何もいない)

(いるはず……ない)


 また正面を見て、ぱぱっとスポンジで体を洗って、ぱぱっとシャワーで泡を落として、シャワーをゆっくり体に当てる。


「ふう」


 体が温まってくると、やっと落ち着く。


「はあ。いいお湯」


(湯舟に浸かりたい……)


 生理中の体で湯舟には入れない。ふう、と切なく息を吐いて、頭が整理されて――思い出す。


「あっ! アリーチェ!!!」


 うなだれる。


「あああ……」


(あの野郎……)


 憎々しいレオの笑顔を思い出す。


「じゃあね、ニコラ! また明日!」

「何がまた明日じゃ!!」


 脳裏に浮かんだレオに怒りを覚えた。


「畜生…! 明日こそ言ってやる…! 明日こそ!!」


 温かいシャワーがあたしに降りかかる。


「言ってやぶくぶくぶくぶく!!」


 シャワーの雨に、あたしは頭を突っ込ませた。





( ˘ω˘ )







 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「ん?」


 切り裂きジャックを知ってるかい?


「な、なんだ?」


 ジャックはお菓子がだぁいすき!


「なんだお前? あっちいけ」


 ハロウィンの夜に現れる。


「くそ、どいつもこいつも……」


 ジャックは恐怖がだぁいすき!


「あの警察……あの兵士……、許さねえ! 畜生! 訴えてやる!」


 子供に悪夢を植え付ける!


「警察の本部に電話して、クレームつけてやる!」


 回避は出来るよ! よく聞いて。


「なんで俺が怒られるんだ! どいつもこいつもふざけやがって!」


 ジャックを探せ。見つけ出せ。


「お前もうるさいんだよ!! 退け!!」


 ジャックは皆にこう言うよ。


「黙れ!! うるさいんだよ!!」


 お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!


「黙れよ!!」


 ジャックは皆にこう言うよ。


「トリック! オア! トリート!」

「ああ!?」

「オ菓子クレ!」

「あっち行け!」

「オ菓子ハ?」

「あっちいけ!! 邪魔だ!!」

「エ? ナイノ?」


 皆でジャックを怖がろう。


「え」


 お菓子があれば、助かるよ。


「ひっ!」


 皆でジャックを怖がろう。


「ぎゃああああああああああああ!! 腕があああああああああああ!!」


 お菓子が無ければ、死ぬだけさ。


「やめろ! やめろやめろやめろ!!」


 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「お願いします! やめてください! やめて! やめてください!!」


 切り裂きジャックを知ってるかい?


「あああああああああああああああああああああああああああ!!! ママアアアアアアアアアアア!!! ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 ジャック ジャック 切り裂きジャック




「……先輩、今日グレーテル様が捕まえた男、牢屋でうなされてるんですけど、起こします?」

「……んー……。そうだな。悪いことをしたとは言え、うなされてるのは可哀想だな。起こしてやれ」

「はい」




 切リ裂キジャックヲ知ッテルカイ――?


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